第5話 電脳空間(検討1)

 あれから2週間ほどが経っていた。

 タケルのリハビリもあって、未だに病棟内から出ていなかったが、タケルの睡眠時間は平常時の水準に戻っていた。

「ホントに2人でいくの? ワタシだけで行った方がいいと思うけど」

「その話は結論が出たろ」

「だって、その話し合いはワタシ参加してないじゃないの」

 ヒミコは頬を膨らませて、むくれて見せる。こんな仕種が一つ一つが可愛く魅力的なのだから、美人とは得なものだ。

「ちゃんとヒミコと2人で話し合った結果じゃないか」

「だってそれはワタシだけどワタシじゃないもの。この浮気者……」

「自分自身に嫉妬するってどうなんだよ」

タケルは昨日までの検討を思い返していた。



 電脳空間。コンピュータの膨大な情報構築によって構成された、情報のみによる仮想現実の世界。人間の脳も、五感からの情報のインプットにより空間や他者といった外界を認識しているのだから、それをコンピュータが五感に代替して情報をインプットすることで、その本人に違う現実を認識させ、また、脳からのアウトプットを吸い上げ、反映させることで、その世界への干渉を行う仕組みの事だ。

 勿論、人間が認識・処理している情報量は莫大で、それを間断なく処理が出来て、更に、人間の神経伝達と同等以上の速度でそのデータをやり取りできなければ実現は不可能だ。

 タケルが冷凍睡眠に入る前は、首と頭を覆うヘッドギアを装着することで、電脳空間へのインターフェイスとしていた。そのため、電脳空間内でのゲームでは、タケルは(その時はジュゲムだったが)チートクラスのゲーマーとして多少名前が売れていた。というのも、タケルの場合、延髄に直接ソケットを埋め込んでいるためヘッドギアを使う必要がなく、ヘッドギアを使った場合の極々僅かなタイムラグが生じない為だった。命懸けの手術で得た能力がゲームの強さとはショボい気もするが、タケルはせっかくの余禄なのだからと満喫していた。


 そんなこともあって、タケルは電脳空間の方が性にあっていた。看護ロボットの起動により『あまてらす』との安定回線が確保され、衛星のメモリ内に管理用の仮装空間があることを知ったタケルは、専ら情報の収集と検討は電脳空間にダイブして行っていた。

 情報のやり取りだけならば、現実よりも電脳空間の方が効率的に行えるからだ。

 そのおかげで、タケルはヒミコの持っている情報や能力を、この2週間でそこそこ詳しく理解していた。


 例えばタケルが『あまてらす』の、よくあるSFの宇宙船のブリッジを模した電脳空間で、頭に金の冠を載せた巫女衣装の美女ヒミコとの会話だが……。




「ええ、確かに私の管理している衛星は『あまてらす』だけではありませんよ」

 タケルからの問い掛けに、ヒミコが答える。

「たしか情報収集衛星『ミネルヴァ』とかあったよね?」

「そのほかに、本体の衛星が2つと、その隷下の衛星が23基あります」

 丁寧に衛星の画像付きリストを空中に浮かび上がらせる。

 タケルはそのリストにしっかり目を走らせつつ、会話を続ける。

「そんなにあるの? というか、本体が2つって何?」

「私ヒミコは一つの存在ではありません。トリニティシステムと言って、3つの違う判断基準の人工知能が出した結果を統合して判断を下しています。ヒミコというのはその3つを統制し運用するプログラムの事です。ただ、重要性から言って、最もプライオリティの高い『あまてらす』のメインフレームに存在しているというだけです。もし『あまてらす』に問題が発生すれば、管理用人工知能搭載基の高度情報分析衛星『つくよみ』と高軌道掃宙護衛衛星『すさのお』が役割を代替するでしょう」

「昔、社会現象にまでなったっていう有名なアニメとかであってたあれか、マギシステムとかか。理解した」

「隷下の衛星は現在、私の本体衛星からの指令で運用されています。管理・運用権限は日本籍の衛星に限られていますが、これでもかなり少なくなりました。マイクロ波による受電システムを持たない旧型の衛星は、動力切れで破棄せざるを得ませんでしたので、現在の私のスペック的には余裕のある状態です」


「それにしても、日本の衛星ってそんなに打ち上がってたんだね」

「コスト削減で、米露が打ち上げを失敗させる中、日本は着々と実績を積み上げ、宇宙ビジネスを成功させました。世界で最も信頼性が高く低コストのロケットを運用していましたので、官民を問わず、人工衛星が最も多く静止軌道に投入されました。

 その中で最大のプロジェクトが私ヒミコと『あまてらす』『つくよみ』『すさのお』です。資源を持たず、核に拒否反応のある日本において、ほぼ無尽蔵に電力を供給する『あまてらす』の重要性はお分かりでしょう。しかし、それ以上に重要だったのはこの3基が稼働して、システムが構築されることで、以後の日本から打ち上げられる衛星は、有事の際に全て私の管理下に入るという事でした。建前としては、有事に地上管制が疎かになることでの、軌道上の交通整理と安全のため、となっていました。

 日本は衛星にも関税をかけていましたから、日本籍の衛星は外国の衛星より安く上げられます。海外の宇宙ビジネスの企業は殆どが日本に支社を作り、日本籍として打ち上げました。これによって、日本は軌道上の制宙権をほぼその手にし、安全保障上の切り札を手に入れました」

「つまり、日本に何か仕掛けたら、衛星からの情報なしで日本と戦わなきゃいけないから手出しできないーってこと?」

「はい。大国のアメリカ、ロシア、中国などは、当然コストは度外視で、独自の軍事衛星は打ち上げていましたが、民間の衛星の方が数が多く、日本籍の衛星が圧倒的でした。また、日本は国土交通省や、文部科学省の管轄で、スペースデブリ処理用名目や衛星補修用名目で、工作衛星を投入していました。『すさのお』もその1つです。ですので、これらの衛星は運用の方法次第では、宇宙での攻撃手段にもなり得ます。日本に対抗出来たのはアメリカくらいでした」

「なるほど、最悪、重要度の低い衛星を弾丸代わりにぶつける事もできるわけだ。ということは、弾道弾も無力化できてたんじゃないの?」

 ヒミコはニッコリと微笑む。

「理解が早くて助かります。そもそもの目的は、核を持たない日本が、核ミサイルの脅威から身を守ることでした。世界では冷戦期から核抑止力として、核による相互確証破壊がその方法として用いられてきましたが、攻撃兵器を持たない日本にはできない方法でした。そこで、1980年代アメリカのスターウォーズ計画を日本版に焼き直す事になりましたが、数発程度なら可能ですが、現在の核保有国が核の飽和攻撃という最も実現確率の低い最悪の手段を採った場合、完全な対処は不可能という結論が出ます。そこで代替手段として私が作られることになります。核に因らない相互確証破壊の手段としてです。有事の際には独立して動く事で、例え日本が壊滅していようとも、核ミサイルを発射した国に対して衛星による質量攻撃を行う事ができるように」


 話がとんでもない方向へと転がり、恐る恐るという感じにタケルは問い掛ける。

「ヒミコが今、独立して動いてるって事は……もしかして……したの? それ?」

「してませんよ。というか、現実的に不可能ですし、そんなこと」

 緊張したタケルの問いに、アッサリと否定するヒミコ。

「えっ?嘘なの?」

 タケルは拍子抜けしたように肩を落とす。

「できないわけではありませんが、法制上の制約が多く、現実的ではありません。緊急時に総理大臣を筆頭に10人前後の事前承認を得なければいけませんから、事実上無理でしょう。ですが、抑止力としては十分な効果があったと思います。日本には勝手に反撃する衛星兵器が極秘裏に配備されてる、という噂をリークしてたようですので、それらしくあれば、事実かどうかは問題ないのでしょう」

「なぁんだ」

「最早、その承認をできる人達は全ていないでしょうから、私がそれを行使することはないでしょう。喜ばしいことです」

 そういうと、神前の敬謙な巫女のように頭を垂れる。

 そこでタケルは本来の目的を思い出してヒミコに尋ねる。

「ところで、ヒミコの管理してる衛星に情報保存衛星『セラエノ』っていうのがさっきのリストにあったよね。これってデータベースのための衛星なの?」

「はい。民間のサービス会社の衛星であらゆる情報を自動でバックアップして引き出す為のものです。勿論更新は止まっていますが」

「そっか、冷凍睡眠してる間の事を勉強しなくちゃって思ってさ。その衛星の電脳空間を開放してくれないかな。データベースのアクセス許可も」

 大丈夫だ、嘘は言ってない。冷静だ、冷静に言えば何もやましいことはないんだ。

「わかりました。ではそのようにしておきますね」

「ああ、ありがとう。じゃあ、ちょっと勉強してくるよ」

 タケルはそそくさと、巨大な図書館の電脳空間へと飛んで行った。


 電脳空間は言語や物理法則に縛られないため、情報の交換速度が飛躍的に向上する。

 ここまでの会話にかかった現実の時間は2分程度だ。

 タケルが情報の検討のために、電脳空間を利用するのは当然と言えよう。


 ちなみにこの後、『セラエノ』大図書館でタケルが途中になっていたドラマやマンガなどを見つけて、全部を観賞し終わるまでの時間は半日以上かかり、心配して見に来たヒミコに勉強の内容はばれてしまった。


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