第18話 アルラハーシア2

 とはいえ、現実で彼女が最初に踏み出した一歩は、黒の二人組と逆方向に進むことだった。

 彼らは啓開しながらの行程なので追いつくことは容易い。

 それよりも、彼らが来た場所に興味があった。

 今まで禁忌とされて、近寄らなかった場所。そこに何があるのか見てみたかった。


 一応用心して、木の枝を伝って、彼らが作った道に沿って進んだ。 

 すぐに道の起点に辿り着いた。

 門がそこにはあった。その門だけ木が切り払われている。門も壁も2m以上の高いものだったが、壁には樹木が生い茂り、蔦が絡み付いていたため、樹上を移動するアルラハーシアには障害にはならなかった。


「なるほど、禁忌の元は遺跡だったのね」


 ぽっかりと、森の中に穴が空いたようになっている。草木が覆い尽くそうとしているが、まだまだ樹木が遺跡に根を張り、枝を伸ばし、葉を繁らせるには50年はかかるだろう。

 遺跡の中も人が通れるように切り払われているようだ。

 ということは、彼らは遺跡専門の冒険者なのだろうか。

 少し期待ハズレだ。遺跡専門の冒険者とはつまり、盗掘や墓荒らしのようなものだ。強大な敵を打ち破る、怪物退治の冒険者とは雲泥の差だ。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花……か、敬遠してきた禁忌の遺跡を目にして、少し拍子抜けした。

 遺跡に興味はある。過去の文明の遺産は殆ど理解できないものばかりだが、彼女はまだ遺跡に入ったこともないのだ。これなら、ここを探険して、ここを秘密の場所にするのも悪くないかも。そう思って、好奇心の赴くままに塀の中に降り立った。


 彼女の警戒心を緩ませた要因は三つある。

 一つは授業。彼女は学校で遺跡とは調査対象であり、盗掘から守る文化遺産という認識を与えられていた。

 二つ目は、外から見える遺跡の半分は、明らかに崩れ落ちていたからだ。これではモンスターも住み着くまい。

 最後の一つは、二人組の冒険者が盗掘できる程度の遺跡なら、危険はないだろうという判断。彼女が見た二人は全く消耗しておらず、危険を脱してきたようには見えなかったのだ。

 アルラハーシアは切り開かれた道を素直に辿って行った。


 何かおかしい。そう彼女が気づいたのは、中央の噴水まで来たときだった。

 噴水を挟んで正面にある大きな遺跡がきれいだった。盗掘にあったにしては、入口が破られた形跡がない。それどころか、固く閉ざされているように見える。

 いや、目立たないところに入口があるのかもしれない。

 彼女はその遺跡に近づいてみた。

 すると、罠にかかったわけでもないのに、突然周囲に「ジリリリリ」という不快な音が響き渡った。罠でなければ答は一つだ。


「警戒アラートの魔法か」


 何が起こるのか、彼女は身構えながら、後退する。周囲を耳障りな警戒音に埋め尽くされながらも、彼女の鋭敏な聴覚は「キュイーン」という高めの音が近づいて来るのを察知していた。

 それは建物の影から現れた。円筒形の銀色の物体。彼女に向かって突進してきている。だが、さほど早くもない。猪や鹿の方が速いだろう。

 彼女はさっと身をかわすと、後ろ姿に矢を放った。

 矢は命中したものの、カンと小気味いい音を立てて、どこかへ弾かれた。

 ゴーレムに違いない。意思を持たず、命令のままに動く泥人形。だが、こんなに素早く動く金属製のゴーレムなど聞いたこともない。

「侵入者は武装。攻撃を確認。対処レベルを上昇」

 しかも喋るゴーレムなど論外だ。一体どれ程の魔法使いが造ったのか。それとも、これが遺跡の一部なのか? ともかく、攻撃してしまった後だが、敵意がないことを理解してもらわねば。

「あの、ごめんなさい、私ここに……」

 彼女はその言葉を続けられなかった。呆然としてしまったのだ。

 建物の陰から、それこそわらわらと、同じ円筒形のゴーレムが出て来たのだ。

 こんな高度なゴーレムがあんなに!?

 これだけの数のゴーレムなんて、どんな高位の魔法使いでももっていないだろう。

 いや、今彼女が考えるべきはそんなことじゃない。

 いくら速くなくとも、これだけの数を避けきるのは難しい。しかも……

「きゃっ!」

 完全にかわしたはずなのに、彼女はパチンと衝撃を受けた。

「電撃?」

 この感覚は電撃系の魔法だ。注意して見れば体当たりする瞬間だけ、彼らの体が青白く発光している。

 素早く動き、判断し、喋って、攻撃魔法も使う。高度なんてもんじゃない!

 彼女は何の用心もなく、こんな場所に足を踏み入れた自分を呪った。

 しかし、今はこの窮地を脱しなければ。

 ゴーレムたちの連携は完璧だ。さっきから一度もお互いがぶつかったりしていない。

 攻撃のタイミングも僅かにずらして、こちらが動きにくい方向から来ている。

 囲まれているが、助走距離さえあれば、飛び越すことはできる気がする。だが、あのゴーレムに一瞬でも触れてしまえば電撃をお見舞いされるだろう。


 アルラハーシアは考え、分析し、検討し、結論した。

 ジリジリと場所を移動し、噴水を背にする。と、一気に駆けだし、噴水に駆け上がると、その勢いのまま、ジャンプした。

 着地も何も考えていないジャンプだ。とにかく飛距離さえ出ればいい。


「ゴメン!」


 心の中で植物にそう謝りながら、枝をへし折りながら茂みに突っ込む。

 急いで立ち上がり、振り返ると、案の定、ゴーレムたちは追いかけて来ていなかった。

 彼女は避けやすい方向に避けていたが、それは足場が良いところ、つまり切り開かれた道の上だった。ゴーレムたちも現れる時に必ず道を通って現れた。ゴーレムたちは草木の生い茂る場所には来ないのだ。

 良かった。自分の考えが当たっていて。安堵の息を漏らした瞬間、彼女は自分の腹に不吉を感じさせる赤い光を見つける。ハッと顔を上げた瞬間、強烈な打撃。

 衝撃で後ろに倒れた彼女は、痛みを堪えてそのまま這って壁まで進んだ。みっともない姿だが、今の彼女にはどうでもいいことだった。

 壁に辿り着き、乗り越え、壁が見えなくなるまで遠くに離れて、ようやく彼女は今度こそ本当に安堵の息をついた。周囲を森の精霊の囁きに満たされることがこんなにも安心できる事だなんて、当たり前過ぎて今までその有り難みが分からなかった。

 彼女が逃げられたのも森のお陰だ。

 森があの遺跡の中にまで侵食していなければ、茂みに飛び込んで逃げることも、這って追撃をかわすことも、壁を素早く登る事も適わなかっただろう。


 彼女は鎧を外し、服を裾から捲り上げて、太股や下着があらわになるのも構わず、腹部を曝し見た。

 形良く括れた白い腹部に、丸く青黒いアザが出来ている。誰かに思いっきり殴られたかのようだ。

「これは……魔法? それとも飛び道具?」


 あの赤い不吉な光に捉えられた瞬間、黒い塊のようなものが一瞬見えた。その瞬間、腹部を殴られた様な衝撃が襲ったのだ。

 油断だった。何度も反省したのに、逃げ切れたと思って油断してしまった。

 まったく、この少しの時間で何回反省しただろう。


 彼女はこれまで、自身の能力の高さ故に、失敗というものと縁遠かった。

 だが今、彼女は、自分の知識と能力を超える現実に直面したのだった。

 井の中の蛙である事を知った彼女は、今、震えていた。

 まるでおこりのように、震える身体を己が両腕で抱きしめて。


 恐怖で?


 違う。確かに彼女の瞳には狂気に近いものが浮かんでいたが、恐怖を源泉とするものではない。

 彼女の瞳に浮かんでいたのは狂喜だった。


 アルラハーシアは自身の能力をフル稼動させて、死地から生還した達成感に打ち震えていたのだ。

 勿論、あの遺跡というかゴーレムたちが、手加減をしてくれていたことは気付いている。

 おそらく、生け捕りにする命令が出ていたのだろう。

 だが、それでも、あの危機を己が才覚で乗り切ったのは、今考えても、興奮する経験だった。沸き上がる達成感は、街では決して味わえない。

 素晴らしい、素晴らしい、スバラシイ!


 彼女は鎧を急いでつけ直すと、疾風の如く駆け出した。

 早くあの二人に追いつかねば。

 精霊の囁きで、場所は分かっている。

 期待ハズレ、だなんてとんでもない!

 アルラハーシアは己の不見識を恥じた。

 生きている遺跡だなんて世界を揺るがす大発見だ。

 あのゴーレム一体ですら、魔術師ウィザード錬金術師アルケミスト、それにドワーフ達も、血眼になって取り合いする代物だ。下手をすれば、各国があの遺跡を取りに攻め込んで来るかもしれない。ミクリの町を攻め落としたミーム帝国などは、その価値を知ればすぐにでも攻め込んで来るだろう。

 あの二人は、この大森林グレートフォレストとエルフに戦火をもたらす情報を握っているのだ。

 そして、恐らくはそれだけではない。


 遺跡の中の道は最近切り払われていた。

 彼らには戦闘の形跡もない。

 つまり……彼らは遺跡を盗掘しに来たのではない。遺跡を使いに来たのだ。

 遺跡を使う術を知っている程の強大な魔術師なのだ。

 最低でも研究者であるのは間違いないだろう。


 もう興味どころではおさまらない。

 何十匹の猫が死んでもまだ飛び込む程の好奇心が彼女を支配していた。

 かつて、彼女に求愛し、敢なく無惨に玉砕していった男性達が、自分に向けさせようと必死だった種類の視線が、今、彼女からまだ見えぬ黒い鎧の二人に向けられていた。

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