エピローグ・家に帰れた少年の夢




 俺が退院してから数週間後のこと。


 兄がアルバイトを始めた地元の図書館でふとある雑誌ざっしを手に取った。

 普段なら絶対手に取らない恋愛系のものだったが、なぜ手に取ろうと思ったのか今だに分からん。時間つぶしぐらいの気持ちだったことは確かだ。


 そこに書いてあったのだが……なんでもキスする箇所にも意味があるらしい。

 オーストリアの劇作家がとある劇の台詞の中で使ったのが初めだとか。


 その中でも「額の上なら友情のキス」という部分になぜか目が引かれた。

 記事では他の部位にも意味が書かれていたり、額のところに「祝福」が追加されていた。


(祝福かあ……あいつらしいや)


 微笑ましいような少し残念なような気持ちになっていると思わず首を傾げてしまう。


(……あいつって誰のことだ?)


 俺にそんな経験は残念ながら無いはずなんだが?




 戸惑う俺の肩に急に広い手が置かれ、俺はそれに答えるかのように即座に振り返る。


「にーちゃん!」


 後ろに立っていた兄は脱色して伸ばし放題だった髪を短く切り揃えて黒に染め、図書館の職員用である抹茶まっちゃ色のエプロンを着ている。


 俺と兄が話した翌日、父さんと母さんに今までのことを謝って、すぐこのアルバイト先を見つけ出したのだとか。

 その後、兄は大学のテストや提出物、出席日数自体に問題は無く無事に冬期休暇を勝ち取れたらしい。


 兄が迷惑をかけた人物や店に謝罪をし終えて数日たった頃。

 昨日の家族会議でその休みがちょうど俺の冬休みと被と分かり、年を越す前にみんなで観光に行くことになった。


 どこに行くかは父さんが調べといてくれると約束してくれたし。

 多分今日の夕飯時には教えてくれるはず。


 それが楽しみで俺は今日一日浮き足立っていた。思わずここ数日ずっと通いつめている兄の職場にまた遊びにくるぐらいには。


「また来たのか? 高校生なのに部活とか無いのかよ」


「俺は青空クラブだかんな」


「帰宅部と言え、帰宅部と」


 ちょっとどやって見せたのが、華麗かれいにスルーされたぜ。

 兄は何冊かの洋書と館内図を手にして、そのままカウンターへと向かった。

 俺もそれに続いて行きカウンター上にある木製のカレンダーを指でもてあそぶ。


「壊すなよ……司書さん怒ると怖えんだから」


「へーい。つかさ、今日寒くね!? にーちゃん肉まん買ってー買って——」


「だぁもう、終わるまで待ってろ!」


(……ああ、少しは進めたんだなあ)




 俺がひき逃げにあったあの冬の日。

 あの日が何かの分岐点だったのかもしれない。


 入院してた所為で授業についていけなくて、隣に座ってたやつに話しかけたことが切っ掛けでクラスに話し相手が……もとい友人が出来た。まだ二人だけだけど。きっと進歩した。うん。


 父さんも母さんも、俺が思っているよりもずっと大変でずっと弱い普通の人間なのだと分かった。

 何よりもこうして兄とまた二人で帰り道を歩けている。

 いや、歩けるようになった。


 そして、一つ見つけたものだってある。



「友志は臨床心理士、カウンセラーになりたいのか? さっき借りてたろ」


「うん、まあ。なりたいなあって」


「そりゃあまたどうして……」


 俺は先ほど借りた本を目の高さまで両手で持ち上げる。


「——俺は深い深い傷を負った経験がないけどさ。

だからこそ、不必要な同情を、共感を持たないで『ただ話を聞くこと』ができるかもしれないじゃん? こんな俺でも『誰かの味方』にはなれるってことを証明しようと思って」


「……相当大変だけど、頑張れば。けど、『こんな』は今すぐ訂正しろ」


「いってぇ!にーちゃんめ技はダメ!!ぎぶぎぶぎぶぎぶ」






 ———分岐点はあの日で、始まりは病室で目覚めたあの時、ならおしまいは……


 きっとこうして家族のぐちゃぐちゃになった糸が解けて、みんなが先に進めた時点でもう、この「一年」の物語は終わりを告げたんだ。

 ようやくだけど、みんな自分の役割を果たすところまで来れたから。




 でも、俺の物語の結末おしまいはまだこない。


 それがいつかなんて、今は気にしている暇もない。

 ただそれは必ず来るものだと覚悟はしている。



 きっとその方が良いんだ。

 もうガラス瓶こころは空っぽではいられないんだと、今は気づけたから。








※この作品はフィクションです。

犯罪行為または犯罪につながる行為を容認及び推奨するものではありません。

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