三話・図書館塔での幕間


 俺は、リタさんと双子が喋っているその脇をとぼとぼ歩いていた。


 なんでも図書館塔の入り口は、正面玄関から真っ直ぐに進んだ所にあるらしい。

 俺はどこか手持ち無沙汰でちらりと隣を見上げると、三人の話題は先ほどとは変わってなぜか日本の折り紙についてになっていた。


 俺にとっては、異世界人の彼らが日本を知ってることに驚きだ。


 黙ってその話を聞いていると、なんでも双子が最近はまっていて練習し始めたはいいが、なかなか上手に折れないのだとか。


「「じょーずになったら、リタにあげるねー」」


「楽しみに待ってる」


 リタさんは相好を崩すと二人の頭を軽く撫でた。なんか、父親と娘みてぇ。


「「だから、こんどあそんでね!」」


「いいとも。何が良い?」


「「くみてー」」


「それは、遊びじゃ、ない!!」


 俺が我慢しきれなくて口を開いたことには一切触れず、双子はほけーっとした顔で俺に話しかけてきた。


「「んぅ? ユーシもくみてするのー?」」


「しないから……」


「「おねーちゃんはつよいよー、かたなふりまわすよー」」


 切るんじゃなくて振り回すの?でも小さい子を斬りつけるのはダメだよな。

 いや大人相手でもダメなんだけどさ。


(え? ちょっと待って)


 ……今、何か不可解な単語が通ったような。




?」




 俺がぽつりと呟くと、双子は首をひねりリタさんは何かを察した顔になった。


「ユーシ殿……」


「……はい」


 俺が頬を引きつらせながら横を向くと、リタさんはちょっと泣きそうな顔で息を吸った。


「……私はこう見えて女なんだ」






「ごめんなさい。勘違いしてました」


「いや、自己紹介の際に性別を言わなかった私の不手際だ。ユーシ殿もあまり気にしなくて良い。魔界に来た客はみんなはじめは間違えるんだ……過去には告白してきた女性もいたことだしな」


 気にしてる……絶対気にしている。

 背後に何か黒いもやが見える。

 でもみんな間違えたんだな。確かに男顔負けの筋肉美だし、中性的な口調だったしめっちゃイケメンだし。はい、本当にすみません。


 こういうのを固定概念とか偏見って言うのか……気をつけよう。


「「ユーシ——」」


 場の雰囲気なんぞは気にせずに、双子が俺とリタさんの間に割り込んできた。


「おう……どうした」


「「やぐるまぎく、の折り方知ってる?」」


「初心者向けとは思えないやつだな。昔折ったから、一応」


 折り紙は俺の数少ない趣味であり、特技だ。多分だけど、俺は一介の高校生にしては上手い方じゃないかと思う。指先の感覚で折れるから、視力が関係無い遊びだったせいもあるけど。


 それでも矢車菊は結構難しいんだよな。いや、難しいというよりは手間取るといった方が正しいか。


「俺が……教えようか?」


「「まじでかー!」」


 俺がそう言えば、双子は嬉しそうに手をつないで二人でぐるぐる回り出した……こいつらいつも楽しそうだな。


「ユーシ殿、ありがとう」


「え? あぁ、いや案内してもらってるんで、その礼です。その……本当にごめんなさい」


「もういいさ。気にし続けても仕方がない」


 双子はかなり適当な案内だったけど。それにかなり衝撃的な登場をされたのが、まだちょっとトラウマなのだけれど。

 それでも助けてもらったことに変わりはない。あのテンションに励まされたって面もある。


 ……何で、彼らが罪人なんだろう。



「アン達の仲間として私個人が礼を言いたかったんだ。久々に年の近い話し相手が出来て、二人とも……特にアンの方が嬉しそうにしているから」


「えっと……どっち?」


 リタさんの言う「アン」の発音はほぼ一緒で、いまいち違いが分からない。双子は自分達の名前は一緒と言っていたけれど何か違うのか?


 嬉しそうにしている方ということは、テンションの高い笑い声が大きい子のことだろう。


 目が閉じられてオッドアイの配色が見えないと、さっぱり双子の区別がつかない。まあ俺はどっちが姉でどっちが妹かなんて知らないから、区別も何も無いけれど。






 その後11、2分ぐらい歩いて行ったところで、最初の玄関よりは小ぶりの黒い扉が見えて来た。


「へぇ、図書館の扉は黒なのか」


「この城の内部には基本白、金、薄茶が使われている。この場所を目立たせるために白の対照色を使っているんだよ」


 確かに、鉄やペンキの黒とは違い深みのある色の木造のそれは、明るい色ばかりの周りと比べるとはっきりして見える。魔法使いは調度品に気を使っているようだった。当然城内の色合いにも気を配っているのだろう。


 ……ここにいる人に聞けば、俺の理由が分かるのか。


「「ユーシ、はいろー! はいろ——!」」


 俺は双子にせっつかれながら、その黒く重い扉を両手で押した。




 

 球状の天窓から太陽光が差し込んで来ていた。

 その様子を見上げていると、双子が図書館「塔」と呼んでいた理由が分かる。壁一面が本棚な上に、壁が何階建ての建物か分からないほど高い。さらに床にも溢れた本が積まれている。


 上空では、何冊かの本が飛び回って自主的に位置を変えていた。その様子は鳥が自身の巣に戻る動きに 酷似こくじしている。



 俺がその光景に度肝を抜かれていると、きぃきぃ鳴る歯車の音とともに、木製の車椅子に乗った人がカウンターらしきスペースから出て来た。


 彼がいたカウンターの上には短めの刃物と下敷き、使い古されたタイプライターや判子が置かれている。この距離からではタイプライターが青緑色だということしか分からない。


 だが、どれも長年使っている物だと感じられる。


「君がザラが言ってたお客かなぁ?」


 車椅子に乗っている男性は、赤っぽい茶の髪とベージュ色の目で、少し長い髪を後ろで一つにまとめている。目つきが少し鋭い人だが、別に睨まれていると言う感じはしない。

 俺とは違い純粋に目の形のせいでそう見えるだけなようだ。


(ザラって魔法使いの名前なのかな?)


「名前は聞いてるよぉ、ユーシくん。僕は図書館長のクリスティアンっていうんだ、よろしくね」


「よろしく……っです」


 彼から笑顔で握手を求められたのでそれに答えようとすると、俺の後ろから双子の驚いた声が聞こえた。

 急いで振り返ると二人とも笑ったまま目だけで唖然としている。


「「クリスじゃなくて、クリスティアンだったの——!?」」


「んー、みんなが勝手に僕のあだ名を本名と勘違いしてるだけかなぁ。あ、ユーシくんも僕のことはクリスでいいからね?」


「はあ、了解です」


 どうやらかなりお喋りな人らしい。双子と話していたと思えば、もうリタさんと話している。しかしそんな中、クリスさんは何か思い出したようにカウンターの真後ろにある本棚に向かって呼びかけた。


「ユナ~、休憩中にごめんね。お客さんにお茶出してぇ」


 間延びした声のすぐ後に、革表紙の本が一冊棚からするりと抜け落ちた。興味津々で見つめると、その本は空中でパラパラパラパラページがめくれていく。

 じっくり見ていると、所々に写真が貼付けてあるようだ。小説本というか、写真集みたいなのかもしれない。


 その、ユナと呼ばれた本が半分くらいまで開くと、紙のページから赤茶色の湯のみがゆっくりと浮き出て来た。

 浮き出てきたというか……裂けた隙間から出てきた感じ。そして肝心の湯のみの中身は。


「———緑茶?」


「ユーシ殿。多分つっこみ所はそこじゃない」


「最近これにこってるんだぁ、飲んで飲んで〜」


 クリスさんは自身のであろう黒色の湯のみを同じようにその本から受け取り、双子にはあめ玉を渡している。


 ……あれ?

 リタさんは何もいらないのか?



 俺は斜め前にいる彼女を見たが、依然と背筋を正し凛とした態度で立っているだけだった。時折クリスさんの発言に相槌あいづちを打っている。


 お茶をくれた本、いや魔導書と言うべきなのか。幸いにしてそれが目の前にあるので、ありがたく観察させてもらう。金色の装飾がついているその本の表題には『プラン・オブ・ユートピア』と書かれていた。カタカナに見えるのは俺が読めるようにだろうか。


 ……でも何で日本語訳じゃないんだ?


(表題の文字が大きくてよかった……)


 今は閉じて空中に静止しているそれに向かってクリスさんが話しかけている。


「ありがとぉユナ。面倒くさがらないで君もちゃんと挨拶して?」


 ……挨拶って何を言うんだよ。そもそも魔導書とは言え本から音声は出ないんじゃないのか?


 俺が熱い緑茶に苦戦しながらもクリスさんへ視線を送っている中、彼はおもむろにその本の一番最後のページを開いてそこに貼られている写真に触れた。

 俺の位置と俺の目ではその写真が何を写しているかまでは見えなかった。


 だけれど。本のページがめくれ始めると、水面へ向けて気泡が迫り上がってくるような……そんな音が館内に響いていく。


 先ほど湯のみが出て来たのと同じように、本の両開きになったページから一人の女性が姿を現す。けれども、あくまでも現れているのは上半身だけで腰から下は本のままだ。服装はフリルやレースがたくさん使われたドレスだが、全部が真っ黒でその上黒いベールを顔に垂らしている。


 その人のアシンメトリーな髪型を見ながら、俺は改めて世界の違いを確認させられたことを実感していた。


(そうだ。ここでは俺の常識なんか通じないんだった)


 それにしても、あの女性を住民の数に入れていいとしたら、魔界の住人の女性率が高すぎない? おかしくない?

 俺が今のところ会った女性はヘルと双子とドール、それに魔法使いとリタさんの6人なのに。それに対して男性はクリスさんが初めてだぞ。


 かなり精神的に来るものがあるこの状況下で、同性がまったく居ないというのは余計に心細くなる。これから先会う中に居るのかすらも分からないし……。

 俺がそのことを憂いて小さくため息を零すと、コホンと咳払いが聞こえてきた。そして半透明のベールを揺らしながらその女性は話し始めた。


「名乗るのが遅くなりましたわね、わたくしは『プラン・オブ・ユートピア』、利用者の皆様からはユナと呼ばれてますの。この図書館の副館長にして、クリスのガキと契約している魔導書ですわ。どうか館内ではお静かに。……もう休憩中に呼び出さないことねクソガキ」


「ごめんてば。いいかげんガキ呼びよしてよぉ」


 そう言うが早いや魔導書——ユナは、クリスさんの抗議を無視しながら一つあくびを漏らし、その姿を消し始めた。


 しばらくすると本はぱたりと閉じて本棚へ戻ってしまった。




「……んー、機嫌悪いねぇ。僕のせいだけど」


 いや、俺はクリスさんはそこまで悪くないと思います。確かに休憩中に呼び出しちゃったけど。

 逆にあそこまで暴言吐かれてその言葉が言えるのはなんでですか。






「理由を見つけなさい、か。ザラもまた難しい課題を出して来たねぇ。人は自分のことほどよく分かっていないもんなのに」


 双子にねだられた絵本を探しながら、クリスさんは俺の頼みに対してそう返した。


「んー、どうしようかなぁ」


 彼はそう首をかしげ呟いていて、てっきりすぐに答えを教えてもらえると思っていた俺は少し拍子抜けしてしまう。

 ただでさえ俺はなぜか緊張しており、会話が途絶えてできたこの沈黙に耐えれそうにない。なので、図書館塔に来てから気になっていたことを三つほど聞くことにした。


「ザラって魔法使いの名前、ですか?」


「ユーシくん敬語苦手だろう? 無理に使われた方が違和感あるから、僕には使わなくていいよ……ユナにはその方が良いけど。あっと、ザラのことだったね。確かにそれは彼女のことだよぉ。名前というかミドルネームだけど」


 ミドルネームといえば、欧米で名字と名前の間にあるやつ?

 そういやあれって何であるんだろう。先祖の名前を受け継いでるとか、英語の授業で説明された気がするけど、詳しい内容は覚えてない。


 けど、なんで魔界の……異世界の管理人がミドルネームを持ってるんだ?

 いや……今は置いておこう。


「じゃあ、なんでこの城と中にある木々だけなの」


「ああ……んー、この世界はザラが作ったって知ってるね?」


「はい。信じがたいけど」


「あはは。まあ、至極簡単な話でね。

ザラは緑と黒が混同しているのさ。緑が黒に見えるって言った方が良いかなぁ」


(色盲みたいなことか? そういえばマントも緑色だったな。本人は黒いマントのつもりってこと?)


「だからこの世界を作る時に『幹も葉っぱと同じ色』にしちゃったんだよねぇ。本人にとってはそれが『黒』だから。そうしたら、この城の材料になった巨木だけはこの世界の物じゃないからだったってこと」


「へえ……」


「ユーシくん反応がうっすぅいー。僕泣いちゃうよ?」


「「クリスうざいー」」


「アンひどくない!? 冗談だからねぇー!」


 今突然湧いてきた俺のちっぽけな勘だけども、先ほどの「なぜ」を問う相手はクリスさんではない気がする。


 ドールはそういったことは魔法使いが教えてくれるって言ってたけれど。

 結局一度目のお茶会では詳しい説明はしてもらえなかったんだっけ。


「「ユーシ~?」」


「お茶会、ね」


 そこにたどり着くまでに、少しでも多く情報を得なくては帰れるとは到底思えないな。





「クリスさん、最後に一つ二つ聞いていい?」


 敬語はいらないと言われたが、年上に何の敬称も付けずに話せるコミュニケーション能力は残念ながら俺には無い。

 別に最近人と話してないとかじゃないから。一昨日、英語の授業中当てられたばっかしだから。


「もちろんっ! 答えられないことは多分きっとおそらく無いんじゃないかなぁ?」


(自信あるのかないのかどっちだよ!!)


 クリスさんの歓迎ムードからそろそろと目線を外す。少し眩しすぎる。


「そこに寝ている人、誰っすか」


 俺が指で示した先では、黒い獣耳と尻尾がゆっくり揺れている。


 リタさんのように前髪をオールバックにしているその少年は、最初にクリスさんがいたカウンターにもたれ掛かって、腕を組みながら胡座をかいている。


 リタさんも双子も誰も気にしていないので、俺も無視していたが好奇心の限界が近づいていた。


 だってすごく自然に寝てるんだもの。

 これ聞いちゃダメなやつかなとか思うじゃん?



 しかし俺の予想とは違い、クリスさんはあっさり教えてくれた。


「ジルのことかい? 彼はユーシくんが会ったヘルちゃんの弟だよぉ」


「ヘルの弟?」


 ヘルにも兄弟がいるのか。まあ、狼が一人っ子っていうのも変な話だ。普通は四頭から六頭はいるとかテレビの動物番組で言ってたような気がする。

 なんか、俺の情報テレビからばっかだな。


 ……魔法使いが予め俺がヘルと双子に案内されたことを言っといてくれたんだよな。


(俺、ヘルに会ったこと言ってない、よな?)


「読書が好きでねぇ。鍛錬たんれんの後は必ずここに来るんだ」


 子どもなのに鍛錬なんかしてるのか。

 見た目がヘルより2、3歳年上に見えるのは体つきががっしりしているからだろうな。


「「ジルねんねー? いいなー、いいなー」」


「んー、眠そうなのに我慢してるからさぁ。せめてここで仮眠してきなって言ったんだよ」


 なるほど、それでか。でも仮眠にしては完璧に熟睡しているぞ。

 体がピクリとも動かなくてこっちが不安になってくる。


 なんなの? 図書館で眠るの流行ってるの?


(そろそろ起こした方が良いんじゃね)


「ねー、そうしようかぁ」


 クリスさんはそう言ってジルに近づくと、ぐりぐりと彼のこめかみを指で押し始めた。



 ……あれ?


 (俺、今声に出してた?)






「……んぅ……止めろ……アホ」


「おはよ。ほらー、久々のお客さんだよぉ」


 最終的にぐっらぐっらと揺さぶられて起こされたジルは、クリスさんにそう言われるとしかめっ面で俺のことを見上げて来た。

 起きてすぐの寝ぼけ眼だというのに、鋭い彼の眼光に俺は少し後ずさってしまう。すぐに逸らされたとはいえどもかなり印象に残る。


 琥珀色の狼の目に少し怯えていると彼が急に首をコキリと鳴らした。


「あんた、ヘル」


「え? ここには居ないはずだけど……」


「の匂いがする」


 ああ、そういえば俺が今着ている服はヘルが干してくれた奴だった。それでは確かに匂いも移るだろう。俺はやっぱりイヌ科は嗅覚が鋭いと思いながら、猛犬に近づくようにおそるおそる離した距離を詰めた。


「ヘルが言ってた客か」


「……あぁ、香山友志だ」


「カヤマ、覚えとく」


 俺はここで初めて名字で呼ばれたことに思わず感激してしまった。


(なんでか知らないけど、これまで会った全員が俺のことを下の名前で呼んでくるんだよな)


 もしかしたら魔界には個々の名字が存在しないのか、あるいは言うべきではないという決まりでもあるのかもしれない。もしあるなら、ヘルとジルは同じ名字を名乗ってくるはずだ。

 こっちはフルネームを教えているのだから。


「クリス、本」


「見つけてあるよぉ、今日はこの子だけ?」


「ン」


 クリスさんの「子」という表現から、彼にとって書物が人と同等であるのだと伝わって来る。

 俺を完全に無視しながら、ジルはクリスさんから一冊の文庫本を受け取って満足そうに微笑んでいる。


 俺の立ち位置からは表紙がぼやけていてどんな本かは分からなかったので、少し残念な気持ちに浸っていると、クリスさんが突然ため息をついた。


「本当好きだよねぇ『クラバート』」


「ほっとけ」


「え? ホットケーキ食べたいの?」


「……握りつぶしてやろうか」


「んー、こわいこわぃ」


 絶対怖がってないじゃん! 何で、部外者の俺の方がビクビクするんだろう……。

 あとなんで双子とリタさんは微笑ましい目で見守ってんの。全くそういう場面には見えないんだけど。


 ジルに睨まれながらも、クリスさんは一切気にせず彼の頭を撫でていた。が、小さくだけど大げさに溜息を漏らして見せた。


「何度も読み返したいと思えるのは素敵なことだけどさ、やっぱり館長としては他の子たちも構ってあげて欲しいなぁ……」


 クリスさんがしょぼんと縮こまってしまったところに、双子があめ玉で頬を膨らませて近づいて来た。二人はついさっきまで夢中になっていた絵本をほっぽり出して来たようだ。

 いやせめて本棚に仕舞おうぜ。俺は絵本を持ち上げて先ほどクリスさんが足りだした場所へ戻した。


『グリム童話』って絵本版もあるんだな、はじめて知ったわ。


「「クリふがすすめればいーふぁん」」


 双子はそれだけ言うと満足したらしく、揃ってリタさんに抱きついた。そしてリタさんもそんな双子の頭を撫でながら賛同するように頷いている。


「ジルはいつもクリス殿に勧められた書籍は、文句を言っても必ず読んでいるしね」


「はあっ!?」


 ジルは知られていたと思っていなかったのか、耳まで一気に赤らめた上、尻尾をわなわなと振るわせだした。


 しかしリタさんはその様子に一切気がついていないようで、ニコニコ笑いながら話を続ける。


「お父上との鍛錬の合間に開いているのをよく見かけるな。あ、あと図書館の外では時々クリス殿のことを昔みたく『クリスにーちゃん』と呼び間違えたり。ジルもヘルと同じく可愛らしいことだ」


 リタさんのすぐ隣にいた俺には、その後にとても小さな声で彼女が「……私に、その可愛げを分けて欲しい」と言うのが聞こえてしまった。

 俺みたいな男にとっては高身長でしっかりと筋肉がついていると言うのは羨ましい限りだ。でも、女性はそう言うわけにもいかないということか。難しい。


 けれど、俺に聞こえたのだから、ジルには絶対聞こえたはずだがそれどころでは無いようで余り気に留めてない。


 あー、もしかしたら聞き慣れているセリフなのかも。

 まあ確かに今はそれよりも気になることがあるだろうし。


「ジル、そんなふうに……」


「———ちっ。また来る」


 ……ジルは背後からのクリスさんの潤んだ視線に耐えきれなかったようで、器用なことに足音をたてずに図書館から出て行ってしまった。


「ジル、どうかしたんだろうか? 機嫌を悪くしたようだが」


「んー、さぁね? 後で勧める子誰にしようかな~ミステリーもいいな〜……でもジルが好きなの冒険ファンタジーだしねぇ」


 クリスさんは先ほどの涙目はどこ吹く風で、鼻歌を歌いながらジルに勧めるつもりらしい本の題名を呟きだした。

 その横ではリタさんが腕を組みながら、なぜジルが出て行ってしまったのか分からず、眉間にしわを寄せて悩んでいる。


「アン」


 俺が初めてまともに双子の名前を呼ぶと、二人は僅かに体を揺らして反応をした。


「リタさんって……」


「「ドてんふぇん、クリふはジうであそんでう……ガリッ」」


(遊んどんのかい)


 会ってすぐなのに、その人の見てはいけない一面を知る気分はやっぱり決して良いものじゃない。


 けれど今はそのことに気を取られてはいられないんだ。


「クリスさん」


「んー? なんだい。お手洗いなら僕の左手奥だよぉ」


「すんません。お借りします」


(だから! なんで伝わっちゃうんだよ!! 助かったけどさ……)






 それはそうと、やっぱりジルにとってはクリスさんが兄貴分にあたるのか。

魔界には俺が見て来た限り、男性が少ないことで、自然と兄弟みたく育ったんだろう。


 多分、ここの住民達が家族や仲間のような距離感で接し合っている証拠だ。

 人数が少ないから余計強固に団結する必要があったのかも知れない。


 そういえば……「にーちゃん」ね。


 俺はいつから兄貴呼びに変わったんだっけ。




『にーちゃん! クローバーできた!』


 昔、といっても小学生の頃は、友人がいなかった俺は兄に一緒に家で遊んでもらっていた。一枚の紙を色んな形に変えてしまう折り紙は、俺にとって魔法のように感じていて、主にそればかりだったけど。


『友志すごいな。もう折れたのか……兄ちゃんまだできねぇよ……』


 兄は俺に比べて手の指ががっしりしていて、そのせいか細かい作業が苦手だった。

 だから、兄にはきっとちまちまと丁寧に折っていくあの作業は苦行だったと思う。


『へへ。にーちゃんあげる!』


『お、あんがとな。お守りにするよ』


 四葉のクローバーの折り紙は、実はメッセージを書いて隠せる部分がある、確か、俺も汚い字で懸命に書いたはずだ。


 ……そんな会話を交わしてた時もあった、もう、彼の笑顔は朧げになってしまったけど。兄は今でも、あの時渡した四葉のクローバーの折り紙を持っているのか。メッセージには気づいただろうか。


 いや、どうでもいいことだ、これは。



『あしたもにーちゃんといっしょにあそべますように』


 なんて、七夕の短冊と混同してたし。





「あ、ユーシくんー、手ぇ出してー」


 俺が少しばかり沈んでいると、カウンターの向かい側で本を選んでいたはずのクリスさんが、車椅子をゆっくり回転させて近寄って来た。


「手? なんで」


「さっき握手しようとしたけど、結局できなかったろぅ?」


 そっか。さっきはクリスさんが双子の疑問に答えるのに意識を取られて、結局握手はしなかったんだった。

 俺が納得して右手を差し出せば、すぐにクリスさんの白い手に触れた。


(いくら図書館の中に一日中居るからって、こんなに日に焼けないもんか?


 ふと俺が顔を上げると、べージュ色だったはずの彼の瞳が、金色へと変化して鈍く光っていた。薄暗くなった図書館の中でそれは一等不気味に思えた。


 しかもなぜか、双子もリタさんも真剣な顔でこちらを見てくる。

 ……双子は笑顔だけど。


「ユーシくん」


 態度も表情も今まで見て来たものと違いすぎて、俺はクリスさんの呼びかけにすぐには反応出来なかった。黙っている俺に薄く微笑みかけながら彼は発言を続ける。


「僕は、君の理由を知ってるよ……って、元からそれが目的だったね。久々のお客ではしゃいじゃった」


「なっ」


 俺は驚きのあまり、彼の顔を真正面から見つめるが、目の色はもう戻っていた。 

 だけれども、その身がまとう緊張感はちっとも消えてない。


(それでも、ここで止まるわけにはいかないんだ)


「教えて下さい!」


「まぁまぁ、落ち着いてよぉ」


 口調もすっかり間延びしたものに戻った彼は俺に緑茶を再び勧めてくる。俺がそれを渋々飲み干すのを見届けると、彼は顔からあっさり笑みを消した。


「僕が君に教えるのは簡単。でもね、これは君が気がつかなきゃ意味をなさない。

人から押し付けられる『自分の』理由なんて、受け取りはしても、結局は受け入れられないだろう?」


 あまりに正論で、俺はむかつきをおぼえるが正直何も言えない。その現象は人生経験の短い俺でもあったからだ。

 湯のみを両手で握ったままぶすっとしていると、クリスさんはまた口を開いた。

 俺に向かって人差し指を突き出して。


「た・だ・し。せっかく来館してくれたからねぇ、ひとつぐらいはヒントをあげるよ」


「ヒント?」


 俺がその言葉にほんの少しの希望を見いだしていると、クリスさんはいきなり俺の手を引いて再度握手をした。


 そして、俺にしか聞こえないぐらいの声量で言う、



「手始めに 棺を叩いておいで。いくらでも迷えばいいさ————この物語の結末おしまいは逃げたりなんかしない」





 俺がほうけて立ちすくんでいる中、図書館塔の入り口からサンダルの音がした。思わず振り返ってみると見覚えのある黒い尻尾がぶんぶん揺れている。


「……ちゃんと来るんだ」


「んー、ジルは僕の狼だしねぇ」


「ああ。弟分ですもんね」


「え? そうなの?」


「え? 違うの?」


「え?」


「へ?」




「……「あれ?」」


 ……やっぱり今まで会った中でこの人のことが一番よく分からない。






※この作品はフィクションです。

犯罪行為または犯罪につながる行為を容認及び推奨するものではありません。

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