第9話 大切なひと

 先日の約束通り、俺はカナデさんとケーキを食べに行くため、待ち合わせ場所に来ていた。

 カナデさんとの待ち合わせは、駅西口の改札ホールで午後三時に集合。昨日の放課後、帰り際に指定された場所だ。

 休日、しかも数日ぶりに気持ちの良い青空模様。予想はしていたが、駅前は多くの人でごった返している。

 改札ホールの中央で、柱に寄りかかってカナデさんを待つ。すれ違っていく人々の中で、時々俺のことをちらりと見る視線に気が付いて、少しだけ気まずくなった。

 他人を目で追ってしまうことなんて、誰もがついやってしまうことじゃないか。本当は気にするようなことでもないはずなのに。

 俺は、誰かの視線を感じる度に自分の右腕を隠してしまいたくなった。

 気にしすぎなんだ。誰も俺の右腕にカイゾウがあるなんて知らないのに、俺が気にしているせいで、余計に他人の視線を怖がってしまう。

 たぶんそれは、学校の通学以外でまともな外出というものを、長らくしていなかったせいだ。

 意識すればするほど、右腕を晒すことに対する恐怖が募っていくようだ。気にしすぎちゃいけない。これ以上気にしたら、勝手に発現してしまうかもしれない。

 俺は大きく深呼吸をした。それから片隅にある自動販売機に気が付いて、ジュースを一本買う。

 これからは気持ちを切り替えていかないと。塞ぎ込んでばかりいるって、やっぱり良くないんだな。

「緊張してんの?」

 自動販売機の取り出し口から手を抜こうとしたところで、突然の声。

 俺は驚いて、思わずジュースを落としてしまった。

「あははは! おどかしちゃった?」

「カナデさん!? …………あ、いや、別に。大丈夫」

 俺は落としたジュースを拾いながら、カナデさんの方に向き直る。

「結構待った?」

 薄い紫のワンピースに身を包んだカナデさんは、白い歯を見せながら楽しそうに尋ねてきた。

「いや、待ってないよ」

「そっかそっか! じゃあ行こう!」

 元気よく足を動かすカナデさんがあまりにも楽しそうで、思わず笑ってしまう。よっぽどケーキが楽しみなのか、子供のようにはしゃいでいる彼女の姿が微笑ましい。

 先導するカナデさんの後を追って、俺もジュースを飲みながら歩き始めた。

 しかし、すぐに彼女は足を止めてこちらを振り返る。その表情はまだ笑顔ではあるが、ついさっきまでの笑顔とは種類が違った。

「顔の痣、まだ残っちゃってるね」

 カナデさんの言っている痣とは、先日体育倉庫で矢田部達にやられた時のものだ。

 俺は青紫になっている頬を擦りながら、それでも笑って返す。

「痛みはほとんどないけどね。借りてる薬のおかげで、痣が引くのも早いよ」

 そう言うと、カナデさんはまた全開の笑顔で「感謝しなさい!」と言った。

 彼女と並んで改札ホールを出ると、例の喫茶店は本当に駅から近い場所にあった。バスロータリーの脇にある小路を入って、五十メートルほど進んだところにある雑居ビルの一階。ガラス張りの正面入り口にはたくさんの鉢植えが並んでいて、一見すると花屋とも見間違えるような店構えだった。

「え、結構並ぶ店なんだね」

 すんなりと入れるものだと思っていたが、店の中は満席。そして入り口前には三グループほどが列を作っている。

「本当だね。やっぱり土曜は結構すごいなー」

 列の最後尾につくと、カナデさんはケータイでお店のサイトページを開き、店内で販売しているケーキの種類を眺めだした。

「ねえねえ、ほら! ここってモンブランがおいしいんだけどね」

 俺は相槌を打ちながら、ガラス張りの店内を覗き込んだ。

 予想はしていたが、女性客ばかりだった。なんとなくだけど、こういう店って入りづらいなと思う。

 しかし、カウンター席に座る一人の男性客を見て、俺は思わず固まってしまった。

「倉林、さん?」

「え? 誰か知り合いがいた?」

 彼がいるということは、もしかして氷室さんも一緒なのでは? そう思ったが、どうやら倉林さんは一人で店に来ているらしい。

 妙なところで会うものだ。よりによってあんなごつごつした大人が、女性客だらけの店の中でケーキを黙々と食べている姿を目撃するなんて。

 あ、美味しいのかな。にやけている。

 カナデさんと雑談を交わしながら十五分ほど待つと、店の中の客がちょうど良いタイミングで一斉に席を立ち、会計を始めた。

 その流れの中で倉林さんも同じよう席を立ち、会計の列に並ぶ。他の客に比べてずっと長身で筋肉質な体は、やたらと浮いていた。

 俺が倉林さんの動向をずっと目で追っていると、倉林さんも俺の視線に気が付いて、見るからに驚いたような動きを見せた。その瞬間、俺達の前に並んでいたグループの女性客らがこぞって笑い出す。

「恥ずかし気の無い人だなぁ」

 やがて会計を済ませた倉林さんは、店を出るなり手を振って近づいてきた。

「ハヤトじゃねーか! なんだぁ、デートか?」

「ち、違うよ! 友達とケーキ食べにきただけ!」

「そういうのを世間一般でデートっつーんだよ、色男」

 本当に恥ずかし気の無い人だと思った。

「倉林さんは何してるんですか? もしかしてケーキ好きなんですか?」

「ち、ちげーよ! 俺は仕事中なの!」

 そうは言うが、彼はカーキ色のブーツとダメージジーンズに、厚い胸板がうっすらと浮かぶ黒いTシャツ姿。更にその上から革のジャケットを羽織っている。ずいぶんとカジュアルな服装だ。

「そんな恰好で?」

「こういう恰好でも仕事する職業なの!」

「ふーん。でも、倉林さんが仕事ってことは」

 そこまで言いかけて、俺は口を閉ざした。

 そうだ、彼は前に言っていた。自分の仕事は、カイゾウ所持者やその疑いのある人をケアする仕事だと。

 つまり、仕事中の彼は、またカイゾウに関わっているということじゃないのか。

 今、俺の隣にはカナデさんがいて、カイゾウの名を口に出すことは出来ない。言葉を続けられない俺は、そのまま少し視線を落とした。

 そんな俺の様子を悟ったのか、倉林さんは口調を変えないまま言った。

「別に人探しはしてねーよ。全く別件での捜査活動だ」

 倉林さんが言い終るのと同時ぐらいに、俺達の前に並んでいたグループが店内に案内された。続けて俺達にも店員が声を掛けてくる。

「ハヤト君、席空いたみたい」

「あ、ああ。じゃあ倉林さん、仕事頑張ってね」

「おーう」

 そう言った彼は、俺達に背を向けて片手を上げながら歩いていった。

「あの人って誰?」

 店の奥のテーブル席に案内されながら、カナデさんが倉林さんの背中を目で追った。倉林さんはすぐに駅の方面へ曲がっていったので、もう見えない。

「えっと、んー…………病院関係の人」

 カイゾウという言葉はもちろん使えず、かと言って研究施設の職員と言っても怪しまれそうだ。カナデさんには悪いけれど、何となくかけ離れてもいないような嘘でやり過ごすしかない。

 しかし。

「でも、捜査活動って言ってた」

「だっ……! だったね。実は俺も、詳しくは知らない」

 なんか、誤魔化すのがとてもめんどくさい人だ。




 注文したモンブランケーキと紅茶がテーブルに運ばれてきた時、カナデさんは何とも言えない声を上げながら目を輝かせて、ケータイで写真を撮っていた。

 さっそくフォークを握ってしまった俺は、彼女が写真を撮っている姿を見て、思わず食べるのを躊躇ってしまう。なぜなら、俺達の後にケーキを出された女性客もこぞって皆が写真を撮っていたからだ。

「俺も撮った方がいいかな?」

「んー、別にいいんじゃない? 私はブログにアップしたくて撮っただけだし」

 カナデさんは紅茶を一口飲んでから、フォークを静かにケーキへ沈めていく。

「たまりませんねぇ、この感触うぅぅっ!」

 本当にカナデさんは明るい人だな。

 俺は彼女が一口食べて悶えているのを見届けてから、自分の口にケーキを運んだ。

 甘いものは嫌いじゃないけれど、積極的に食べることがないから。舌の上で広がる上品な甘味に対して、小声で「おいしい」と呟く程度しかしなかった。

「どお?」

「おいしいよ」

「ハヤト君、リアクションがうっすーい」

 言った後に笑うカナデさんを見て、俺もつられて笑っていた。

 不思議だった。カナデさんといると、自分がどんどん浄化されていくみたいだ。

 こんなにも自然に笑顔が出る。笑い声で喉を震わせることが出来る。顔の筋肉がどんどん柔らかくなっていく。

「…………あれ、ハヤト君?」

 気が付けば俺は、右手でフォークを握りながら笑っていた。左手で額を押さえて、肩を震わせていた。

「ごめん…………くくっ、本当にリアクションが薄くて…………ははははは!」

「え、そんなに笑うとこだった?」

 可笑しかったんだ。それに楽しかった。嬉しかった。

「だって、ただケーキ食べてるだけなのに」

 そう、たったそれだけのことなのに、俺自身がどんどん変わっていった。

 俺を変えたのは一本のナイフだった。大切な友人を傷つけて、そいつの夢も殺害して、後悔に毒された俺は自分自身すらも殺そうとした。今でもその罪は、この右腕に宿っている。

 だけど、その右手に握ったフォークと目の前のモンブランケーキ、そして一緒にいてくれる女の子が俺のことを変えてくれた。癒してくれた。

 カナデさんの言った通りだ。何事も、他人がいるからこそ導かれる。そして切り開かれるんだ。

 こんなにもころころと変わる自分の人生がおかしくて、俺は笑いを堪えることができなかった。

 周囲の客からも少しだけ視線を集めてしまい、恥ずかしい。だけど、それでも笑いはしばらく止まらなかった。

「ハヤト君、笑いのツボ浅すぎ…………」

「ごめんごめん、なんだか止まらなくて」

 それでも、カナデさんは更に嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。

「そんなに笑うから驚いちゃった。でも、ハヤト君が楽しそうで嬉しいなー」

「俺もなんか嬉しい。こんなに笑ったのは本当に久しぶりだったからさ」

 ひとしきり笑った後、少し落ち着いた俺はカナデさんに言った。

「俺、カナデさんに言いたいことがあるんだ」

「な、なに?」

「こんなに笑えるようになったのは、間違いなくカナデさんのおかげだと思っている。だから、カナデさんと出会えて良かったなぁって」

 カナデさんはあっという間に顔を真っ赤にして、慌てて紅茶を口に含んだ。

「…………褒めても何も出ません」

「でも、本当にそう思うんだ。感謝をしないといけない…………俺、自分がこんな風に笑える日がくるなんて、ずっと思っていなかったから。ありがとう」

 俺の言葉を聞いたカナデさんは、なんだかこちらを見ないようにして俯いてしまった。でも、その仕草や雰囲気から喜んでくれているのが伝わる。

 改まって感謝の言葉を伝えることは少し恥ずかしかったけれど、それでも俺がずっと伝えたかった言葉だ。それを彼女に伝えることができて、やっぱり嬉しかった。

 そして俺は、前から気になっていたことも彼女に伝えた。

「一つ教えてほしいんだけど、どうしてカナデさんは、俺なんかにここまでしてくれるの?」

 照れ隠しなのか、ケーキを食べるペースが早くなっていたカナデさんは、俺の問いかけを聞くとフォークを口に入れたままで固まった。

 それから少しして、俺の方を見た。

「やっぱり、フェアじゃないもんね」

「何が?」

「そんなに感謝されちゃうと、私もいろいろと話さないと、ずるいかなって思ったの」

 彼女の言葉の真意は分からなかったが、俺が考えるまでもなく、カナデさんの口から語られ始めた。

「…………ハヤト君のこと、実は入学前から知ってた」

 その言葉に、俺は驚きを隠せなかった。声こそ出さなかったけれど、彼女の言葉を聞いた俺の表情から、笑みは消えていた。

 それは決して、彼女に対して警戒心や猜疑心を抱いたとか、そういうわけではない。ただ、俺が彼女の言葉で変わった理由は、カナデさんが俺の過去を知らないからこそだと思っていたから。

 それに、彼女が俺の罪を知っているのかどうかは別としても、彼女と知り合う機会なんて今まであっただろうか。純粋に不思議だったのだ。

「俺、カナデさんとどこで会ったんだろう? ごめん、憶えてないんだ」

 そういう俺を見ながら、カナデさんは笑った。

「憶えてないって言うか、ハヤト君は知らなくて当然だよ。私が一方的に知ってるだけ…………私ね、瀬名中で三年間、新聞部にいたの」

 カナデさんが瀬名中学校で新聞部にいたという話は、確か矢田部も言っていたことだ。

 瀬名中学校は、俺が所属していた陸上部も何度か合同練習のために訪れたことがある。地元の駅から電車を二度乗り換えて、更に駅からバスで移動するぐらい離れたところにある、同じ県内の中学校だ。

「九木戸高校には新聞部が無いから、今はとりあえずサッカー部に入っちゃったけどね。でも、中学の頃は校内や街中で取材して、定期的に学校新聞として発行していたんだよ」

 ジャーナリストの夢が先か、それとも部活動の影響で抱いた夢か。どちらにせよ、彼女がそういった活動を楽しんで取り組んでいたことは容易に想像できる。

「それで、瀬名中の陸上部を記事にしようと思って取材したとき、ちょうどハヤト君達が瀬名中に合同練習で来ていてね…………その時にハヤト君を見かけたんだ」

「そうだったんだ。じゃあ、俺と話をしたりとかは」

「全然してない。練習風景は見ていたけれど、インタビューも写真も自分の学校の生徒をメインにしてたから…………でも、ハヤト君のことはしっかりと憶えてるんだよねぇ」

「どうして?」

「それはね、ハヤト君ともう一人、すっごく足の速い人がいたでしょ? 名前は分からないんだけど、ハヤト君といつも仲良さそうにしていた人」

 その言葉が、俺を凍りつかせた。

「ストレッチも、いつもその人とペアでやってたように思うんだけど」

 間違いなかった。

 俺が夢を奪ってしまった、あいつだ。

「二人は本当に楽しそうだったよね。私は遠くから見ているだけだった。でも、ちゃんと憶えているよ。ただの同じ陸上部員って感じでもないし、逆に部活そっちのけでベタベタと仲良しなわけでもない。きっと、二人が陸上ってものを一生懸命やるためには、お互いの存在がとても大事なんだって、ただ見ているだけの私に、そう感じさせるものが伝わったの」

 俺は、両手で顔を覆い隠していた。

 カナデさんは俺の過去の罪なんて全く知らない。それは間違いのないこと。

 だけど、こんな形であいつの話を聞くことになるなんて思わなかった。今すぐに耳を塞いでしまいたい衝動すら感じる。

「私、ハヤト君に言ったよね。人生におけるいろんなこと、大事なことって、誰かがいないと始まらない。人間は一人じゃ生きていけないんだって」

「ああ、そうだね」

「あれ、ハヤト君とその人を見ていて感じたことなの…………私がハヤト君に教えたことじゃないの。私にハヤト君達が教えてくれたことなの」

「そう、だったんだ…………」

 カナデさんは、少しだけ声のトーンを落として言った。

「だけどね…………高校に入ったら、ハヤト君はまるっきり別人になっていた。陸上もやらないし、誰とも関わろうとしなかった。私にはそれがとても不思議なことに感じられて、あの時と同じハヤト君なのかなって、聞くに聞けなかった」

 ああ、そういうことだったんだ。今、いくつかの謎が解けたような気がする。

「きちんと言うね。私、ハヤト君に何があったのかを知りたい。私に大切なことを教えてくれた人が、今、何に苦しんでいるのかを知りたい」

 カナデさんは、あいつがその後どうなったのかなんて知らない。そのことを話したら、彼女はどんな顔をするだろうか。

 俺がこうなってしまったことを理解してくれるのかな。それとも幻滅されるのだろうか。

 こうして、二人で同じケーキを食べている楽しい時間も、たった一つの事実が全てを壊していくのだろうか。

 カナデさんの口からあいつの話が出た時、俺が耳を塞ぎたくなったのは、時間を止めたかったからだ。今の楽しいひと時をそのまま残しておきたいと思った、俺の自分勝手な思いだ。

 でも、今の俺だったらこういう風にも考えられる。カナデさんの言葉を思い出せば、俺がどうしなくちゃいけないのかが分かる。

 俺を救ったカナデさんの言葉は、俺自身が彼女に伝えたものだと言っていたじゃないか。

 だとするならば、カナデさんには全てを話す必要がある。そして事実を知った彼女と向き合う必要がある。

 事実を知ったカナデさんが、それでも俺のことを変わらず思ってくれた時。そんな時の彼女は、言わば過去の罪を背負って何事にも立ち向かうと決めた俺自身だ。

 俺は、そういう風にならないといけないんだ。

 俺がカナデさんに話せること。

 親友の夢を殺したこと。いろんなものから逃げてきたこと。誰かを傷つけるのが怖いこと。

 今後の自分をきちんと見定めるために、俺はカナデさんに事実を伝えないといけない。

 そうすればきっと、俺の人生において彼女はとても大きな意味を持つ人になるのだろうと、そんな予感がした。

「フェアじゃないって、きっと俺も一緒だと思う」

「え?」

「俺も、きちんと言わなくちゃいけないと思った」

 だけど、ここでは話せない。この話は、カナデさん以外の誰にも聞かれたくない。

「店、出ようか」

 俺は伝票を手に持って、席を立った。




 待ち合わせたのが午後三時だったので、喫茶店を出てからカナデさんの家の近くにある公園まで歩いてくると、もうすっかりと夕方と呼ばれる時間になっていた。

 季節的に日は長くなっているけれど、それでも周囲の民家からは夕飯の匂いが漂っている。

 誰もいない公園のブランコに、俺とカナデさんは並んで腰かけた。鎖の軋む音が小さく聞こえている。

 今からカナデさんに、俺の罪を打ち明けるわけだけれど。

 鎖を握る手に、力が籠る。

 自分の罪を打ち明けてしまえば、必死になって堪えたとしても罪悪感は押し寄せてきて、俺のカイゾウを自然発現させてしまうかもしれない。

 そうなった時、カナデさんはどんな反応をするだろうか。驚くのは当然だろうけれど、同時に俺のことをどう思うのだろう。

 カイゾウがおとなしくしていてくれればいい。俺はそれを強く願い、自分自身に言い聞かせようと、腕を擦った。

 なかなか話し出さない俺のことを気遣ってか、彼女から他愛のない世間話が振られてきて、俺がそれに応えるだけのやり取りが何度も繰り返された。

 ジャーナリスト志望というだけあって、いろんなところにアンテナを張っているのであろう。カナデさんから出てくる話題は、かなり豊富でバラエティーに富んでいた。そして一つ一つの話題に対して、カナデさんは様々な感情を見せてくれる。面白ければ笑うし、許し難い事件には眉根を吊り上げる。

 そんな彼女の話題の中で、どうにも困ったように首を傾げているものが一つあった。

「ハヤト君、最近九木戸市内でいろんなものが切断されちゃう事件って聞いたことない?」

「それって、もしかして広報誌に載っているやつ?」

 それは、氷室さんが事件の解決をしようと目論んでいる例のものだ。

 植木でも車でも自転車でも、とにかくいろんなものがブツ切りにされてしまう。しかも妙なことに、その切り口は恐ろしく滑らかで、一体どのような道具を使って切られているのかが不明だという。若干オカルト的な要素も交えつつ噂されている事件だ。

 氷室さんは、自身のカイゾウ治療、つまり罪に対する償いとして、この事件の犯人を捕まえてみせると言っていた。

 更に氷室さんの推測によれば、こんな真似を出来るのはカイゾウ所持者ではないかとも言う。

「カナデさん、何か気になることでもあるの?」

 俺の問いかけに、カナデさんは小さく首を横に振った。

「ううん、事件の真相についてはさっぱり…………でも、この事件を知った時、なんだか中学時代のことを思い出しちゃって」

「瀬名中の頃? 何かあったの?」

「実は、私のいた瀬名中でも昔、同じように学校内の物がいろいろと切り裂かれる事件があったの」

「ええっ!?」

「被害の規模は学校内だけだったけどね。生徒の制服とかがズタズタに切り裂かれるってことが、同じ年の中で何度も起きたんだ。事件の状況とかを考えても、犯人は学校内を行き来できる人だと思ったんだけどね。誰がやったかは分からずじまい」

 その時、体育倉庫で聞いた矢田部の言葉が思い出された。

 “校内新聞とかで余計なことまで記事にするやつだったし”

 “昔からうっとうしいんだよ”

 まさか、矢田部が? いや、それはあまりにも憶測過ぎる。だが、可能性は捨てきれない。

「ま、瀬名中の事件もそうだし、九木戸市内のチョン切り魔も同じ。そんなタチの悪い真似、悪いことを悪いことって捉えられないような奴のすることよ」

 その言葉を聞いて、俺はなんとなく倉林さんの話を思い出した。

 そうだ。悪いことが当たり前になってしまった時、必ずボロが出て、事件は解決に導かれる、と。

 俺が記憶を探っていると、どこからともなくケータイの着信音が聞こえてきた。カナデさんがポーチからケータイを取り出している。

「もしもし?」

 彼女の電話応対を聞いていると、どうやら家の人から掛かってきているみたいだ。

「うん…………え? えー! …………うーん」

 電話の後半から、カナデさんの表情が一気に暗くなった。そして彼女は電話を切るのと同時に、口先を尖らせた。

「家の人から?」

「うん、なんかこれから買い物に行って、そのまま夕飯にしようだって」

 俺がいつまでももたついていたせいで、カナデさんに話をする機会を逃がしてしまったようだ。

 それが本当に申し訳なくもあり、だけど、少しだけほっとしているのも確かだった。

 卑怯かもしれないが、カナデさんとの時間は、慌てて埋めていくようなものではない。一時一時を大切にしていきたいと思ったのだ。

「じゃあ、俺はここで帰ろうかな」

「えー、だって大事な話をしようとしてくれてたんだよ? 私が予定を断るよ」

 不満丸出しのカナデさんの表情に思わず微笑んでしまいながら、俺は首を横に振った。

「俺の話はまた日を改めよう。今度は俺が、なんかおいしいお店を探しておくよ」

 それはつまり、「またこうして出掛けよう」という誘いと同義だ。話は、その時にまた時間を作れば良い。

 俺の言葉に、カナデさんは満面の笑みを浮かべた。

「本当にぃ!? んー…………またハヤト君と出掛けるのもいいなぁー」

 考え込んでいるカナデさんの姿を見て、少しだけ悪戯心が働いた。

 俺はこっそりとケータイを取り出して、ある番号に発信をする。すると、すぐ近くで二回ほど呼び出し音が鳴った。

 音は、カナデさんのケータイからだ。

「はーい! もしもしぃ?」

彼女が再び電話に出ると、俺は自分のケータイに向かって言った。

「もしもし、俺です。ハヤト」

「え? あ…………あああああああああっ!」

「ごめん、そう言えば番号教えるのを忘れてたよね」

「ひどーい…………」

 カナデさんが電話を切りながら、白い眼を向けてきた。

「もう! …………まあいいわ。これがハヤト君の番号なんだね。りょーかい、登録しとくね」

「あと、さ」

「ん?」

「もう一つ、お礼がしたくて」

「もう…………なぁに?」

 カナデさんの声が、急にやんわりとした。俺の突然の申し出にも、彼女はきちんと耳を傾けてくれる。

 カナデさんが俺にこの番号を教えてくれた時、彼女はいろいろな話を聞かせてほしいと言ってくれた。俺に協力したいとも言ってくれた。

 そんな彼女のおかげで俺は変わることが出来て、ツバキに素直な気持ちを打ち明けることができた。

 これも、やっぱりきちんと伝えたい。

「こないだ、久しぶりにツバキに優しくできた気がするんだ。柔らかく話せたっていうか、カナデさんには事情がよく分からないかも知れないけれど…………でも、本当にカナデさんのおかげで、良い方向に向かえた気がするんだ。だから、ありがとう」

 カナデさんはしばらく無言だったけれど、その間、俺はカナデさんへの感謝の時間として、ずっと胸の中で彼女にお礼を言い続けた。

 するとカナデさんは、さらに優しい声で「良かったね」と言ってくれた。

 しかし。

「本当に良かったと思う…………けど」

「けど?」

「ちょっと、悔しい」

 カナデさんは言い終えた後、咳払いを一つした。

「それって?」

「ハヤト君のバーカ!」

 そう言って彼女が微笑みかけた時、俺はなんだか急に恥ずかしくなってしまった。

「バ、バカって…………」

「次回こそ話をちゃんと聞かせてね! それと、おいしいお店も絶対ね!」

 そう言って彼女は手を振った。

 今、俺の全身を包み込んで体を熱くする感情の正体は何だ? いや、薄々気が付いているはずだけれど、認めることさえも気恥ずかしい。

 だけど、嬉しかった。

 あんなに人との関わりを恐れてきた俺は今、カナデさんと知り合えたことで、こんなにも強い幸福感を覚えている。

 手を振り返しながら、その時になぜか親友の姿をカナデさんに重ねていた。

 なんであいつの姿を重ねたのか。その答えは一つしかない。

 それは、今度こそ大切にしたいと思える大事な人だからなのだろう。

 自分の頬が少しずつ赤く染まっていくのを、暮れていく西日がうまく隠してくれた。

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