第37話 旅路3

『タケルの体内にムスカリンを検出しました。体内プラントが自動で擬似アトロピンを生成し中和しています。また、代謝と免疫機能を上昇させましたので体温が上昇しています。少し発汗がある程度で問題はないかと思いますが、念のためその皿の料理は摂取を控えて下さい』


 そんなこと言われずとも、毒入りと聞いてその料理を食べ続けられる太い神経は持ち合わせていない。

 喋りすぎて体温が上がっていた訳ではない。単に毒への対抗措置としての代謝機能だった。


『アルカロイド系のムスカリンその他の成分からクサウラベニタケから抽出された毒素である可能性が有力です。アルラの食事を摂取しても体内濃度が上がらなかったことから、アルラの皿は汚染されていません』


 ヒミコは恐ろしいことに、タケル自身を毒の検出器として使っていた。

 タケルは鉱山に連れて行かれるカナリアの気持ちが少し分かった。


『毒素は致死量ではありませんが、摂取後10分程度で消化器系に作用し、嘔吐、腹痛、下痢を誘発します。初期段階で解毒されているので、タケルに表れる症状はせいぜい発汗程度です。状況が判りませんので事故か故意かはタケルが判断して下さい。それと追加ですが、タケルの延髄ターミナルに先程から不正なアクセスが試みられています。発信源は室内です。報告は以上です。必要な際は命令は声に出して下さい。不正なアクセスがある状態で防壁を外すのは危険です』


 ヒミコはここまでの情報を一瞬でタケルの脳内に叩き込んだ。

 タケルはナプキンで口を拭う振りをして口を隠しながら小さく「了解」と返す。

 今タケルたちが食べていた料理は味の濃い肉料理だ。どこにもキノコ類が使われていた様子はない。既に10分以上が経過しているが、誰かが苦しみだす様子もない。タケルの料理だけ毒が入っていたならば、これは事故ではない。故意にタケルが狙われたのだ。

 タケルは素早く考えをまとめる。タケルの奇行から場の空気が固まってしまっているが、そろそろ何か言わなければ沈黙が痛い。


 口を拭っていたナプキンをテーブルの上に置くと、タケルは誰にともなく口を開いた。

「大変おいしい料理でした。キノコの風味が刺激的な味付けですね」

 ぐるりと全員を睨め回す。なるほど、セフィユ将軍は蚊帳の外か。モンテフェビュ魔術学院長もどうやら関係なさそうだが、驚いているのが分かる。ということはハッカーはこいつか。

 実害はなかったので恨みはないが、エルフを代表して来ているのだから舐められるのも良くないだろう。遺恨が残らない程度には意趣返しをしておくべきか。

 エルフ代表という事を考えればここの主役はアルラなのだから、下の者として従者然として振舞っておくか。イメージ的には執事かな。

「ですが、アルラハーシア様の口には合わないでしょうから、そんな料理が出てくる前にお暇させていただきますが、よろしいですね」

 真っ直ぐ公爵を見つめながら言う。

「貴様! ベルツェビエ公に無礼な口を!」

 一人事情を知らぬであろうセフィユ将軍が激昂して声を荒げるが、公爵が軽く手を上げると押し黙る。

「なにか不調法があったかも知れぬ。もし気に障ったのであれば、教えてもらえぬだろうか。詫びたいのだが」

 んー、さすがに手練のタヌキは動じないか。でもまあ、喧嘩することが目的ではないし皮肉程度で収めておくか。

「公爵閣下の手厚く歓迎したいとの心遣い、十分理解しております。ですが公爵閣下も体調が優れぬご様子。一つしかないお体、無理はなさらず、他の者に仕事を任せるのも良いのでは? 病は気からと言いますから、銀食器など使わず、温かみのある木の食器などでお食事をされるような環境にしてみてはいかがですか? 長寿のエルフのライフスタイルもいいものですよ。帰路に時間があればまた寄らせていただきますので歓待はその時にでも」

「非常に残念だが致し方あるまい。アルラハーシア姫、改めて祝福を。よい夫を見つけたようで何よりだ」

 それまで黙していたアルラは公爵に満面の笑みで嬉しそうに答えた。

「ええ、自慢の伴侶ですわ」




 タケルが最後に食べていた料理の残りを食べるよう命じられ、腹痛に苦しみだした使用人が運び出され、室内から使用人は全て追い出された。

「どう見る、お前たち」

 これは部下たちを前にした公爵のいつもの言葉だった。

 この言葉の意味は「しばらく口を挟まないからお前たちで考え、討論を重ねた後、各意見をまとめろ」という意味だった。

 公爵からの言葉にまずはモンテフェビュ魔術学院長が答える。

「タケルという男は、実力のある魔術師であるのは間違いないかと思われます。密かに読心術マインドリーディングを試しましたが、完全にブロックされました。私の魔法を防げるような実力者の名が知られていないというのは不可解ですが」

 彼の声は僅かに、自分の魔法が通じなかった結果に対する悔しさと驚きが混じって震えていた。

「防御魔法をあらかじめかけてあったという事か?」

 ピリビエル主席行政官が問いただす。もしそうであれば、あの男は魔法をかけられる状況を想定していたという事になるからである。

 だがそれに答えたのはメアシェル司教だった。

「いや、あの男には事前にも、この部屋でも、魔法を使った痕跡はなかった。モンテフェビュもわしも不可解なのはそこよ。奴は対抗魔法カウンターマジックも使わずに、自力で魔法を防いだ事になる。不可能な事ではないが、どれほどの力量があればそれができるのか」

 モンテフェビュはオワリの魔術学院長である。王国で考えれば、魔術師として上から数えた方が早い実力者である事は間違いない。その魔術師を相手に、防御魔法に頼らず魔法に対抗してみせるという事が、どれだけありえない事か、魔法に詳しくなくとも、この部屋にいる全員が理解している。むしろ、詳しいだけメアシェルとモンテフェビュの驚愕の方が大きい。

「だが、それが本当ならあの男は、魔法も使わずに毒も解毒したということだろう? 可能なのかそんなことが? 毒の効かない頑強な体で、魔法も跳ね返すなんて人間業じゃないだろう」

 セフィユ将軍が疑問を口にする。彼自身、公爵の命令で仕込まれていた毒の件は先程知らされたばかりだが、そこに怒りはない。彼は自分の仕事は戦場だと割り切っているし、むしろそれ以外の雑事に巻き込まないでくれと思っている。自分がはかりごとに向いていないのは分かっているのだ。友好国の使者に対し毒でもてなす非礼は気に入らないが、公爵の命令とあれば迷いなく実行するのが当然だというのは、ベルツェビエ公爵家に仕える者にとっては常識である。

 だから使用人に毒の入った料理の残りを食べさせるという実験も躊躇なく行える。

 その結果、毒入り料理であることは証明された。あれだけ酷い目にあう毒の料理を口にして平然としていられる人間がいるはずがない。


「本当に人間なのか?」


 思わず呟いたモンテフェビュの言葉は皆の気持ちを代弁していた。


 そもそも、今回の騒動は、公爵が定例の報告会を兼ねた昼食会をおしてでも、時間を作りエルフの特使に会うと無理を通した事から始まった。なぜ公爵がそのような決定に至ったのかわからないが、タケルの異常性を知る事となった今では、さすがは公爵の慧眼と皆思っている。

 公爵が会見の後、ピリビエルに命じてタケルの料理に非致死性の毒を仕込ませたのも、高度な思惑あっての事だろう。それがなければ、タケルは強力な魔術師だという認識でしかなかったはずだからだ。メアシェルには解毒魔法キュアポイズンを使えるよう準備させていた事からも、本気で害を為そうとしていなかった事はわかる。


「学院の者を使って情報を集めさせます。あの男が魔術師であれば何らかの情報があるかもしれません」

「ではわしは神殿の情報網を使って調べておこう。あの風貌を見る限り、王国の生まれである線は薄いだろうが、一応な」

「そもそもの前提が間違っている可能性もある。あの男の戦場の話をする時の様子は、魔術師というよりも戦士、それも部隊や軍の指揮官の雰囲気だった。冒険者ギルドを調べたほうがいいんじゃないのか?」

「可能性の話をしても仕方がない。冒険者ギルドも含めて、まずは情報を集めるところからだ。ハイランドと王都に密偵を最優先で放つとしよう。エルフの姫と婚姻を進めているのであれば、それなりの情報は手に入るだろう」


 この場にいるのは、公爵領でトップに立つ者たちだ。当然、頭も回るし実力もある。その男たちがタケルに飲まれていた。

 公爵は内心で嘆息する。拘泥する点がずれている。

 なぜそこからもう一つ二つ先に進めないのか。

 公爵の配下はその家風からくるものもあるが、よく言えば質実剛健、悪く言えば柔軟性に欠ける。

 それが、公爵が最近休めない日々が続いている理由でもある。

 日々のルーチンをこなす分には有能なのだが、ミクリ陥落という今回のようなイレギュラーな事態には対応能力にやや欠ける。「規則」「前例がない」などの言葉に、その時必要としている柔軟性が阻まれてしまうのだ。

 タケルがもたらしたミクリ攻防戦の公平な視点からの情報は、公爵には当然でもあり衝撃でもあった。

 ミクリ陥落時の防衛指揮は公爵の懸念している弱点そのものであり、納得もできるものだった。衝撃は彼の重臣たち、セフィユ将軍でさえもが、その防衛指揮を拙いと思っていないことだった。

 確かに、公爵領の防衛戦の軍法に則った、教本のお手本のような流れだった。

 だからこそ、批判も叱責も生まれないのだ。


 贅沢な悩みかもしれなかった。

 この思考硬直は全て公爵家への忠誠心を第一にした長年の積み重ねの結果なのだから。

 疑問も持たず命令と規則に従うことこそ美徳とする風土が生み出した副産物なのだ。

 だからこそ、ベルツェビエ公爵領軍は強兵として恐れられている。

 合戦では命令がどんなに無茶でも、猪武者のように命令通りに突き進むからである。

 だが、上からの命令がない時、上が無能である時は、屈強な兵もただの人間でしかない。

 そこがベルツェビエ公爵領軍の弱点であり、公爵が危惧している点でもある。

 平時であれば良いが、今は戦争の最中、判断のできる有能な人材が必要であった。

 公爵は自分で必要と判断した案件には自ら対応するようにしていたが、それにも限界がある。

 ミクリが今回の侵攻を受けて以来、少ない睡眠時間で様々な事態に対処してきた結果、体調を崩しつつある。ピリビエルは有能で、唯一と言っていいほど、臣下の中では内政面を任せられる人材ではあるが、やはり公爵の視点から見れば頼りない。

 今回の異例とも言えるエルフ特使の派遣など、イレギュラーであるからこそ、重要に慎重に対処すべき事柄なのだが、それを今までの慣例通りに当て嵌めて進めてしまおうとする家風から、ピリビエルも抜け出せてはいないのだ。

 この重臣たちくらいは、その程度の判断が出来てもらわねば困る。

 今回の事で認識に齟齬があるのは良くないし、学ぶ機会にしてもらうしかない。

 そんな思いから公爵は口を開く。


「情報は各自可能な限り集めよ。遅延なく報告は上げるように。だが目立つところに目を奪われすぎだ。我らの視点はそんな低いところで考えるものではなかろう」

「はっ」

 全員が声を揃え畏まり公爵の言葉を待つ。

「隣国が急遽、姫を特使に派遣するのだ。なにかの要請があると見て間違いなかろう。その内容を先に知ることは我が家の有利と働くだろう。我らの目は一人の男の強さではなく、この公爵領の利益を考える事に向けられるべきではないのか?」

「まさに。仰られる通りにございます」

 ピリビエルが代表して答える。

「可能であれば数日ほど滞在してもらい、その間に懐柔し、内容を聞き出す。その上でわが家に有利になるよう王都での工作に動くか、先手を打ちエルフと独自にやり取りをするのが最良だ。そのための毒だ。不意の病なら逗留も致し方ない。たとえ毒とばれても、皿を特定されない限りは、調理中の事故と言い逃れられる。さらに、供の人間であれば、エルフの特使に手を出したことにはならぬ。姫が供を置いて先を急げば、兵隊を護衛につけて恩を売ると同時に、王国に我が家とエルフの関係を示威できるし、その間に供の人間を懐柔すればよい」

「さすがは公爵様。そこまでのお考え、及びもつきませんでした」

 またもピリビエルが代表して本心で答える。皆、追従ではなく同じ思いである。

「及ばぬ、では困るのだ。だからあの男に皮肉を言われておるのだ。わしが休めぬ程に部下に仕事を任せられんのかと」


 公爵に直接言われて、全員の顔が怒りと羞恥で朱に染まる。

 だが言い返せない。言い返すべき相手はここにはいないのだから。自分たちの機転が利かぬせいで公爵に恥をかかせた。まだその場で気付いていれば、言い返して面目を保つ術もあったかも知れぬが、今となっては全てが遅すぎる。

 そしてタケルの最後の言葉は、公爵には別の意味で刺さっていた。公爵が実際には配下の者を信用せず怯えていると言われていたからだ。配下を信用してみろと言われていた。毒を仕込んだせいで、毒殺を恐れ銀食器を使っている事を意趣返しに皮肉られてしまった。

 アルラハーシアは特使であり、ヤマトタケルはその護衛。結婚する仲であっても、公式な立場も出自もアルラハーシアの方が上であり、公式な接待の場はエルフを代表してのものなのだ。にも拘らず、全く事態がわからない状態で、アルラハーシアはヤマトタケルの無礼な振る舞いを制止しようとはしなかった。生半可な信頼ではとても出来ないことである。

 言葉でも行動でも見せられて、その関係の在り様を公爵は少し羨ましく思ってしまった。

 公爵にとって、それは実は最も効果的な反撃でもあった。


「自分が毒杯を呷らされたと知った後に、即座に妻の安全を我が身で確認。毒の中身を言い当て、利用して切り返してくるだけの冷静さ。毒に耐性があったとしても、並みの性根ではできぬ芸当だ。まあ、情報が入らぬ限りは伴侶かどうか知れぬが」

「嘘をつかれたと?」

 ピリビエルが疑問を投げかける。

「嘘ではない。まだ婚約したという段階だ。あの議長ならこのぐらいの政治は仕掛けてくるだろう。婚約者となれば、無碍には扱えぬし、十分にエルフが人間との融和を考えているというアピールになる。人間側としては友好的に受け取らざるを得まいよ。交渉が済んでしまえば、理由をつけて婚約を破棄すれば元通りだ。誰も損をせずに利益だけが得られる。だが、あの議長ならあの男の価値を評価していれば本気で考えているかもしれんな」

「では我々はどういたしますか?」

 ピリビエルの質問に全員の目が上げられる。この答如何によっては、エルフは敵となるかもしれない。ピリピリとした緊張が走る。

「宮廷に忍ばせている密偵に、王との会談の様子を探らせろ。それと、王都への魔法での伝達は必要最小限に止めろ。下手に情報をくれてやる必要はない。帰りに立ち寄った時に備えて、今度は最高の持て成しを用意しておけ。可能ならこちらに引き込みたい。

 あとは、派手で高価な祝いの品を目立つようにハイランドへ送りつけろ。我らが最初に祝福したとアピールしろ。あの議長が後に引き難い状況を作っておこう。

 最後に、こんな恥を二度もかかされずに済むように各自研鑽せよ。以上だ」

 公爵は立ち上がると、部屋を出てゆく。

 慌ててピリビエルが問う。まだ通例の報告会は終わっていないのだ。

「公爵様、どちらへ?」

 公爵は振り返るとニヤリと笑って答えた。

「助言に従って寝る。後の諸事はお前たちに任せる」




 城を出た二人は西の城門を目指していた。

「うーん、本当は街中を散策して情報を集めたかったんだけど、こんなことがあったら早めに街を出てしまった方が良さそうだなぁ。確実に見張りもついてるだろうし」

 スレイプニルにタンデムしているアルラは、後ろからタケルにギュッと密着すると、耳元に口を寄せる。鎧を着ているので密着されても特に何がどうという事はないのだが、その圧迫感と鼻腔を刺激するアルラの匂いにタケルは緊張する。その上、内緒話をするように、小声でタケルに囁きかけるアルラの息が、耳をくすぐるのだからなおさらだ。

「そろそろ説明してくれてもいいんじゃない?」

「聞かれても構わないんだけど、一応、街を出てから説明するよ」

『私にも説明を要求します。現在不正なシグナルは確認できませんので通信に危険性はありません』

 ヒミコからも通信が入る。

『犯人は分かったのですか?』

『ああ、でも問題ない。多分もう解決した』

『ではピンポイントでの質量攻撃準備は解除します』

 なんだか知らない間に、恐ろしいことを準備されてた。

『ロボットを護衛として街に向かわせています。合流して下さい』

 ヒミコが両手に鉈を構えて街道を走ってきている姿を想像して、震え上がった。

『それも装甲車に戻らせておいてくれ。城門を出たら早駆けで戻るから』


 大丈夫かな? 今回の件を話したら、こっそり公爵を殺しに行ったりしないだろうな?

 一抹の不安が残るタケルだった。

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