未来の未完成世界
しぐ
第1話 未来は異界
送ることが正しいとわかっていた。
自分の方が間違っているとわかっていた。
私が始めたことなのだから、私が終わらせなければならない。
それでも、一緒にいた頃の思い出が私を拘束する。
正しさを追求したがゆえに心は自由でいられた。今は心が思い出に縛られているがゆえに間違った選択をしようとしている。
決断を急ぎすぎたのだ。軽はずみだった。
何度塗り替えても直らない過去に、私は――。
○
いわくつきの幽霊屋敷に忍び込んだ。友人がどうしてもというから付き添ってやった。一人で行けないなら行かなければいいのだ。
幽霊なんて存在を信じてはいない。よって怖くもない。だが、自分の住む場所に知らない場所があるのは、なんだか落ち着かない。
当の幽霊屋敷というのは、お世辞にも屋敷なんて言えないようなぼろ小屋だった。ちょっとした冒険ができると思っていたので着いたときはひどく落胆した。壁は穴だらけ、屋根はところどころ崩れ落ちて、床は泥にまみれて野宿にも使えないだろう。
「雰囲気出てるな……」
怯えた様子で言う友人を尻目に、大したものもない現場に冷めてしまっていた。このまま理由をつけて帰ってしまおうかとも思った。
そのとき。
背後に人の気配。
それは物音とも視線を感じるとも違う、空間に対する異物感だった。
隣りにいる友人の脇腹を小指の先で突っつく。
「おい! やめろよ」
声を低くして、友人にだけ聞こえる声量でささやく。
「変な感じしないか?」
「それ、なんだよ。また驚かすつもりか?」
無遠慮な大声で言うのでまいった。
とにかく、前に進むしかない。
目の前の二階建てぼろ小屋の中へ足をすすめる。
引き戸を閉めると、あの異物感は遮断されたように感じなくなった。気味悪く思いながらも安心に入る。
「それで、何を探しに来たんだっけ?」
当初の目的を確認するため、声をかける。
「写真一割、雰囲気四割、景観五割ってとこだな」
「それって半分観光じゃないか……」
と身にもならないやりとりをしていた。
会話の合間に、以前行った喫茶店のハムサンドの味を思い出した。柔らかいパンの間に薄くしなやかでありながら旨味の濃いあれが。
そんな唐突な妄想の前に、先程まで感じていた違和感は影もなくなった。
味わい深い味。そんな意味のわからない単語で頭のなかが埋め尽くされる。意味はなくとも、その精神状態こそが、異変に対する防衛反応だったのかもしれない。
結局のところ、友人はばしばしと写真をとったあとに「あんまし良いの取れなかったなー」などと気の抜けたことを言う。付き合わされたこっちの身にもなってほしい。
もう雰囲気を楽しむどころか、ただの歩く作業になってしまっている現状。つまりは飽いてしまったのだ。
それを伝えようかどうか、迷っていると友人の方から帰りを急かしてきた。どこかやりきれない思いで来た道を引き返した。
そこで、またあの違和感だ。今度は頭痛を伴って俺を襲う。
「ん? 大丈夫か?」
ようやく気を遣い始めた友人尻目に頭痛に耐える。理不尽とわかっていながらも苛立ちの眼差しを送ってしまう。
「ふう。わかったよ。帰りは俺が運転するから寝てな」
そういうことではないのだが、その申し出はありがたいので黙っておく。
それより、目の前のそれだ。それは歩みとともに近づいてくる。
強い耳鳴りとともに、重なりあう。
○
揺さぶられている。それも無方向に。強く強く。
続いて腰への凄まじい衝撃とともに、それは止まった。
目を開き、上下逆転した世界を見渡す。
急勾配の坂道とその上には金色の人魂。そう人魂だ。光球が炎をまとい、宙をさまよう。
それはまさしく想像上の人魂に相違ないが、目の前の事実は想像を超える速度でこちらへ向かう。
ああ、落ち着いていればそれがなんだと思う。火の玉だと見れば温度を確かめようと手をかざしてみるだろう。オカルト現象であるとすれば本当に再現性はないのか、いろいろと実験してみたりするだろう。
だが、今は揺さぶられた直後であり、なぜか体は息絶え絶えの急に瀕していた。感じ方というのは身体状況に大きく依存する。
俺の体は何かに引っ張られるように横へ大きく滑った。
そのまま転がること二回転半。俺の視界はようやく正転した世界を映しだした。
見えたのは金色の水銀を垂れ流す気味の悪い怪物だった。大きさこそ拳ほどで怯えるまでもないだろうが、俺が先ほどまで逆さまに見ていた場所がまっ黒に焦げ満たしていた。
明確な殺意をもってこちらを攻撃してきている異形に対して、畏怖を抱かずになにを抱こうか。
頭ではわかっていながらも、現実感がわかず考える。
例えば可愛げを見出そうとする。丸みを帯びた外形線は一般的な生物像、なんでもいい、猫にしよう。猫の頭部は丸い輪郭に三角の小さな耳で構築されている。したがってこれは一般にかわいいとされているものから三角形を2つ取り除いた図形であるといえるのだ。
そんなどうでもいい思考、誰にも見られないと思っていた。
『あなた、現実逃避してないで現実を直視したら?』
全方向からの集中音に驚く。自分の発した言葉でないのに、思考した言葉でないのに、脳裏によぎるその声はさらさらとした川のせせらぎにも似た美しい音色で――
『だからそういうのをやめなさいと言っているの』
ああ、どこまで干渉するのだろうか、この妄想は。
『妄想じゃないってば』
なるほど。思考が口語として表面化したものと考えればこの現象を妥当とすることができるかもしれない。
だとすれば現実直視しろということになる。
『まあ、今はそれでもいいけどね』
目の前のそれは猛然とこちらへ向かってきている。そして現状ここがどこかも心当たりはない。
たしかに危機的かもしれない。
そこまで考えて立ち上がりながら目の前の異形から逃げるように駆け出す。追ってくるだろうか。いずれにせよそいつらから体現される害意から逃げる以外に選択肢はなかった。
○
小さな砂埃が足にまとわりつく。地面との接地面に滑り込んでいまにも俺を転ばせようと狙っている。
あれからずっと赤砂の吹き荒ぶ中をほぼ無意識で歩き続けている。
草木も生えず、遠くには岩山がそびえるだけ。殺風景な中で歩くことだけが俺の頭を支配していた。
先ほどの異形たちは少し距離をとったら、見失ったようにどこかへ飛び去ってしまった。結局あれが何をしたかったのかはわからずじまいだが、それ以上に現状理解に思考を巡らせたかった。
ここはどこだ。
『どこかは問題じゃないわ。あなたがどこを望むか。それが大事なの』
この謎かけ、今の混乱した状態で答えられる気がしないが、時間はいくらでもありそうだ。じっくり腰を据えて考えるのもありかもしれない。
『時間だってもう無いの。お願い気づいて私の存在に』
ヒントにしてももう少しまともなのはなかったのだろうか。謎が謎を呼んでいる。
遠くの岩山が崩れるのを見てため息をはいてから口にする。
「わかった。君の存在を認めよう。どこにいるんだ」
虚空に響いた言葉はどこへともなく消え去ったように思えた。
『やっと聞く気になった?』
「ああ。言いたいことがあるならとりあえず聞こうじゃないか」
こちらは空気と話しているようで気分が悪い。せめて姿でも見せてくれればいいのだが。
『それはできないの。思考への干渉だけでも負担なのに、視覚まで弄くったらどうなるか……』
ああ、今みているこの荒野もまた思考に干渉されてるせいなのか。
『それとは関係ないんだけど……。とりあえず聞いて。今私は追われている』
勝手に会話が成立してしまうために、口に出すことも諦めて脳裏に響く音に身を委ねる。
『それであなたに助けてもらおうと思うの。どう? 簡単でしょう』
はあ。聞いてほしいと言うから聞いてみればこれだ。
俺が知りたいのは今どうなっているかだというのに。
『今どうなっているか……。そうね、そちらがどうなってたのかわからないから私もなんて答えたらいいのかわからないのだけど』
わからない者どうしでは話が咬み合わないのも当然だ。ということで寝させてもらう。歩くのはつかれた。
『待って、今止まったら困るの。お願い歩き続けて』
ようやく利害関係がはっきりしてきた。
頭に響く声と対峙する。その決意を持って告げた。
「追ってきているものの正体はなんだ? 簡潔に答えないなら足を止める」
『……狩人よ。捕まったら間違いなく命はないと思って』
唐突につきつけられた命の危機に対して現実感がわかないまま、意味だけを取り入れる。味のしない流動食。
だが話ができるようになった一歩前進だ。
「わかった。足は止めないでおこう。それで、ここはどこなんだ」
先ほどの焼きまし。だが、今ならば詳しい答えがくだされるような気がした。
『だから場所は問題ないの』
俺の期待は塵となって消し飛んだ。
諦めるにはまだ早い。いつもそうだ、粘り強さが俺の強さ。
「事実として俺はさっきまで居た幽霊屋敷とはまったく関係のない場所にいるわけだが」
『そうね。場所で言えば歩いてきた分だけ移動してしまったけれど、場所自体は変わってないはずよ』
「わかった。答え方はそちらに委ねるとして、何が変わったのか?」
これなら答えられるはず。
『簡潔に言うとね、時間……かな』
時間、それは人間の創りだした概念であり、自然界にはーうんぬん
「それでどこの原始時代だ、ここは」
荒野の広がるこの世界を見渡す。人っ子一人見当たらないこの世界は、
『未来よ』
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