第10話 ぶつ切り魔

 目覚まし時計の音に気が付いて、俺はゆっくりと左腕を伸ばした。

 止めた時計の針は朝の六時を指しているが、今日は日曜日。当然のことながら学校は休みだ。

 ふと、自分の右腕がケータイを握りしめていることに気が付いた。画面は真っ暗で、ボタンを押しても何も映らない。バッテリーが切れているみたいだ。

「そうか。カナデさんにメールを送ろうとして…………」

 昨日、カナデさんとケーキを食べた後に別れてから、ひっきりなしにメールが届いたものだから、その返信に追われてしまった。そして、気が付けばこの通り。

 思い返すとなんだかすごく恥ずかしくなってくる。メールで交わした話題なんて他愛もないことばかりだった。なのに、何故か返信に夢中になってしまっていた。

 ケータイを充電ケーブルに繋ぐと、さっそくケータイからメロディーが流れてきた。

 まさか、こんなに早い時間からカナデさんか?

 しかし、それは電話の着信音だった。

「電話?」

 すぐに通話を開始すると、こちらの反応の速さに驚いたのか、『もう出た!』という独り言が聞こえてきた。

「もしもし? どちら様ですか?」

『もしもし…………あたし氷室です』

「氷室さん? なんで俺の番号を?」

『何言ってんのよ! 名前出てないの!?』

 一旦ケータイを耳から離してディスプレイを確認すると、そこには倉林さんの名前が映っていた。

「ごめん、見落としてた」

『そんなことより、随分朝が早いのね。おじいちゃんみたい』

 そっちこそ、こんな時間に電話を掛けてくるのだから似たようなものじゃないか。そう思ったが、声には出さないでおいた。

「倉林さんと一緒にいるの? 何か用?」

『今日、暇かな?』

「え? うん、別に予定は何もないよ」

『じゃあちょっと手伝いなさいよ。“ぶつ切り魔探し”するから』

 氷室さんの言うぶつ切り魔とは、最近市内を騒がせているという、例の通り魔的な犯行を繰り返している者のことだ。

 氷室さんは、自分のカイゾウを消すために罪を償うという理由で、正義的活動をすると言っていた。

 だから、このぶつ切り魔事件を解決することも、彼女の中では大きな意味を成す行動と言えるのだ。

「予定は空いているんだけどさ、こんな朝早くからやるの? もし犯人が動くとしたら、夜中だと思うんだけど」

『う、うるさいわね! 明るいうちにも出来ることあるでしょ!』

 電話で大声を出す氷室さん。しかし、その背後で倉林さんらしき人が『夜動くつもりだったのに、寝過ごしたんだろ?』と茶々を入れているのが聞こえてしまった。

 なるほど、そういうことか。

『今から迎えに行く。五分くらいで着くから準備しといてよね』

「五分って!?」

 そこで電話が切れた。

 あまりにも急な話に呆れながらも、とにかく着替えと顔を洗うぐらいは済ませておこうと動き出す。

 二日続けて休日の予定が埋まるというのは、日々の生活に充実感が戻ってきているということなのかもしれない。だが、それも予定の内容によるのだなと、ハヤトはため息を漏らした。

 そして氷室さんとの電話が終わってからちょうど五分後に、倉林さんの運転する車が家の前に到着した。

 車に近づくと、「助手席に乗れ」という倉林さんの合図に促されるまま、俺は車に乗り込んだ。

 車内の時計を確認すると、時刻はまだ六時十分だ。

「なんでこんなに早い時間から動くのさ」

「だからそれは」

 倉林さんが答えようとすると、後部座席で腕を組みながら鎮座する氷室さんが、鋭い眼光を向けてきた。

 無言の圧力に、俺と倉林さんは閉口したまま今日のルールを悟る。

 氷室さんに、余計なことを聞いてはいけない。

「そ、それにしても、ハヤトこそよく起きてたな」

「俺、普段から日曜でもあれぐらいの時間に起きてるんだ」

「偉いなぁ。早起きは三文の得ってか?」

「いや、そんなんじゃないよ」

 そう、そんなんじゃないのだ。理由はある。

 だが、朝から暗い気持ちになってしまうから詳しい理由は言いたくない。

 うまくすり替えられるような話題も持ち合わせておらず、俺は黙ることしか出来なかった。

 そんな俺のことを見た倉林さんが、にんまりと笑って言った。

「まさかお前、昨日の彼女と一晩中一緒にいたんじゃ」

「いないよっ! 何言ってんのっ!」

「昨日の彼女って…………誰?」

 後部座席で表情に暗い影を落としながら鎮座する氷室さんが、鋭い言葉を突き立ててきた。

 猛獣のような眼力に、俺と倉林さんの背中に冷たい何かが走った。

「いい気なものね。罪を償わなくちゃいけない身だと言うのに、女の子とイチャついている余裕があるんだー」

「い、いや! 別にイチャついてなんかなくて!」

「別にいいのよー、隠さなくても」

 声が一層冷たくなっている。

 俺はこの会話の流れを断ち切りたくて、別の話題を探した。

 そうだ、今この場にふさわしく、何故もっと早く気が付かなかったのかと思うような話題がある。

「ぶ、ぶつ切り魔探しって、何からするの!? その話、詳しく教えてよ!」

 都合の悪い話を逸らしたことは見え透いていたけれど、氷室さんはその話になると、真面目な顔を見せて少し考えるように小さく頷いた。

 倉林さんはまだ楽しそうに笑っていたけれど。

「こういう犯人捜しって、とにかくまずは現場検証と聞き込み調査からでしょ。だから昨日、倉林さんには聞き込み調査の方をお願いしていたの」

「昨日? もしかしてケーキ屋から出てきた時に言っていた捜査って、氷室さんに頼まれてやっていた聞き込みのこと?」

 氷室さんから視線を外して、隣の運転席に向けてそう訊くと、倉林さんは前を見ながら小さく頷いた。

「ああ、そうだよ」

「そうだったんだ。まるで警察みたいなことするね」

 すると、倉林さんはちょっと大げさにも思えるような大声で笑った。

「おいおい! 言ってなかったっけ?」

「え? 何を?」

「警察、俺の本職なんだけど」

「ええっ!? 初めて知ったよ!?」

「そうかー、言ってなかったか。わりいな。そういうことなんだよ。カイゾウの研究機関から日本警察に要請があって、俺が研究機関に出向してるんだよ」

「そうだったんだ…………」

「カイゾウ所持者を保護するにしても、監視するにしても、一般人から理解を得られるような立場じゃねえといろいろと面倒なことが多くてな。研究機関と言ったって、白衣を着た連中にそんな大層な権限があるわけでもねえ。警察機関との連携は必然だよ」

 驚くべき事実ではあるが、いろいろと考えてみれば、確かに倉林さんのようなポジションを担う人は必要なのだろう。

 俺が病院で右腕の診察を受けた時、カイゾウ発症の疑いがあるからということで、倉林さんはずっと俺のことを尾行していたみたいだし、状況に応じてどのように接しなければいけないのかという点においても、やはりプロフェッショナルなのだろう。

 それに、俺がカイゾウ発現によって自殺を図った時、倉林さんには見事なまでに取り押さえられてしまった。ああいうところも、今考えれば納得が出来るというものだ。

「氷室さんは知ってたんでしょ? 教えてくれれば良かったのに」

 俺が再び後部座席を見ると、彼女はまだ怖い顔をしていた。

 そして、不機嫌そうな声が漏れる。

「ケーキ屋って、なに?」

「え!? そ、それはアレだよ! ハヤトが女の子とイチャついてた店のことで!」

「なんだよそれ! 倉林さんこそ一人でケーキ食べてニヤついてたじゃんか!」

 俺と倉林さんのやり取りは、氷室さんを更に不機嫌にさせたようだ。彼女の表情の影がより一層濃くなった。

「あたしが真面目に犯人捕まえようってしてんのに、好き勝手遊んでんじゃねーよ!」

「はいすいませんっ!」

 運転席と助手席のシートが背後から蹴飛ばされて、俺と倉林さんは姿勢を正して硬直した。




 倉林さんに連れられてやってきたのは、意外な場所だった。

「ここって…………病院じゃん」

 そこは、俺が右腕の診察を受けた場所であり、氷室さんがカイゾウの定期健診に訪れる場所でもある。そして、俺が初めてカイゾウを発現した夜に、倉林さんに連れられてきた病院だった。

「ちょっと倉林さん? 事件の現場を見せてくれるって話だったじゃない!」

 氷室さんが怒りながら倉林さんに詰め寄っていくところを見ると、どうやら彼女も行先は知らなかったみたいだ。

「落ち着けって。ぶつ切り魔のやり口は確かに悪質だけど、ああいうのは今の段階じゃあまだ悪戯レベルだよ。被害発生から何日経ってると思ってんだ。現場の立ち入り規制なんてしてないどころか、もうすっかり平凡な日常風景に戻っちまってるよ」

 倉林さんの言葉はとても落ち着いていた。

 車の中で氷室さんの気迫に押し負けていた時の表情とは違う、氷室さんの言い分に対して軽くあしらうぐらいの受け答えを平然とやっている。

「それに、現場規制をしていたら尚更だ。お前らみたいな高校生を立ち入らせるわけないだろう。そのための規制だ」

 その言葉を聞いて、氷室さんはひどく憤慨した。まあ、言われてみればもっともな話でもあるけれど。

 しかしなぜだろう。俺は少し引っかかっていた。

「現場に連れていけないとしても、それじゃあ納得しないだろう? だからここに連れてきたんだ」

「ここで何が分かるってのよ!」

「ついてこーい」

 まだ朝も早い総合病院の正面玄関は、自動ドアの前に立っても入り口は動かない。

 倉林さんは俺と氷室さんを引き連れたまま、通用口のほうへと回り込む。そしてケータイを取り出して電話を掛けると、繋がった先の相手に迎えにきてほしいと頼んでいた。

 通用口の窓から、警備服を着た年配の男性がこちらをじっと見ていたので、思わず緊張が走ってしまう。悪いことをしているわけでもないし、無断で病院に入ろうとしているわけでもないのに、俺は居心地の悪さを感じていた。

 実は、警察官や警備員の人が身に着ける、あの類の制服が苦手なのだ。いわゆる“他人を取り締まる立場”だと明確に分かる恰好が、どうにも好きになれない。

 それは、中学時代の土手で事情聴取をしてきた警察官への記憶に結びつくから。

 程なくして、通用口の内側から一人の人物が顔を出した。

「すいませんね、持田さん。こんな朝っぱらから無理言っちゃって」

「いいえ、構いませんよ。どうせ昨晩は家に帰ってないですからね」

 笑顔を浮かべた若干小太りの男性、持田さんは、白衣を着ていた。病院の先生なのだろうか。

 年齢は倉林さんよりも少しだけ上に見える。丸い縁無し眼鏡をかけた表情と声色から、温和な性格がにじみ出ているかのような人だった。

「氷室さんのことは分かるけれど、こちらの男の子もでしたっけ?」

「そうです」

 おそらく、俺のことを所持者だと気が付いたのだろう。

 氷室さんのほうを見ると、持田さんの言葉に対して彼女はピンと来ていないようだった。

 持田さんの案内に連れられて病院内に入りながら、俺は氷室さんに小声で尋ねた。

「どうしたの? 不思議そうな顔して」

「ううん、初めて会った人なのに、なんであたしのことは知っている風だったんだろうと思って。ここで検診を受ける時は、いつも女の先生なんだもん」

 俺と氷室さんは、先頭を歩く持田さんの背中を見つめ続けた。

 院内を歩き続け、階段を上がることなく渡り廊下を抜けて、俺達は病棟とは違う雰囲気の建物に入った。

 道順の途中で氷室さんが「あ」と気が付いたように声を漏らし、カイゾウの検診を受ける時はこちら側の建物だということを教えてくれた。氷室さんにとって見慣れた風景の場所までやって来たらしい。

 廊下の窓ガラスから射す陽光が、いよいよ明るくなってくる中、持田さんは『第一会議室』と書かれた部屋の扉を開いた。

「中へどうぞ」

 中に入ると、会議室と書かれていたはずの部屋の中は、あちこちに様々なものが散乱していた。部屋自体は学校の教室二つ分ぐらいに広いのに、全体的に散らかっているようだ。

 いくつも広げられた机の上には書類や資料の束。飲みかけのペットボトルと、部屋の窓にあるカーテンレールには、背広が二着ほどかけられている。

 生活感に溢れた場所だ。たぶん、この人は長いことここで生活をしているのだろう。

「今椅子を出しますので、こちらにどうぞ」

 元々会議室というだけあって、机と椅子はたくさん余っていた。

 俺達三人に対して、向かい合う位置に座る持田さん。

 全員が位置に着いたところで、倉林さんが切り出した。

「もう分かると思うが、持田さんは病院の先生じゃねえ。研究機関所属のカイゾウ研究者だ。所持者から得た検査データなどを使って、カイゾウに関するいろいろなことを調べてくれている」

 倉林さんの紹介を受けた後、持田さんが言葉を続けた。

「よろしくね。氷室さんがこちらの高校に通うということで、私含め何人かの職員でこの病院に常駐させてもらっているんだよ」

 氷室さんに学校へ通ってもらうために、何人もの大人が自分たちの生活環境を変えている。

 カイゾウ研究という、彼らにしてみればとても大事な理由があるのだろうけれど、今まで俺が知らなかった世界に改めて驚かされた。

「今日、私から話すように頼まれていることは、最近あちこちで被害があるという、いろんなものを切断してしまう通り魔とカイゾウの関係性についてなんだ」

 俺と氷室さんは、視線を倉林さんに変えた。

 彼は、何食わぬ顔で俺達の目を見てきた。

「カイゾウという特殊な現象が実在する以上、警察内部でも一部の人しか知らされていないけれど、可能性の一つとして考えられてはいた。だから我々も、微力ながら捜査に協力はさせてもらっているんだ…………で、まず結論から言うとね、例の切断事件の犯人をカイゾウ所持者だと疑うのは、短絡的過ぎるということだ」

 持田さんはそう切り出した。

 その言葉を受けて、氷室さんは少し困惑気味だった表情を鋭く変化させた。それはおそらく、自分が疑っていたカイゾウ所持者の関与を否定されたからに間違いない。

 でも待てよ。やっぱり何かが引っかかる。

「なんでですか? 金属がものすごく綺麗に切られていたんでしょ? そんなの、特別な道具でも用意しないと出来ないって、ニュースでも言ってました」

「要するに、特別な道具が用意出来ればいいんだよね。じゃあ、カイゾウ所持者と断定は出来ないと思うんだ」

「だって! だからそんなものが用意出来るのかどうかを調べるために、今日現場に行こうって話したのに!」

 氷室さんが倉林さんを睨み付ける。

 しかし、彼女に答えを言い放ったのは、やはり持田さんだった。

「そういう証拠が残っていたら、それは倉林さん達警察が既に見つけているはずだよ。金属を切るってこと自体はそれほど難しくはないけれど、そんなことをすれば必ず痕跡は残るはずだ。自転車のフレームや車のボディーを切れば、表面の塗料が剥がれ落ちるだろうし、金属そのものを切った時には切粉が出ていたかもしれない。犯行時刻は夜だったそうだから、犯人も暗闇の中でそういった証拠を全て拾い集めることは出来ないだろう」

「すっごく丁寧に掃除したのかも! 掃除機とか使って周辺の埃とか諸々吸い取ったり、掃除機じゃうるさいから箒とかで」

「ずいぶん仕事が丁寧だね。そんな時間が掛かることをするかな?」

「そんなの…………そうだ、犯行現場が違うの! どこかに持って行って、切った後に戻したとか!」

「自転車なら分かるけれど、車を? 現実的ではないし、周囲に見られるリスクが非常に高いよね」

「じゃあ何したって時間が掛かるじゃない! 目撃者がいないのに!」

「犯行は深夜。それぐらいしか断定できていないんだよ? 深夜って、何時から何時のことだい? いくら初夏だと言っても、深夜がわずか数分から数十分ってことはないだろう」

「だってそれじゃあ、さっき言ったことと矛盾してるじゃない! 掃除なんてするかなーって言ってたのに!」

「カイゾウ所持者の関与とは限らないもう一つの理由があるよ」

 持田さんの口調は、極めて冷静だった。ひどく冷たくはあったけれど。

「たとえば刃物型のカイゾウで切ったとしよう。氷室さんの言うとおり、短時間で、何の道具も使用することなく綺麗に切断することが可能である、そういう前提で構わない」

「だってそれしか考えられないじゃない!」

「だが、こうすると必ずと言っていいほどの物的証拠が残るはずなんだよ」

「え?」

「カイゾウは、どんなに金属のように硬くなっても、結局は人間の体だからね。金属を切れば、その切り口とカイゾウが接した部分には、所持者の体組織が残ると考えられる。それはもしかしたら皮膚片と呼んでもいいのかもしれない」

「…………皮膚片って、だって、すっごく硬くなれば…………もしかしたら」

 氷室さんの反論は、どんどん弱くなっていった。

 彼女の中で、犯人を特定することがどれほどの難易度で想定されていたのかは分からない。それでも簡単に見つかるわけがないことぐらい、分かっていたはずだ。

 だけど、それでも氷室さんの中では、犯人はカイゾウ所持者であるという確信があったのだろう。

 それはたぶん、俺のカイゾウを目の当たりにしているから。

 事実、俺のカイゾウの切れ味は、触れただけのマフラーを切り裂いた。

 氷室さんにとって、この事件の犯人を突き止めることは、自分の罪を許すことに繋がる重要なことだ。少なくとも彼女はそう思っているし、俺自身もそうであってほしいと願っている。

 許される条件が欲しいんだ。罪を償うチャンスが欲しい。

 だからこんなにも必死だし、そのチャンスが真っ向から間違いだと否定されれば、食い下がりたくもなる。

 ふと、倉林さんの顔を見て、気が付いたことがある。

 倉林さんと持田さんの目が、同じような冷たさを放っていたのだ。




 持田さんと別れてから駐車場に向かうまでの間、俺達三人は誰も言葉を発しなかった。

 通用口までやって来ると、氷室さんが足を止めて言った。

「ちょっとお手洗い行ってくる。先に車戻ってて」

「おう」

 廊下を駆け足で戻っていく氷室さん。その背中を俺は見送り、倉林さんはさっさと通用口を潜って外へと出て行った。

 氷室さんの背中が見えなくなったのを確認してから、俺は倉林さんの隣まで駆けていった。

「ねえ」

「ん?」

「もしかして、俺と氷室さんに犯人捜しを止めさせたくて、持田さんに合わせたの?」

 持田さんとの話の最中、俺がずっと引っかかっていたことだ。

 持田さんの話は確かに専門家の見解として間違ったことは言っていないと思う。それに、彼は一度だって、犯人がカイゾウ所持者の可能性があることを否定はしていなかった。

 だけど彼の話し方は一貫して、氷室さんの推察の否定だった。

 そもそもが、同じ引っかかりは倉林さんからも感じられた。彼の態度そのものが、俺達を部外者扱いしていたから。

 そんな倉林さんは、俺の隣でうっすらと笑っていた。

「こういうのは警察の仕事なんだよ。お前達素人が首を突っ込むようなことじゃねえ」

「昨日の聞き込みってのも、何もしてないんでしょ」

「既に散々してるからな。お前達二人が仲良くなるために喧嘩したり謝ったりしている間にも、警察はちゃんと仕事してるんだよ」

 俺は、大きな思い違いをしていた。

 倉林さんが“俺達を部外者扱いしていた”なんていうのは、とんだ自惚れだった。

 俺達は“部外者なんだ”、間違いなく。

「お前達は分相応にやってりゃいいんだよ。事件の解決は警察の仕事。じゃあお前達は何をしたらいいんだ?」

「…………償い?」

「ばーか! 学生だろうが! 勉強して遊んでりゃいいだよ。自分たちを追い込むようなことはするな。カイゾウのことも、事件のことも、なんとかしてやる」

「でも、氷室さんは自分の罪を償いたいって言ってるし、俺も同じなんだ」

「大いに結構だよ。だけどな、この事件はお前達の償いとは結びつかない。だから犯人探しなんてとっとと辞めちまえ。お前たちがやることじゃねえんだよ」

「氷室さんはそれで納得してくれるかな。俺も氷室さんも、カイゾウを消すためなら、m自分の罪をきちんと償うためなら、そう簡単には諦められないと思うけれど」

 そう言うと、倉林さんは俺を横目で見やりながら、小さくため息をついた。

「なあ、ハヤト…………なんでアミがこんな朝っぱらに突然行動を始めたのか、分かるか?」

「分からない」

「…………眠れなかったんだよ。また昔の夢を見ちまったらしい。そしたら居ても立ってもいられなくなって、朝の四時頃に俺のところへ連絡をよこしたんだ」

 その言葉を聞いて、俺は倉林さんの方を真っ直ぐ見たまま固まった。

 それってつまり、俺と同じだ。

「俺はいいんだ。別に俺が朝早くからあいつに起こされることなんて、文句を言うつもりはねえ…………だけどさ、カイゾウ所持者ってのは、深く後悔して反省しているからカイゾウを所持してるわけだろ? なんでそれ以上自分を追い込むんだ? …………アミが、今すぐ償わなくちゃって、泣きながら電話してくるんだ。さすがにあんまりだろ、あの子はちゃんと眠れてるのかよ。俺はそれが一番辛いんだよ」

 その話を聞いて、俺はつくづく自分が氷室さんと似ていることに気が付いた。

 俺だって、休みの日でも朝早くに起きるのは、同じような理由からだ。

 中学の頃は、血塗れの悪夢を毎日のように見ていたから、あまり眠っていたくなくて目覚まし時計のセットを欠かさなかった。休日の早起きはその時の癖なんだ。

 倉林さんは間違いなく、俺と氷室さんの味方だ。

 だからこそ、この一件には近づいてほしくないのかも知れない。

 そう、持田さんはカイゾウ所持者の可能性を“否定しなかった”。だから尚の事、遠ざけたいのだろう。

「倉林さん、今日はありがとう」

 時刻はまだ朝の八時前。初夏らしく、今朝は朝から日差しが少し暑かった。




 帰りの道中で簡単に朝ご飯を済ませながら、俺は家まで送り届けてもらった。

 俺を送り届けた後で、今度は氷室さんを送ると言っていたが、大丈夫だろうか。氷室さんは帰りの車中でもずっと無言のままだったから。

 玄関を潜ると、居間の方からテレビの音が聞こえた。

 俺は一旦自室に戻ると、ベッドの枕元で電源ケーブルに繋がったままのケータイを拾い上げた。氷室さんからの呼び出しが急だったから、ケータイは充電したままにして置いていったのだ。

 画面を確認すると、やっぱりカナデさんからのメールが届いていた。

 さっそくメールを開く。

 だが。

「…………なにこれ?」

 そこには、画像が添付されているだけだった。

「ハサミ?」

 その前までやっていたメールのやり取りから見ても、全く脈絡のない画像だ。

 一体どういう意味があるのだろうか。

「ハヤト! 帰ってるの!?」

 母さんの声がした。そして階段を駆け上がってくる足音。

 家を出る前に、一応テーブルの上に出掛ける旨のメモは残したのだけれど。

「ごめん、帰ってるよ。ただいま」

 開けっ放しの部屋のドアから母さんが飛び込んできたので、俺は驚いて母さんの顔を見た。

 その表情から、ただならぬ雰囲気が感じ取れる。

「なに? どうしたの?」

 俺の姿を見るなり、母さんが胸を撫で下ろして俯いた。

「いやね、今朝のニュースでちょっと…………」

「ニュース?」

「いえ、いいの。とにかく帰ってきたのなら」

 事情が掴めないまま、俺は母さんと一緒に居間へと降りていった。

 居間では、父さんがパジャマ姿のまま朝食を食べていたが、視線はテレビに釘づけられたままだった。

「父さん、おはよう」

「おお、おはようハヤト。お前、大丈夫だよな?」

「何が?」

 そう言ってからテレビの方を見ると、父さんが釘付けになっていた理由がそこに映されていた。

 そこに映る光景が、俺の思考を一切停止させた。

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