第19話 アルラハーシア3
アルラハーシアは歓喜の叫びを押し殺すのに懸命だった。
またも遺跡だ!
彼らは正確な遺跡の場所を知っているのはもう間違いない。
エルフですら知らない森の秘密を彼らがどう知ったのかはわからないが、樹木を切り払った場所から鉄扉が出てきたのを見たとき、彼女は彼らがただ闇雲に探しているのではなく、知識として場所を知っているのだと確信した。
しかし、どれ程過去の文献を調べたのだろうか。この森に棲むエルフですら知らないのだから、500年は下らないだろう。
後は、あの二人が善なる者であるのを祈るばかりだ。
だが、なぜだか分からないが、彼女には彼らが敵ではない事に妙な確信があった。
今日の彼女の直感は冴えている。おそらく間違いではない気がした。
彼らの会話を聞いた上での判断なのかもしれないし、もしかすると、多分に願望が混じっていたのかもしれない。
少なくとも、彼女一人で彼らをどうにかできるという甘い考えは既になかった。森の中という俄然有利なフィールドで人間二人など、普通であれば彼女にとって負けるなどという発想すら出てこないはずだった。しかし、遺跡での経験と、そこから導き出される結論は、彼女を慎重にするに十分だった。
昼休憩をとっていた時の彼らの会話を、精霊の力を借りて盗み聞きしてみたが、二人が親密な事と、彼女には理解できないこの森に関する高度な会話をしていた事、くらいしかわからなかったが、悪い人間ではなさそうというのが彼女の感想だった。
扉の前で何やらやっていた。おそらくは扉を開ける正規の手順があるのだろう。キーワードや魔法の手段ではなさそうだ。だが、二人の身体に隠れてしまい、何をどうしているのかは全く見えなかった。
扉が開き、二人がなかに入ってから十分な時間を置いて、彼女は扉に近づいた。
かなり分厚そうな扉だ。
破るのはおそらく無理だろう。扉にはいくつものハンドルがついている。いくつかいじってみたが、ハンドルを動かすのすら満足に出来なかった。すぐに彼女は諦めた。
彼女は扉から離れた。扉がよく見えて、尚且つ、向こうからは発見されづらい木の上に陣取った。
こうなれば、出て来るまで待つしかない、たとえ何日かかろうと。
だが、彼女はそこまで待つことはしなくても大丈夫だろうと考えていた。
なぜなら、彼らは食料の類いをあまり持っているようには見えなかった。
古代の遺跡なのだから、食料はさすがにないだろう。食料を補給するために出て来るはずだ。それに、彼女がここに何日もいたら、彼女のために森が大捜索されてしまうだろう。
次に彼らが出てきた時が接触のチャンスだ。
できれば、男の方が話しかけやすいし友好的に進められそうな気がする。
アルラハーシアは自らの美貌を意図して使うことはなかったが、それが引き起こす様々な厄介事の経験は豊富だったので、男にはプラスに、女にはマイナスに働く効果を知っていた。
しかし、女の方は同性の彼女から見ても美人と言える風貌だったし、それと旅している男であれば、アルラハーシアの美貌にそこまで過剰に反応することもないだろう。だから、彼女が男の方が交渉する相手として好ましいと思ったのは、そんな判断基準ではない。
ただ、単純に、女の方はなにか怖かったのだ。
そして、男の方は安心できる雰囲気をまとっていた。
できれば、男の方が一人で出て来てくれればいいが……と、都合の良いことを考えていると、突然呼びかけられ驚いた。
「アルラハーシア!」
忘れていた。彼女自身が今、探されている対象だったことを。そして、精霊は森にいて当然のエルフなどの事は囁いてくれないことを。
彼女の兄だった。
彼女の兄はクドクドと説教をしている。
ハイエルフの女性として恥ずかしくない礼儀作法を云々、そんなウッドエルフのような格好をして云々、今日は家に家庭教師の先生が来てくれるはずだったのに云々、評議会どこそこ派の重鎮の子息がお前に贈り物を云々、社交界デビューの準備が云々……
よくもまあ、滔々と流暢に並べ立てられるものだ。その弁舌の巧みさは兄の特技なのだ。
それだけ彼女の方にも罪状があるということなのだが。
ずっと上を見上げて首が痛くないのだろうか。
そこからだと、私の下着が丸見えなのだが、それを見上げ続けるのは紳士としてどうなんだろう。とはいえ、これは彼女が意図的によくやっていることなのだが。
布一枚で邪魔な男が近付き難くなるなら安いものだ。だからわざと、動きやすいという利点を理由に丈の短い服を着ているのだ。おかげで、兄の護衛についた男はこちらを見上げられずにいる。まあ、身内にはこの手は通用しないか。
しかし、このままでは、彼らが出て来たとき、私の第一印象が叱られている未熟なエルフになってしまう。それだけは嫌だ。それに、兄は彼らの重要性を知らない。彼らの気分を害する言動をしかねない。
どうにかしないと。だが、素直に話して信用してくれるだろうか?
彼女が兄をいかにして説得、もしくは騙そうかと考えていると、兄と彼の護衛は同時に武器に手を掛けた。
彼女も弓の準備をする。
精霊の囁きが、オークの集団の接近を告げたのだ。
判断ミスをした。
あの二人組が重要だと思っていたから、そして、自分達の庭で無法者にゲストを傷付けさせるわけにはいかないというプライドめいたものもあった。
やはりあの兄に二対一は無理だったか。
兄が倒れ、彼女が飛び降りる決断をした時だった。
飛んできた剣がオークを倒し、黒い竜巻が、あっと言う間に敵を薙ぎ倒した。
彼女は慌てて、残ったオークに矢を放つ。それで、オークは全滅だった。
安堵し、兄を助けようと、今度こそ降りようとしたところを、今度は出て来た男の声に止められた。最初は何を馬鹿な事を言っているのかと呆れ、すぐに思い直す。今日の私は判断に頼って失敗している。会話の全ては理解できないが、どうやら二人は兄を助けてくれるらしい。ならば信じてみよう。
全神経を警戒に集中した途端だった。精霊の囁きがゴブリンの集団を伝えたのは。もう目の前だ。しかも……
「うそ、こんな近くまで気付かないなんて。ゴブリン! デカブツがいる!」
ありえない。これはこちらが全滅しておかしくない敵だ。普通なら逃げなければならない。兄が怪我さえしていなければ……。
それからは驚きの連続だった。
黒ずくめの男は、戦闘の前に小さく呪文を唱えていた。やはり魔法使いだ。
彼が手を向けて赤い光を当てたダイアウルフが瞬時に死んだ時は、彼女は震え上がった。
あの赤い光は彼女が遺跡で当てられたものと同じだ。
彼女の弓でも一撃で仕留められないダイアウルフを即死させる魔法だなんて……。
やはり、手加減されていたのだ。彼女もああなっていたかもしれないのだ。
改めて身震いした。
その後、呪文詠唱もなしに巨大な
その上、スケルトンスレイプニルを操っている。
今までに読んだどんな冒険譚よりも凄い戦闘だった。
全てが彼女の知識の外の出来事だった。
彼女は決意した。
絶対に彼らに着いていくと。
彼との初対面は最低だった。
エルフのくせに木から落ちて、彼に受け止めて貰った上に、涎をダラダラと垂らしたのだ。
兄の言ではないが、この時ほどハイエルフの淑女らしさが欲しいと思った時はなかった。
タケルは優しく、何故か分からないが親しみやすかった。まるで家族のように思えるのは、その優しい茫洋とした顔立ちのせいか。だからと言って美形と言うわけではない。十人並みだ。彼の性格に因るものだろうか?
ヒミコはやはりちょっと怖かった。恐ろしい美形というのか、人間で自分と同格に美しいという者を初めて見た。兄にはあれほど優しい顔を見せていたが、別に媚びている様子は全くない。優しい面と恐ろしい面が混じらずに同居している稀有な存在だ。
だが、二人ともいい人なのは間違いない。
予想通り、彼らは遺跡を巡る旅をしているようだった。前の遺跡には少し長く滞在していたらしいので、やはり、彼らがあの遺跡を使いこなしているのは間違いない。
兄が喋れないのをいいことに、彼女は自分の好感度が上がるように嘘をついた。
これまでの人生で有り得ないくらい積極的に押しまくった。
その結果、タケルに来訪を約束させたばかりでなく、遺跡に招待さえしてもらったのだ。
まあ、招待と言うにはかなり強引だったが。
当然の事だが、家に帰ると大騒ぎになった。
大事な跡取り息子が大怪我をして帰って来たのだから。
兄は自分の怪我が森に侵入したオークとゴブリンのせいであることを語ったが、通りすがりの冒険者に助けられたとしか言わず、薬師にも大丈夫だと言って、頑なに傷の手当をさせないらしい。兄の用意周到さから考えて、護衛の男にも口止めをしてあるのだろう。
兄の狙いがどこにあるか分からないが、アルラハーシアにとっては好都合だった。
街の関心は森に侵入して来るモンスターの事に集中した。
二十日前にミクリの町が陥落し、ミクリを策源地としたミーム帝国のモンスターたちが沿岸の街道沿いに、人間の集落を荒らしているとの報は届いていたから、ミクリに面する静かの森にも、いつか来るのではないかという懸念はあったのだ。
ミクリを失うことで西に大きく後退することになったウェルバサル王国の、次なる防衛拠点は大森林の南西にある町だ。ミクリ陥落で大森林は二つの勢力が睨み合う最前線の間に位置することになってしまっていた。
帝国と王国は戦力の回復まで、沿岸の街道沿いで小競り合いを繰り返すだろうというのが、大方の予想だったが、帝国が大森林にも攻め込んで来るのではないか、いやいや、ミクリから北へと転進するのではないか、と、帝国の戦略の変換を危ぶむ声もあった。
静かの森でのモンスター発見の報は、そんなハイエルフの不安を現実のものとした。
急遽、評議会が開かれ、同時に静かの森のウッドエルフ達に厳重な警戒を指示する伝達が為された。
噂はすぐに広まり、街は騒然としていた。
交遊関係の広い兄へは多くの見舞い客が見舞いの品と、共にやって来た。
彼らは思いの外元気だった兄に喜び、私を見て珍妙な顔をした。
ただ料理をしていただけなのに。
翌日、アルラハーシアは剣を携え、弓と鎧で完全武装し、普段は付けないアクセサリーを少し付けて、荷物満載の馬に乗ってタケルのいる遺跡に向かった。
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