第36話 旅路2
100式装輪装甲車。
21世紀総合整備計画により2100年に正式採用された新型装甲車である。
コンセプトはアメリカ軍のストライカー装甲車をベースとした考え方である。
限られたリソースで防衛に対処するため機動戦闘車が機動防御の戦力として有用性を見出され、それならばと、従来あった装甲車とラインを共通化させることで運用面での柔軟性も高める。
ベース部分を共通化することで、生産性を高めコストを抑える。
基本車両で運用すれば輸送車。砲塔ユニットを装備すれば機動戦闘車。対空ユニットを装備すれば対空迎撃車。観測ユニットを装備すれば偵察車。通信ユニットを装備すれば指揮車。
換装できる部分で、必要とされる戦場に対応させるという、つまりは組み替えの利く万能車両の事である。
すでにアメリカで成功していた事例を約1世紀遅れで採用したのだが、なぜそれだけ時間がかかったのかと言えば、この総合整備計画のもう一つの目的があったからだ。それは……。
「これは戦車じゃないわよ。キャタピラも砲塔もついていないでしょ。100式装輪装甲車が正式名称よ」
分厚く大きなタイヤが8輪ついている、平べったい形状をした車両を指しながらヒミコが言う。
平べったいとはいえ、車高はタケルの身長よりかなり高い。
「後部積載スペースは上部装甲を真ん中から縦に開いてオープントップにできるから、晴れの日には開放感バツグンよ」
新車の売り込みをしているセールスマンみたいな事を言ってるが、普通の人が見れば戦車みたいなもんだろ。
タケルは心の中でツッコミを入れながら、別の台詞を口に出す。
「燃料は?」
「西日本一周できるくらいは積んであるわよ、水素」
そう、総合整備計画のもう一つの目的とは、使用車両の化石燃料依存率を20%以下にする事であった。
非常時にエネルギーを自己で賄えるという事は、自己完結性を重視する自衛隊にとっては重要なことであり、戦闘車両に水素を利用するという面の安全性を追求した結果、配備の遅れとなり2100年の正式採用となった。
「マジか? そんな事になってたのか。凄いな22世紀」
タケルが冷凍睡眠に入った後の話なので、知らなくても当然なのだが、タケルにとっては石油がなければ動かない車の方が普通だったので、純粋に驚きだった。
「ちなみに配備には至っていないけれど、完全電気駆動の試作戦車も作られてたわよ。天才ポルシェ博士の構想が150年してようやく現実となったわけね。戦力を増強しつつエコロジーを成し遂げた自衛隊の非公認キャッチコピーは『地球に優しく 敵に厳しく』だったらしいわよ」
「流石にそれはウソだろ。ウソだよな?」
ヒミコはそれには答えず話を続ける。
「『あまてらす』の電力供給と水があれば、水素燃料は電気分解で産み出すことが可能よ。ここには水素燃料を圧縮してボンベに詰める専用の生成装置もあるから問題なかったわ。問題はタイヤね。劣化の少ないタイヤを集めたけど、消耗品だからそのうち交換できるタイヤはなくなるわ。だから、今の内にゴムの生産施設を作らないといけないの」
「それで昨日の会話になるわけか」
「でも使えるうちは使いましょ。安全性はバツグンだし。この時代なら防御力は問題ないでしょ。それともここから王都までの300km以上を馬車でのんびり旅したい?」
「その牧歌的な旅も惹かれるものはあるけど、今は時間が惜しいからコイツにしようか」
すでに物珍しげに、アルラとグレイヴが装甲車に近づいてしげしげと観察している。
「ねえ! この馬車どこから乗り込むの? それにすごく重そうだけどスレイプニルに引っ張らせるの?」
「タケル! こっちの方が寝やすそうだな! こっちを寝床にしてもよいか?」
やれやれ、グレイヴには寝床の本来の役割を実演する時が来たようだ。
「全部鉄で出来てるなんて重すぎじゃない?」
「中は思ったより狭いな」
「御者台が中にあるの? 手綱はどうやって使うの?」
「そっちからも乗れるのか。そっちは前の景色がみえるのだな」
「えっ? 馬も繋いでないのに勝手に動いてる? 魔法の馬車なの?」
「おお、森の中を進んでおるのになかなか揺れぬものだな」
ヒミコが運転席に座り、扉を開けて兵員室に入って驚き、次に馬を繋いでもいないのに動き出した車を見て驚き、最後に乗り心地に驚く、といったお決まりのリアクションをしたアルラとグレイヴに一通り説明を終え、質問が途切れた頃には、今日の目的地に到着していた。
戦略移動速度時速100kmを誇る装輪装甲車も、不整地の森の中を抜けるのは時間がかかるもので、フジリバーの町並みが見える所まで来た時にはすでに夕暮れ時になっていた。
この時代の常識として、夜に移動する者はいない。たとえ戦争から遠く離れた文明地でも、夜は野生動物、無法者集団、モンスターなど、危険は枚挙に暇がない。そのため人々は日暮れには家に戻り夕食を済ませ早めに就寝する。そして翌朝は日の出と共に起床するという生活サイクルだ。
都市などでは光源のコストを賄える場所であれば夜も活動するが、大部分の人々の生活サイクルは基本的には変わらない。
なので今夜は早めにフジリバーの街中で宿を取って、明日早朝に出発だと思ったのだが……。
ヒミコは森から出ると車を停めて全員に降車を促した。まだフジリバーまでは距離がある。
「ここで一旦食事休憩よ。作ってきたお弁当があるからこの辺で食べてね」
「ねぇ、お父様から支度金も十分貰っているから、食事も街で食べていいんじゃない?」
アルラの意見にタケルも頷く。実はちょっと宿屋の雰囲気を楽しみにしていたりもする。しかしその思いはヒミコによって一刀両断に切り捨てられる。
「今晩のみんなの宿はこの車の中よ。街には寄らないわ」
衝撃の発言だ。みんな驚いた顔をしている。ただし、街を嫌がっているグレイヴだけは好意的な驚きのようだが。だが、続くヒミコの発言に全員更に驚く。
「だって今晩はこのまま移動するから。朝にはオワリ辺りまで到着している筈よ」
「夜に移動するなんて危険よ。危ないわ……」
アルラは自分で言葉を発しながら、装甲車を見上げて尻すぼみになる。
この装甲車は下手をすれば街中の宿屋より安全だ。しかも中には凄腕の魔術師、剣士、弓兵、そしてドラゴンが乗っているのだ。恐らく戦場を駆け巡っても、本陣より安全かもしれない。
「今現在、この少人数に限って言えば、私たちはこの世界で最高レベルの戦力よ。安全性で言えば、街中の方が奇襲や不意のトラブルがある分危険なのよ。それに、昼は街道に人や馬車がいるから、この車の本来の速度を出せないの。夜なら誰もいないし問題なく走れるわ。昼の移動はどうしても目立つからね」
「はははっ! タケルと一緒だと色々と驚かされて楽しいな! まずは食おうではないか。食い物を粗末にしてはいかん」
ひと月近く絶食状態を過ごしたグレイヴの意見は、皆に取り入れられた。
そのグレイヴだけ病人食(血と銅入り)のためメニューは違ったのだが。
食事の間、ヒミコはスレイプニルを装甲車の前にこれ見よがしにロープでつないでいた。
明らかにバランスはおかしいのだが、馬車の体裁を整えているらしい。
馬車しか知らない人が、装甲車を目撃するよりは、ショックは少ないかもしれないが、これを夜中に見る人がいれば、新しい民間伝承に仲間入りしかねない。
そう考えれば、昼間の移動はいろんな厄介事を呼び寄せそうなので、夜移動は間違っていない選択だと思えた。
ヒミコでなければできない芸当だが、申し訳程度に馬車に擬態した装甲車は、夜の闇を70km/h以上で疾走した。昼の内に走査した目的地までの上空からの地形状況の撮影データ、前方を走るスレイプニルのセンサーデータ、現時点でのリアルタイムの衛星からの観測データ、その全てを処理しつつ、スレイプニルと装甲車を制御できて初めて実現可能な離れ業である。だが、ヒミコにしてみれば、衛星からの光学データが使えない森の中よりは数倍は楽だという事だった。
残念ながら高速になれば当然乗り心地は悪くなる。これはヒミコの運転のせいではなく、路面状況の問題である。この時代の街道は当然ながら、10トンを超える乗り物が高速で走ることを想定した作りにはなっていない。時には道を外れて進む必要もあり、揺れがひどくなるのも致し方なしといったところだ。
だが、それを差し引いても、初めての顔ぶれで初めての乗り物で迎えた夜だ。誰も早々に寝入ることはなく、まるで修学旅行の夜のように、軽い興奮状態にあった。
「そうか、傭兵団を作るのか」
「ああ、あくまで名目上だが、それがミーム帝国を倒すために今出来ることだという結論になった。とはいえ、どうやって人を集めるかの方法なんかは、まだ何にも考えてないんだけどな」
「私は賛成よ。と言うよりやって欲しい。このままでは大森林が焼かれてしまうわけでしょ。それに抗えるなら当然協力するわ」
「では我をタケルの傭兵団に入れてくれ。テリコラと再戦の機会を作るためなら何でもするぞ」
「おいおい、ドラゴンが誰かの下につくなんてありえないんじゃなかったのか?」
「下ではない。タケルは我の友だからな。だから良いのだ。それにこんな面白そうなチャンス逃せるものか」
「アバウトすぎだろ。それに正直なのは美徳かもしれんが、心の声まで全部でてるぞ」
「よいではないか。団員確保に困っているのであろう。細かい事は気にするな。それにな、先程ヒミコが言っていたように、この馬車には、既に考え得る限り最高の戦力が揃っておるのだ。無駄に人を増やすよりも、少数精鋭もありだと思うぞ」
「そのへんはこの旅の間に考えるとするか。なにせ2ヶ月位しか猶予がないからな。その間に作るのはさすがに無理だろう」
「やっぱり弓矢で遠距離攻撃よ。ロングボウ部隊を編成して敵を粉砕する傭兵団にしましょ」
「なにを言う。戦いとは圧倒的な力で白兵戦を制する事こそ名誉だぞ。ここは重装歩兵部隊で制圧していく王者の如き戦いをする傭兵団をだな……」
やはり少しテンションが高めのようで、アルラとグレイヴが自らの信奉する戦術論から、傭兵団のあり方で論戦を繰り広げている。
タケルも初めての旅で、友達と言える仲間と一緒に迎える初めての夜だったので気分が高揚し、その論戦に自ら身を投じていった。
三人が装甲車の振動を心地よい揺れに感じてまどろみ始めるまで、その終着点のない話し合いは楽しく繰り広げられたのだった。
翌朝、睡眠不足気味ながらも気持ちの良い朝を迎えたタケルは一つの決断を迫られた。
このまま、オワリの街中を巨大な鉄の馬車で通り抜けるか、それとも、夜に迂回して進むか、である。
どちらにせよ、一旦オワリの街中にタケルとアルラは向かう必要がある。
この地を任されている貴族に謁見し、外交使節として王都に向かっていることを事前に知らせるためである。アルラの話によると、オワリにはウェルバサル王国の三大貴族のうちの一門、ベルツェビエ公爵家の居城があり、ここを無視して進むのは流石に不味いらしい。
「装甲車は街道を外れて街を迂回させよう。ヒミコは日中に、低速でも構わないから街の西側まで移動させておいてくれ。昼の間にアルラと街で用事を済ませてくるから、夕暮れに街の西の街道上で合流しよう」
明らかに不満そうなヒミコは当然のごとく反対意見を口にする。
「街中のような場所こそ、護衛である私がついていかなきゃいけないと思うんだけど?」
ヒミコの不満は分かる。街中、特に今回向かう城ともなれば、スレイプニルと長く離れる事も予想される上に屋内であれば上空からの監視もできないからだ。いざというとき間に合わない可能性もある。そういう場所こそ、ロボットであるヒミコを連れて行くべきだと言っているのだ。
確かにその通りなのだが、装甲車を動かせるのがヒミコしかいないのも事実だ。街中を通らないのであれば、昼の内に街道を外れてしまう迂回ルートを進んでおくほうが安全で効率的なのだ。
そして、話がどう転がるかもわからない現段階で、どう受け取られるかもわからない装甲車をお披露目するのは避けたい。あくまでエルフと王国の同盟を結ぶことが目的なのだ。
「ここは効率重視でいこう。無茶はしないしアルラと二人だから大丈夫だよ。な、アルラ」
「ええ、任せといて!」
話を振られたアルラは嬉しそうに答える。
タケルに頼られているのが嬉しいのだ。
アルラのキラキラと輝く笑顔での太鼓判に、ヒミコはしぶしぶ了承する。
「タケルの考えも分かるから今回はその判断を尊重しましょ。でも念のために装備はちゃんと整えて行ってね」
そう言いつつ、二人の準備を手伝うヒミコの後ろで、グレイヴが不安そうな表情でしきりにタケルへと目で訴えかけてきていた。『ヒミコと二人っきりで半日も放って置くのか』と。
竜とアイコンタクトでここまで意思疎通が出来るなんて、グレイヴとの親密度もかなり上がっている。もしゲームならグレイヴルートに進めそうだ。男友達との以心伝心というのは親友という感じがしていいものだ。折角だから同じくアイコンタクトで返しておこう。
『我慢しろ』
装備を整え、エルフ族の外交儀礼用の紋章の入った緑のマントを纏った二人は、スレイプニルに乗り街道上をオワリへと向かった。早朝のため、まだ人は少なかったが、それでもスレイプニルの巨躯とアルラの美貌は注目は集めた。街の城門で来意を告げ、城までの道のりを教えられ、そのまま真っ直ぐに城へと向かった。
道すがらアルラは外交の場での礼儀を含め、自分の知る事柄をタケルに教えた。
ベルツェビエ公爵家はウェルバサル王国を構成する三つの貴族の中でも最大の力を有している貴族であること。先日陥落したミクリもこの貴族領に属していること。そして代々ベルツェビエ家は王家に対して野心的であり武力と同時に権謀術数の巧みな貴族であることなどである。帝国との最前線となっているため家臣の軍の実力も高く規律や忠誠心も高いが、その分、粗暴な者も多いと言われている。
そのような予備知識を与えられていたからかもしれないが、タケルはその言葉が事実であることを裏付けるような事柄の端々に目が行くようになる。
オワリの街は城塞都市と言ってよい堅固な造りになっていた。ミクリも町の規模にしてはかなり立派な城塞だったと聞いているが、この規模の城砦は陥落が想定できない程の立派さだった。
外壁は15mはあるのではないかという高く分厚い壁が廻らされ、その外には幅のある水堀が掘られている。主要門の前は石組みの堅固な橋だがそれ以外の門は木製の跳ね上げ橋で防御を考えられている。篭城になった際にも、都市に接した湾の湾口の両側に出城が造ってあるため、湾を抱え込む形での篭城が出来、資源の面からもかなり有利な篭城が可能であることが予想できる。
都市の城門警備の衛兵たちも、手抜きなどなく、たとえ長蛇の列になっていようとも、チェックをおざなりにすることなどなかった。タケルとアルラも外交使節を表す印をつけているにもかかわらず、優遇されることなどなかった。タケルはそのような生真面目とも思える対応を不満に思うことはなかったが、杓子定規な対応は規律の高さと共に柔軟性に欠ける印象も抱いた。
どうやらこのチェックで待たされるのはすでに恒例の事らしく、列を並ぶ旅人たちや行商人の漏れ聞こえる話によると、オワリに用事のある者はその前日には街に着くようにするらしい。さもなければ、城門のチェックで予想外の時間を取られた時に約束に間に合わないかもしれないからだそうだ。
街中に入ってまず気づくのは、主要道路が広く造られており、有事の際には非常に便利であろうということだ。また街が広がる過程で生まれたであろう、元外壁であった建造物もまだほとんどが残って建物として活用されていた。広い主要道路とすぐに防御陣地として使える城壁は、たとえ外壁の一部を突破して内部に侵攻できたとしても、その後の攻め手を手こずらせる事は間違いない。
これらの物は街中の生活空間を圧迫するデッドスペースとなるため、外壁で街を囲みスペースが制限される城塞都市では嫌われるはずだが、それを維持しているという事は、危機意識をもって指導力が発揮されているという事に他ならない。
その大通りで行軍していく軍の部隊とすれ違ったが、道が広いおかげで市民は普段の生活を阻害されることなく、列を細くした行軍が行われていた。おそらくフジリバーへの増援なのだろう。歩幅も揃い威風堂々とした軍列だった。護衛費用を浮かせようというのか、その列に着いて行く商人のグループも幾つかいた。
早朝に訪れたものの、城の中で目的の謁見の間に通されたのは既に昼を過ぎていた。度重なるチェックと城の中を盥回しにされた結果だった。だが疲労はあるものの文句はなかった。なにせ、何のアポイントも取らずに訪れたのだし、別に重要な情報を持ってきたわけでもない。
ベルツェビエ公爵に謁見を求めたのも儀礼的なもので、断られて、事務方の官僚の中から代理の者が現れ儀礼的なやり取りをして終わり。そしてエルフが作法を守って貴族を蔑ろにせず王へ謁見するために向かっていると王都へ知らせてもらうためだった。
なので、謁見の間に現れた人物がドスドスと足音荒く上座へと歩き、その部屋の少し高くなった場所にたった一脚置かれた豪華な椅子に腰掛けた時には二人とも驚いた。その椅子に腰掛ける事ができるのは公爵家の人間だけだからだ。
後から慌てて駆け込んできた男が「ベルツェビエ公の入室でございます」と駆け込みながら宣言した。
すでに椅子に座っているのだから、その宣言は遅きに失しているのだが、タケルとアルラはすぐさま膝をつき、頭を垂れた。
その駆け込んできた男は取り繕うように椅子の横で息を正すと「フジ最高評議会特使、アルラハーシア=インファーシュ様です」と公爵へ名乗りを告げた。
「許す。らくにせよ。よく来られた、エルフの姫君」
二人が顔を上げると、椅子には太り肉の50歳前後の壮年の男が座っていた。公爵という割にはかなり質素な身なりをしている。質は悪くなさそうだが、華美とは対極に位置しそうな服装だ。中背の体は見た目に反して俊敏に動きそうに思えるが、体調は良くなさそうだった。疲れが顔に出ている。化粧などで隠そうとはしているようだが、睡眠不足もあるのだろう、目の下の隈は隠しきれていなかった。
予想外に公爵との謁見になったために、アルラは用意していた伝言ではなく、儀礼的な前置きを差し挟み、丁寧に説明をしていた。
公爵の横に立った痩身の男は、アルラの言葉を聞きながら書き留めている。
部屋には元々一名の衛兵しかいなかったのだが、後方で静かに扉の開く音がして、失礼にならないように懸命に音を殺しながら、数名の衛兵やその他の者が入ってきたのが衣擦れや武具の立てる音で分かる。
おそらく急遽現れた公爵のための護衛の兵たちなのだろう。
「ふむ、エンフェルム議長から国王宛の親書を運んでいると。かような時期にどのような要件かな?」
「さあ、内容は知らされておりませぬ故、分かりかねます。国王へ直接お渡しするよう命じられましたので」
アルラはサラリと嘘をついた。敵味方がハッキリしないうちは面倒事に巻き込まれない方がいいとの判断からだった。この程度は外交においては嘘にならないうちだろう。
「あい分かった。王都への連絡の件は確かに承知した。それと領内の通行もだ。今後煩わされずに済む様に取り計らおう。先日のミクリの件では大森林のエルフには多くの領民が救われたと聞く。その感謝もここで伝えさせてもらおう。戻ったらお父上に伝えてもらえるか」
「はい、確かに」
ここで初めて公爵はタケルに目を向ける。値踏みをするようにいぶかしげに睨め付ける。
「ところで、アルラハーシア姫は人間の護衛を雇われたのかな? エルフの外交使節の姫が人間の護衛一人しか連れずに旅をされるとは風変わりな。何か事情がおありかな?」
公爵の疑問はもっともだ。エルフの外交使節ともなれば、通常はハイエルフの一部隊、下手をすれば豪華な馬車数台を連ねてもおかしくない。しかもアルラハーシアの地位は他国で言えば王女のようなものだ。それが人間を一人連れただけで来たのであれば不審に思って当然だ。
「今回は速さを重視しましたし、人間とエルフの友好を深めるためにも、二人で行くよう言われました。彼はヤマトタケル。私の伴侶ですの」
どよっ、と場がざわめく。この部屋にいる全員が驚きの声をすんでで飲み込んだせいだ。全員が失礼に当たらぬよう声を飲んだのは褒めるべきだろう。誰がこの凡庸な顔立ちの人間の男が、美しいエルフの姫君の夫だと紹介されて信じられようか。
公爵も驚いているが、表情や仕草では僅かに息を飲んだのと眉が上がったくらいしか表れていない。
「これは、存じ上げず失礼をした。お喜び申し上げましょう」
「ありがとうございます。ですが知らぬのも当然の事。数日前に決まったばかりの事で、まだ婚儀は挙げておりませぬ。祝福はその折に改めてお受けいたしますわ」
「おお、それは勿論。隣国の姫の祝言ともなれば盛大に。しかし、わが国の治安が良いとは言え、お二人では心許ない。我が領内で何かあっては我が家の名折れ。お急ぎであれば騎士の精兵を何騎かお付けいたしましょう」
「お心遣い痛み入ります。ですが、タケルは我が父が信用して送り出せる腕利きの魔術師でございます。街の外にはタケルの部下2名も待機しておりますゆえご安心を。タケルとその部下がいれば、たとえドラゴンに襲撃されようと安全でございます」
公爵のタケルを見る目が変わる。
「ほう、あの議長がそこまで……。姫君を任せられるだけの人物というわけか」
小声で呟く。
タケルは内心ヒヤヒヤだったが、ここはアルラに全て任せることにした。
無知な自分が口を出して混乱させてはいけないし、何よりアルラの態度に感心していた。
すげえ。やっぱり上流階級の生まれは伊達じゃない。こういった場での振る舞いや会話が手馴れている。
ただ、変に護衛をつけられる訳にはいかないのは分かるが、あまり持ち上げないで欲しい。
「では、護衛を付けるのも無粋というものだな。ですが、祝い事を知ったとあっては祝わぬのも無粋。お待たせした無礼の詫びも兼ねて丁度良い頃合でもあるし、昼食を振舞わせて貰えないだろうか? なに、時間は取らせんよ。既に準備は終わっている」
「ありがたきお言葉。ぜひお受けさせて下さい」
「では案内させよう。私は着替えてから行くので少し遅れて行こう」
昼食会は思っていたよりも豪勢なものだったし、参加する人数も思っていたより多かったが、公爵の言った通り、待たされることはなかった。公爵が着替えて出てくるまでに5分ほど待たされた程度は十分早い方だろう。
同席の面々はその待ち時間の間に紹介された。
いかにも軍人という雰囲気を纏った男がセフィユ将軍、パンテオン教の僧服を着た男がメアシェル司教、深い青色のローブを着た眼鏡をかけた男がモンテフェビュ魔術学院長、軍服を着ながらも理知的な落ち着いた男がピリビエル主席行政官。つまりはこのベルツェビエ公爵領の各分野の最高職であり、ベルツェビエ公爵領の意思決定会議の面々でもあるのだ。
給仕が運んでくる食事は、結構濃い目の味付けのものが多かった。食材も豊富でスパイスなどもふんだんに使われていて、この都市に嗜好品なども含めて、豊富な種類の流通品があることを暗に示していた。
話は色々と移っていったが、その中でタケルはこのベルツェビエ公爵家の家風というか、雰囲気のようなものを肌で感じ取っていた。上下関係に厳しく、公爵に対する忠誠心が一番に考えられているのだ。会話の途中でも、常に公爵の言動に注意を払い、公爵が何か言う素振りを見せた途端、全員が黙って公爵の言葉を聞き漏らすまいと注力するのだ。
堅苦しいが、ある意味理想の主従関係なのかもしれない。ただその主従関係を、本来公爵家の機関ではない王立魔術学院やパンテオン教団にまで及ばせていることは特筆すべきことなのだろう。
話の中でタケルが中心とならざるを得ない場面があった。それまではタケルはあくまで、流れ者の遺跡調査の冒険者がアルラの窮地を救って召し上げられた、という立場を堅持し、アルラの付け合せの野菜のように目立たなくしていたのだが、ミクリ攻防戦の話に及んでは正確な話を伝える義務があった。
というのも、セフィユ将軍が面子を重んじて早急な奪還を公爵に要望していたからだ。
奪還に動くのは非常にいい流れだが、セフィユ将軍は敵の防備態勢が整う前に、公爵軍だけで奪還を果たすべきであり、それが可能であるとの見解を公爵に言っていたからだ。ピリビエル主席行政官はそれを公爵の前で諌めていたが将軍は利点を言い募っていた。
タケルの率直な感想を言うならば、将軍の意見はギャンブルに負けた者のそれである。
一旦大きく負けた者が、有利な点だけを論拠に構築した希望的観測に過ぎない。
もし公爵軍のみで性急に攻め立てれば大敗し、おそらく次の春の攻勢など叶わないどころか、冬前にフジリバーすら失う可能性が出てくる。単独の早期攻勢は押し止めねばならない。
タケルはミクリ攻防戦の詳細を詳らかにした。
シルバーグレイヴは恐らくミクリ攻防戦で最も細部までを、文字通り俯瞰していた観測者である。そして彼より後で撤収して無事に戻れた者もいないだろう。彼の話はタケルとヒミコによって分析され、タケルが語るミクリ陥落までの話は、それに関わる者にとっては重要な情報なのだった。
タケルの話には新たな情報も含まれていた事もあり、質問攻めにされたが、なんとかセフィユ将軍が早期攻勢の意見を一旦は収めてくれる程度には効果があった。
タケルも長く話したせいで体温が上がってきていたが、どうやらそれは思い違いだった。ヒミコから電脳リンク回線で通信が入った。
『今すぐアルラが食べようとしているメニューを横取りして食べて下さい』
意味が分からずとも、ヒミコが無意味な通信を送るはずがない。
タケルは横のアルラのフォークを取ると、そのままフォークに刺さっていた肉を口に放り込む。
当然、アルラを含めて全員がその奇行に驚く。
不思議な沈黙が流れる中、ヒミコから再び通信が入る。
『アルラに皿を返してもいいですよ。上手く誤魔化して下さい』
できねぇよ! なんだその無茶振り! 実は本当はただの嫌がらせの無茶振りなの?
「いやー、この料理、美味しいですね。つい人のまで取って食べてしまう美味しさです」
つらい。沈黙がつらい。こんなの誤魔化せるわけないだろ。
あまりの見っとも無さに、可哀想に思ったのか、モンテフェビュ魔術学院長が助け舟を出してくれた。
「そうですか。この土地の郷土料理ですが気に入ってもらえてよかった」
こわばった顔で言うが、声は少し平静さを欠いているようだ。
その間にヒミコから再び通信が入る。
『タケルの今食べている料理を他人に食べさせないようにして下さい。毒物が混入されています』
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