第7話 イジン質は正確無比

 未来人は追ってこなかった。それは俺が捜査官を目指して歩き始めたからだ。追った先に待ち受けるのは自らの消滅なのだから、追ってこられる道理はない。

 しかしまたもその部屋は目の前に立ちふさがった。

 白く統一された部屋一面をまるで汚すように土足で踏み入れる。自分を卑下しているのではなく、あまりの神聖な雰囲気に気圧されたのだ。

 未来人の通行手段を調べてから、声が提案した。イジン質を燃料としたらどうだろうかと。その部屋に敷き詰められた白こそが時間さえも航行させる唯一の力なのではないかと。そう言った。

 事実の解明の一部分として未来人の通行手段を解析することは妥当かもしれない。時間的に俯瞰視できたならばこの世界のことをより知ることができるかもしれないからだ。運がよければ過去をさかのぼってこうなってしまった理由もわかるかもしれない。

 だがそれは泥沼に足を踏み入れることになるかもしれない。一部分のために全力を注ぐということは、その他の部分が見えなくなるということだ。本当にこれが確かなことを示すということなのだろうか。

 そうでもなければ先に進むことはできない。

 外から金切り音がした。その正体に心当たりがある以上そこにいられなかった。

 部屋の外に出るとすぐにそれと鉢合わせた。

 黄色く光る球体から流れ落ちる粘土の高い液が浮遊していた。この世界で初めて出会った住人、声が狩人と呼ぶもの。

 すぐに攻撃が来るとわかった。そしてそれに対応できないのもわかった。

 いつまでたっても襲ってこない衝撃に拍子抜けして、相手を観察する。

 それは依然金切り音をたてたまま、俺を通り過ぎて部屋の奥へ入っていく。

 まって、と脳裏にこだまするがもう遅かった。

 十字架を背に立つ長い裾を下から順に見上げていく。髭面に白髪は威厳の証か、部屋の白と同化していた。

「なぜ彼女を追う?」

 狩人は愛おしげに金色の水銀を撫でながら応えた。

『不都合であり、不安定だからだ』

「それはこの世界において当然のことではないか?」

『そのとおり。ただでさえ不安定なこの世界に、新しいものを呼びこむことは、さらなる不安定を呼ぶのだ』

 新しいもの、と指示されることに居心地の悪さを感じた。この世にあってはならぬものと指し示されているのだ。

「かたいことを言わず、受け入れてはもらえないだろうか。この広い世界にたったの一人だ。

 それにあなたの目的も安定にあるようだ。こちらの目的もこの世界で確かなことを示すことだ。お互いに協力しあえるのではないだろうか」

 なにも無理に争う必要はない。どうにかならないかと考えた結果だった。

『そうではない。私の目的は元の不安定さを保つことだ。それ以上もそれ以下も認めない。お前という狂った歯車のせいで連鎖的に崩れ始めている』

「何が崩れ始めている?」

『この世界がだ。崩壊に向けて今も進み続けているのだ。すべては彼女の独断と独善によって』

「では、それまではある種の安定があったと、少なくとも崩壊には向かっていなかったと、そう言うのか」

『いびつな歯車はさらなるいびつを生む。だが、それは修正するためのいびつだ。お前のような逆回転を始める歯車は見たことがない』

「単語殺し捜査官は何もとがめなかった。同じ安定装置だとしても、相反するならばどちらかがおかしいのではないか」

『あれは減ることを抑えるために働いている。最低限の安全装置だ。私と相反することはない。

 それにあれは生かす判断はせず、消す判断しかしない。あれに生かされたからと言って存在を認められたと思い上がらないことだ』

 いやな予感がした。

 それでも確かめずにはいられない。

「ならば俺を殺せばあなたは単語殺しと判断されるのではないか」

『私は唯一で、代用が効かない。そして、私は捜査官に対しての上位種だ』

「あなたの代わりならそこの金色に頼めばいい。新しいものが来るたびに殺す単純反射なんか誰でもできて当然だ」

『存在が唯一なのだ。仕事の代用ではない』

「ならば、殺すたびに殺すための複製がつくられ続けるだけではないか。そんな取り締まり、なんの意味がある?」

『それは私の知るところではない。捜査官に対する上位種であるというだけでその実態まで把握しているわけではないのだ』

「力をつかって圧し潰すだけがあんたの仕事なのか」

『そのようなつもりはない。身動ぎひとつで潰れるもののことなど、意識にも入らないのだ』

「俺が話せているのはなぜだ」

『お前が呼び起こしたからだ。イジン質でも使わなければこのような問答に付き合わされることもなかった』

 イジン質とはなんだ。相手をこの場に縛り付けるだけの力をもった何かは、その役割を自分から説明したりはしない。独特の臭気で存在を示すだけだ。ならば自分で考えなければならない。

 牙と爪だけになった未来人が姿を表したのはイジン室だった。そして途方も無いほど巨大な存在である狩人も、イジン室では問答に付き合う。共通するのは姿が明確になるということ。この世界においてまったく真逆の現象を引き起こす力はなんなのか。

 存在感を感じるとあの声は言った。未来人の通行手段にイジン質を使うことができるとも言った。存在感を発する力の正体。

 引かれた二本の線が交差してその中央が赤く染まる。そこが重要な点だと主張してやまない。

 存在池に落とされ溺れる巨人を幻視して結論を出す。

「今まで付きあわせて悪かった。もう終わりだ」

 そう告げて、確かな鍵を扉にかけて部屋を閉める。

「溺死するのを待つまでもない。探しものがあるんだ」

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