第1.1話 移動手段はいびつ

『そうね、そろそろ移動しないと……』

 しばらく間が空き、

『あれにしましょう』

 そう声が言った先には機械仕掛の車があった。曲線を活かした外形に、幅の広い窓の下には目が光る。

「この世界にも車があるじゃないか」

 どこか、未来と聞いて期待していた部分があった。それだけに肩透かしの感が否めない。

 しいて言えば今までなにもなかった空間にそれが現れたという、神出鬼没さだけが意表をついた点だろう。

『あなたの知っている車かどうか、わからないけれどね』

 言っていてもしかたがあるまい。車に乗り込むと、芳香剤の香りに包まれる。

 必要以上の親しみやすさに現実感を失いそうになる。いや、これが夢なら失ってしまったほうがいいかもしれない。

「誰が運転するんだ」

『運転って何?』

 その声と同時に車は発進する。振動が心地よく、眠気をさそう。運転席を覗きたいが、それさえ億劫になるほどである。

 かろうじて動く口で説明する。

「操作をすることだ。今はまっすぐ進んでいるが、いつか障害物にぶつかるだろう。そうしたとき、誰がそれを避けるんだ?」

『避けるんだったらあなたが避ければいいじゃない。あなたはそこに座って動かないつもり?』

 返事をせず外を眺めることに決めた。

 眺めはひどく不安定に感じられた。視線を遠くへやるほどねじれて一点に収束する。見ているだけで酔ってしまいそうなほどだ。

 できるだけ安定した地面を探して視線を巡らせるが、上下する丘や足を生やして歩きまわる木々はそれだけで目を背けたくなる。空を見上げれば酸欠を起こしそうなほどの抑圧感に駆られる。

「あの木はどういう生態なんだ」

『木なんか見えるの? 珍しいわね』

 逃げ場はどこにもないようだ。



 現在、車だったものは形を変えて空を飛んでいる。

 その過程を思い出そうとするがはっきりしない。揺れがなくなったと思えばすでに空中だった。

「これ、落ちたりしないのか?」

『落ちたって話は聞いたことがないわ。話をしてくれる人もいないけど』

 そうしていると、崖の上に切り立った台地が見えてきた。

 運転手のいない飛行機は当然のごとくそこへ着陸しようとしている。

「あそこに落ちたらどうやって帰るんだ」

『帰るってどこによ。狩人から逃げられるならどこでもいいわ』

 着地するころには車の形に戻っていた。



 移動するに足元の硬さを期待したが、そうもいかなかった。例えば、それが何でできているかなどということは考える必要もなかった。

 高台に切り立っているとはいえ、来た方向を見渡せばここよりも高い山がそびえ立っている。

 一方でこちらの高台にも、ずっと遠くには山のような大岩が見える。そこまで途切れることなく地続きなのが不思議でたまらない。

 遠くまで見通せる場所であるからして車での移動を提案するも、もう使えないと言う。

 そう言われて見やった車は、踏み潰された紙細工のようになってしまっていた。

 諦めて歩き出すと来る途中に見かけた、足の生えた木に近寄ることができた。

 触れるに表面は固く象牙質を思わせた。足の方はなにでできているか考えてみたが、光を反射する粘液で覆われていたため、木自体に違和感を覚えないまでも触れることまではできなかった。

 木を開放してやると、複数本の足を器用に動かしながら遠ざかっていった。その姿にどこか小動物的な愛らしささえ見出そうとしていた。

 歩き始めてどれくらい経っただろうか。太陽のようにわかりやすく時間を知らせてくれるものはなく、代わりに空に輝いているのは赤い星だった。赤い星は空の暗雲を赤黒く染める。それはどれだけ時間が経とうとも動かず、常に視界の右上の方を占拠していた。

 その赤い星が陰ると、ようやく景色に変化が起きたと理解する。

 目の前にあったのは巨大な石像だった。灰色の岩肌は冷たく硬い印象を与え、それでいて表面の彫り細工はあまありに繊細であった。

 そのまま腕が動き、こちらへ指を向けて言う。

『お前はどうしてここに来た?』

 こちらが聞きたい疑問であるが、社交的には答えておくべきだろうか。

「なんとも表現しがたい移動手段でもってここまできた」

 応えないという自体をさけ、適当を口にする。思えば、声が返答するときも似たような心境だったのかもしれない。そうでなければすれ違い方がおかしい。

『ふむ、ならば訪ねよう。ここはどこか?』

「それは俺にもわからない」

『わからないのにここにいるのか』

「そうだ。居ても立ってもいられなくてここにいる」

 足元の落ち着かないところでは居心地の良いところを探して歩きまわる。結果として、最初ほど居心地悪くはないが、決して居心地が良いわけでもないところへ落ち着く。

 そのくらいでいいのではないだろうか。

『まあまあ、足を止めて話を聞いてほしい』

 なだめすかしながら言うが、その見上げる巨体で落ち着けと言われても困る。

「面白い大道芸でも見せてくれるのか?」

『いくら体が大きくともそんな大それたことはできない』

「見た目の割に謙虚なんだな」

『かつ繊細だ。君から見れば大きいかもしれないが、私にとってはこれが標準だ。なに、私の服を着せたり私と踊れなどとは言っていないではないか。話を聞くだけでいいのだ』

 それもそうか。と納得して話を促す。

『長年の眠りから覚め、気がついたらこんな世界だ。君からどう見えているかはわからないが、この体もそう遠くへは行けない。もうどうしてよいやらわからないのだ』

 整理していることを話そうとしているのではなく、本当に困っているから聞いてほしいといったところだった。

 あの声とおなく、聞き出してやるまで身勝手に話すだろう。ここは基軸を安定させたほうがよさそうだ。

「目が冷めて初めて見たものはなんだった?」

『まばゆいばかりの光だった。それは始めから見えていたものだったのか、目が覚めたから見えたものだったのかはわからない。ただ明るさだけが身を包んでいた』

 この筋からではより話が複雑になりそうなので、線路を切り替えてやった。

「そう、まわりは明るかった。それでなぜ動けないのか、推測だけでもいいからわからないか?」

『沼に足をとられたのだ。それはここに来てからずっとだ。いまでももがき続けているが一向に抜けない。そしてこれ以上の深みに落ちることもない。どうなっているのだろう』

 かならずなにかしらの認識違いがあるらしい。かろうじて読み取れる無軌道な法則性にやや辟易する。

「質問を返そう。なぜ、ここにいるのか? 自分は答えられるから尋ねたのだろう」

 人は無意識に、自分に訪ねてほしいことを他人に尋ねる。そんな漠然とした対人感覚から出た質問返しだった。

『そちらがあえて口にしないならば、こちらから暴露してやろう。皆考えることは同じよ、世界価を発掘しにきたのだ』

「世界価とはなんだろうか?」

『ははは。知らないふりとは人が悪い。ひとおもいに圧し潰したくなるな!』

 突然の大声と笑い声に突風でも吹いたのかと錯覚する。もしかしたらその大きな指で潰さなくとも、たったの一呼吸だけで圧し潰せるのではないかと思える。

 勇気を振り絞り、平静を装う。

「いや、同じ目的だろうが、俺のところでは世界価という言葉は使わない。改めて説明してもらえないだろうか」

 石像は腕組みをして考え始める。

『そのようなことがあるのだろうか。言葉など交わしていないではないか』

「元にこうして……」

『いや、いいのだ。それより世界価か。大きな類型だから具体的な目的があれば意味するところが違うのかもしれん。……それは世界の意味だ、価値だ。私の住んでいる世界は特にこれが不足していてな。こうして他世界から奪わねばやっていけないのだ』

 一応はこの世界の過去に生きるものとして、嫌な予感を覚える。それはつまり、略奪者や侵略者と呼べるものなのではないだろうか。

 それに口ぶりを聞けばそれが日常的なものらしい。

 自分の立場も忘れて言い放っていた。

「なぜそんな悪いことをするんだ?」

『悪い? そんなことは考えたこともなかったな。まあいいではないか。同業だろう、仲良くやってくれ。それより情報交換しないか?』

 石像に張り付いた微笑が気味悪く思えてきた。だが、情報交換とは願ってもみない機会ではないか。

「そうだな……。沼とはなんだ? そちらも困っているようだから、気をつけておきたい」

『沼も違って見えるのか。難儀な世界よ。ただまあ君とは無関係だろうな。これは私の世界にある沼がこちらに反映されてしまった結果だ。気をつけることは何もない。私がひたすら困らされているだけだ』

「そう……なのか」

 無関係だ、何もない、と言われてはこちらもどうしようもない。



 石像の元を去り、車に乗り込んで体を横たえた。

 この車もまた、自分の世界が反映された結果なのかもしれないと思えば、なんとなくわかった気になれる。

『いま通った石の街、綺麗だったわ』

「街を通った……?」

 確認するが車は未だ動いていない。そのうち動くだろうと休憩していただけのはずだった。

『ええ、ずっと街の中を歩いて何をしているのかと思ったけれど。なにか収穫はあった?』

「……言ってもわからないのだろうな」

 俺は、説明を諦めた。

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