第2話 隔離病棟内1

 ジュゲムは涙を拭きながら応えた。

「こちら国立疾病対策センター特殊隔離病棟です。電力の供給を願います」

 努めて冷静な声を出す。若い女性と思われる相手は、最初から感情の起伏のない冷静な態度を崩さず応えてきた。

「了解しました。あなたの声紋は登録のある管理者と認証されませんでした。正規の管理者でない場合は管理者コードの入力をお願いします」


「は?」


 わかるわけがない。というか、この非常時に何を言ってるんだ?

「えっと、私はここの患者で、その、何があったかも分からないんですが、ここには私しかいなくて、その……」

 何を言うべきか分からない。自分はここまで頭の回転が悪かったかと、自己嫌悪に陥りつつ、混乱し、面倒臭くなって、声を荒げる。彼にしては珍しい事だった。

「とにかく!こっちは何も分からないんだ!非常用の発動機だっていつまで持つか分からない!電気が切れたらもう死ぬしかないんだ!何とかしてくれ!」

 八つ当たりに近い言葉だったが、正直な気持ちでもあった。人生で常に死と向き合ってきた彼には、本当のところ、死が怖かったわけではない。電気が切れる事でこの通話が出来なくなって、孤独に戻る事こそを恐れた故の言葉だった。

 その怒声に怯むことなく、相手の女性は確認を続けてきた。

「非常時であり、生命の危機にあるということですね」

「そうだ!」

「了解しました。施設ランクA、緊急事態を音声通報により確認。非常事態における越権行為の規定クリア。当該施設の管理システムへの侵入開始……完了。システムの掌握……完了。施設の現状事態の確認……完了。施設への電力供給を開始します」

 先程までの非常用とは違う、安定した電力の供給が開始したため、時折瞬いていた照明が明滅をやめる。

 窓のない集中管理室にあって、その程度のことがもたらしてくれる安心感でも、彼にとってはありがたく、多少なりとも冷静さを取り戻させてくれた。

「あ、あの、ありがとうございます。さっきは怒鳴ったりしてすみませんでした。それで、その……」

 そこまで言って言葉に詰まる。

 さっき起きたばっかりなんですが、世界が滅んでるっぽいんですけど何か知りませんか? なんて聞くのか?

 ジュゲムが言い淀んでいると、向こうから問い掛けてくれた。

「データベースへのアクセス……完了。あなたは患者0-14で間違いありませんか?」

「あっ、はい」

 久しぶりに番号で呼ばれたので、返答が数瞬遅れる。相手は律儀にそれを待って続ける。

「走査の結果、現在、国立疾病対策センター所属、富士特別研究隔離病棟内にはあなた以外の人は存在していません。また、あなた以上の権限を持つ者に72時間以内に連絡がつく可能性は限りなくゼロに近いため、非常事態措置法追加条項4により、私の判断において、あなたに当該施設の臨時管理者権限を付与します。権限付与期間は正規の管理者権限を持つ者が現れるまでです。この措置に同意されない場合はおっしゃってください」

 なんとなく、この冷静というよりも抑揚の少ない声を聞いていて、ジュゲムには見当がついてきた。確認してしまうのは怖かった。だがしないわけにもいかない。思い違いということも有り得るのだから。

「異論はないんですが、あなたは誰なのか教えて貰えますか?」

「私は太陽光発電衛星『あまてらす』管理用学習型AI、H1-M15、通称ヒミコです」

 やっぱり、そういうことだったかとジュゲムは肩を落とす。まだ、誰にも会えていない状況は変わっていなかったのだ。


 だが、会話ができるだけでも、孤独の癒しにはなっていた。

 すげー、完璧に会話できる人工知能が実用化されてるなんて、未来ってすげーな、などと感心していたが、ハタと現状を思い出し質問に移る。

「ヒミコさん、今は何年何月ですか?それと私が冷凍睡眠していた間に起こった主要な出来事を教えてください」

「現在は日本標準時で西暦2951年6月11日です。記録ではあなたが冷凍睡眠に入ったのは西暦2096年ですので、855年が経過しています」


 覚悟していたが、文字通り、桁の違う衝撃にジュゲムは言葉を失う。

 茫然自失のジュゲムをよそにヒミコの言葉は続いていた。ジュゲムの知らない主要な出来事を説明している。その説明も佳境に入っていた。

「~に内戦に突入。大陸中部から東部沿岸部までに7つの自治政府が乱立。2115年に内戦状態の大陸中央部で謎の混乱状態が発生、間もなく地上にて原因不明の連鎖核爆発が起こります。爆発の被害により、大陸はほぼ壊滅。噴き上がった粉塵と放射性廃棄物は極地を除く地球全土を覆いつくしました。

 以降公式の記録は途絶えます。地球を覆った粉塵のため、日本へのマイクロ波による送電が不可能となり、2週間後に大気状態の回復を確認したものの、送電復旧要請は全体の18%でした。

 その後、7日間は送電を続けましたが、また大気状態が悪化します。観測衛星『ミネルヴァ』の情報によると大規模な火山活動が観測されていますので、おそらく噴火の灰塵によるものと推測されます。

 6週間後、再び送電可能状態に回復しましたが、地上からの復旧要請はありませんでした。

 2117年には地上における全ての電波が途絶えました。

 先程あなたから連絡があるまでの834年間はデータベースの更新は行われていませんので、人類史における報告は以上になります」


「なんてこった、とんだ浦島太郎だ。いや、三年、じゃない、千年寝太郎か、はは」

 まさか一番死にそうだった自分が、人類最後の1人になるなんて出来の悪いジョークだ。

 むしろジョークであってほしい。誰かがドッキリの看板を持って現れてくれたら、どんなにいいだろう。

「患者0-14さん、身体をモニターしたデータから精神安定剤の服用をお勧めします」

「ありがとう、ヒミコさん。でももう少し頑張ってみるよ。薬は寝る前にでも飲むから。それと私のことはジュゲ……いや、ヤマトタケル、タケルと呼んでくれないかな。番号で呼ばれるのは慣れてないんだ」

 もう死を恐れる必要もないし、延命措置をする人もいない。それに、ジュゲムの名も知る人はいない。

 ただ、自分の国である名前をつければ、望郷の念を多少は和らげられるのではと思った。それに、ヒミコと同じくらいの時代の名前がそのくらいしか思いつかなかった。

「分かりました。タケル。では私のこともヒミコと呼んで下さい。データベースによると敬称を略す呼び合いは親愛を表すとの事ですので」

「オーケー、ヒミコ。ヤマトタケルとヒミコが仲良しだなんて、歴史とは真逆だろうけどね」

 軽く冗談を言う余裕も出てきた。カラ元気でも元気だ。とにかく、行動を続けようとタケルは考え、やるべき事を脳内でリストアップする。

「早速だけどヒミコ、どこでもヒミコと連絡が取り合える方法はないかな?折角助かった命だから、今から生きるために探険に動こうと思うんだけど」

「通信手段の確保ですね。でしたら、今後の事も考え、地下倉庫に向かって下さい。病棟内にいる間は建物内の監視システムとスピーカーで意思疎通は出来ますので、指示に従って行動して下さい」


 ヒミコの指示するルートは間違いようがないよう、通る廊下だけ明かりが点され、エレベーターも自動で開いて、至れり尽くせりだった。上って来る時とは比べものにならないほど容易に目的地に着いた。

 実はタケルは少し恐れていた。

 この病棟にはかなりな人数が居たはずなのだ。

 明るくなった廊下やホールに死体が転がっていたら……と。

 しかし千年近い時間は、骨すらも風化させるに足る時間だったのだろう。どこにも骨どころか、死体の名残も残っていなかった。


 倉庫の中は多少、雑然としていた。

 まるで、慌てて必要な物を適当に持って出て行ったかのようだった。

 タケルは指示された棚から、台車に載せられた3m四方の大きな木箱を押し出してきた。

 重い。台車に載せていなければ到底一人で動かすことはできなかったろうし、ましてや、集中管理室まで持ち帰るなんて無理だったろう。


「持って帰ってきたけど、これ何? 通信装置だとしても、こんなに重いと持ち運べないよ」

「大丈夫です。持ち運ぶ必要はありません。蓋を開けて電源ケーブルと通信ケーブルを繋いでください。セットアップ用にケーブルは引き出せるよう手前にまとめて出てきているはずです」

 確かにヒミコの言う通りだった。木箱の中はエアパッキンが丁寧に詰められていたが、ケーブル類だけ、引っ張り出せるようにエアパッキンの外に引き出されていた。タケルはそれをそれぞれコンセントとコンピュータに接続する。

「初期設定とダウンロードを開始します。幸い機能に問題はなさそうです」

「そりゃよかった。そろそろコイツが何なのか教えてくれないかい」

「先程、この施設のデータベースをコピーした時に、これの納品記録があったので用途は異なりますが今回は最適かと思いまして。これは医療介護用の最新型ロボットです。こちらで運用試験の後、一般市販用量産型のテストベッドになる予定だったものですね」

「なるほど、コイツも私と同じく実験動物って事か」

「タケルは実験動物などではありませんよ。むしろ、人類の救済の希望です」

 やけに力強くヒミコは断言する。


 タケルは励まされないといけないほど、自嘲的な顔をしていたのかと反省する。だから素直に礼を言う。

「ありがとう、確かに私が最後の人類だろうから、人類の希望を絶やさないようにしないとな。でも、一人では希望を後世に託すことも出来ないな」

「そういうことを言っているのでは……そう言えば確認しておく事がありました」

 AIであっても女性格であれば、さっきのはセクハラになったのかな? と疑問に思うタケルに思わぬしっぺ返しが炸裂する。

「タケルは女性の好みはどれですか? 母親、お姉さん、クール、幼なじみ、妹、ツンデレ、ロリータ、僕っ娘、無口、ヤンデレ、ドジっ娘、セクシー……」

「な、なな、なななっ、なにを!」

「大事なことです、正直に答えてください。データベースのタケルの記録には記載がなかった事なので。もしや、もっとマニアックな方面にしか興味が働かないと言うことですか? でしたら……」

「お、お姉さん系! お姉さん系のクーデレが好みです!」

 慌てて大声で答えた。

 人類が滅んで明日をも知れぬ環境で、大声で萌え属性を告白させられるとか、どんな罰ゲームだよ。そんなにさっきのセクハラが気に障ったのか?

 タケルが反省して沈んでいるのをよそに、ヒミコは残酷な事実を報告する。

「タケルの女性への嗜好は理解しました。データベースに追加しました。タケル、そろそろ木箱を分解して、緩衝材を取り除いてください」

 遠い未来に宇宙人が地球を訪れて研究する時があったら、その宇宙人に自分の性癖がバレてしまうのか。人類滅亡の危機に何を心配してるんだろう? と、上の空で機械的に木箱の留め金を外し、四方を囲っていた壁を倒すと、エアパッキンを外していく。

 中から現れたのは、大きな背もたれと2つの車輪。

「なにこれ、車……椅子?」

 無塗装で金属の光沢鮮やかなシルバーなのは試験機なので塗装を省かれたためか。背もたれと車輪の間にはどうやら機械が詰まっているようで外板は開きそうだ。後ろから介助者が押すための握りも付いている。変わっているのは介助者の足元にくる位置にも短いステップが付いていることか。

「タケル、車椅子ユニットの後部基部の外板を開けてメインスイッチを入れてください」

「はいはい」

 タケルはしゃがみ込んで、金属製のやたら頑丈な外板を苦労して開ける。スイッチは奥にあって潜り込まないと押しづらい。片腕を伸ばしてスイッチを何とか押し込む。

 だが、ヒミコはたしか、ロボットだとか言ってなかったか?工場ロボットみたいに稼動すると、これからアームが伸びて作業してくれるんだろうか?

 ふと、後ろに気配を感じる。

 驚く間もなく、しゃがみこんだタケルの背中に柔らかい感触が押し付けてくる。と、同時に延髄ソケットに何かを差し込まれる。ご丁寧に、動けないよう2本の細腕で固定されている。

 細腕? 確かに、前に回された腕は白くてキレイな人間の腕だ。こんな力が出せるとは思えないぐらい華奢に見える。

 タケルは首を回して背後を振り返る。

 裸の美女が、背後から抱き着いていた。親しげな笑みを湛えた黒髪の女性だ。


「はじめまして、よろしくね」

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