第9話 富士樹海2

 人の手の入らぬ樹海はすっかり原生林となり、植生や生態系も多岐に渡っていた。途中で見掛けた鹿をヒミコは食料確保のために狩ろうと提案したが、やめさせた。まだ行きの行程なのだ。帰りに余裕があれば、その時に狩ればいい。

 樹海の中、かつて道だったであろう所は植物に覆いつくされていたが、それでも、他の場所よりは歩きやすく、歩きやすい方へと進むと自ずと道を辿っている形となった。

 タケルの視界には、ゲームの様に左上に二つの地図が半透明で表示されていて、一つは過去の地図、もう一つは現在の衛星写真の地図だった。ヒミコが電脳空間を利用して情報を回してくれているおかげだ。その地図で確認すると、やはり旧林道を進んでいるようだ。

「確かにこれなら迷うことはないだろうし、危険は少ないか」

 呟くような声だったが、耳ざとく聞き付けたヒミコは、タケルの数メートル前で枝を切り払う腕を止めることなく、振り向かずに声だけで答える。

「でも、注意はしてよね。衛星からの観測で現在位置と、周辺の人間大以上の熱源については地図上に反映させてるけど、木が邪魔で直接の光学情報は得られてないんだから。同じ理由で、地形の変化までは走査出来てないんだから足元には注意してね」

「ああ、気をつけてるよ。それよりそろそろ休憩にしないか? どこか拓けた場所で、涌き水か川があると最高だけど」

「だったら、あの辺は木が疎らになってるように見えるから、あそこまで行ってみる?」


 木が疎らなのは、そこに大きな岩があるからだった。

 いかにも腰掛けて休憩するにはもってこいだったため、タケルはその岩に腰を下ろした。

 横でヒミコもバックパックを降ろすと、中から水筒と弁当を出して広げはじめた。

「時間もいいから昼食にしましょう。今日のために一生懸命準備したのよ」

「ああ、嬉しいよ。楽しみだけど、その前に……ヒミコを綺麗にしないとな」

 タケルは水筒からの水をタオルに染み込ませると、そのタオルでヒミコの顔や手足といった露出した部分を丁寧に拭った。

 ヒミコは何を勘違いしたのか、装備を外して服を脱ぎはじめたので、慌てて止める。

「違う! 脱がなくていいから! 何すると思ってんだ!」

 なんで思考がホラーかエロにしか振れないんだよ。歩くR指定かよ!

「ほら」と、首を傾げるヒミコに拭ったタオルを見せる。タオルは真っ赤に染まっていた。


 タケルは歩いてる時から、ずっと気にはなっていたのだ。

 ヒミコは啓開していく時に、邪魔とばかりにそこにいる蛇や、時には野犬なども切り払って行くのだ。タケルに害を成してはいけないからという理由なのは分かっている。だがおかげで、タケル達の通った跡は死屍累々とまではいかないが、点々とカラスが群がっているのではなかろうか。とんだヘンゼルとグレーテルだ。

 当然、切り払っているヒミコは返り血でデコレーションされているのだが、返り血なので前面にしか付かない。後ろからついて行く分には視界に入らないが、落ちている死体を見て想像は出来ていた。だから休憩場所に水があった方がいいなと思っていたのだ。さっき、休憩場所で振り返ったヒミコを見て、悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。何故かヒミコと生活してから恐怖に耐性がついてきた気がする。


 慣れか。

 だとしたら嫌だ。


 装備は黒だから血は目立たないが、ヒミコの白い肌は見過ごせない。この後また同じ事になるとわかっていても、血塗れのヒミコと食事をするのは流石に無理だった。いや、そこにまで慣れちゃ色々ダメだろう。

 渋々と装備を着け直したヒミコが箸を持って待っている。問答無用で、今か今かと『アーン』をする態勢を整えている。血塗れのヒミコにアーンされる図を想像して、自分の判断が正しかった事を確信しつつも震えた。なんで各所にホラートラップが仕掛けてあるんだよ!

 しかし回避出来たということは、自分もヒミコの事が分かってきたということかな、と自分を慰めながら、アーンされにいった。


「タケルは何か勘違いをしているみたいね」

 食事をしながら指摘された。食事といってもヒミコは食べないので、専らアーンをしてくるだけなのだが。一膳しかない箸をヒミコが持っているため、タケルにその拒否権はなかった。

 ちなみにヒミコの料理は上手い。基礎として栄養学やレシピを入れられているからだが、難を言えば薄味で量が少なめなことか。だがそもそも、一生を病院食で暮らしてきたタケルにとっては、慣れ親しんだ事なので気にはならないが。

 しかし、何を勘違いしているのだろう。今は樹海で自殺した人達の白骨とかが転がっていなくて良かったという感想を述べていただけだが?

「タケルが言ってるのは自殺で有名な青木ヶ原のことでしょう? 同じ富士でもここは違うわよ。青木ヶ原は富士山の北西で、私達のいた病棟は北東よ。今は目的地に向かって南東に進んでるから離れていってるわよ。今や全体が樹海と化しているから、同じ森であることは間違いないけどね」

「えっ? そうなんだ? じゃあ、ヒミコが言ってたコンパスが役に立たないって言うのはここじゃないのか?」

「それはここでも間違ってないけど、勘違いはしてるみたいね。タケルの口振りからすると富士の樹海は入ったら二度と出られない魔境をイメージしてるでしょ。方位磁石がクルクル回って途方に暮れるみたいな。それ全部、都市伝説よ。

 溶岩の地層の磁性のせいで地磁気が乱れてるからコンパスが狂うのは確かだけど、それはクルクル回るんじゃなくて、ちょっとズレるくらいよ。ただ、ちょっとのズレでも、今みたいに広大な森林だと最終的な距離の差は膨大になるから致命的かもしれないけど、あの当時なら、森を抜けるには問題にはならないんじゃないかしら? それに、ズレるって分かってれば、その手の技術がある人には修正可能でしょうしね。

 むしろ、このイメージはいかに当時の人間が、自然に慣れていなかったか、貧弱だったかを表しているんじゃないかしら。自殺者が多かったのは事実だから、よりイメージの定着が起こったんでしょうね」

 そう言われると、貧弱代表とも言えるタケルには返す言葉もない。全くその通りのイメージだったからだ。

「ただ……地磁気……波か……」そう言うと、ヒミコは言葉を切った。少しの沈黙の後、眉をひそめた真剣な顔を笑顔に変えて

「まだお弁当の感想を聞いてないんだけど?」と、最後の卵焼きをアーンしてきた。

 笑顔の割に、眼が笑っていなかった。


「タケル、少し速度を上げようと思うけど、大丈夫かしら?」

 無事に食事を終えると、ヒミコはそんなことを言ってきた。

「体力的には大丈夫だけど、ペースが遅かったかい?」

 地図で見ると、目的地はこの休憩地の少し先だ。帰りは啓開せずに済む分、ペースは上がるだろうから、問題ないペースだと思うが。

「ううん、ペースの問題じゃないの。ただ、考えすぎかも知れないけど、ひとまず安全な場所に早く着きたいの。ここからだと、戻るより進む方が早いから。もし目的地に着いて、施設が利用できないか、利用に時間がかかる状態なら、悪いけど病棟まで急いで戻るつもりでいてね」

「説明するより、急いだ方がいいって言うなら従うさ。ヒミコの言うことだからな。行こう」

「流石ねタケル。惚れ直しちゃうわ」

 ヒミコは二本目の大鉈を抜くと、両手にそれぞれ凶器を持って啓開を再開した。

 タケルはその後を追ったが、今までの倍くらいのスピードで進んでいる。

 まるで芝刈り機か竜巻か、高速で目茶苦茶に振り回してるように見えて、一度も鉈同士がぶつかることもなければ、草木を切りそこなう事もない。時々血飛沫が上がってるのは気にすまい。


 ヒミコバーサークモードだ。


 さっき惚れ直されたとか言われた立場で、こんなこと考えるのは非常に申し訳ないが、ヒミコが何を警戒していたとしても、今のヒミコの前に現れたら、全速力で逃げ出すか、漏らして固まるか、泣いて土下座するかの三択だろう。

 いないと思うけど、樹海で遊んでる子供とかいませんように。……いないよな。



 目的地である自衛隊富士駐屯地には30分もせずに何事もなく着いた。

 ただ、そこが目的地だとわかったのは旧地図と照合しているからで、それがなければ、通りすぎていただろう。

 建物は全て跡形もなく崩壊して原生林に取って代わられていた。

 「やっぱり地上施設はダメみたいね」

 ヒミコも同じ判断を下しているようだ。

 ヒミコは迷うことなく進むと、樹木の絡み付いた一カ所を集中的に切り払っていく。

 数分もすると、頑丈そうな鋼鉄の扉が姿をあらわす。いくつもの手順を踏んで、ロックを外していくと、最後に中央についた大きく丸いハンドルに手を掛けた。

「タケル、安全のために少し離れていてね」ウインクされた。

 好奇心から、すぐ背後で興味津々に覗き込んでいたタケルが後に離れると、ヒミコはハンドルを回していった。錆び付いているのか、元々重いのか、抵抗していたハンドルはヒミコの怪力に音を上げ、徐々に軋みながら回っていった。

 20cm以上ある鋼鉄の扉が開くと、澱んだ空気が吐き出され、人一人が通れる程度の幅の暗い通路が傾斜をもって地下に続いていた。ヒミコは中に入った所で、しゃがんだり天井を確かめたり奥にマグライトの光を投げかけたりして、何かをチェックしていたが、納得がいったのかタケルを手招きした。

「大丈夫そうね。安全面の問題はなさそうだわ。タケル、来て」

 タケルが誘われるままに通路へと入ると、ヒミコは扉を厳重に締め直すとロックを全てかけ直した。

 そのまま進むのかと思っていたら、マグライトを床に置いて、ヒミコはタケルに抱きついてきた。

 近い近い。耳に唇が触れる距離で囁かれる。


「タケル、安心して私に身体を任せていいのよ」

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