第1話

 荒井栄一は今日も午前中の講義をまるまる自主休講し、何をするでも無くただ部屋で寝転がっていた。

 6月の昼時とは思えない程の暑さと湿度に負けた彼は今日の活動予定をこのまま全て諦めようと考えていた。


 最近買い換えたばかりの最新型携帯端末の通知欄を時折確認しては再びスリープさせる。

 通知欄は何かを知らせるためのランプが点灯していたが、それが知人からのものではないと判断してからは確認する気も起きなかった。


 もうこのまま眠ってしまおうと思い始めたちょうどその時、端末に友人からメッセージが届いた。しかしメッセージを確認する気も起きず栄一はそのまま眠ろうとする。

 もしかして今日の午前中に入れていた講義で、何か単位に関わる重要なアクションがあったのだろうかと不意に考えが頭をよぎる。


 そして間もなくメッセージを送ってきた相手、千葉亮治から着信が入った。

「おっもしもしおつかれ、なんでリョージ今日はそんなガツガツ俺とコミュニケーションとろうとしてるんだよ!恋人かよって!ははは。」

「えいち本当に冗談言ってる場合じゃない、てっきり本人にも通知とかそういうのがあってもうこの事知ってるんだと思ったけど、マジで知らないのか……。」


 亮治はそのまま黙ってしまった。栄一は状況が呑み込めないが少なくとも真面目に彼の話を聞かなくてはならない事態だという事は理解した。

 しばらくして亮治が、普段の剽軽な態度からは想像できない程の低く震えた声で話し始めた。

「えいちは抹殺投票は知ってるよね?」

「知ってるけど……んなもん別に気にもしてねえよ。要は投票しなけりゃ対象者にはならないんだろ?面白半分に投票やってる奴ら程俺は馬鹿じゃねえし。」

 栄一は茶化すようにそう答えた。

「そう、そうなんだよ普通は……。だけど、投票してなくても対象者になってしまうルールがあるだろ?」


 嫌な予感がした。そうであって欲しいとばかりに栄一は亮治に尋ねる。

「えっとちょっと待って、なんの話か本気でわかんねえ、法学系の科目の試験で抹殺投票について論じる的なのがあって、それで俺に助言求めてんの?」

「違うって……。マジかよ、マジで、なんでこんな……。」

「どうしたんだよリョージ?」

 亮治が少し黙る。そして先程より冷静さを取り戻した声でゆっくり答えた。

「理由はわかんない、全くわかんないけど、今お前に、えいちに投票が始まってる。」

「はっ……?」

「最初の投票があったのは昨日の夜中みたいだけどそこからもう既に4万票も入ってるんだよ。」

 栄一は何も答えられなかった。

 頭の中が真っ白になったのでは無い。 亮治の言葉を聞いた瞬間から頭の中では大昔に聞いた抹殺投票についてのルールを必死に思い返していた。


 投票したら対象者になる、投票が集まっても対象者じゃなければ抹殺は実行されない。つまり、投票をした事の無い自分には何も関係ないはず、そこまで脳内で確認を終えた栄一は亮治に向かってやや強めに返答した。

「……冗談とかならマジで怒るぞ。お前あれか、ケンジ辺りにまた何か変な罰ゲームやらされてるのか。」

「冗談だと思いたいよ……。ごめん、俺からはもう伝えられない。えいちは抹殺投票のアプリ入れてないだろうからそれをインストールして自分の目で確認してみて。俺はえいちに反対票入れてくれそうな奴に片っ端から声をかけてみるから!」

「一体なんなんだよ!リョージちゃんと説明しろって!おい!」

 しかし亮治は返事をせず通話を終了させた。


 栄一はすぐにアプリをインストールした。起動させるための個人情報を規約も見ないで入力し、すぐさま投票が始まっている対象者一覧を開く。


 現在全世界でおよそ7億人の対象者に対しての投票が行われているようだ。

 対象者は得票数が多い順に個人名と個人IDが表示される形式になっていた。個人IDとは数年前に統一政府からの指示で参加各国が導入した公表型の個人識別番号である。

 そして対象者一覧の1ページ目、それも1番上の最初の欄に栄一の名前と個人IDがしっかりと表示されていた。


「嘘だろ、なんだこれ……。」

 つい先程までの堕落した午前中の生活が恋しくなるほど今の栄一の心は乱れていた。何度も何度も更新ボタンを押す、そして何度も何度も名前とIDを確認する。

 が、いくら確認してもそれは間違いなく栄一のものであるし、その上更新する毎に得票数が見る見る増えていった。


「だって、俺投票した事なんかねえのに、なんかの間違いだろこれは、ははは……。」

 そう呟いた直後、栄一は自分の欄に″特例ターゲット候補″と表示されているのを見つけた。

 特例ターゲット、過去にこのシステムで抹殺が実行された人物は統一政府のリック・アンダーソン大統領、そしてテロリストのスウィム・カンテイの二人のみである。


 栄一はますます混乱する。やはりこれは何かの間違いなのだろう、きっとすぐに政府から連絡が来て取り消されるはずだ。


 そう考えて平静を取り戻しかけた栄一の元に今度は非通知の着信が入る。

 栄一はすぐさま電話に出た。

「もしもし?」

「……なんとかしてこの状況を回避してみろ。」

 電話先の人物の声は加工してあり性別すらもわからなかった。

「誰だよ!?やっぱり悪戯なのかこれ!おいこんなのドッキリだとしても許さねえぞ!」

「……ルール通りのやり方では恐らくお前の抹殺は取り消すことは出来ない。反対票などそうそう集められるものではないからな。」

 電話先の男は淡々と話し続ける。

「おいコラお前誰だ!ボイスチェンジャーなんて使ってるって事は俺の知り合いか!?」

「何人かお前の助けになりそうな人を紹介してやる。それまで連絡を待て。最も、反対票集めも景気づけには悪くないかもしれないな。」


 電話先の声は栄一の質問には答えず淡々と言葉を並べ、そのまま電話を切てしまった。

「……もうダメだ、意味がわかんねえ。とりあえず今晩リョージとどこかで話し合ってみるか。」


 栄一はベッドに倒れ込む。

 とにかく今は眠ってしまおう、起きたらきっと頭の中もスッキリしているはずだ。そう思う事でひとまず心を落ち着けた栄一はそのまま眠りに落ちた。


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