第8話 燃え尽きた灰はさまよう

 よりつよい存在池を探して歩いた。移動手段も検討するが、なにもあてにならなかった。

 わかったのは存在感だった。存在しないものは確かな自己を保存し続けられず、結果として移ろいやすく不定形となる。

 それほど意識しなくてもよいと考えていた脳裏に浮かぶ声は言う。

『私に、確かなものを示して』と。

 それはつまり、この世界を確かに存在すると証明してほしいということだ。世界の存在証明をいかにして行えばいいのか。途方にくれて、考えることも放棄してしまっていた。

 そしてついさきほど、その突破口が示された。それは存在を貯める池があるということ。

 例えば、地形が変わらないのだってそうだ。海や大地がその姿を変えないのはそう簡単に失われない大量の存在値を貯め込んでいたからだ。

 そして、イジン質は存在値をためて別の形に還元することができる。その存在値をいかにかしてこの世界に放流することができれば、この世界を確かなものにできるのではないだろうか。

『あなたならできる。きっと。いままでだってやってきたじゃない』

 そう言われても確信は生まれない。

「自信という感情は生まれないが、理屈が自信の存在を証明している」

 だから俺はそれを探す。



 あれはなにか。そう問うた。

 垂れ幕がかかるそのビルは以前見た時と同じ格好をしていた。

『こんなことは珍しい』

 ヒトガタが自分から話すことのほうが珍しかった。

「変わっていく世界ばかり見ていたからか」

『そう』

 短く答えると俺から離れていってしまう。これはさらに珍しいことで、ヒトガタのほうから興味をもって動くことはないと思っていた。それほどまでに知ったふりの出不精だったのだから。

 ヒトガタにも道を示すと約束してしまった以上、ここでお別れということもできない。待つべきか、自分でも調べてみるか悩む。

 垂れ幕の存在がまずきになる。この世界の言葉は知らないが、そこに大きく書かれた幾つかの文字あるいは模様に対して意味を見出しかねているからだ。赤と黄の危険色は警告をしているようにも感じられるし、なにか強い主張をしているだけのようにも感じられる。

 少なくとも、それは感じという範囲にとどまり、それがなんなのか、確信を得られないでいた。

 確信とはそれこそがこの世界をすべる手段であり、もしそれがあったのならばこの世界になんら疑問を抱く余地はないだろう。今直面している大きな方の問題はそれなのだから。

 そうでないならば未知を切りひらく感情にこそ従うべきなのではないか。

 そこまで達したところでようやく足をすすめることを決めた。

 積み上げた理屈は足をすすめる勇気をくれる。それがいかに脆弱でも、薄弱でもだ。

 硝子の割れた扉を押し開いて中に入る。荒れた中は薄暗くけだるい雰囲気に包まれていた。天井からは吊り照明がうなだれて、古い机は片足をもがれていた。

 わずかばかりの憐憫をいだきながら進む。

 落ちる床や体重をかけた瞬間崩れ果てる壁などにはいらだちを覚えながらも、屋上を目指し階段を登る。この先に垂れ幕に関する手がかりがほしいという一心だった。

 文字に関する知識を獲れば確実な情報伝達手段を得ることができるのだ。口から発する言葉と同じだ。客観的に決められた一つの決まりに従うことそのものが確実性の一歩だ。

 いまでこそヒトガタとは手真似、音真似でかろうじて交流できているが、せめて文字で正確なやりとりがしたいものだ。

 自分で考えて違和感を覚える。この世界には言葉が無いように思っていたが、あの声は自分と同じ言葉を使っているのではないか。

 音をかってに解釈して聞いていたのか、体を共有しているがゆえの思考言語か。いずれにせよ、声本人が眠いっている今は答えを出すことはできない。あの音をもう一度聞くまでは。

 それで考えるならば氷解した自分の考えはヒトガタにとってどう映るのか、試してみたくなった。そうでなくとも、それが本当なのか自分では確かめられない以上、他の目が欲しかった。それだけ自分がいままで主観的に捜査してきたのだと思い知らされる。

 屋上まできてなにもいないことを確かめる。

 落下防止用の背の高い柵は自分で勝手に落下防止用だと解釈したにすぎず、その設置目的は別にあるのかもしれない。なぜならこの世界に確実な姿をした定形的生物は存在しないのだ。

 歩いているとき、声にたずねてみたことがある。この世界には人間以外の生き物はいないのかと。

 だがそれは間違いだとすぐに撤回することになる。当然だ。この世界に人間だと心底確信をもって言えるものはないのだ。

 いまは離れているがヒトガタにしろ、未来人にしろ、人間離れしている。それが新人類だと言われてもどこから疑えばよいかもわからない。猿の突然変異だと言われても否定もできない。それほどまでに不定性に満ちている。



『それはなにか?』

 その身を穿つような視線が突き刺さる。手にあるのは近くで見るために引き上げた垂れ幕だった。

 実際に近くで見たところで大した収穫はなかったが、それ以上に厄介なことになったかもしれない。

 目の前にいるのは黒い巨躯の男で、それは何度目かになる捜査官との対面だった。

「これが何かと言われれば答えられるが、それに意味はあるのか」

『それを守るのが私の当面の任務だ』

「これはなんだ?」

『私が守るべき単語だ』

 思ったとおりだった。見つかるまでは考えもしなかったが、これが彼にとって重要なことはすぐに察しがいった。

 これをどうするのも俺の手の内だが、もしこれをもやしでもしたら俺は灰になって風に紛れるだろう。

「狩人というのに会ったんだ。君がなんのためにこんなことをしているのか、話題になったんだ」

『この世界がこれ以上減らないために』

「減って困ることがあるだろうか。微調整を加えて、思い通りにしようだなんておこがましい。この世界は人の手を離れた。受け入れるしかないんじゃないか」

『これが私の受け入れ方なのだ。手段が違うだけだ』

「ここの人は協力しようという気持ちがないのか? 全員で同じ方法を使って変えればいい。相反したら潰し合うなんて無駄じゃないか」

『中には通じ合えない者もいる。そんな中で方法の統一を図るためには従、わない者を端から消していくしかない』

「聞けば君が取り締まるのは代えが効く者だけだと言う。働きこそがその単語を構築しているのならば、これは代えがいなくなるまで君はつぶし続けなければならない。それは造られるたびに調整する、複製の管理人にすぎないのではないか」

『それはない』

 そう断言してくれて、よかった。正確なことなどなにもない。うつろいやすく、もろいと声は言うがそんなことはないではないか。

「なぜそう断言できる?」

『複製の管理は私の仕事ではないが、意味がなくなるのを防ぐのは私の仕事だ。私に過去人である君を取り締まることができないと思っているようだが、君が意味を殺すのならば私は……』

「意味を殺す?」

 そう言われて捜査官が何を言っているのかようやくわかった。手にした垂れ幕のことだったのだ。

『それはこの世界で唯一残った文字なのだ。それを読むことができる者をただ探していた』

 残された言葉にすがりつく姿は、無骨なその見かけと反対に弱々しく感じさせた。

「これは燃やして灰にすべきだ!」

 意思に反して、口が動いていた。叫んだ言葉は男を射すくめる。

『これ以上灰を増やしてどうする。灰はすべてを飲み込む。いまは表面だけだが、もうしばらくすればその内面をも蝕むだろう。たったそれだけの間さえすがることを許さないのか』

 言いながら初めて表情を見せた。苦笑だった。

「その火山は、火種は、どこにあるんだ」

『それがわかれば苦労はしない』

 一時思慮する。声のこと、ヒトガタのこと、未来人のこと。彼らにしてやれることはもうないのか。そして、思い違いはないか精査する。

 結論を下した。

「種火を起こしてくれないか」

『今説明したが、それを残さなければならないのだ。ましてや自ら燃やすなど……』

「いや、これではない。なんなら返そうこの旗を」

『それがなんなのかわかったのか!』

「ああ、教えよう。代わりに意味のないものを殺す種火を、灰を無に還すその力を貸してくれ」

 阿吽の呼吸とばかりにその腕は振るわれた。それこそが俺の理屈を証明してくれた。

 間違いがなくてよかった。

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