第2話 未整理物件、あるいは予備知識

 右手に垂れ幕。書かれた模様は知らない言語のように感じられた。それが他の景色とともに流れていく。

 揺れる車内は自分ひとりだけ。

 現在、車体は長いがバスというよりはトラックに近いだろうか。進行方向に対して垂直に設置された長椅子に腰掛ける。運転手はいない。運転席があるのかもわからない。

 こんな移動手段があるならば歩く必要などなかったではないかと叫ぶも、その声は誰にも届かない。垂れ幕のあったビルが後方彼方へ見えなくなってしまってからは、また退屈な地平線のみになってしまった。

「それで、時間がないと言うのはどういうことなんだ。ここが未来であることと何か関係があるのか?」

 またも虚空に話しかけるのが、どこか物悲しい独り言のように響く。

『たしかにややこしかったかもね。だけど、関係ないわ』

 ああ、それぞれひとつひとつ尋ねなければならないのだろうか。

 地平線を眺めながら徒労の一歩と行き先の見えない線路に思いはせる。

「関係ないならないで、その違いを説明したらどうだ」

『私に残された時間が少ないの』

 トラックが大きく揺れた。俺の体もそれを受けて大きく上下するが、車体自体の柔らかさに包まれ衝撃は吸収される。

 幸い停止することはなかったが、後方の地面を見るに溝ができていたようだ。同じようにここを通る車があるのだろうか。

 これまでもこれからもそうであろう無人感は、道があること自体にさえ疑問を抱かせる。



 山を一つ越えた。

 木が一本生えていて、そこへ背を預けて休憩する。

 木には葉のひとつも生えず、当然その周りの地面に雑草なども生えない。

 遠くに視線を投げ、帰ってこない光の彼方にここまでの道のりを思う。どれだけの時間が経ったのか、どれだけの距離を行ったのか。確かなことは何もない。

 脳裏の声すら聞こえず時間に耐える。

 いま猛獣に襲われたなら木の上に登ってやり過ごそう。そのままがりがりと爪で削られていって倒れたら、そこから戦いの始まりだ。

 猛獣の鋭い爪を避ける。そしてひっ掴んでやればいい。それだけではない。次に危険なのはその牙だ。これはどうしようもない。俺は甘んじて受け入れる。それが運命だし、自然な流れだった。

 目を覚ますと制服姿の男が言う。

『君、ここで単語殺しを見なかったかい?』

「それは何ですか?」

 俺はとっさに切り返してしまった。相手のもつ雰囲気が有無を言わせなかったのだ。

『それには名前がない。それに名前をつけてしまったら、私達がやっていることに大いなる矛盾を抱えることになってしまう』

「単語殺しだからですか」

『そうだ』

「でも、一目見てその人が単語殺しをした犯人だってどうやったらわかるんですか」

『一目見るんだ。ほら、私の目を見て』

 男の目は透き通っていて、三層の黒の中に輝かしい星々が輝いていた。それを繋いで結んで三角形を幾つかつくる。すると、先ほどの金色の水銀が想い起こされた。

『……ふむ。見つけたら言うように』

 そう言って黒い外套を揺らしながら行ってしまった。

 見渡すと先ほど夢想した獣が倒れていた。爪と牙。それをつなぐように黒い四肢が。

 俺はなんのために獣を殺したのだろうか。食べるためではない。明確な危機が迫っていたのかもしれない。

 しかし、噛まれたと思っていた肩には傷跡ひとつない。それはつまりこの獣に濡れ衣を着せたうえで殺したということではないだろうか。

 獣は答えをよこさなかった。しかたなく、問題の保留として牙と爪を拝借してポケットにしまいこんだ。



 木から木へ。他に目印もない割れた大地を行く。

 すると、二本目の木の向こうから駆けつけた人型が見えた。細い手足に丸い頭部。足の動きを読むに人間らしく見えた。だが、その色は黒かグレーの中間ではっきりとしなかった。

 その人型は次第に近づいてくるもその大きさを変えない。それほど遠くにいるのかもしれないが、像が鮮明になるわけでもなかった。

 こちらへ辿り着いたころには最初目についたときとまったく同じ大きさのまま、目の前に来てしまった。

「君はどこにいるんだ」

 そう手をのばしたが、触れることはなかった。

 音も温度も感じないそれに存在感はなく、うつろい霞む。ただ足の動きだけは止まっている。

 気づいたら追いかけ始めていた。どこへ連れて行かれるのか、本体があるのか。明確な実体を持たないそれをたどっていく。

 何かに投影された影だとしよう。だとするならばここまで届くのに必要な光量が必要なはずだ。

 その光とはなんだ。

 さきほどまで乗っていた、藁か干し草でできた車に乗りたい。あれがあれば揺れはするが体を包みほぐしてくれる。進み続けてくれる。

 だが、望んだ移動手段はなく、いまはただ影が走ってきた道をこちらが走っている。

 これほどまでに険しいとは思わなかった。次第に草木が生え、じめじめとした湿地帯に出る。そのため、足をとられて前に進めない。

 その一方で空は青く澄み渡っていて、俺を嘲笑っていた。青々とした深い色で草の緑を通して邪魔をする。

 自然を手足として使役し、阻むは影の途だとするならば。

『これが生業だ』

 そう言っていた。

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