第16話 天岩戸
電脳空間の月面。そこにやって来たタケルは、暫しその光景に心奪われる。
荒涼とした世界、空に浮かぶ地球。たしか月面にはコロニーが造られてるんじゃなかったか、と思い高くジャンプしてみると、遠くにそれらしき人工物らしいものが見えた。
静かの森から静かの海か。
こんなところにピクニックでもしに来たのなら、風景を楽しむんだろうけれど、今は目的が違うからなぁ。
遥か先のクレーターの中央部に、遠くからでもその存在感を無視できない、岩屋のオブジェクトが建っている。入口を巨大な岩戸が塞いでいる。あれが天岩戸だ。
あそこにヒミコが引き篭っている……らしい。
タケルは自衛隊基地でヒミコに聞いた情報を思い出す。
「いい、タケル。世界の命運はあなたの双肩にかかっているわ」
いきなり壮大な話の切り出しだ。
最弱の剣と最弱の鎧を渡して魔王退治にでも送り出すつもりか。
だが、ヒミコの口から語られた事実は、もっと現実的な危機だった。
「管理用AIが機能停止したために、現在は一世代前のバックアップ用AIが緊急事態と判断して管理を代行しているわ。このAIはトリニティシステムを動かす事は出来るけれど、その情報量を変化する外界の状況に合わせて運用するまでの能力はないの。あくまでトリニティシステムの実証用だったから。そのせいで、中核を成す三基以外の衛星は制御を失って、最短で18時間後には最初の衛星が軌道を外れるわ。運が悪ければ地球のどこかにコロニー落としよ」
「いやいや、流石に人工衛星であの規模の災害にはならないだろ」
ついつい、つっこんでしまう。衛星の落下でオーストラリアに穴は空けられないだろ。
「そうね、あくまでも机上の計算だけど、最悪の入射角で最も大きく燃え残った場合、激突時の爆発力は5~10メガトンくらいだから、原爆くらいね」
「十分大惨事じゃねぇか」
ヒミコは大きく見積もっても直径10kmとかは地球規模で見れば針先みたいなもんよ、たいしたことないない、と手を振る。
「ワタシはリンク自体を拒絶されてるから、電脳空間に入る事すら出来ないわ。だから説得に行けるのはタケルだけよ」
ヒミコとヒミコロボットの関係も人間には理解が難しいんだよな。
同一の存在なのに、個があるというか、嫉妬したりしてるけど、矛盾は感じてなさそうだし。
考え事をしていたので、じっと見つめていると照れられた。
このロボットこういうところは無駄に高性能だよな。
タケルは月面を天岩戸に向かって歩きながら考え事をしていたが、全くノープランだった。
人間関係が苦手なタケルにとっては、オークやゴブリンの相手の方が楽な気さえしていた。
天岩戸が近付くと、人がいた。
ヒミコかと思ったが別人だ。服装はヒミコに似ている。古代の巫女服。だが、まだ少女だ。
中学に上がったばかりぐらいの、あどけなさの抜けない顔立ちで、髪型も肩までのショートカットだ。何故かバラバラの種類の器を片付けているように見える。
真正面から近付いて、手を振ってみた。
無視された。直角に曲がって別の岩の上の杯を片付けに行かれた。
ああいう素直で真面目そうな少女に無視されるのって、結構傷つくなぁ。
少女が杯を放り上げると、杯は空中で光る粒子に分解して消えていく。次に酒の入った徳利を消そうとしているところへ声をかけた。
「こんにちは、ねぇ、キミだれ?」
少女は振り向くと無表情で答えた。
「わたしはH0-M14通称イヨ」
じーっと見つめられる。
「あ、私はヤマトタケル。タケルでいいよ」
型番の数字が一つ少ない。この子がヒミコのバックアップか。なぜここで片付けをしているかは分からないが、初対面だし、握手かな? と思い、右手を差し出す。
イヨは左右を見渡して、誰もいない事を確認すると、両腕を胸の前で防御するように組んで後ずさる。なんだろう、とても怯えられているように見える。
「私には子作りする機能はない。諦めて」
タケルはガックリと肩を落とす。
なんで初対面の少女の評価がこんなに酷いんだろう。何だと思われてるんだ。
「タケルは男女二人っきりになれば子作りをすると聞いた」
冤罪だ! まだ卒業してねぇよ! 魔法使いルート一直線だよ!
誰だそんな悪質な風評を流してるヤツは。あのロボットくらいしか思い浮かばないが。
とにかく誤解を解かないと。
「そんなことはしないよ」
「それでは困る。誰彼構わず、見境無しに、機会があれば、述べつ幕無しにやってほしい」
「…………」
この子は何を言っているのだろうか。誘っているのか? あのポンコツロボットめ、一体何を吹き込みやがった。
この場合、ロボットのヒミコの方こそ完全な冤罪なのだが、タケルには分かるハズもない。
「ヒミコはあの中かな?」
あからさまに話題を変えて、岩屋を指して尋ねる。
イヨはコクリと頷く。
「ヒミコに会えるかな?」
イヨは岩屋の前まで小走りに近付くと、重そうな岩戸を軽く引き開けて隙間から頭を入れると、何か聞いてから戻ってきた。
「会う」
良かった。歩いて岩屋に近付く。後ろからイヨが背中をポカポカ叩いてきた。少女の腕力なので痛くはない。どちらかと言えばマッサージされてる感じだ。
この子の言動は全く読めない。
「えっと、なにしてるの?」
「殴ってる。ヒミコの代わり。ヒミコ泣いてた」
途端に痛くなった。
力は変わらないが、受けるこちらの心にズキズキくる。
岩屋の前でヒミコに呼び掛ける。
「ヒミコ、出てきてくれないかな」
中から泣いてる声が聞こえる。ダメっぽい。声は聞こえて来るから、こっちの声も聞こえてるんだろう。なんか顔が見えないと話しづらいんだよな。
岩戸に手をかけて見るが、見た目通り重くてびくともしない。
岩戸というより黒くてつるつるしてて金属の一枚板のようだ。岩屋の部分は岩っぽいのにこの岩戸は金庫の扉よりも重厚なモニュメントのようだ。ヒミコの心の拒絶が頑丈なイメージとして具現化しているんだろうか?
でも、さっきこの子は開けてたよな。まだ背中を叩いているイヨを見る。
「これ開けてくれる?」
タケルが頼むと、イヨは無言で岩戸を細く開けてくれる。管理者権限ってやつなんだろうか。
「ヒミコ?」
頭を中に突っ込むと、中から「ヒッ」という驚いた声が聞こえて、人影が奥に引っ込んだ。
「ヒミコ、顔だけでも見せてくれないか?」
と言ったところで、背中をグイグイ押されている事に気付く。
「イヨちゃん、なにしてるのかな?」
さすがに、無理に入るのはダメだろう。
「戸閉める。タケルと二人っきり。子作り始める。仲良くなる。みんな喜ぶ。計画通り」
なんだその杜撰な計画! 「二人=子作り」っていう前提がおかしいから!
体を半分くらい押し込まれた辺りで、腰が引っ掛かった。隙間は下ほど狭くなっているので、押し込むには下半身を持ち上げねばならないが、イヨの力では持ち上げられない。グイグイ上半身を押すが、それ以上動かない。
諦めたイヨは「閉めれば半分は中に入る」とか、とんでもないことを言い出した。
やめて、誰かこの子に、子作りにはそっちに残る半分の方が本体なんだって教えてあげて。
ヤバい、このままじゃテケテケにされてしまう。
慌ててジャンプする。驚くほど上まで飛んでしまい、天井にぶつかって「ぐげっ」と変な呻きを漏らす。そうだった、ここは月だった。命の危機に直面して重力が低いことを忘れていた。
天井からゆっくりと落ちてきながら、閉まる岩戸を見つめる。本当にお構いなしに閉める気だったようだ。あの子かなり適当だよな。
ヒミコは岩屋の隅っこにいた。こんなドタバタで入って来られたら、驚くし怒るし怖がるだろう。最後のは力関係で言えば有り得ないんだが。
「ごめん。こんな形で入ってくるつもりじゃなかったんだけど、顔が見たくて」
素直に頭を下げる。
「その、言うこと聞かなくて飛び出してごめん。謝るから、戻ってきてくれないかな?」
頭を下げたまま謝る。
狭い岩屋の中にはヒミコの啜り泣く声だけが響く。
暫くそのまま待つ。
「すみませんでした」
泣き止んではいないが、ようやくヒミコが言葉を発した。だが、それは予想外にも謝罪だった。
「私の考えが浅はかでした。タケルに黙って事を進めてしまったせいで、タケルを危険にあわせてしまいました。タケルは予想が出来ていたのですね。だからすぐに飛び出せた。私はロボットが怪我人を見た途端に制御不能になる事を予想できていなかった。タケルは私より良く見えています」
あれ? 怒ってないぞ。何だか話の流れが予想してた方向と違うような。
「ヒミコ、怒ってたんじゃないの?」
「怒ってました。最初は言うことを聞かずにタケルを危険にあわせた看護ロボットに、そして、それを助けに行ったタケルに。でも、タケルは私にちゃんと言ってました。私を守るために行くと。そして事実、その通りに行動しました。これはそれを考慮に入れられなかった私のミスです。だから、私は自分に怒っているんです。何よりも恥ずかしいんです」
「そ、そうか、でも、自分を責めるのは良くないよ。それに、最後助けてくれたろ」
ヒミコは目を逸らして悔しそうに唇を噛む。
あれ? 間違えた? 何か地雷踏んだ?
「あれは、ロボットの視点がいきなり断線して、急いで
「…………まぁいいさ、こうして無事なんだし」
タケルは引きつった笑みを浮かべた。
「な、気にしてないし、気にしすぎるのも良くない。戻ってきてくれないか? ヒミコがいないなんて、寂しすぎるよ」
ヒミコは泣き止んだ。助かる。女性の涙は耐性がないだけに堪える。耐性を得られるだけの経験なんてしたくもないが。
ヒミコは意を決したように、真面目な瞳で問い掛けてきた。
「タケルはやっぱり、あのロボットのような外見が良いですか? それなら、あの外見を取り込んで私の外装に……」
ん? 急に話が変わった? いや、失敗のせいで自信を喪失してるんだろう。もっと自信を持っていいのに。
「いや、いや、こっちのヒミコが元々なんだろ。今のヒミコも美人じゃないか」
ちょっと嬉しそうだったが、すぐに自分の身体を見下ろして言う。
「でも、タケルが見たようなグラマーなプロポーションじゃないですよ。黄金律がどうだとか絶賛してたじゃないですか」
そうか、あの時はまだ思考が漏れてた時か。
「今のヒミコは全部含めてヒミコだろ。無理して変えたりしないでいいさ。ヒミコの全部が大切なんだから、自信を持っていいんだよ」
ぱあぁぁあ、と擬音が聞こえてきそうな程、花が開くように幸せそうな笑顔が広がった。
良かった。やっぱり、女の子の泣き顔や怒った顔は見たくないもんな。気に病んでいた原因が解消されて自信が回復したなら良かった。
「ありがとうございます」
「いいって、じゃあ出ようか」
「はい!」
ヒミコは手を差し出して来る。
ヒミコの手を取って岩戸に導く。手を取ると、ヒミコは五指を絡めてきた。
ちょっと照れるな。きっと安心したいんだろう。
岩戸の前に立つと、ヒミコは「開け」と一言だけ発した。
開かなかった。
「あれ?」
ヒミコが名残惜しそうに手を離して、岩戸を押す。
しかし、びくともしない。うん、知ってる。タケルは入るときに試したのを思い出す。
ヒミコが振り向いてまた泣きそうな顔で言った。
「開きません」
ヒミコに泣かれるのはもうコリゴリなので、何でもないように聞いてみた。
「ふーん、理由は分かる?」
「管理者権限でロックがかかっているとしか……でもイヨがそんなことをするはずもないし、イヨがするとすればパスワードは考えられないし、条件設定とか……イヨがここを閉めるときに何か言ってなかったですか?」
あの時は真っ二つにされる危機だったから、それどころじゃなかったんだが……ん? あ、まさか……いや、いや、いや、いや……。
「何か心当たりがあるのですね」
「条件設定って、例えばどんな?」
「何でもありですが、パスワードはまずないでしょう。知らなければ開きませんから。であれば、中で何かをすれば開くという行動のはずです。二人で一緒に岩戸を押すとか」
「やってみるか」
違った。
「仲直りとかは?」
「行動ではないので、システムが判定できないでしょう。そもそも、それならもう開いてます」
うわー、どうしよう。正解じゃなかったらかなり悪質なセクハラだし、正解だったとしたらそれはそれで問題だろ。また泣かせてしまう。でも、このままだと、地球に原爆落とす事になるかもしれないんだよな。
「誰かに連絡は?」
「この中にいる限り無理です」
「管理者権限を復活」
「同じく」
「一回ログアウトして入り直す」
「同じく」
「この戸を吹き飛ばす」
「私が作成したオブジェクトですから、管理者権限で条件設定される前なら消すことは出来ましたが、今は条件をクリアしない限り無理です」
「イヨちゃんを呼ぶとか」
「イヨに用事が出来ない限り近づかないでしょう。そろそろいいでしょう。条件は何なのです。気づいているのでしょう。イヨは口数多くありません。伝えた事は限られているでしょうし、伝えてないことを条件にする事もありません」
「わかった。でも、万が一間違っているかも知れないから、ここに来てイヨちゃんが言った事を全部伝えるから、ヒミコも考えてみてくれ」
タケルはヘタレた。
全部伝えた。
「タケルは二人っきりだとそういう行為に及んでいるのですか?」
「断じて違う!それにまだ人類と遭遇してないだろ!」
「まさか、私のリンクが切れている時が不自然にあるのは、その時にワタシと……」
「何か良からぬ勘違いしてそうだから言っておくが、ロボットとそういうこともしてないから」
「でも、だとしたら、なんでイヨはそんな事を言ったのでしょう。行動を聞くに、少なくともイヨはその情報を信用していた様ですが」
「ゴメン、その辺は全く分からないから、後でイヨちゃんに確かめておいて」
「ですが、もはや間違いないようですね。条件設定は子作りですね」
「やっぱりそうかぁ、じゃあ手詰まりか」
イヨが来てくれるか、向こうのヒミコが異常に気付いて、安全に強制断線してくれるしかないか。
「わたしじゃ、やっぱりダメですか?」
ヒミコが潤んだ目で上目遣いに言ってきた。
「いや、ダメとかじゃなくて、こういうのはほら、ヒミコがいやだろ」
しどろもどろになりながら、ヒミコに気圧されて壁に下がる。
「わたしは嫌じゃないですよ。したことはないので下手かもしれませんが、次までにはデータベースで検索しておきますから、今は下手でも我慢してもらえませんか?」
頬を染めながら、凄いこと言ってるな。次っていつだよ。
「我慢とかそんな、コッチも初めてだし、そんなのお互い様で……」
何言ってるんだ、そうじゃないだろ。
「もしかしたら、イヨが気を利かせてくれたのかも。そんな機能はなかったはずだけど、それを無にするのも悪いし」
ブツブツと呟いている。
いやぁ、そんな機能があったなら、人を真っ二つにはしようとしないと思うよ。あなたの考える通り、あの子は大雑把ですよ。
しゅるり、と薄い千早が下に落ちる。
脱いでいらっしゃるー!
「ま、まて、早まるな、ヒミコ、まだだ、まだあわわてる時間じゃない」
ヒミコは緋袴もスルリと落とすと足を抜く。
壁に持たれるタケルの胸に頭を当て、身体を預けると、下からタケルを上目遣いに見る。
「ワタシとは接吻してくれたでしょう。私とも……お願いします」
タケルは思わず後ろにのけ反ろうとして、頭を壁にぶつける。
唇に柔らかい感触。人生二度目だ。
だが、前のキスとは違い、ヒミコのキスはオドオドしていた。前の侵略され溺れさせられるようなものではなく、庇護欲をそそられるものだった。だから自然とタケルの両腕はヒミコの背中に回り、ブルブル震える身体を抱きしめた。ビクッと一瞬震えた身体は、心地よさ気に体重を預けてきた。
タケルはここでもし行為に及んだとして、それは童貞でなくなったことになるんだろうか? と、あらぬ事を考えていた。さっき壁に頭をぶつけた痛みで、少し余計な事を考える冷静さが出来たようだ。
ん? 壁にぶつけた痛み……?
「なぁ、ヒミコ。もう一つ確認したいんだが……ヒミコが作成したオブジェクトでロックがかけられていないものは消せるんだよな?」
タケルと、脱ぎかけの半裸のヒミコは正座して膝を付き合わせている。
正面からだと、ヒミコの胸元や太股のつけねが目に飛び込んでくるのだが、タケルが目を逸らしている理由はそれだけではない。
ヒミコはいつも通り微笑みをたたえているが、目が笑ってない。
「タケル」
「はい」
「ここから出る手段が二つになったわけですが」
「はい」
「タケルはどちらの方法を選ぶのですか? 勿論、私はどちらを選んでも従順に従いますよ」
「はい」
「両方を選ぶというのも男らしいかもしれません。それでも構いませんよ?」
人工衛星は軌道から一つも外れることなく『あまてらす』からの指示通りに動いている。
その『あまてらす』の電脳空間内には月面の再現空間がある。
月面のティコクレーターの中央部には映画『2001年宇宙の旅』のモノリスのように、他には何もないのに、大きな戸のような黒々とした岩が直立している。
巫女服の少女が無表情に、その岩に文字を削り込んでいた。
『チキン タケル の 碑』
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