第4話 隔離病棟内3

 タケルが目を覚ますと、ベッドの上で毛布をかけられていた。

 集中管理室の中は様変わりしていた。ベッドをはじめ、生活に必要な物が幾つか持ち込まれ、生活空間を演出していた。無機質な空間が、多少は落ち着ける場所になったというところか。

 今はここにいないが、ヒミコがやってくれたんだろう。精神を落ち着かせる雰囲気作りは、流石、医療ロボットだ。

 さて、と起き上がろうとしたが、タケルは動けなかった。

 疑問に思って自分を見ると、毛布のかかっていない所から、自分が拘束服を着ていることがわかった。


 あー、この服見るとレクター博士を思い出すよなー。


 ……いや、拘束服って!生活空間に絶対にあっちゃいけないアイテムだよね。

 ヒミコさんアイテムのチョイスを破滅的に間違ってますよ!

 タケルがそんなツッコミを入れていると、そのタイミングで自動ドアが開いて、ヒミコが入ってくる。

 おかしい。さっきまでアットホームな、美人と慎ましやかにも努力して生活していく空間だったのに、拘束服という異質なアイテム一つで、一転して狂気の監禁部屋になってしまった。近づいてくるヒロインは、かいがいしい美人から、狂気の美女にクラスチェンジだ。しかも、そのホラーの主人公は恐るべき事に自分だ。

「起きたわねタケル。おはよう」

 ニコッと笑顔で近づいてくるナース服のヒミコ。

 恐怖を押し殺しながら、平静を装い、タケルは答える。

「お、おひゃよう、ヒミコ。この服脱ぎたいなー。手伝ってくれる?」

 噛んだ。その上、声は上擦りまくっている。全然ダメだ。

「うーん、まだ精神が安定してないみたいだから、まだダメかな」

 そう言うと素早く手に持った物をタケルの口に装着する。

 猿轡である。

「これでよしっと。寝てる間は窒息の危険があるから付けられなかったの。じゃあ説明するわね」

 抗議のうめき声を上げるタケルをよそに、ヒミコは笑顔のまま淡々と語る。

「いまタケルが着てる拘束服と猿轡は自傷防止のためのものよ。精神系の数値が平常まで安定したら外すから安心してね。

 病棟内の使えそうな物をこの部屋に移動させたわ。この部屋にした理由は、病棟内で窓がなくて最も頑丈かつ、荒れてない部屋だったからよ。いいわよ、そんな褒めなくても。

 病棟内を直接探査してみたけれど、やはり、生存者はなしね。探査の状況は全てログを残してあるから後で見たかったら見られるわよ。電源が復旧した事により、地下水の供給が可能になったわ。水質チェックの結果はOK、飲料水の問題は解決ね。食料の方も冷凍庫内の冷凍食品は大丈夫そうだったわ。タケルが電源復旧を最優先したのが良かったみたいね。缶詰系は悪くなってなさそうなのを選んでおいたけど、味に関しては保障しかねるわね。

 ということで、持ってきたものは、タケルのサイズの服を数着、警備室からブーツとプロテクター、ヘルメット、ナイフ、電磁警棒、テイザー、銃器類は火薬がダメになってたから持ってこなかったわ。常温で保存の効く食料一週間分、ソーラー蓄電式のマグライト、オイル式ライター、保温性の高いアルミシート、各種医薬品と救急医療キット、これらはまとめて置いてあるわ。

 それと、安全面の話だけど、この建物の耐久性は当面心配はなさそうよ。外気のチェックもしたけれど、大気の構成成分は問題ないし、毒素、ウイルス、放射線は許容レベル以下、防護服の必要無しよ。ただ、観測衛星『ミネルヴァ』のデータ解析では周囲1kmは生物の痕跡無しだけれど、その先には未確認の生物の活動を多数確認しているらしいの。だから外では注意が必要ね。

 なんにせよ、ここでの生活には期限があるからいつかは外に出る必要があるわ。食料はタケルが味にさえ目をつぶれば、半年から一年は持たせられるけれど、下水システムに難があるから、3ヶ月くらいが限度でしょうね」


 外を見たい。

 タケルはヒミコからの報告を聞いてそう思った。

 とりあえずの生存は問題なさそうだと安心した事で、この世界を直接見てみたいと思ったのだ。

「わかったわ。じゃあ、屋上に行きましょうか」

 ヒミコはタケルを事もなげに楽々と抱き上げると、例の大きな車椅子に座らせた。シートベルトでタケルを固定すると、車椅子を押して部屋を出る。

 そうか、今は考えてることがダダ漏れなんだっけか。

 しかし、廃墟の病院で美人のナースが拘束服に猿轡の患者を車椅子で運んでいる図というのは、かなりなホラーだよな。肝試しで廃墟の病院に侵入して、そんな場面に出くわしたら怖いなんてもんじゃない。

「大丈夫よ。警備室に行った時に、セキュリティシステムも再起動しておいたから、まだ生き残ってる防犯機器だけでも侵入者を見逃したりはしないはずよ」

 そこじゃない。論点は決定的にズレているが、取り合えず今はどうでもいい。

 二人はエレベーターで屋上に上る。気密性の高いドアを開けて外に出ると、ヒンヤリとした空気が頬を撫でる。


 圧巻だった。

 眼前には大森林が広がり、樹木が発散する自然の香りを濃厚に含んだ空気が辺りを包んでいた。屋上は周囲の樹木と同じくらいの高さだったので、緑の大海原が広がっているようにも見えた。この屋上もまた、自然の侵食には抗えず、そこかしこに植物がその手を伸ばしている。屋上の大半のスペースを占めていたソーラーパネルは、何か大きな物でもぶつかったのか、大きくへこんで割れていた。

 だが、タケルの目を捉えて離さないものは、大森林の向こうにあった。記憶にあるその威容は変わらずそこに鎮座していた。それは日本人なら誰もが必ず記憶にある風景。千年の過去と未来を繋ぎ、これからもあり続けてくれるであろう富岳。

 タケルはその27年の人生で初めて隔離病棟から出て、自らの肌で自然の空気を感じ、富士を直接見ることになったのだった。感動の一言だった。


 ……拘束服だけど。


「私は感動を感じる事は出来ないけれど、タケルの感情パターンでタケルが感動している事はわかるわ。タケルの喜びは私の喜びでもあるのよ。いいデートになったわね」

 慈愛を込めてヒミコが言う。

 恐ろしいことに、彼女の中では彼氏を拘束して連れ回すことが、デートの範疇に含まれているらしい。

「もう大丈夫そうね」

 彼女は猿轡を外してくれる。

「はい、おクスリよ」

 そう言うと、ヒミコは唇を重ねてきた。ネットリと濃厚に。

 頭に腕を回されて固定されているが、そんなことしてなくても、タケルはファーストキスを奪われた衝撃で固まっていた。身じろぎはするが、拘束服で動けないし、どうやら先に車椅子にはロックがかけてあったらしい。動きもしない。用意周到だ。

 さっきまで猿轡をされていたせいで、涎が漏れて口の周りがベトベトだったのが気になったが、ヒミコは気にする風もなく柔らかい唇を重ね続け、経験がなくされるがままだったタケルの歯を優しくこじ開けて舌を口腔内に侵入させる。

 ヒミコの長い舌はタケルの口の中を余さずゆっくりと舐め回す。

 タケルは甘いキスの味にとろけそうだった。

 どのくらいだろうか。タケルの体感からすると、とても長い時間、しかし、実際には1分程度でヒミコは唇を離す。口を離すと透明な液体が糸を引いて零れた。


 タケルは初めての体験に呆然としていた。

 記憶を反芻し、キスの余韻を味わっていた。遅れてやってくる多幸感。

 富士山を背景に、大自然の中、ヒミコみたいな美女と2人っきりでデートしてキスしてるなんて、世界は滅亡したけど、悪いことばかりじゃないなと思……ん、なんか変だな。

「どうだったかしら? 初めてだったけどうまく出来た……かな?」

 ピョコンと上半身を傾け、笑顔で聞いてくるヒミコ。

 タケルは慌てて答える。しかし、恥ずかしくて目線を下に逸らして顔を背けてしまう。

「いや、その、あの、あ、ありがとう。は、初めてはお互い様だから、その、こっちこそ何もしなくて、その、ごめん。とっても柔らかくて、よ、良かった……よ」

 本当に柔らかかったし、体温が低めな以外は人間と変わりなかった……と思う。タケルにとっては初めてだから比較が出来ないけれど。

 タケルの答えにヒミコは満足したように、嬉しさの笑顔を浮かべる。


「よかったぁ。メンタルの数値も安定してるし効いてるみたいね。じゃあ、これからはクスリはこの方式の経口摂取で摂ってもらうようにするわね」


 タケルはギギギと音が聞こえてきそうな、錆び付いたロボットのような動きで首を巡らしてヒミコを見る。

「…………は?」

「前回、おクスリの注射をする時が一番数値が振れてたから、注射は怖いんだなって判断したのよ。だから、経口摂取に切り替えようと思って、液体の精神安定剤をワタシの舌にある口腔内管から摂取してもらったのよ。数値から見て、やっぱり正解だったみたいね」

 ダメじゃん! 道理で変なこと考えてると思った! あの多幸感って、薬の向精神効果じゃないか!

「どう? 良かったでしょ? クスリにもステビア配合で甘くてノンカロリーにしたからおいしかったでしょ?」

「そこはせめてレモン味にしろよぉ!」

 思わず大声を出すタケル。

 ふふん、と自慢げに形のよい胸を張っていたヒミコは驚いてのけぞる。

「ゴメン、タケルは酸っぱい方が好みだったの?」

「くそぅ、初めてだったのに、はしゃいでた自分が馬鹿みたいじゃないか。ファーストキスが甘い? 当然じゃないか! 人工甘味料配合だぞ、なにはしゃいでんだよ。しかも薬の効果だとか、恥ずかしくて消えたい……黒歴史がどんどん増えていって……」

 そこでタケルは気付く。

 ちょっと待て、このままだと本当に黒歴史が永久保存されてしまうんじゃないか?

 ダメだ、これ以上、サトラレ状態でいるわけにはいかない。ブロックだ。プロテクトをかけるんだ。精神防壁でもファイアウォールでも何でもいいから念じるんだ。

 今までないくらい、タケルは集中した。

 すると、ヒミコがタケルの首の子機をいじりはじめた。

「どうした?」

「おかしいのよ。タケルからバイタルサイン以外のデータが来なくなったのよ」


 すごい、本当にできたよ、ブロック。人間やればできるものである。流石に神様もこれは可哀相だと同情してくれて奇跡を起こしてくれたのかもしれない。

 この後、試してみたが、このブロック、自分でオンオフの切替ができるものだとわかった。

 ヒミコ曰く、延髄に直接繋いでいるから、自律神経などの生命活動に必要な意思の関与しない信号はブロックできないのだろうということだった。逆にいえば、大脳からの信号を漏らさないコツを掴んだのではないかと。

 ヒミコは不満そうだったが、こればかりは譲るわけにはいかない。


 そうこうするうちに、日も暮れて、屋上は薄寒くなってきた。

「というか、いつまで拘束服を着せとくつもりだよ。もういいだろ。早く脱がしてくれよ」

「ここで脱がすと全裸だけど、それでもいいのかしら?」

「いや、それはまずいな。寒くなって来たからそろそろ中に戻ろう。ん? それは、どこで脱がせてもらっても、ヒミコに全裸を見られるということか?」

「何を今更言ってるのかしら。全裸を見るどころか、タケルが寝てる間に、本来医師やナースがやるべき事は全部やってるわよ。タケルは人類初の冷凍睡眠の被験者なのよ。本来なら、冷凍睡眠から目覚めたばかりの患者が動き回る方が異常なんだから。タケルは気付いてないみたいだけど、あなた丸3日寝てたのよ」

「え?」

「次に眠る時も観察するけれど、多分徐々に普通の睡眠時間に近付いていくと思うわ」

「そうなのか?」

「一応、冷凍睡眠の副作用として予見されていた事象の一つだから不安になる必要はないけれど、暫くは経過観察ね。外の探険はそのあとよ」

「はいはい、わかりました。せいぜいリハビリに励みます」

 神妙になったタケルに、小悪魔の微笑を以ってヒミコが迫る。

「だから、今更ハダカなんて気にしなくていいのよ。タケルが眠ってる間、誰が、下の世話をしてると思ってるのよ。あなたの事なら隅から隅まで見て、触ってるわよ」

 固まるタケル。

 ヒミコは楽しげに車椅子を押しながら、屋内への扉をくぐった。

 扉を閉める時のヒミコの呟いた声は扉の外に置き去られ、タケルの耳には届かなかった。


 「ワタシだって初めてだったんだから」


 ヒミコは次にタケルが眠っている間にレモンフレーバーを見つけられるか考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る