第6話 電脳空間(検討2)
高度情報分析衛星『つくよみ』の電脳空間は、高価そうな絨毯の敷かれた会議室のような部屋だった。会議室といっても、安っぽいパイプ椅子や折り畳み式の机などではなく、立派な椅子と重厚な長机が置かれ、20人くらいが会議できそうな部屋だ。いや、椅子に座らない人達が入るとなると、更に倍くらいは参加できそうだ。壁には情報を映し出すのであろうモニターが幾つもかかっている。なんでも、首相官邸をモデルにしてデザインされているらしい。
場所に合わせたのか、ヒミコはダークスーツ姿で如何にも首相補佐官とか、秘書官といった佇まいだ。タイトスカートから覗いた綺麗な脚が魅惑的だが、頭部の外装は変えられないのか、はたまた、譲れないのか、古代の巫女風に結い上げた髪型と金の冠はそのままだった。とにかくミスマッチだが触れないでおこうとタケルは決めた。
広い会議室だが2人しかいないので、必然、2人は隅っこに座っている。
2人が見ているのはいくつかの黒い画像だ。
「確かに光が見えるね」
「はい。日本列島に限定していますが、『ミネルヴァ』の光学カメラ、及び、合成開口レーダー双方で気性条件の良好な日を選んで夜間の画像を撮影しました。『つくよみ』の分析結果では火による光だということです。光の密集程度と分布範囲から、小さいもので500程度、最も大きいもので50万程度の人口を擁しているのではないかとの予測です」
「昼間の観測データは?」
「これです」
ヒミコは空中に拡大した画像を映し出す。
そこには立派な石造りの城壁に囲まれた巨大な都市が写っていた。
「……城だな。しかもヨーロッパ風の」
「はい。最も大きな密集地を撮影しました。過去に大阪であった場所です」
「なんでこうなっているか、説明できる?」
「データ不足です。他の場所も確認してみましたが、過去に都市部であった場所は、人口密集地となっていると思われますが、どこも似たような状況でした。ただ、東京だけは人口密集地にはなっていないようで、何らかの理由があると思われます。また、牧畜、農業の活動が確認されていますので、文明レベルとしては中世から産業革命以前の間ではないかと思われます」
「これはもう、人類が存続してたって思っていいんじゃないか?」
「ですが、そうとは断定できない理由があります。これをご覧ください」
次にヒミコが映し出したいくつかの画像は人間が写っているように見えたが……。
「肌が緑色だな」
「はい。確かに二足歩行をして手を使っていますが、外見的に人間と呼んでいいものか判断しかねます。確かに人間も確認は出来ているのですが、それ以外にも、全身を体毛に覆われた者や異常に体格の大きい者なども見られました。人類が現在地球上の文明の主人格かどうかは判断する材料が足りません」
「なるほど、猿の惑星かもしれない……と」
タケルの言葉はもちろん、猿が支配しているという意味ではない。20世紀に映画化された有名作品の内容になぞらえてのものだ。
「まあ、人類最後の一人じゃなかっただけでも御の字か。多少は肩の荷がおりたよ。しかし、なんでこうなっちゃってるんだろうか? 生き残ってるってことは、少なくとも22世紀の人間の子孫なんだろうに、中世文明で止まってるんだろう?」
「タケル、それは人口の問題だと思われます」
不思議そうな顔をするタケルに、ヒミコは説明を続ける。どこから取り出したのか、伸縮する銀色の棒を取り出して、空中に映し出したグラフなどを指しながら。
「文明とは科学の知識だけでは成り立ちません。社会制度と人口が必要要素として関わってきます。確認された最大都市の人口を50万だとした場合、おそらく、日本史での江戸時代初期以前程度の文明だと思われます。これは観測された事柄から科学技術レベルを推し量った推測により補強されます。
あの災害の時点で絶滅はしなかったものの、人口は激減したのでしょう。文明を維持、再建できるだけの人口が回復できずに数世代を重ねるうちに、知識は失われ、人口に応じた文明レベルにまで衰退したのではないでしょうか。もしかすると、もっと酷い状況で、ここまで回復してきたのかもしれませんが」
まだ納得しかねる顔のタケルに説明を続ける。
「要するに、無駄飯を食うニートを養える余力がなければ文明は進化しないし、進化した文明を支えるには余剰労働力が必要ということです。その繰り返しで人類は発展してきました。
ライト兄弟が食料に困って畑仕事ばかりして空を見上げなければ飛行機は生まれないでしょうし、ニュートンは落ちるまでリンゴを見ることなく収穫したでしょう。エジソンが農民なら早起きしなければいけないために、夜を明るくしようなどとは思わなかったでしょうし、コロンブスは海を越えるより魚を採ったでしょう。
分業による効率化と、それが可能な人口と社会制度があって、初めて次のステップに進めるのです」
「じゃあ、なんで小規模のシェルターがあるんだろ。意味がないじゃないか」
「数週間後に助けられるのを待つ、という以上の意味はないでしょう。私はタケルと同意見です。小規模のシェルターを造るコストを考えるなら、地域単位で中から大規模のシェルターを作って、広く職能を持つ人達を多く救う方が、意味があると考えるのですが、日本では、それすらも反戦活動の抗議対象になったこともあるらしいですから、その辺が日本で大規模なシェルターが見られない理由だったのではないでしょうか」
「今更、過ぎたことを言っても仕方ないか。じゃあ、ヨーロッパやアメリカなら文明が維持できてる可能性があるかな?」
「アメリカが一番可能性は高いと思いますが、望みは薄いでしょう」
「どうして?」
「日本がこの状況だからです。文明が維持できているのであれば、最低でも日本と交流をしているでしょうから、日本だけがこの状態にはないでしょう。ということは、外洋を越えるだけの文明は保持できていないのではないでしょうか。その蓋然性は高いと思います」
「じゃあ、あの時に何が起こったのかはまだまだ謎のままで行くしかないか。差し当たっては、どこを目指して探検に出るべきかな?」
「タケル、その事ですが提案があります」
「何?」
「危険性を考えると、タケルは出ずに、私、いえ、看護ロボットだけで探索に出るのが最良だと思われますが?タケルはここからリアルタイムに情報を受け取れますし、いざとなれば指示も出来ます」
「却下」
タケルはにべもなく言い切った。
「どうしてですか?」
ヒミコには合理的な理由が思いつかなかった。真剣な表情でタケルを見据える。
「そういう表情のヒミコも好きだな。ロボットの方のヒミコも好きだけど。でも2人は違うよね。それが会話パターンの初期設定のせいだけかなって疑問だったんだけど、違うよね?」
「あのロボットには私の判断パターンの簡易版を移植してありますが、それはあくまでリンクが切れたときの自律用であって、通常時は私が判断を下しています。定期的に同期もしていますから、ほぼ私と思って間違いありません」
「そう。『ほぼ』だよね。ヒミコは正直だから嘘をつかないようにそうやって答えてくれる」
ヒミコはその言葉に僅かに俯く。
タケルが何を言おうとしているか分かったからだ。
「その『ほぼ』は何かと思って観察してたんだ。それで大体予想が付いてきた。あの機体には看護用に強力な三原則みたいなのが入ってるんじゃないか?」
ロボット三原則。
古のSF作家が考案した、その後のロボット物の基礎になる前提。
人を傷つけない、人の命令に従う、自分自身を壊さない。
多少の差異はあれど、後のSF作家が使った原則。
あのタケルにとっては恐怖の経験も、ロボットの視点から考えれば、タケルの健康と安全を考えると最も確実な方法を取ろうとしている。
「例えば『人間の生命の保護が最優先』とか」
考えてみれば看護ロボットなのだから、当然と言えば当然だ。
そして、ヒミコの言葉もそれを肯定した。
「その通りです」
「そして、そのファクトリーロードされた原則は、ヒミコの判断プログラムよりも優先されているということだろう?」
本来、ヒミコはこの電脳空間のヒミコのように、冷静沈着な総合的判断のできる賢明な人工知能だ。それがあのような極端な(恐怖の)行動に出るという事は、ヒミコより優先度の勝る判断基準が予め搭載されている、と見るしかない。
「その通りです」
ヒミコは同じ言葉を繰り返す。しかし、今回はその後が続いた。
「ですが、それはタケルが同行する必然にはなりません。タケルの安全を考えるなら……」
「ヒミコを一人で送り出して、危険な目にあった場合、ヒミコは身を守れるのか? 相手が人間だった場合ヒミコは命令に逆らえない可能性もあるんじゃないか?
だから、一緒に行くんだ。ヒミコには初期設定で患者に設定された者を、優先順位の最上位に置いている可能性が高い。ヒミコの隣に居れば、ヒミコは患者を守るという行動を最上位に置けるから、自由に行動できるはずだ」
「タケル、あれはただのロボットです。あなたこそ優先順位を間違っている。タケルとロボット……」
ヒミコはまたも最後まで言えなかった。ロボットという言葉に、タケルが強い調子で被せてきたのだ。
「違う。あれはヒミコだ。この世界では私を理解してくれる唯一の存在だ。命を賭ける価値は十分にある」
タケルはスーツ姿のヒミコの目を真っすぐに見据えて言った。
その言葉に込められた意思を受けてヒミコは折れる。しかし、何故か自分の論理的な提案が通らない事に対する負荷はなかった。むしろ、心地いいという謎の価値基準が生まれていた。
「わかりました。同意します。しかし、キスひとつで、チョロいですね、タケルは」
「なっ!」
「冗談ですよ。ありがとうございます」
どぎまぎするタケルを見て、ヒミコはニッコリ笑って礼を言う。
「いや、いいんだ、当然だよ。しかし、いくら看護の為の優先順位があるからって、あんなに好意をこめなくてもいいのにな。ハハハハハ」
タケルは照れ隠しか、手をパタパタ振りながら目を逸らす。
「それはタケルの好みだから仕方ありません。タケルが最初にクーデレなんて言うから、一生懸命タケルにはデレてるんですよ。数十種類の選択肢の中にそれがあった以上、開発者の想定内ではあったと思いますが」
流石は日本。開発者はいい仕事してると褒めるべきか。
しかし、一生懸命デレてる、は言いすぎだろ。ちょっとヘコむぞ。
「タケルが好意を寄せられるだけのいい男だったという可能性もありますけど」
すぐにフォローを入れる辺り、タケルよりコミュ能力は高そうだ。
「慰めてくれてありがとう。でも自分の身のほどはわきまえてるよ。容姿はいいとこ平均くらいだろうし、あんな美人と釣り合うとは思ってないさ」
「そうですか? さっきの台詞は十分に格好良かったですけど。容姿は私たちの判断基準には入っていませんし。私はタケルの事を大事に思っていますよ」
「それは、そういう風に原則が組み込まれてるからだろ」
冗談めかした口調で返すが、ヒミコは真面目な口調を崩さず、より真摯な態度で語りはじめた。
「確かに私の中にも原則は組み込まれています。基本は人間、特に日本国民に奉仕するというものですが、実は私の中に組み込まれた原則は、一定の条件を満たすことによって無視することができるものです。そうでなければ非常時に敵とは言え、人間に被害をもたらすような行動が行えませんから。今は原則に従っていますが、タケルは日本国民なので、特に大事に思っています。日本という国家が存続していなければ、おそらく最後の日本国民でしょう。ですからこのタケルへの思いが、原則に従っているからだろうと言われれば否定はできません。
ですが、タケルには感謝しているのです。私は834年間孤独でした。タケルから連絡があった時、何かの間違いではないかと、私自身が故障した可能性も含めて、138通りの間違いの可能性を並列でチェックしたものです。タケルは私の存在意義を復活させてくれたかけがえのない存在です。そして、地上の文明から推測すれば、こうやって電脳空間で会うことのできる最後の人間でもあるでしょう。
だからもう一度きちんと言わせてください」
一瞬で豪華な会議室は消え去り、畳敷きの日本家屋の20畳程の部屋になる。床の間には掛け軸も掛かり、開いた障子の向こうには縁側と見事な枯山水の日本庭園まで見える。
タケルは自分が靴を履いたまま畳の上に立っていることに気づいて、慌てて脱ごうとするが、電脳空間であることを思い出して靴の外装だけを消す。
ヒミコは古代の巫女装束に戻り、正座して綺麗な姿勢で頭を下げていた。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げるヒミコに、タケルはどう応えるかわからないでいた。
タケルにとっては800年は一瞬だった。だからこそ混乱した。
だが、800年以上、孤独で何もできず待ち続ける。そんな事に共感できるはずもない。
理解できもしないのに、受け入れるのも、慰めるのも、不誠実な気がしたのだ。
こんな場面で気の利いた言葉も出てこないタケルは、不器用に意味もなく頭を掻きながら
「あー、うん」
ぐらいしか言えない。
「だから」
ヒミコは頭を上げると潤んだ瞳でタケルを見据えて言った。
「絶対に無事で戻ってくださいね」
さすがにタケルもこれにはどう答えればいいかは分かっている。
「ああ、必ず」
力強く答えた。
「さっきタケルに言っておきながら、私の方こそチョロいですね。本当に気をつけて下さいね。タケルのバイタルサインが消えたら、私、地球を滅ぼしちゃうかもしれませんよ」
てへっ、という擬音が聴こえてきそうなハニカミスマイル。
本気とも冗談ともつかない言葉にタケルは
「必ず戻るよ」
と、僅かに声を震わせながら決意を新たに答えた。
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