一話・月から逃げた青年の夢




 魔界の図書館塔にはぬしがいる。


 彼の名はクリスティアン=カーサライネン、実質二番目に魔界に来た「罪人」であり、特例で魔法使いの罪状と本名を知っている一人でもある。


 そんな彼は、今日も図書館でいつものように修理を終えた本のページをめくっていた。


 ……いたっていつも通りの昼過ぎだ。




「そういえばクリス」


「なんだいユナ? あ、紅茶の茶葉はもう無いらしいよ」


「なんですって!? ……ってそうじゃないですの」


 下半身が本のその女性は喪服らしき服の袖をゆらしてクリスティアンの顔をまっすぐに見た。


「今回はえらく不機嫌でしたのね」


「んー、まあね。羨ましくてさ」


「……家族が?」


「彼が、と言った方が正しいかもねぇ。僕も出来ることなら失ってから気がつきたかったよ」


「ふん、感傷的なのが全然似合いませんのね」


「そぉう?」


 気の抜けたような会話だが彼らにとって二人っきりで話すことは珍しい。

 この図書館には誰かしらいつも来館しているからだ。


「まだ終わりませんの?」


「んー……虫干しはそんなすぐに終わんないなぁ」


 彼は重要な業務の一つである本の虫干しの間、唯一彼自身が契約した魔導書・『ユートピア・プラン』、別名ユナと他愛ない話をしている。


 彼女は体の半分を人の姿にして、木製のカウンターに寝そべっているが、本体は魔導書と言う名の通り書物である。

 魔導書という時点でとてもそうは思えないが。ユナは自分が書物であることを誇りに思っているため、それを言うのは相当な鬼門きもんであろう。


 彼女はクリスティアンの気の抜けた返事に苛立たしげに舌を打つと、もう一度深くため息を吐き出した。

 そして、カウンター上でころりと一回転するとやおらひじをついた。


「暇ですわねぇ……」


「まあまあ。たまには良いだろ? マモノが来ないってのも」


「わかってませんのね、私は図書館の警備役ですのよ? これでは役目が果たせませんわ」


 罪人達が処刑する対象——「マモノ」——は、抵抗して罪人達を襲ってくる場合がほとんどだ。

 しかし罪人達の中にも、クリスティアンなどのように戦力外の者もいる。


 彼らには、危険時に警護する者がいるのだ……ほとんどの罪人は、自分で消滅させてしまうので不要でしかないが。


 ユナの若干物騒な台詞に苦笑しながら、彼は周りを飛び回る本たちを見て、少しばかり目を細めた。

 それは本を見ているというよりは、その光景に何かを重ねている目だった。

 急に読んでいた本を閉じてクリスティアンは小さく肩をすくめる。


「……こうも本に囲まれているとなると、昔と変わらないねぇ」


「そうかしら? 昔はただのガキでしたのに。今はくそガキですわ」


「んー、手厳しいなぁ、ユナは」






「……昔と、ちっとも変わらないよ」






 ——『ユートピア・プラン』より、章末にある殴り書きの抜粋



ずっと昔の話だが、この写真達のなんと幸福なことか!


国があり、民があり、土地があった。


学ぶことは広がるばかりだった。


空に、未知が散らばっていた。



そして今の、あの月面のなんと寂しきことか!


国は消え、民は減り、土地はもはやここには無い。


学ぶことのはしが見えてきてしまった。


空に、我々のいたゴミが散らばっている。


それだというのに、戦争は終わらない。


終わらない……


終わりは、いつだ?








※この作品はフィクションです。

犯罪行為または犯罪につながる行為を容認及び推奨するものではありません。


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