第3話

 カーテンを締め切った部屋の中には日中だというのに光はまるで差し込まず、真っ暗で静かなその空間には冷房の作動音だけが響いていた。

 床には化粧用品や女性誌が散乱している。まるで整理されていない部屋のベッドの上には女性が横たわって天井を見つめていた。


 櫻井実は今日も部屋から一歩も出ようとはしない。

 あの男が目の前で死ぬのを見てからもう3日は経つだろうか。彼女の脳内にその場面が何度も繰り返される。だから実は窓も開けずにただ天井だけを見つめ続けていた。

 

 抹殺投票によって人が死ぬ様を実はその時初めて見た。

 抹殺が確定した瞬間に男は死んでいた。なんの前触れもなく突然息を引き取ったのだ。実が噂に聞いていた以上にその光景はアッサリとしたものだった。


 抹殺投票のシステムは多くが謎に包まれている。特にその中でも対象者が如何にして命を断たれるのか、その手段が全くもって不明であった。

 投票が終わり抹殺が確定したら死ぬ、ただそれだけのシステム。文面に起こせば僅かにこれだけで説明できる死のシステムはそれ故に投票をする者にも対象者となる者にも人が死ぬという実感を薄れさせているように実は思っていた。或いは、それは実自身の心境かもしれないのだが。


 気づけば携帯の着信音が部屋に鳴り響いていた。実は電話に出るのを数秒躊躇ったが着信音は鳴り止まず、仕方無く電話に出た。

「突然のお電話失礼します。あの、先日お会いした千葉亮治です。その、なんというか、お礼というのもおかしい話なんですけど、えっと、俺達に協力してくれてありがとうございました。」

 電話先の人物が誰なのか実は判っていなかったが、あの男が死んだ時に周りにいた人達の内の一人である事は理解できた。

「お礼、ね。何も出来なかった私にそんな事はしないで欲しい。貴方達にも無駄な希望を与えてしまって、期待させた結果があれじゃ。本当にごめんなさい。」

 電話先の人物は何も言わない。実もまた言葉をそれ以上発さなかった。

 しばらくの沈黙の後、千葉と名乗るその人物が徐ろに口を開いた。

「エイチの事は残念で仕方が無いです、けどそれは悔いてもまた仕方が無い事です。不思議なんですよ、エイチが死んだ事が実感として全く残らないんです。以前ある人に心が冷たいって、そんな感じの事を言われたんですけど本当にそうなのかもしれません。ごめんなさい話が逸れてしまいました。今日お電話させて頂いたのはエイチの事だけではないんです。」

 あの日抹殺投票で死んだ男の名前を実はようやく思い出せた。

 荒井栄一、史上3人目の特例ターゲット。そしてそれはまるで平凡な普通の大学生であった。

「……彼への投票が始まってから死が確定するまでの世界中の盛り上がりは言葉には出来ないものがあった。私はあれほど悍ましい光景を見たことがなかったよ。世界中の人々は彼が死ぬまでの過程を楽しんでいたんだ。」

「そうですね、その熱狂を止める事が出来なかった為にエイチは命を奪われたんです。でも、エイチの死は無駄じゃあ無かった。実はこの出来事のおかげである事がわかった、いや、わかったかも知れないんです。だからそれで実さんに電話したんです。」

 実はまた何か嫌な事に巻き込まれるような気がしていた。

「千葉くん、私はもう力になれないと思うの、だから私にその話はしないで。もう少しだけ気持ちの整理つけたら普段通りの生活に戻りたい。」

 実はキッパリと断りを入れるが亮治は食い下がらなかった。

「お願いします実さん、貴女の知識が必要なんです。貴女が本来持っているはずの知識が。もし今俺達がやろうとしている事が達成されれば、抹殺投票をこの世界から永遠に無くせるかもしれないんです。だからどうか、頼るのはこれが最後にしますから、力を貸してください。お願いします。」

 実はその亮治の言葉を聞いて尚協力する気は無かった。

 自分は一度失敗している。その結果、荒井栄一というなんの罪も無い青年が死ぬのを眺める事になってしまった。だからこそ二度と抹殺投票には関わりたくない。そんな想いが彼女の思考に纏わりついていた。

「私じゃなくていいはずでしょ。ほら、あのドイツ人の方とか、とても頼りになるんでしょあの人。きっとなんとかしてくれるよ。」 

「ダメなんです、そうじゃないんです。実さんじゃないといけないんですよ……、お願いします。これが最後です。本当に最後ですから……。」

 実は何故彼がここまで自分に協力を求めているのかわからなかった。

 実はあの日、WWと名乗る人物に抹殺投票を行うアプリケーションのクラッキングを破格の報酬で依頼され亮治達に協力した。だがそれは失敗した。それだけの関係性なのだ。

 そもそも自分より有能なハッカーなど世界中に沢山いるのに何故自分なのか、実はその疑問点をハッキリさせたかった。

「私じゃないとダメってどういう事?まさか、貴方達の内情を知ってるから私以外に頼めないとかなのかな、それなら安心していいよ。私達みたいなハッカーは仕事の内容はどんなに親しい人にも話さない。だから他の人を雇っても貴方達が何をしようとしてるのかなんて外には漏れないから。それに」

 「違います、そうじゃないんですって。そういう理由では無いです。なぜ実さんじゃないとダメなのか、それは協力を約束してくれたら絶対にお話します。だからお願いします。」

 しばらく実は黙り込む。亮治の話を何度か思い返し、そして彼女は遂に折れた。ここまで必死に頼られた事は彼女は今までに経験が無く、何処か嬉しい気持ちがあったのかもしれない。

「……仕方ない、わかったわよ。後でまた連絡するからそこで詳しく聞かせて。」


 それだけ伝えると実は電話を切った。そしてベッドから起き上がり部屋に散乱した物を片付け始めようとした時、インターホンが鳴った。

 彼女は扉の前まで行ったところで自分がスッピンで上下ヨレヨレのスウェットを着ている事を思い出した。

「ごめんなさい、今ちょっと出られないんですけれど、どちら様ですか?」

 扉の向こうに居るであろう人物は何も答えない。が、次の瞬間鍵を回す音が聞こえることもなく突然に玄関の扉がゆっくり開く。

 そこにはシャツもネクタイも何もかも真っ黒なスーツに身を包んだ白人の男が立っていた。しかしスーツは何処か着こなせてない。年齢もその服装にはまだ早いだろうというくらいには若く見えた。

「か、勝手に扉を!いや、そもそもどうやって開けたの?鍵はしっかり閉めていたはずなのに……。」


 次の瞬間、実は床に倒れていた。何が起きたのかわからないまま彼女の意識はそこで途絶えた。


「深入りしちゃあいけないよ。君は特別な人だったのに。」

 男が倒れている実に語りかける。

「悪いけどここで君はドロップアウトだ。ゲームオーバーと言ったほうが良いのかな。とにかくまぁ何と言うか、君の知人友人は冷たいね、抹殺投票の対象者として投票が始まっていた事を誰も教えてくれなかったなんて。まぁ、ほとんど皆、対象者の周りの人は反対票なんて入れてくれないんだけどね。」


 男はそれだけ言い残すと、彼女の部屋を立ち去ろうとする。しかし男が玄関へ振り返るとそこに青年が立っていた。

 その青年は7月も半ばを過ぎる頃の暑さの中でモッズコートを着込み汗一つかいていない。

 青年は何処か不気味な笑顔を見せながら男に語りかけた。

「こんにちは、スコフィールドさん。ここででもようやく会えましたね。」

 スコフィールドと呼ばれた男は、自分の本名をその青年が口にした事に動揺するが、それを表には出さず、まるで平静な様で答える。

「……どちら様?悪いけど僕はあなたのようにこの暑い中コートを着込む変人なんか知らない。それに僕の名前はミラーだ。」

「ははは、変人ですか。それはお互い様ですよ。クールビズって知ってますか?暑い暑い日本の夏ではスーツなんかしっかり着込んでたら倒れてしまいますよスコフィールドさん。」

「御託はいい、一体君は誰なんだ。」

 青年はただ笑うだけで何も答えない。しかしスコフィールドは答えを聞くまでも無くその青年が何者なのかを察知した。

「そうか、君は部外者なのか。どうやったのかは知らないけど直ぐに止めてほしいな。折角あと少しで形になるんだからここで邪魔するなんて最低だよ、名前の無い訪問者さん。」

「俺の名前はアレンですよスコフィールドさん、オリバー・アレン。本当に憶えてもらっていないとは悲しいな。いや、俺の顔が以前お会いした時とは違うのかもしれないですけれども。」

 スコフィールドは返事をせずにそのまま玄関を出ようとするが、オリバーに腕を掴まれ引き止められる。

「手を離して欲しいなミスターアレン、僕はこの後も大事な用事がまだまだあるんだ。今日はそこで倒れてるミノリさん以外の抹殺投票の対象者にも重要な人物が一人いてね。看取りに行かなくてはいけないんだよ。」

 しかしオリバーは手を離さずに答えた。

「やめましょうよスコフィールドさん、これは抹殺投票というシステムの暴走ですよ。もしここで貴方が止めてくれないと僕達も今度こそもう本当に手段を選びませんよ。」

 オリバーの表情は笑ってこそいるが、その声からは穏やかさは微塵も感じられなかった。

 スコフィールドは無理やりオリバーの手を除け、玄関を出た。そしてオリバーを一瞥する。

「君達は統一政府に楯突くって事の意味がまるでわかっていないみたいだね。ただ安心していい、抹殺投票はもう少しだけ続くけどデータは殆ど揃ってきたから。」

それだけ言うとスコフィールドは歩き出し、街に消えた。

 

 オリバーはため息をついた後、実の部屋を出て空を見上げる。

「現実を知った上で考えるべきだったな、スコフィールドさん。」

そう呟いて、オリバーもまた歩み出した。

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