二話・魔法使いのお茶会へ
俺はまさに今、薄暗く不気味な森をいたって平常心で歩いているところだ。
もしもそう言えたならば、俺がとても冷静沈着な人物に聞こえるんじゃああるまいかと思うのだけれど。
残念なことに、現実には俺は生粋の都会っ子。
整備されていない道に一切慣れていないわけで。
自分を客観視して見てみると何回もそこらの木の根っこやら小石やらに
木の葉の影のせいか真昼だというのに周囲は夕方、へたすると夜中と同じぐらいに薄暗くて、そろりそろりとでなければ怖くて歩けない……そんな男としてはなんともかっこ悪い状況である。
へっぴり腰の俺を気にも止めずに、少女達は目印らしきものを探す素振りも一切合切無しに森の道をずんずんと進んで行く。
つい先ほどそのことが妙に気にかかり、《魔法使いの城》に何か目印は無いのかと聞いてみたのだが、
「「「きそーほんの——」」です……」
と、返って来たのでここは大人しく従うことにした。
なんでも、彼らの言う《城》は近づかないとその姿が分からないように成っているらしい。成っていると言えばいいのか、造られていると言えばいいのか。
そのまた理由を尋ねたところ。分かったことが二つほど。
この世界は住人から魔界と呼ばれていて、ここにはいくつかの
そこから別の複数ある異世界に生息している有害な生き物——つまりは魔界の住人を傷つけようとする敵が侵入して来ることがあるのだとか。
それらに対し準備する時間を少しでも長く稼ぐため、十人全員の住処に魔法使いが目くらましの魔法をかけた……らしい。
つまりは、住人は帰巣本能(仮)で無事帰り着けるが、それ以外の生き物はそもそも把握すらできないという厳重なシャッターだな。
(というか……魔法使いはその皹直せねぇの?)
そんな俺の素朴で純粋な疑問もやがて周りの歌にかき消された。
しばらくして森の木々が減り出した頃。
俺は双子が腰に抱きついて来た衝撃でようやく自分がずっと黙りこくってしまっていたことに気がついた。どんだけ黙々と歩いていたのだろうか。いい加減着くんじゃないか?
「「もうすぐだよ——」」
「分かった……あっ、そうだ」
「「どした。はらかー? といれかー? ここにはないぞ——」」
いや、君らはどうしてそこで俺の腹を心配するんだよ。どうせなら君等が思いっきり飛びついてグキッって言った俺の腰を案じてやってくれないかな。
俺まだぴっちぴちの高校生だから。この年で腰痛持ちには成りたくないから。
「いや、ヘルにはもう聞いたけど、君等には名前聞いてねぇなと思って」
「「いったよー? アンって」」
「えっと? 何?」
双子はまったく同じ音声を同時に発して、そのまま口角を上げ誇らしげににひひ〜と笑っている。
「「アンがなまえなんだよ〜。いっしょなのー! いいでそー!」」
双子は名前も一緒ってか、そんな習慣俺始めて聞きましたよ。ここじゃそういう決まりごとでもあるのだろうか。双子とは言え別人なのだから普通名前も変えるものだと思うのだけれど。
俺の常識は持ち込んじゃダメってことですか。そうですか。
一旦歩くのを止めて回り始めた双子を見ていると、おずおずと控えめに袖を引く手があった。
「……お、お二方だけです」
「俺、今声に出してた?」
だとしたら大問題だ。教室に居る時に頭の中で考えていたことを言った可能性が生じてしまう。次折る折り紙の形とか考えてるのに……。
「いえ、今までのお客さまが……みなさん気にしていらしたので」
「ああ〜、なるほどな」
どうやらヘルは今までの来訪者がそろって気になったことだから、またしても黙っていた俺が同じように、双子の同名を気にしたのだろうと判断したらしい。
今更だけど、ざっくりと言ってしまえばその人達は俺の先輩な訳だ。双子曰くその人達は無事帰れてきているようだから、俺も帰れるはずだきっと。
双子の言う無事が一体どのレベルなのかはあえて追求しない。俺の心が折れる。
(とにかく帰らねぇと。できるだけ早く)
案内人も来て安心したはずの俺の頭の中は、なぜかいまだにモヤモヤする淀んだ何かで埋まっていた。
そんな俺が転んだ石の数えるのを諦めた頃にようやく彼らの足は止まった。
「ついたのか?」
「……はい。一回、瞬きをしてみて下さい……」
「お、おぉ。分かった」
額に汗一つかいていないヘルに言われた通り素直に俺はゆっくり目を閉じてみる。
どのくらいの早さで開けばいいのか分からず、俺はじわじわと瞼を震わせながら日曜日の朝のけだるさを思い出していた。
そうすると、俺の視界には先ほどまで無かった巨大な影に気がつかされて、俺はぽかんと口を開いて固まってしまった。
俺が立っているそこに、今まで見た中では一番誇らしげな表情をした双子が腰にぶつかって来る。君等人の腰に飛びつくの好きね。
「「ど——だ。ママのおしろすごいだろ!」」
「なんつーか。立派なお城だな」
まこと残念なことに、言語センス及び建築系の知識皆無である一男子高校生の俺にはそんな感想しか口に出来なかった。
だが、見る人が見ればたいそう長い文章を羅列することだろう。それぐらいには立派な建物だ。前述のようなステータスの俺でも感動させられるぐらいに。
いや、これはどちらかと言えば彫刻と言う方がしっくりくるかもしれない。城は濃い茶色の大木を削って建築されたようで、木の根っこの形はそのままに残されている……ように見える。形的に。
なんとなく、教室の本棚の隅に置いてある『ヨーロッパの古城』という本を思い出した。
そこに載っていた城と同じように壮大で、真上を見上げてなくては全体像が見えない。じょじょに首が痛くなってきた……。
まあ全体像を見たって結局ぼやけてるんだけどさ。輪郭は分かるからフォルムぐらいは理解出来るし?
俺が目線を地面に移し首をまわすと真後ろに居たヘルが話しかけて来た。
「あの、ボクはこれで……」
「何か用事があったのか?」
そうだとしたら手間をかけさせてしまっただろう、すっごくお世話になったのにもうしわけない。
ヘルはそんな俺の思いを知ってか知らずか、自分の右腕に巻かれた包帯を落ち着き無く撫でながら理由をきちんと教えてくれた。
「え、と……母さんに帰って来たことを言わないと……心配しちゃう」
「あーと、そうだよな……そうだ!!」
急に思いついて、俺はズボンのポケットから小さな鈴がついたブレスレットを取り出した。買ってみたけれど付けれてないし。アクセサリーはやっぱり女の子が持っていた方が良いだろう。
「礼になるか分かんないけど。連れて来てくれてありがとう、ヘル」
頑張って少し口角を上げてみたが、果たしてちゃんと笑えているだろうか。感謝を素直に伝えるのはやっぱり難しい。
俺はそのひくついた笑いを保つのが精一杯で、その前でヘルが驚いた顔をして俯いたことには気がつかなかった。
「……ボクは……何も」
ぽつりぽつりと呟かれた声は、出会った時と同じぐらいかそれ以上に小さくなってしまっている。
今度は片目に巻かれている包帯を引っ掻くように撫でると静かにその場から歩き出した。ヘルは一度だけこちらを振り向いたが、蜂蜜色のその目に俺は移っていなかった。
「また後で……」
「おぉ、後でな」
俺にとってこの世界で後があるのかは分からないが、魔法使いにすぐ会えるだなんて都合のいいことは考えていない。下手したら門前払いだろうし。
俺はしばらくヘルの小さな後ろ姿を見ていたが、双子に急かされて足早に城の門を目指す。
そんな俺の背に向かって何か固まりが当たった。
そんな気がしたが振り向く暇もなく門をくぐってしまった。
「彼の、役に立てた。弱くて泣き虫で、意気地無しのボクでも。ちゃんと恩返しが出来た。
……でもまだ足らない。
彼はボクのことを覚えてない。
だけど、彼は——恩人だ。
人は怖い、憎い、嫌い。
だけど、彼は——助けてくれた。
……こんなボクでもあなたを助けられるなら、忠義を尽くして
(次ヘルに会えたら、またお礼を言おう)
魔法使いの城の廊下は思いのほか狭かった。一個一個の部屋が大きい所為らしい。けれど、狭いとは言っても俺と双子の三人が普通に横並びで歩ける余裕がある。
俺は城と言われているだけあって、てっきり通路も部屋も馬鹿でかいものしかないと思っていたが。どうやら一概にそうではないようだ。
それ以上に俺が驚いていることは、先ほど双子がやけに重厚な白い正門を通ったすぐ先の正面の道を無視して脇の階段を上り出したことだ。
"魔法使い"の城と呼ばれているぐらいなのだから、魔法使いって呼ばれる王様的存在が大広間に居たりするもんじゃないの?とか思ってた所為もある。
(人が住むアパートみたいなもんなら、これぐらいがちょうどいいのか)
それにしては外見がでかすぎるがな。絶対どこかの部屋は使われずに物置になっていると思うぞ。うちにあるガレージとかがまさにそうだ。だって車無いし。
「「もうすぐーかも——?」」
"かも"ってなんだよ。不安要素をこれ以上増やさないでくれ。ただでさえ俺の普段使われない脳みそが限界に達してるんだから。
「魔法使いって人の部屋に向かってるのか?」
「「ううん、ママはこのじかんはテラスにいるの。おちゃかいしてるんだ——。ひとりで」」
テラスということはきっと壁面の出っ張りみたいな部分があるんだな。
そういう場所って日当りの良さそうだし、俺なら多分ごろんと寝転がって昼寝をしだすな、絶対。学校の机よりも格段に眠りやすそうだ。
てか一人でって寂しいなおい。
想像の世界に入ってぼんやりしていると、俺の両脇を歩いていた双子がぴったり揃っていた足音を止めた。
俺達の正面は廊下の行き止まりで周りに部屋は見当たらない、不信に思い二人の顔を見ると、彼女達はそのそっくりな顔でニコニコと笑い続けているだけだ。
あと、今改めて気がついたことだが、当たり前だとは思っていたがそっくりな双子とは言えやはり別人だと分かる。
今だって、一人は口を大きく開けて笑っているが、その片割れは口を閉じて微笑んでいる。意外と性格が正反対だったりするのかも。
一緒に暮らしている一卵性双生児の方が性格が異なりやすいってどこかで聞いたような……いや聞かなかったような。
それはそれとしても、この二人の雰囲気はやはり似て非なるものとしか表現できない。ちゃんと別人なんだ。
なのに、もしかしてこの二人は同一人物なのではないかという、俺の馬鹿げた考えが浮かんでくる。
この二人を見ていると、双子というよりもどこかこう何と言うか……
……二面性のある人の、その二つの人格を同時に見せられているような気分になる。
そのことにどこか腑に落ちないまま、俺は双子の見ているのに倣って正面の壁を見つめた。近づいて観察してみると壁の中央付近にナイフなどの刃物で「T」と雑に彫られている。
何かの頭文字なのだろうかと俺が考えている間に、双子はまたしても同時に息を深く深く吸い込んだ。
「「も・んば・んちょ——、ユーシつれてきた———!!」」
「いや急に名前言っても分かんねえだろ……」
俺は思わず二人に突っ込んでしまう。この二人が現れてからずっとハリセンをフルスイングしている気分なんだが。
とにもかくにも、呆れ半分緊張半分で門番長とか呼ばれた人の返事を待つとしよう。もう初対面の人に双子の登場時のような俺のヘタレ成分は見せたくない。下手に気を抜けないな。
軽く深呼吸をしてから再び壁を見やると、それ自体は先ほどと何も変わらない乳白色の固そうな壁である。
しかし明らかに変化したのは——天井がいきなり透明に透けていたことだ。
けれど上の階が透けて見えるわけじゃなくて、水族館にあったアーチ型の水槽に似ている。魚が泳いでいるわけじゃあないけれど。
唾を飲んで見上げる間で、俺はそこに円形の波が広がったことを気がついた。
が。反応するのがちょっと遅かったらしい。
天井の波から俺の目の前にカーキ色の
十数秒だろうか、俺はその出没者だけに注目していたが、彼女の後ろにあったはずの壁が消えて鎖の巻き付いた大きな両開きの扉になっていることに驚かされた。
鎖は灰と銀色が混ざったような
ここで再び間抜け面を
双子はそんな俺を放り出して、外套を着た少女に向かって抱きつきに行く。
「「門番長! ただーまー」」
両側から挟んでいるようにしか見えないが、門番長は無表情を崩さないまま双子の頭を撫でた。
「お帰りなさい。次は自分の役割を無言で投げ出さないで下さい」
「「 ヤ——!!」」
(何語だよその返事、翻訳されないんだけど。つか仕事サボったこと叱んねぇの?)
俺が聞いた上でなのだが、門番長の声は抑揚が無くいかにも棒読みというものに感じた。そのためか見た目から察せる年齢の少女らしさは皆無なように思える。
彼女の背中には背丈と同じ長さの黒い大剣があり、肩等に触れる部分のみ布を巻いてあるだけで
「カヤマユーシさん」
「あっ、ふぁい」
……めっちゃ噛んじまった。ファーストコンタクトだというのに。噛んじまった。
おいこら、双子よプルプル震えるんじゃない。いっそ大笑いされた方が楽だから。
羞恥心から赤くなったであろう顔を覆う俺のことなど気にも留めず。門番長は細く長い三つ編みを揺らしながら、俺に向けて一礼して儀礼的な自己紹介を始めた。
その言葉が紡がれている中、彼女の右手はずっと心臓の位置に置かれていて、そのことがどこか中世の騎士を思わせる。ま、この人は男じゃなくて女性だけどな。
「私どもは魔界の城の門番長、ドールと申します。以後お見知り置きを」
「あ……こ、こちらこそ」
慌てて俺も返事を返すが、彼女にはもとから期待されていなかったようで、淡々とマニュアル通りの対応が続く。
「さて。ご足労願った側としては大変恐縮なのですが、魔法使いがこの先で首を長くしてお待ちしております。どうぞお急ぎ下さいませ」
とても一息に言い切れるとは思えない文章を口にして、門番長は背中に背負った大剣を抜いた。
どうやら、その剣は外套に隠された革のベルトに括り付けられているらしく、そこから抜く……というよりも位置をずらして放り投げた。
そして改めてその黒い刀身を日光のもとに
その振動と同時に「ガキンッッッ」と鈍い金属音が廊下に響き渡る。灰銀色の鎖は追撃を恐れるように霧散していってしまった。
なぜそう見えたかと言うと、まるで農薬が撒かれた畑から逃げ惑う芋虫みたいな動きだったからだ。
そんなことを気にしながら、俺は何度目なのか分からないある言葉をひそかに心の中で呟く。
(やっぱし。世界が違う)
門番長に押されて内側に開いた扉を、双子が俺の両脇からくぐって我先にと水を得た魚のように走り出した……お〜い案内人〜。
対象をほっぽり出さないでくれ——。
(不思議空間に不思議な人と二人ぼっちにしないでー)
まあ一々怒ってもしょうがない。俺は二人をすぐには追わず周りを見渡してみた。けれど周りには生い茂る木々しかないようだ。
(……あれ。ここの木は普通だ)
それに、さっきまで転びまくってた森に比べれば地面はかなり整備されてる気がする。テラスへ続く道だからだろうか。
俺がほんの少しばかり物思いに
「……カヤマさん。私どもはここで待機ですので案内出来ません。正面に真っ直ぐに歩いていって下さい。それがテラスへの一番の近道です」
「ああ。分かったよ」
登場時と一切変わらず棒読み対応を受けながら、今しがた思いついた事を実行に移してみた。
こんな状況でも不思議と好奇心は湧くものだ。
人間慣れ、か。
「あのさ、門番長は罪人って一体何のことなのか知ってるか?」
身長や口調からして双子やヘルよりも年上で、かつ魔法使いが——ここで一番偉い奴が使う部屋を守っているこの人物なら知っているだろう。多分だけど。
勿論、会ってすぐの人にいきなりを聞くような単語ではないし。相当失礼な行為だと分かった上でしている。
(でも……気になるんだもの)
俺がかなり緊張しながら門番長の目を見ると、予想外なことに、それは光も影も無くただこちらを見返していた。そのことが不気味に思える。
大剣をベルトに差し込み直して、彼女は限りなく白に近いクリーム色の指で唇をなぞる。どうやらそれが彼女の癖らしい。
「……では、カヤマさんの世界では罪人とは何を指しますか」
おっおう。まさかの質問に質問を被せてきたぞ。
まあ、そんな風にふざけていれる雰囲気でもないし。俺は大人しく首を傾げて考えてみた。
"罪人"という言葉はかなり縁遠いものという印象があるが、ニュースとかに出てきた犯罪者に対しても、あまり使おうとは思わない重たい何かがある。……気がする。
けれど聞かれているのは俺の世界での常識だ。あんまり自分の意見はいらないだろう。
「刑罰を受ける人、とか。かなぁ」
「なるほど、意味合いは一緒ですか」
門番長はまさに我意を得たりといった態度でうむうむ頷く。そしておもむろに、未だに波紋が広がる天井へ向けて
三、四回ほどの小気味良い乾いた音は、その天井からぬたりと泳ぐ何かを引き寄せた。
(いや待ってナニコノイキモノ)
その魚(?)は門番長の周りを
姿は生物室のウーパールーパーに見えなくも無い。けれどそれと違い足みたいな部分が無く、ひれのような物体が代わりについている。
あと、全長が明らかに2メートルを超してる。
なんなの? これが魔界の魚なの?
「可愛いでしょう?」
「は、はぁ……そっすね」
まあ、気持ち悪いわけじゃない。ただちょっとインパクトが強いだけだ。
「このこは肺魚と言います」
「———灰魚?」
(別に灰色には見えないけど)
「ええ。原始的な肺を有した魚で、本来は乾期になると泥の中で
灰、じゃなくて肺か!やっと追いつけたぜ……。
あと言わせて頂くと、お願いですからちょっと待って俺の脳みその情報整理が追いつきません。
生物の授業らしき話で固まりかけている俺を後目に、彼女は早速核心へと入った。
「このこ、ニセモノみたいでしょう?」
「え?どこが?」
思わず突っ込んでしまったが当人は一切気にしていない。どこか芝居がかった口調で話を続ける。
「生きているのに。生きることに必死なのに——まるで作り物のような。
誰かに決められた設計図で組み上がったような。そんな命に見えませんか?」
「作り物……?」
俺が相槌を打ったことで、話を聞いていると分かったのか彼女はまた唇をなぞった。
まるで、「今話しているのは私だよ」と宣言するように。忠告するように。
「でもこのこ達はホンモノなんです。何年も何年も繰り返し受け継いでいったことで、誰かの物だったはずの設計図を自分達の物へと変えてしまった……まさしく英雄です」
(英雄は言い過ぎじゃないのか……)
出会ってすぐの人の言葉なのに、俺自身はちょっとした引っかかりを覚え悩みながらも納得してしまう。そりゃあもうあっさりと。
ただし、脱線しすぎている気がする。俺が聞きたいのは生命の話じゃない。
「それ、罪人と関係ある?」
今聞きたいのはこの言葉の意味に過ぎない。
「勿論」
あ、脱線してなかった。まさかの前置きが長いだけだった。
彼女はもう一度柏手を打って肺魚を天井の向こう側へと送り返すと、俺のことをまたあの光も影も無い目で見てきた。
「彼らをホンモノと呼ぶならば
————我々罪人は
(……我ら?)
「あの、我らって——「罪人とは私どもや双子のことです」」
俺が聞こうとした声を遮って門番長は告白を重ねた。
その言葉を合図に改めて彼女を見るが、大人びた雰囲気の幼い少女にしか見えない。強いて言うなればやけに目が無感情なだけだ。
俺が理解しきれず頭を抱えたところに更に容赦無く追い打ちが来る。
「ここ魔界は、罪人のための檻なのです」
「檻って、閉じ込めているってことか……?」
緊張から声が裏返りそうになる。でも今は彼女から適切な距離を取るので精一杯だ。声なんか気にしてられるか。
「いいえ、違います。ああ、説明はやはり苦手です。会えれば魔法使いさんが説明して下さるでしょうし。一つ言えるとすれば、罪人は基本無害です——例外も居ますが、ね」
(その例外について詳しく教えて欲しかった!!)
「まあ、今回はこれくらいで。それでは道中お気をつけて」
一瞬の間で俺に近寄った門番長は、静かに俺を木立の道へと押して扉を閉めていく。
……力が、お強いですね。
俺の目の前で閉じていく扉の隙間から、揺れる柔らかな黒の三つ編みと、彼女の名前の通りである
俺は道を静々と歩きながら、先ほどまでの出来事を振り返っていた。
もし、門番長が言った通りにここ魔界が「罪人のための檻」なのだとしたら……だからこそ、この世界と無関係な人間は無傷で返す必要があるのかもしれない。
それこそが、今まで来た人々が誰一人として魔界に定住しなかったことに関係しているのだろうか。
そして無傷であることにも。
(やっぱり例外の罪人について教えて欲しかった、な)
ちゃくちゃくと増やされる様々な謎に戸惑いながらも、俺は言われた通り真っ直ぐに進んでいくことにした。
最初は狭かった木々の間も少しづつ開いていき、今や先ほどの廊下よりずっと幅ができている。
それでも、広い道を一人で歩いていくというのも空しいものだ。俺は歩き通しだったために痛みだした足を止めて道の端によった。すっかり上がった息を落ち着けるために、すごく久しぶりにゆったりと深呼吸をする。
本当にいつぶりだろう。
(こんなに。頭と体が動いているのは)
進行方向へ視線を向けるとそこは薮になっていた。
どうやら、この先からはこの草木の間をかいくぐって進まなくてはいけないようだ。
この先に魔法使いが居るのかね——とかぼんやり考えながら茂みを眺めていると、
俺の目に一人の人影が映った。
——俺の。
——俺の好きだった薄茶色の髪は、脱色されてすっかり傷んでいる。
優しくて明るかった瞳は、鋭く人を
装飾品を好まなかった体には、今はたくさんの銀色が光っている。
健康に悪いものを敬遠していた彼は、その口にタバコを咥えている。
かつて、不器用なほどに一途だった彼の恋心は、色んな香水の匂いに潰されてひしゃげている。
——俺の青臭い憧れは、彼と最後に会った日にひび割れた。
……なんで?なんでいんの。どうして。ここに。
俺が家を飛び出すなんてことをしちまったのは……元はと言えば全部、全部あんたがそうなっちまったせいだろ!
「兄、貴……?」
返答は無かった。彼の、兄の視線は焦点がどこにも合っていない。
「何で、ここに兄貴が?」
『------』
「っ——待てよ!」
俺の言葉を無視して走り出した兄を追い、俺は真っ直ぐに暗い茂みへ飛び込んだ。細い草で頬や手のひらを切った気がしたが、そんなことは気にしている場合じゃない。今は、兄を。
早く捕まえないと。
そう思って飛び込んだ、はずなんだけど。
「ユーシさん。こんにちは」
「え……」
気がつくと俺は円形に開いたスペースの真ん中で、見知らぬ金髪の女性と対峙していた。
いつの間にか俺が座っていた椅子はテーブルとセットらしく、白い色で金属製の物だった。……座った記憶なんて無いんだけど。
おそるおそる俺の目の前にいる女性を見てみると、彼女は翠色のローブをまとい微笑んでいた。傍らにえらく整った顔をした中性的な美青年を従えている。
さて、俺はこの世界で何度気を失えば良いんでしょうか。
……そんなことより、あれは『か-----い』兄の姿は『かえ---い』本当にただの夢だったのか?
『かえってこい』
すっと再び視線を上げると、依然として微笑みを崩さないその人の目とかち合った。俺はなかなかに失礼な態度を取っていたはずだが……優しいのかそれともそんなことに興味が無いのかどちらかは分からない。
笑っているのに、笑っていない。変な人だ。
門番長とは別の意味で無表情と言えるかもしれない。
「紅茶はいかがです?」
「あっと……お構いなく」
さすがに門番長からあんな話を聞いた後で、何かを口に入れる気分じゃない。
しかし、俺がぎこちなく断ると彼女は僅かに笑みを深くした。
「あらら。変なものなんて入れていません。そんなに緊張していては、私の説明もまともに理解できませんよ?」
「う。じゃあ、お願いします」
俺の返事を聞いてから、彼女はポットの中身を注ぎ始めた。おそらくだけども彼女が魔法使いだろう。
ひとまずこれでちゃんとした説明をしてもらえる事に安堵して、俺は椅子の背もたれに深くもたれ掛かり体の力を抜いた。
すると、近くの気に斧が二つ立てかけてあるのを見つけた。十中八九、先に来ていた双子がこの近くで遊んでいるのだろう。
……双子はこの人を「ママ」と呼んでいたけれど、正直あまり似ていない。
「どうぞ、ユーシ殿」
「あっと、どうも」
俺の目の前に置かれたカップは、乳白色でなんか柔らかそうな印象の陶器だった。カップの色もあるのか、紅茶の赤色が目立つ。
俺は紅茶なんか普段飲まない分少しばかり興味が湧いてきた。
その付け合わせなのか分からないが、
昔、お客さんから缶に入れられたのを頂いて以来かも。
俺にカップとクッキーの籠を渡してくれたのは、魔法使いの傍らに立っていた人だ。
その人は翡翠色の髪をオールバックにして凛と立っている。男の俺から見ても凄いかっこいい。海外の俳優にいそうだな。美男美女のカップルとしてテレビ局のインタビュー受けてそう。
「しかし
「急いだ方が良いぐらいなんですよ」
俺がその人と魔法使いのやり取りに注目しながらも、ちゃっかりクッキーをもりもり頬張っている。するとなぜか魔法使いからくすくす笑われた。
あ、やっぱり笑い声が上がる時は普通に笑っているように感じる。常に口角は上がっているけれど。
しばらくして籠の中のクッキーが消えると、魔法使いは静かに姿勢を正し両手の指を中途半端に交差した。
「そういえば正式には言ってませんでしたね。私は魔法使い、ここ魔界の管理人です」
「管理人?」
「ええ。魔界は私が私のような罪人のために作った檻ですからね。管理するのも私なのですよ」
「へぇ……作った!?」
「ええ」
さらりと爆弾発言を言ってのけた彼女は、自分のカップに口をつけて言葉を続ける。
「まあ、あなたが今一番聞きたいのはそれでは無いのですよね?」
それ、とまとめて流せる程度の物には思えないが。確かにそれは俺の中の優先順位では一番じゃない。
俺が今まさにこの人に聞かなくちゃいけないのは、
「俺は元の世界に帰れますか」
これ以外には無いだろう。
魔法使いは俺の問いに対し、これまた一切表情を変えずに返して来た。ただ、彼女の青い目がわずかに悲しそうだった気がする。
「残念ですが、それは無理です」
「……はぁ?なんで!」
「正確には今の友志さんでは、元の世界へ戻す道を開いても、無事帰り着くことが出来ません」
「どうして、ですか」
俺は、何かを含ませた喋り方しかしない魔法使いにいらだちを感じながら、声だけは努めて冷静なままで問いかける。
すると彼女は交差していた指をずらして祈るように組んだ。
そして溜め息とともに、一言。
「では、理由は?」
「理由?」
「あなたをそこまでにも帰りたいと思わせる、その根源は何ですか?」
そこまで言われて、ようやく気がついた。
俺が抱えて来た淀んだものの正体に。
「きっと、友志さんには理由があります。だからこの城まで足を止めずに来れたのでしょう。けれど、その理由が何なのか自分自身で分かっていない」
「……それだとまずいのか?」
もはや、敬語を使わなくてはなどという考えは霧散していた。
俺は、学校ではなんとなく生きている。
家ではいつしか笑わなくなった。
友人と呼べるようなやつもいない。なのに。
——そんな世界に俺は何でこんなにも帰りたいんだ?
俺が俯き、赤い紅茶の水面に写るゆれる自分の顔を見ている中、魔法使いはその詳しいワケを説明してくれた。
「世界は一つではありません。並行時空、パラレルワールドなんて言葉を、一度は聞いたことがありません?現実では肯定も否定もできない理論なので、余り例えに使いたくないのですが……」
SF小説や映画で聞いたことあるな。俺は肯定の意で
「私がお客様を元いた世界に確実に帰すためには、お客さまが帰りたい世界を明確にしている必要があるんです。不鮮明であればあるほど、魔法をかけても"帰すべき世界"が特定出来ず、時空と時空の間にある、ちょうど網目のような場所に放り出されてしまうのです」
「放り出されるとどうなるんだ?」
「何処の世界にも入れず、ましてやここ魔界に帰って来ることもできないので————残りの一生を光も音も重力すらも無い場所で過ごすことになるでしょう。実際それに耐えた人は一人しかいません」
魔法使いは、俺にとって脅しでしかないそんなセリフを吐き、落ち着き払った動作で紅茶を
「……そうならないための、理由」
「その通りです」
俺が自分の説明を完全に理解したのだと思ったのか、満足そうに笑った彼女は、両手を広げて楽しげな声を発した。
「友志さん。元の場所へと帰りたいのなら。帰りたい理由を見つけなさい。そして、また私とお茶会しましょう」
「はぁ……」
この異世界に来たときに比べても、大きく膨らんできている自身の不安と戦いながら俺は魔法使いにもう一つ疑問を投げかけた。
「なんで俺が迷ってるって分かった、んすか」
「ふふ、何でと言われましてもー、先ほど友志さんは茂みの先へ進むのをためらって立ち止まったでしょう?茂みを超えて私に会いさえすれば、すぐ帰れると信じていたから。あの道で迷って立ち止まると、幻覚であなたの心の鍵が現れるんです……多少無理矢理にでも本人に一歩踏み出させるために」
「———心の、鍵」
(俺の場合はそれが兄貴だったのか)
どうあがいても、彼は俺にとって最重要な人物の一人であることは、変わらないらしい。そのことに苦い思いを感じていると、本日三度目の衝撃で俺が座っている椅子が揺れた。
「うわっ、と!」
「「おわたー?」」
「まぁ、一応……な」
双子は髪の毛や洋服に葉っぱをたくさん付けている。木登りでもしていたのだろうか。アクティブだな。
そんな元気いっぱいな二人は俺の曖昧な返事が気に入らなかったらしく、ぐりんと魔法使いの方へ顔を向け彼女にも聞いた。
「「ママー、ユーシかえれるのー?」」
「少しお泊まりして、調べ物をしたらね」
「「お——」」
その言葉に双子は何か思いついたらしく、俺の椅子をめっちゃくちゃ揺すってくる。
(お、ちょ、怖い!この二人めちゃくちゃ怪力!!)
「それなら」「それなら」「わからないなら」「しりたいなら」「なやみあるなら」「もやもやするなら」「「あそこにいこうよ!」」
「あそこ?」
「「としょかんとー。そこの館長はなんでもしってるんだよ」」
そういうが早いや、俺は強引に腕を引かれて無理矢理に椅子から立たされた。
何でも知ってるというのは何とも信じがたいところがあるが、それぐらいに賢い人だと言うことだろう。確かに会ってみる価値はある。かも。
そもそもどうすれば良いか分からないのだから、ここはヒントに導いて頂きたいところだ。
「……主、私も行ったほうがいいのでは」
「えぇ、リタも行ってあげて?アンとアンだけじゃ……不安ですし」
どうやら側近の人の名前はリタというらしい。
その人は魔法使いに一礼すると、俺ら三人のもとへ近寄って来た。
腰には立派な日本刀が
お互いに簡単な挨拶を交えていると、突然魔法使いが声を弾ませた。
「それじゃあ出会いを楽しんで、いってらっしゃい坊ちゃん」
魔法使いは椅子から立ち上がると、右手を軽く上げて長い薄桃色の指を鳴らした。
そうやらそれが何か魔法のようなものの合図だったのか、少しずつ俺の周囲が薄れて行った。
そして、最後に俺が会ってからずっと絶えなかった魔法使いの微笑が見えた。
※この作品はフィクションです。
犯罪行為または犯罪につながる行為を容認及び推奨するものではありません。
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