第17話 アルラハーシア1

 アルラハーシアはハイエルフという長命な種族だ。ハイエルフの寿命は250年くらいなので80歳前後で成人の儀を行い、成人と見做されるようになる。成人の儀とは簡単に言えば試練である。昔は過酷なもの(巨大な手負いの熊を一人で倒すとか)もあったらしいが、近年ではその内容はかなり緩く、成人の儀の行われる年齢も遅くなって来ている。

 理由は少子化だ。徐々にではあるが、ハイエルフの出生率が減って来ているのだ。とはいえ、単純に平和な時期が長く続いたためでしかないから、種族の存続に関わるようなものではない。

 ただ、各家庭の子供が少なければ、どうしても過保護になってしまう。成人の儀の内容を決めるのがその家の家長であれば、成人の儀が緩くなってしまうのは致し方ないだろう。誕生祝いがそのまま成人の儀だった者もいるくらいだ。……彼女の兄なのだが。


 今日も彼女は森の中で過ごしている。この富士山が望める大木は彼女の秘密でお気に入りの場所なのだ。彼女はこの木に自分のちょっとした小物を置いて部屋のように使っている。子供の秘密基地のよう、と言えば一番分かりやすいだろう。

 その木の広い枝の上で、脚を組んで本を読みながら、別の枝に掛けた革袋からワインを直接飲み、パンを摘みながら、片手で本を読んでいる。時折、リスや小鳥などが置いているパンやその屑を取って行くが、お互い気にした風もない。

 この木を使わせてもらっているのだから、この木に住む者には迷惑料代わりに持っていってもらっている。


 このようにエルフは種として森に親和性がある。

 だが、ハイエルフは矛盾した種族だと彼女は思っている。

 エルフの中で最も文化的で知性が高く魔法も使え、平和を愛する誇り高き種族。だからこそ、他のエルフよりも上位ハイなのだ。

 それが対外的なハイエルフの位置付けだ。

 だが、そもそも、エルフとは森に住む種族なのだ。なのに文化的というのは矛盾してはいないか?

 都市を作り、大勢で集まって住む。それは文化的な生活なのかも知れないが、それをもって上位ハイとは言えないのではないか?

 ハイエルフのなかには森に住み、氏族単位で居留地を作るウッドエルフを野蛮ワイルドエルフと呼ぶ者もいる。しかし、むしろウッドエルフの方が種としてはまともなのではないだろうか? 彼らはハイエルフ比べれば、優秀なハンターでありレンジャーだ。ハイエルフが魔法を使うのに対して、ワイルドエルフはドルイド僧がドルイドマジックという植物を対象とした特殊な魔法を使う。

 森はエルフの領域だ。それを考えれば、どちらが自然かは考えるまでもないと思うのだが。事実、エルフが最大の領域としている大森林グレートフォレストは10もの森が重なっている。その広大な森を実際に守っているのは、それぞれの森に棲んでいるウッドエルフたちに他ならない。


 アルラハーシアは文化的な暮らしは大好きだ。だが、森も同じように好きなのだ。どちらが優れているとかではない。なのに、種族名にハイなどという自分の考えと違う名前、自らの程度の低さを喧伝するかのような言葉が使われているのが嫌で仕方ない。そして、それに引きずられたかのように、他のエルフを下に見る同族が嫌でならない。

 だから彼女は名乗るときに敢えてハイエルフと名乗っている。

 その名を聞いたときに相手の瞳に浮かぶ感情を見るために。

 羨望や優越感などを浮かべる者は早々に距離を置く。


 だから、彼女は学校でも浮いていた。本を読むのは好きだったから勉強は出来た。魔法も使えないわけではない。学校で習った程度の初歩はできる。森が好きだったから、運動も弓術も一番だった。つまりは優等生だった。その上、美人だ。そのスペックの高さ故にイジメられはしなかったが、変わり者と見られた。

 孤立ではなく孤高。

 言葉は違えど、結果は一緒だ。要は本人がそれをマイナスと捉えるかプラスと捉えるかの違い。

 美人は兎角トラブルに見舞われやすい。勘違いした好意などその代表例だ。男も女も、勉強も魔法も、この大きな街の中にあるものの中で、本以外の全てが、彼女の興味を惹き続ける事が出来なかった。そのため、トラブルしか引き起こさない好意など邪魔でしかなく、孤独は彼女にとってプラスにしか感じられなかった。

 そして、彼女の興味の対象となる本は、ほとんどが、人間の書いた本だった。

 世界には、森の外には、彼女の知らない様々な事がたくさんある。それはなんと素晴らしい事だろうか! 冒険譚や英雄譚などは、同じ事を伝えたエルフの詩などよりワクワクする。


 今も彼女が読んでいるのは、ハイエルフの子女が嗜むような詩集などではない。人間の書いた冒険譚だ。

 素晴らしい。こんな試練が成人の儀で自分に与えられないものか。

 せめて、世界を巡り、エルフのために情報を森にもたらすための職業、エスピオナージになれないものか。

 アルラハーシアは無理な願望とわかっていても、その空想を止めることは出来なかった。

 兄の成人の儀が誕生会だ。いくら盛大とはいえ、冒険とは掛け離れ過ぎている。

 父は何も言わないが、母や兄には、森に出るよりドレスを着て、淑女らしいマナーを学ぶよう言われている。

 今朝だって、兄の目を盗んで抜け出して来たのだ。今頃、兄は必死で探しているだろうが、ここは絶対に、特に兄のような者には見つからない。

 なぜなら、ここ、アルラハーシアの秘密の木は、禁忌の森の中にあるのだ。


 禁忌の森とは特定の森を指した言葉ではない。

 森の中での立入禁止区域を指してそう呼ばれる。アルラハーシアのいる静かのサイレントウッドの中にはここ、直径5kmくらいのエリアしか禁忌の森はない。流石に彼女もこの禁忌の森の中心部には行った事はない。その外縁部から200m程奥に入った場所だ。

 こういった場所は森の中にたまに存在する。

 しかし、目印などで規制されているわけではない。

 エルフは皆、森の中にいると精霊の囁きが聴こえる。森の精霊の囁きは不特定の者に対して発せられるので、エルフは森のどこにどんな侵入者がいるか、すぐにわかるのだ。精霊を使う術を得意とするドルイド僧達は更に様々な事をできる。

 通常、精霊の囁きは周囲2km程度の森の状況が分かる。

 だが稀に、森の中にポツンと精霊の囁きが聞こえない場所があるのだ。

 エルフはそこに強い不安を感じる。ストレスと言い換えてもいいかもしれない。

 それを感じてしまう場所が禁忌の森なのだ。なので目印などなくても、エルフであれば入っては来ない場所なのだ。 


 アルラハーシアは、その精霊の囁きで読んでいた本から目を上げる。

 近くを通る者がいる。人間だ。しかも、この囁きは、この禁忌の森の中からだ。

 森への侵入者は見過ごせない。人間は特に。それが敵か味方か分からないからだ。

 それに、囁きが突然来た。方向と場所を考えても、この人間は禁忌の森の中心部から来たとしか考えられない。

 脱いでいた革鎧をつけ直す。といっても、胸と腹を覆うものだけなので時間は僅かしかかからない。弓と矢筒を持つと、囁きの方向に向かった。


 侵入者は二人の人間の男女だった。どちらも黒い鎧をつけ、女が森を啓開しながら男はその後を着いて行っている。

 山賊などの無法者には見えない。冒険者かどこかの国の兵士か。人種的にはこの辺の人間ではない。話に聞く西の国の者か?

 迂闊に近づくのは危険だろう。私がここにいる事は誰も知らないのだから。彼らは静かの森を東へ向かっている。行き先がある動きだ。ならば行き先を突き止める方がいいだろう。

 頭脳は冷静に判断していたが、彼女の心はざわめいていた。


 アルラハーシアはドキドキしていた。今、彼女の人生で初めて冒険の扉が開きかけている。早く手を掛けて開かなければ、そんな予感に苛まれていた。今まで、彼女の街にやって来た冒険者を見かけても、こんな気持ちになることはなかった。明らかにあの二人は異質だ。今、彼女は人生の大きな岐路に立たされていることを直感していた。

 平凡な人生を変えるのだ。自分自身の手で機会を逃さず。


 それに、きっとこれは、試練など霞んでしまう程の大きな冒険譚になる。

 もしかすると、歴史に名を残すレベルの。




 アルラハーシアの直感は正しかった。

 彼女はこの時、夢を自分で掴み取る第一歩を踏み出したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る