第3話 隔離病棟内2
タケルは童貞だ。
一般人基準から見れば意思疎通にやや難がある、いわゆるコミュ障というやつかもしれない。
産まれてから両親、家族の縁もなく、限られた病棟での生活を続け、医師と看護師という大人しかいない世界で育ったのだから、特に彼の資質と言うより、環境によるところが大きかったろう。
彼が自分の意思で自由に動けるようになったのは10代後半からである。知識や思考は年相応でも、直接的な肉体を介した行動などは経験が中学生にも劣るのだ。
そんな彼が背後から突然見知らぬ全裸の美女に抱きしめられるという埒外の状況におかれた場合どうするか。
逃げた。恥も外聞もなく、悲鳴を上げながら。
部屋の中で唯一身体を隠せそうな、コンピュータの反対側まで一気に駆けた。その反応からして、彼にとって全裸の女性が、世界の崩壊よりも脅威だったと認識されても仕方ないほどに。
「そんな風に逃げられるとお姉さんちょっとショックなんだけど」
「だ、誰なんですか! 服! 服着て下さい! ってアレ?」
コンピュータの反対側で更に後ろを向いて声を張り上げるタケルは、完全に混乱していた。誰もいるはずない。ということはどういうことだ? 狂った? 妄想が見えるにしても、これはヒドイ。若さを持て余した中学生かよ!
コンピュータの向こうで衣擦れの音が聞こえる。
「さっきまで話してたじゃない。ヒミコおねーさんですよー」
「ヒッ、ヒミコ?」
上擦った声で馬鹿のように繰り返す。
「そう、正確には『あまてらす』メインフレームとリンクした医療介護用ロボットだけど、リンクが切れた時のために、必要な判断プログラムとデータベースをコピーしたから、ヒミコと思ってもらっていいわよ」
ナース服に身を包んだヒミコが、コンピュータを回り込んで、タケルに近付く。
ようやく直視できるようになったが、今度は目が離せなくなる。
ロボットだから当然理想の外見を作り上げたのだろうが、それにしても美人だ。設定は20歳くらいだろうか。黄金律を計算しつくしたような、モデルのような理想のプロポーションに、ナース服が似合っている。こうなってしまうと、さっき裸体をしっかりと目に焼き付けておかなかった事が悔やまれる。艶やかな長い黒髪が、和風美人という主張をしてるようでもある。
しかし、腰下まで長いと動きにくくないのだろうか?
そんな疑問を持つが、それ以上に気になる事があった。
「いや、それにしても雰囲気というか、喋り方変わり過ぎじゃない?」
「だって、この身体の初期設定の時に確認したわよ。お姉さん系でクーデレだって。患者さんとの会話も医療の一環だから、起動時にトークタイプと声質を患者さん用に設定するのよ」
「あ! アレはそういう事だったのか!」
てっきり、ヒミコがセクハラに怒って罰ゲーム的に聞いてるのかと思ったが、そうではなかった。タケルの勘違いである。
確かに医療の現場には必要な事だと思うが、設定が凝りすぎだろ。何やってんだ日本。いや、日本ならではと褒めるべきか。悩むところだ。
「ところでタケル。髪型の好みは?好きな髪型に出来るけど、切ったら伸びないから」
そのために最初は長めにしてあるらしい。
「折角綺麗な髪なんだから、邪魔にならないように後ろで纏めておけばいいんじゃないか?」
「フムフム、ポニーテールが好みと」
どうやら、またタケルデータベースが更新されているらしい。
「それで、そのロボットを最初に運び出して起動させたのはなんでだ?」
話を逸らすためにも質問した。
「この機体は、単体で衛星と通信できるシステムを備えているの。だから、私の近くにいれば、この病棟以外でも通信の問題は解決するというわけよ。それに患者を運ぶためにパワードスーツ並の運搬能力もあるから、タケルを手伝う事も出来て一石二鳥でしょ。
それとさっき、タケルの延髄端子に私の通信子機を接続したから、半径20m以内にいれば、何時でも通信できるわ」
そう言うと、彼女は自分の口を指差した。
確かに、彼女は口を動かしていないのに、声が聞こえてくる。なるほど、さっき差し込まれたのはそれか、とタケルは納得する。
「ふーん、まるでテレパシーみたいだな」
タケルも声を出さずにやってみる。これはこれで、便利そうだ。そこで、ふと気付く。ん?ということは?
「そうよ。だから、目に焼き付けなくても、言ってくれれば、何時でも見せてあげるわよ。いや、考えてくれるだけでもいいわよ」
バレてた。
慌てて首の後ろに手をのばして子機を抜こうとして、ヒミコの手で止められる。なんだこれ、優しく捕まれてるのに、万力で止められてるみたいにビクともしない。
「私との繋がりを切るなんてヒドイ」
至近距離で目を潤ませて言われた。これはなかなかの破壊力だ。だが、負けるわけにはいかない。
「コレはどう見てもプライバシーの侵害だろう。親しき中にも礼儀ありって言うだろ」
「医療用ロボットとしては、いついかなる時も、担当患者さんのモニターができないといけないの。それが私の存在意義なんだから」
などと会話している間も、もう片方の手で子機を外そうとする攻防が繰り広げられている。タケルは捕まれたら終わりとわかっているので素早く動かしているが、ヒミコはタケルの考えが読めているので、先回りして進路を塞ぐ。だが、タケルを傷つけないようにしているため、掴むまでは至らない。
まるで中国武術の達人同士の手合わせのような光景だった。
「常にモニターって、全部記録するって事だろ。そんなの耐えられるか! 自殺レベルの嫌がらせじゃねーか!」
「大丈夫よ。それもモニターしてるから、私が必ず助けてあげるわよ。自殺なんてさせるもんですか」
ニッコリ笑顔で恐ろしい事を言われた。
悪気がないのが更に怖い。
これは実験機という話だったが、世に出なくて良かったんじゃないか?
それにクーデレを期待したのに、人間と考え方の基準が違うせいか段々とヤンデレっぽくなってないか?
「タケル酷い事考えてる。私は失敗作なんかじゃないわよ。タケルは混乱してるのよ。精神系の数値が異常域まで振れてるもの。今日はイロイロあったから仕方ないわよね。おクスリあげるわ」
そう言うと、彼女の人差し指の指先から注射針が出てきた。
指先を向けてくる美女。タケル、今日、いや、今までの人生で一番の恐怖シーンだ。
間違いなく、精神異常の原因はお前だよ! と思うが、最早恐怖で動けない。そして、これも相手に伝わってるんだよなと絶望する。
「大丈夫、私に任せて。タケルは何も心配しなくていいから」
注射針は正確に首筋に差し込まれると、タケルを急速に眠りへと誘った。
意識が暗転する中、タケルは『サトラレ』ってすげーな。こんな状況で生きていくとかメンタル強すぎだ尊敬する。とか『ミザリー』って好きなホラー作品だったけど、もう怖くて無理かも。とか、考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます