七話・少年の理由
俺は少し早足で「T」と刻まれていた突き当たりへと向かっている。
先ほどの出来事が何とも衝撃で、顔がまだまだ熱い……。
勿論のこと、ヘルの方が恥ずかしがってったというのは分かるんだが。
それでも、なんかこう、落ち着かない。いや、おでこでしたけどね!?口とかじゃあないけどさ。
そもそも、9歳ぐらいの子にキスされて何故ここまで動揺しているんだ、俺。
別に不意打ちにドキドキした、とかではない!断じてないからな!
(はああ。誰に言い訳してるのやら)
俺が首を振って、何とか気持ちを切り替えようとしている時。
俺の視界に二度目のカーキ色の外套がひらりと揺れた。
そして、柘榴色のガラス玉が
どうやら彼女は、今度はもうすでに扉を開けて待っていてくれたようだ。
「ドール」
「カヤマさん。お茶会には間に合いましたね」
「そうか……よかった」
肩から一気に力が抜け、俺は安心しきった状態で近づいていく。
そんな中ドールがふと思い出したように片方の手で拳を作り掌を叩いた。
「ヘルはあの
「あ、え、ふぇい!?」
(俺と同年代かよぉ!)
俺が全力で首をドールに向ける、するとどうだ。彼女の表情も目も変わらないけれど、ぷるぷると肩を振るわせているじゃないか。
(ああ……最後の最後で恥かいた)
ドールは俺の様子など気にもとめず、一度静かに息を吐き扉の脇に避けて口を開いた。
その言葉は俺を正気に戻すには十分すぎるものだった。
「あなたが一生自分に嘘を吐きたいのなら、通らずにこの世界にいればいい。
嘘と、自分と向き合いたいのなら、いるべき世界に
俺はしっかりと肯定のために頷いて、再び魔法使いのお茶会へと向かうために扉をくぐった。
背後で扉が閉まる音が響いたが今度はもう振り返らなかった。
俺はもう一度歩く道をじっと見ながら歩いて行く。
下ばかり見て歩くなと、普段なら誰かに叱られるかも知れないがここじゃあ俺は一人きりだ。たとえ友人が出来たとしても。「同じ」世界の人はいない。
俺の理由は、意志はもう固まっている。
あとは、魔法使いにそれを伝えるだけ……なのに、どうして怖いんだろうか。
——誰一人、いなかった俺の病室を思い出した。
——誰一人、俺を待ってなんていないかもしれない。
でも、関係無いんだ。そんなこと。
今は歩かなければ、今の状況では止まることは諦めと同等だから。
……今度は、茂みの前に兄は居ない。
俺は小さく踏みしめてきたその足を、茂みの中へと大きく踏み込ませた。
そうこれからがきっと、この物語の正念場。
踏み込んだ先に魔法使いが確かに待っていた。
しかし最初と違いあの白い角テーブルが丸い円状になっていて、必然的に俺と魔法使いの距離が縮まる。何か、距離が近いと緊張するんだが。
俺は魔法使いが声をかけてくるのを待たずに、前に座った椅子にもう一度腰掛けた。
「ユーシさん、
カップを机に戻すと、魔法使いは俺にようやく視線を写す。表情は変わらず笑顔のままだ。
……ここで、理由を一方的に言ってしまえば、帰れるだろうが。俺にはどうしても解消しておきたい疑問が残っている。
ゆっくり深呼吸をした後俺自身の喉から声を出した。
「罪人が何か。教えてくれますよね」
俺の質問に、魔法使いが微かに動揺したようだ。やられっぱなしなのを、ちょっとだけやり返せた気分でほんの少しばかり嬉しくなる。
「アン達が軽い説明ならしてくれました。けどまだ、何故罪人が魔界に連れて来られたのか、俺は知らない」
あの愉快犯について言うべきか迷ったが、それは黙っておくことにしよう。
彼女は、紅茶の水面に視線を落とす。
そして微笑を浮かべたままに口を開いた。
「……人の住む国には法律がありますよね」
「法?」
「そう、それで裁かれなかった罪人もいつか必ず世界の法で、罰を受けます。因果応報とでもいいましょうか」
(世界の……寿命、とか?)
「ですが……」
魔法使いがおもむろに椅子から立ち上がると、ちょうど風が吹き彼女のわずかにウェーブがかかった金色が揺れる。
「我々罪人は何故か、人が定めた法でも、世界の
確かにここに、罪があるのに。我々は
故に皆、望んだ『
けれどもそれは『逃げ』に過ぎなかったのです」
俺が息を飲み黙り込んでも、魔法使いは特に気にすることなくもう一度座り直そうとする。
(ドールが自分をニセモノと言ったのは、そんな自分の事を嫌ってのことか……?)
そんな時、
「「ママー、ユーシ———!」」
突然現れた双子はいつも通りの斧を持って、空いている手をお互いにしっかりと繋ぎながら、魔法使いの元へ近づいて行った。
「「ママ、はいこれ、もってきたよ————」」
「ありがとう。アン、アン」
魔法使いは何やら双子から受け取るとそれを俺の目の前に置いた。
それは、
それは、俺が昔に兄に折った四葉のクローバーの折り紙に違いなかった。
「……なんで」
「これもユーシさんにとっては、自分の鍵なのでしょうね。じゃないと、魔界に存在するわけありませんから」
「「ユーシのねてたへやのたなに、とりにいったんだよー」」
双子は俺に向けてえっへんと胸を張るが、魔法使いに言われ渋々とこの場から離れる。
「さて、とユーシさん」
「えっと、はい」
「あなたが魔界の住人になりたければ紅茶を
彼女はふわりと両手を開き、俺を
もう、夢から覚める時間なんだよとでも、優しく言い聞かせるように。
「俺は……」
まだ、脳裏に僅かな恐怖心が残っている。
けれども、それは帰るのが怖いんじゃない。
俺が居なくても結局何も変わらないんじゃないか、などという考えがまだへばりついているんだ。
それでも、帰りたいんだ。向き合わなくちゃいけないのだから。
————向き合いたいのだから。
「……自分に嘘を吐いて、後悔を重ねて、それに押しつぶされずに生きれるほど強くない。
だから、向きあいたい。家族のためにとは言わない。何よりも俺自身のために、チャンスをくれ」
「……それがあなたの正解ですか」
魔法使いはまた椅子から立ち上がり細い指を打ち鳴らすと、俺は突然体全体に浮遊感を感じ始めた。
慌てて自分の手を見れば、指先から少しづつ花びらへ変化して浮遊していき空中で消えて行っている。
……来る時には穴に落ちて、帰る時には空へ浮かぶのか。
俺があまりにもあっさりした別れに苦笑いを零すと、魔法使いが俺の傍に近寄って来た。
「カヤマユーシ、私にとっての呪いを絆と言ったあなたに、一つ教えてあげましょう」
「何をだ?」
彼女は今まで俺が見て来た通りの含み笑いで、右手を胸元に添える。
その後、しばしの沈黙が続くがまだ何も言おうとしない。
俺の両腕が完全に消え、俺が焦り始めた時にようやく微かな呼吸音が聞こえた。
「———ローズ=ザラ=エンブリー、これが私の本名です」
その言葉を聞いたのと同時に、俺から様々な景色が、記憶が消え失せた。
俺がもうちょっと冷静に行動出来ていたならばきっと。
あそこに、迷い込むことも無かっただろう。
だけど、俺は……彼らに会えたことを、後悔しないと思う。
たとえ消される記憶だったとしても
俺一人じゃ気がつかなかったから。
きっと、一生。
ぱちり。
うっすらとだが俺の目が開いた。
もう夕方になっているのか、病室の中は薄暗い。
俺が誰かに手を握られていることに気がついて、隣に首を傾けるとそこにある椅子には……いつぶりかも分からないが、兄が座っていた。
何で、さっきは誰もいなかったのに……?
(あれ? 俺って今起きたんだよな? さっきって何だ?)
どこか不思議な感覚が俺の周りを飛び交うが、不思議と嫌なものには感じなかった。
俺はじっと兄を見つめる。
兄は前に会ったときよりも、背が少し伸びた代わりに少しやつれたようだ。ピアスも脱色された髪もそのままだけれど、顔に所々ケガをしていてあの香水が混ざった匂いもしなくなっている。
そしてその手には、何とも懐かしい。
俺が昔折った四葉のクローバーが握られていた。けど……僅かに形が崩れている気がする。
数秒、ほんの数秒間だが、俺は久方ぶりに見た兄を前にして思考が止まってしまう。
しかし、戸惑う俺の頭の中でどこか聞いたことのある声が、無理矢理に意識を現実に浮上させた。
『向き合いたい。家族のためにとは言わない。何よりも俺自身のために』
(……そうだ。向き合わないと……謝らないと。拒絶が怖いけど、向き合うことをしないと……いつか絶対に後悔する)
俺が起きたことに気がついたのか、兄が目を開いてこっちを見やった。
「友志……起きたのか」
兄は俺が初めて聞く弱々しい声をもらして、ゆっくり立ち上がって部屋から出て行こうとした。
その様子が、俺の目には後悔している老人に見えた。
……まだ、やり直せるはずなのに。
「医者。呼んでくる」
「……待って、よ」
俺は自分でも驚くほどの
「にーちゃん、でてけなんて言って、ごめん。俺にーちゃんと話がしたい」
兄はほんの少しだけ、俺の方を振り返って頷いてくれた。
ここが、始まり。
※この作品はフィクションです。
犯罪行為または犯罪につながる行為を容認及び推奨するものではありません。
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