六話・切り裂き魔と狼の誓い


 俺が目を開けると、背中に鈍く重い痛みが走った。

 ぼやけた視界に天上からぶら下がる無数の物体が写っている。


 俺はそれが何か知りたくて、ゆっくりと体を起こしてみたが背中以外の体の節々がいきなり痛んだ。


(こりゃまた……ずいぶんと強く打ったみたいだな)


 けれど、出血していたり骨が折れているわけでは無さそうだ。俺はそのことに安心して辺りを見渡す。


 そして、引っ込んでいた鳥肌がまた復活した。




 その部屋は黒と赤の市松いちまつ模様の床に、クリーム色の壁と白い天井といった造りだ。

 その白い天井から垂れる麻縄あさなわの先には丁寧に動物のぬいぐるみが首をるされている。


 ……ぬいぐるみは全て、体のどこかしらのパーツが切り落とされていて、床には白い綿が血痕けっこんの代わりのように落ちていた。

 しかも、壁には何本かのはさみが突き刺さっている……そんな状態。


 俺が悲鳴を飲み込めたことを、今すぐに誰かに褒めて欲しい。


「……なんなんだよ。この部屋」


 俺がポツリと本音を漏らしたのとちょうど、俺のうなじにひやりとした固い金属製の刃物がてがわれた。




「あ——そ——ぼ——(喜)」






 しばらく俺が息をのみ黙っていると、刃物はするりと離れて行った。そして、彼女がのろのろ歩きながら正面に回り込んで来る。


 視線だけ動かして先ほどまで首元に触れていた刃物を、鋏を持っている桜色の手を見た。声からしてどうやら女の子のようだ。


 ゆっくり深呼吸をして、俺はこんどこそ彼女の顔をまっすぐ見た。


 服装としては、作業着にも似ただぼつくズボンによって足が完全に隠されている。

 というほどでもない。なにせズボンも所々切りかれて、彼女の肌色が見えているからだ。

 たしかあの上着はネコミミパーカーというんだったか……そのラベンダー色の上着の下に着ているタンクトップが、あの、そのえっと。

 胸をギリギリ隠せる面積を残して切り落とされている。


 俺が気まずさで視線を泳がせていると、彼女は部屋の中央部にあるつぎはぎのクッションの元に向かった。



「急に来るのは反則だよ、女の子は大変なんだから(怒)。だからー遊んでね?(喜)」


 彼女がかなり早口で喋っている間に、俺は今更になって先ほどの事を思い出し膝が笑いそうになっていた。我ながら情けない。


「どうしたの(疑)」


「……いや、大丈夫」


 ふと、ある事に気がついた。

 彼女の持っている大きな鋏のネジの部分だろうか、その部分だけ色がコロコロ変わっている。


「ほらほら遊ぼ(喜)」


(あ、黄色になった)


 おっと、思わず注目していた。

 ここに来てから常識はずれの事ばかりで元の世界での感覚が麻痺まひしそうだ。


 ……もうしてるかも。




 しつこく遊びに誘ってくる彼女に閉口して出口を探りながら俺は問いかけた。


「遊ぼ、つったって何すんの?」


 この部屋にはずたずたのぬいぐるみや散らばっている裁縫さいほう道具、そして彼女の手にもあるような鋏ぐらいしかない。


 すると、突然彼女が立ち上がりぴたりと目を閉じた。

 俺には彼女の意図が分からずにいぶかしんでいると、突然独特の浮遊感とともに背中が床に叩き付けられた。


「か、は……っ」


 痛みで目に涙がたまる。




(今、何が起きたんだ?)


 俺がゆっくりとまぶたを開くと、喉仏のどぼとけに鋏の先端が突きつけられていた。

 そのネジの色は、黄色を通り越して金色に発光している。


 おもむろに彼女は俺の腹の上に座って、こてんと可愛らしく首を傾げて見せた。


「こうすんの。エヘヘー(喜)」


 興奮がにじむ瞳のままで彼女は喉仏に突きつけていたハサミを、少しずつ移動して横隔膜おうかくまくの付近まで来た所で、片手で持っていたのを両手持ちに変えた。


「あのさっ、俺武器無いんだけど。不公平じゃね?」


 俺は声が震えそうになるのを必死に耐えた。怖がっている事がバレたら、彼女を更にエスカレートさせる気がする。


 我ながら苦しすぎる時間稼ぎだと思うが、彼女はそれを聞いて何やら真剣に考え始めた。ちょっとは意味があったらしい。よっしゃー。




 そして自分の中で納得がいったようで、一度小さく頷き、手にしていた鋏をダーツでもするように壁めがけてぶん投げた。


 鋏は完全に開いた状態で壁に突き刺さってしまう。




「これで。平等、だよね(喜)」


「……くそっ」


 彼女は首を再度傾けて、俺が動かそうとしていた両腕を押さえつけて来た。



「あーそーぼっ(喜)」


(あー、つんだ)






 ———急に、あの言葉達を思い出したんだ。

 俺が諦め半分で大人しく彼女に手をかけられた時に。




『この物語の結末おわりは逃げない』


『俺の役目は、今をお前に見せること』


『「痛み」は辛いし苦しいわ。でも、向かい合わなくちゃいけない「痛み」もあるの。

逃げないで。』




『かえってこい』






 首に置かれた彼女の華奢きゃしゃな手に僅かに力がこもる。

 さっきまで完全に無抵抗だった俺の体が一気に強張こわばった。頭に血が上っているような気がする。


 それでも、俺は自由になった両手で彼女の腕をつかむ。


「ふぇ……?? (驚)」


「……かよ」


 彼女の細い腕に俺の指が食い込んだ。それでも彼女は首から手を離さない。


 ……かまうものか。




「こんな今で結末おわりにしてたまるかよっ! 俺は帰らなきゃいけないんだ!! まだ、まだっ」



 ————向き合えていない人が、いるんだ。



 首にかかっていた華奢な手に似つかわしくない力が緩み、俺はやっとこさ呼吸することができた。


 俺が自分の意志を言い切った所で、彼女もようやく表情が動いた。といっても、ほんの少し眉をひそめただけなのだけれど。


 彼女は光の無い無機質な目で俺の事を見下ろしていた。


「なーんだ。罪人じゃなくて、お客さまか(哀)」


「……?」


 彼女はあからさまにがっかりしたようで、おおげさに肩をすくめる。

 しかしそのすぐ後に、かの童話に出てくる猫のようににやりと笑った。不気味な、なのに目が離せないぐらい綺麗な……そんな笑み。


「あー。でも———ワンちゃん付きだ(喜)」


 俺が必死に酸素を確保しようとしている時、学ランの内ポケットからクリスさんに貰った豆本が飛び出して来た。


 それのページが空中でどんどん捲れて行き、何かが飛び出して来る。そして俺に馬乗りしていた彼女の事をそれが蹴りとばす。


 豆本は真ん中のページが開いた状態でその場に静止してしまった。




 俺の目の前に再び麦わら色の尻尾が揺れ、静かな鈴の音が鳴り響いた。




「ヘル……なのか?」


「主人のお言葉、しかと受け取りました。

The obedient wolfsが一匹——Hell、忠義を尽くさせて頂きます」


 ヘルはわけの分からない台詞を言うが早いや、俺達の正面でゆっくりと体を起こしている彼女を睨みつけた。


「やぁ、ワンちゃん(楽)」


「犬じゃなくて狼です。ジェネットさん」


 ジェネットは自分の名前を呼ばれると、一息の間に壁に突き刺した鋏を抜き取ってヘルと向かい合う。それ抜けるのね。


「何を怒ってるの?(疑)」


「……大方、白魔女に遊び相手が居るとでも言われたんでしょうけど。この人はお客さまですから、遊ぶはメッです……」


 ヘルが肩をすくめため息を吐く中、俺は手元に落ちて来た豆本を見てリタさんのと言う言葉を思い出していた。

 あれは、こう言う意味だったのか。確かに、ユナさんもテレポーテーションみたいなことをして、湯のみを取り出していたな。

 俺の生命に危機にはこうして助けが来るということだったのか。


 けど……「限定の」というのはまた何でだ?




「……主、ここから出ますよ……?」


「わ、分かった」


 鳥肌も収まってある程度余裕を取り戻した俺に、ヘルが手を伸ばしてくる。俺も腰を持ち上げて握り帰そうとした。と、した。




「あ——そ——ん——で——よぉ——(哀)」


 鋏で突くようにジェネットは俺達めがけて突進してくる。それをヘルはかわして鋏を上から彼女の手のひらごと踏みつけた。さらにもう片方の足でかかと落としを決めようとする。


 しかし、ジェネットが踏みつけられていた鋏を抜き取る。そしてそのままヘルが体勢を崩した所へ、鋏を押し付けようとした。

 そこへ今度はヘルが、自分のおでこの当たりに迫るその刃を再度避け、俺を抱きかかえて後方へ下がる。


 ……以上、俺の目の前で二十秒足らずで起きたこと足らずで起きたこと。


「……遊び相手は来ますから。無事に逃がして下さいよ」


「えー。久々のワンちゃんとの遊びなのにぃー(哀)」


「だからボクは犬じゃない……」


 ヘルはぐっと泣くのを堪えた表情のまま、リスみたいに頬をふくらませるジェネットに抱きつかれた。

 どうやらやられっぱなしは嫌だったようで、ヘルは拳を握りしめて、ジェネットに問いかける。


「…………その遊び相手が、ジャンさんでも?」


(何でジャンさん?)


 俺が突然出て来た知った名とジェネットとの関連性に悩んでいる中、気がつけば彼女の黄緑色の目がなぜかめっちゃくっちゃに輝いていた。


 え、あの人、さっきまで俺の首しめてた人と同一人物だよな?ですよな?


「ジャンなら、いいよ。出したげる(愛)その客は、遊べないみたいだもん(哀)」


 ヘルとのやり取りが遊びだと言うのなら、絶対俺には出来ません。

 ゆとり世代ですもん。あー……関係無いか。


 ジェネットが持っている鋏を見ると、ネジの所は今や薄桃の穏やかな色に発光していた。この色は落ち着いている状態ってことか?


「……交渉成立というこ「とでいーよん(喜)」……はい」


 何故だろう。ただの女の子に見える。

 あ、鋏が無ければだ。勿論のこと。






 俺とヘルが部屋の端っこまで行くと、俺の顔すれすれを鋏が飛んできた。そして、壁に先ほどと同じように突き刺さり、刺さった所から空間が裂け始める。


「じゃあね、客の人間(楽)」


(客の人間って何だよ! 普通に一般市民だっての!)


残念ながら、ヘルに手を引かれて裂け目に潜り込んだ俺には、そのつっこみを言う勇気は無かった。




「ぱぱ、ぱぱ、ぱぱ。まだ、かなぁ(愛)」






 裂け目の中を歩く間、俺はヘルに気になったことの一つを尋ねた。


「何でジャンさんの名前があんなに効果があるんだ?」


「……恋人ですから」


「へー、恋人かぁ、ちくしょーリア充めぇ……てぇえええええ!?」


 ……ジャンさん、年下が好きなのかな? それともチャイさんみたくジェネットが童顔なのかな?



 紫と赤と黒のマーブル模様の景色を必死に無視しながら、俺はヘルの温かい手を頼りに歩き続けた。




 派手は色の花というよりも、こじんまりした花々が、一生懸命に集まって咲いているのが可愛らしい。

 モザイクみたいにしか見えないのが、かなり残念だが。


 裂け目を抜けた先は、何やらそんな小さな庭園のような空間だった。

 ちらりと見上げれば、少し先に魔法使いの城の白い正門が見える。


「……主、あの正門からTの部屋への行き方は覚えていますか?」


 ヘルはそういった後すぐに、何か気がついたようで「ユーシさん」と訂正をして来た。俺は、またしてもそのことにどこか引っかかった。

 魚の小骨みたいなもんだが、気になるんだからしかたがない。これで聞いて良かった試しが無いのが残念なのだけれど。


「なあ、ヘル」


「……なんでしょう……?」


「どうして、助けてくれるんだ?主って何のことだ?」


 ヘルは、いきなり口を閉ざし俯いた。


 そして静かに深呼吸をすると、いきなり自分の顔に巻かれている包帯をほどき始める。


「っ! ……嘘だろ」




 その包帯の下にあるはずの彼女の右目は、刃物によってつぶされ。その周りには少し離れている状態の俺ですらも見えるほどの、色の濃い無数の打撲痕だぼくこんが散らばっている。

 彼女は依然として震えている手で、両腕に巻かれた包帯を撫でた。


「……この腕も折られました、昔のこと、です」


「……誰に、だよ」


 俺が様々な答えを想定する中、予想とは一切異なる言葉が初めて聞く彼女の低い声によって告げられた。





 ヘルの瞳の光が、複雑な色で濁ってしまう。




 俺はヘルにうながされ庭園にあった木製のベンチに腰掛けると、彼女も俺から拳一つ分離れて座った。


「……魔界に皹があるのは、知ってますよね」


「ああ、教えてもらった」


「その皹から魔界に誤って落ちてしまう方々が『お客さま』。ボクの両親のように、魔法使いさんによって魔界に来た人たちが『罪人』。

……白魔女によって玩具として呼ばれる方々である『規格外』……はあまり良く思われないので、ユーシさんはお客さまと呼ばれてました。

そしてマモノは……別に気にしなくていいです。

ボクがユーシさんに最初会った時に聞いたのは、ユーシさんの魂が正常かどうかの、ただの社交辞令しゃこうじれいでした……」


 ヘルは淡々とした口調で説明を続けている。俺は新たに知ったことを記憶に上書きして、必死でついて行った。


「……魔界は、基本受身なんだそうです。だから

———ボクが異世界に落ちたのは異例でした……」


「異世界……?」


「……はい。完全に狼というか犬の姿だったため、ニュースになったりはしませんでしたが」


 ヘルは一度ゆっくり深呼吸をすると、その小さな震える両手を握りしめる。


「ボクは……異世界で怖い人間に見つかってしまいました……その人たちは、ボクで日々の憂さ晴らしをしては、いつもいつも笑っていました」


 俺は、驚愕きょうがくしながらヘルの目をのぞき込んだが、そのこに在ったのは、怒りでも憎しみでも悲しみでもなく、ましてや絶望でもなく……ただのだった。


 ヘルはあわれだと思っているのだ。


 自分よりも弱い物を傷つけることで、自分をたもとうとしたそいつらを。みにくい人間のことを。




「……里山の木にしばり付けられたボクは、ひたすら鳴きました……助けを呼びました。けど、それはどんどん小さくなって、ボクも諦めかけました」


 里山と言われて俺の脳裏に浮かぶのは、兄貴と遊びに行っていた近所の場所ぐらいだが。

 確かにあの場所は、正規せいきの道以外では多くの樹木が密集していて、人はなかなか気がつかなかったかも知れない。


 そんなことを考えていると俺はようやく思い出した。

 記憶の、同時に瓶の蓋がわずかに開く。




 ——昔、その里山で兄と一緒に一匹の犬を見つけたことがある。




 俺が忘れていた記憶に飲まれそうになる中、ヘルはベンチから立ち上がって俺の正面にしゃがみ込んだ。


「……思い出して。さっきのジェネットさんとの一件で、ユーシさんは理由に気がついたはずなんです。あとは、言葉にするだけ」


「するだけったって……」


 ヘルは戸惑う俺のことを真っ直ぐに見上げ、初めて年相応としそうおうな笑顔を浮かべる。


「……思い出して。ボクに話してくれたこと。そして、向き合うと決めたこと」



 その言葉を合図に、俺の記憶の蓋が完全に外れた。




 俺がちょうど小学三年生に上がった頃だ。

 兄が勉強の合間の散歩に俺を初めて誘ってくれた日。

 久々に構ってもらえたことが嬉しくて、俺はとてもワクワクしながら家を飛び出した。


 その日は、里山でいつものようにハイキングコースで競争をするだけのはずだった。


 けれど、兄と里山に到着した時、どこからかか細い鳴き声が聞こえて来て、俺は誰かが迷子になっていると道を外れて探し出したんだ。


 探し続けて、二十分ぐらいたっただろうか、俺は少し開けた空間に一匹の大型犬を見つけた。


 そいつはくすんだ茶色の毛の犬で、口元から僅かに呼吸音がれていた。

 せ細った首には太い登山用ロープが巻き付いていて、おれはそいつに駆け寄ると持っていて水筒からみずを与えた。


 その間に兄が獣医じゅういに連絡をしてくれて、そいつはすぐに近所の動物病院に運ばれた……はずだと思う。



 その数日後に病院から連絡があって、俺は兄と父と一緒にそいつの様子を見に行くことになった。


 くすんだ茶色は麦わら色に変化していたので、最初俺は檻の中のおびえたそいつが、本当にあの時の犬か分からなかくて動揺してるのを、父と獣医に微笑ましい目で見られた覚えがある。

 兄と父が獣医から話を聞いている間、俺はずっとそいつに話しかけた。


 大人達に檻の中に手を入れてはいけないと言われたから、せめて話がしたかったのかも知れない。


『お前まだ子どもなんだって。親はもっと大きいんだな!』


『……ゥ』


『俺はなー、にーちゃんもいるんだぞ。お前は?』


『……ゥォフ』


 そんな調子で十分ぐらい経つと、そいつは鉄柵ギリギリの所まで来て俺と喋ってくれた。お互いがお互いの言っていることが分からなくても、ちゃんとしてたんだ。


 ……その中で、両親の喧嘩けんかについても話した記憶がある。


『「ばらばら」になっちまいそうで、すげー怖かったんだぞ。けど、にーちゃんがそん時に言ったんだ、「俺はかすがいになりたい」って。なんか、父さんと母さんを結びつける? 役目らしいよ』


『……ォン』


『かっこいいだろ? 俺はにーちゃんになりたいよ。

怪獣をやっつけるヒーローじゃなくていいから、にーちゃんみたいになりたい』


 俺が俯きながらそう言うと、そいつは鉄柵ごしに俺にすり寄って来た。

 伝わったのかな、聞いてくれたのかなと思うと嬉しくて、俺は泣きそうになりながらそいつの頭を撫でた。


 そしてあんじょう、大人達から怒られた。


『まったく……烈志れっし、俺が見てない時は友志を頼むと言ったろう』


『分かったって父さん。友志はあの子と仲良くしたかっただけだもんな? 残念だけどもう帰るよ』


『うん! またくる!!』


 俺は兄と父に片手ずつ預けて、病院を後にした。

 その時に、後ろからそいつの元気な鳴き声を聞いた、ような気がする。




 後日、病院からそいつが姿を消したと聞いた。

 悲しくて大声で泣き出した俺のことを、兄は必死でなだめてくれた。


 あの頃から、兄は俺のあこがれで優しい人だった。


 …………あれ?




 俺は、あの日あの時そんな兄に向かって、何て言ったんだ?

 そうだ確か。


 そうだ。これがこれこそが、俺が向かい合いたくなかったもんじゃねえか?




『出てけ! 出てけよ!! にーちゃんのそんな姿もう二度と見たくねぇ!!!』


 今謝るのでは、遅すぎるだろうか。許してもらえるのだろうか。

 無理かもしれない。けど、謝りたいとようやく気がつけた。






「じゃあ……ヘルがあの時の」


「……はい、あの後魔法使いさんが見つけてくれて、魔界に無事帰れました。でも、ユーシさんの世界でボクは一つ重大な間違いを犯しました」


「間違い?」


「……ちかいをあなたにしてしまったことです」


 蓋の外れた記憶を探るもののちっとも思いつかない。

 俺が頭を抱え込んでいると、ヘルが真剣な顔で俺のことをのぞき込んでくる。


「……ボクと弟は父から受け継いだ力があります。それは、一人の人物を主とすると誓い、その方の命がえるまで、まもり続けれる力……えと、主人の危機が分かる力です」


 俺はそこまで説明されてやっと気がつく、ヘルは俺を、異世界の人物を主としてしまったんだ。


 魔界は基本受け入れる側の存在なのだというのだから、何か危険を伝えることすら出来ないだろう。


 つまり、例え何があったとしても、何も出来ない。

 ただ指をくわえていることしか。




「……見てるだけでした……ずっと。不謹慎ふきんしんだけど、これでやっと主人の、あなたのお役にたてる」


 ヘルは静かに立ち上がり、マントを撫でるように払うと、泣きそうな笑顔で口を開いた。




「また会えて本当に嬉しかった。けど、あなたは帰らなくちゃ。

自分で気がつけた理由のために」


 だから……とかすかな声が聞こえたのと同時に、

 俺のひたいやわっこくて、でも緊張で震えているヘルの唇が触れた。




「……急いでユーシさん。お茶会におくれちゃう」







※この作品はフィクションです。

犯罪行為または犯罪につながる行為を容認及び推奨するものではありません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る