五話・眠る棺屋と狼の父母


 昨晩の衝撃をそのままに、俺は朝日が昇りきった頃に起こされた。

 朝っぱらからテンションの高い双子は、斧ではないを持ちながら俺の腹へダイブしてきた。


「「おきろー、ねぼすけー! ねぼけー!」」


「殺す気か!! ……はぁ、一旦外で待っててくれ」


 俺がシャツと下着だけ着替えて部屋から出ると、双子はどうやら手に持っていたシャーベットを食べている最中だったようだ。

 それはさっぱりした赤色と黄色の二つで、二人共全く同じ顔でむぐむぐと食べている。


「何味だそれ?」


「「ん〜、わすれた——。はい」」


 ……凄い普通に差し出された。なんか「はんぶんこ」みたいで懐かしい。

 まあそれでも双子は大分身長が低いから、俺が屈まなくちゃいけないんだけどさ。


「じゃあ、いただきます」


 冷たくさりさりした触感を味わいながら、何の味か考えてみる。


(かたっぽはレモンだよなぁ、多分。この赤い方なんなんだ?ちょっと酸味があるけどレモンより甘いし……)


 考えても考えてもしっくりくる食材が見つからなかった。喉元まで来てるんだよ!もう少しで思い出せそうなんだよ!


 そんな風にモヤモヤしていると、またしても俺は二人に両脇を挟まれていた。 なぜだ。なぜ両側に立とうとする。

 何か補導されてる人見たくなるだろ。




 昨晩あの霧へ向かって、双子と友人になると宣言してしまった以上、それを実行せねばと思うのだが、いかんせん、どうすればいいのか分からない。

 参考に小学生時代を思い出してみても、友人になる方法、なんて代物しろものがあったかどうかも怪しい。

 ……俺、そもそも友達居たっけなあ。


(あ、これアカンやつ。思い出せないやつ)


 俺がそんな具合にもたついていると、地下への階段らしき場所が遠目に見えて来る。ぼや〜っとそこだけ色が違うだけなんだけど。おそらくそこが階段だろう。


 すると、突如として双子が口を開いた。


「「ユーシ。おにいちゃんはね」」




 俺はまさかその話題を振られるとは思わなかった。凄い驚きながらも、大人しく聞き役に徹することにした。


「「あたまがよくてね、おいしゃさんになるはずだった。いつもいってたの、『アンのびょうきはぼくがなおすから』って」」


(……病気?)


 この二人と食事をしたりして過ごしている間に、何か薬を服用しているのは見たことが無いはず。

 初めて出会った時の出来事から考えても完全に健康体、だと思う。……肌の色は真っ白だけど。


(部屋で飲んでたのかもしれない)


 気になる。けれど、俺に双子の話を遮る勇気はなく、幼い少女二人の声は続く。


「「やさしくて、いっつも、じぶんがそんするやくまわり。だけど、こまったかおでわらってた。

いつも、いつも、じぶんはにのつぎで。わがままもまともにいわない。アンはそんな、おにいちゃんがだいすきだったの」」


 双子は言い切った後にどこか遠くを見るような目で、でもどこか安心している顔をして溜め息を吐いていた。


 ここでも性格が出るのか、片方は大切なアルバムをなぞったような雰囲気だが、もう片方はまだ笑顔が少しばかり強張っている。

 それでも、どこか晴れ晴れとしていることには変わりない。


 俺は、ただ無言で二人の頭を撫でて、やっとのことで声を絞り出した。


「会ってみたかったな」


 ———死してなおそこまでも家族にしたわれる人間に。


「「あわせてみたかったなー。おもしろいことになったよー」」


 死者の思い出を追憶することは、一様に悲しいことだと思っていた。

 けど、それもまた俺の無自覚な思い込みだったんだろうか。


(……ドールは自分達が死者だって言ってたな)




 俺は急に双子が言っていた病気が心配になって聞いてみることにした。


「アンの病気はもう治ったのか?」


「「んー? あー それうそだよー」」


「……は?」


「「『アンのびょうき』は、おとうさんが、アンからおにいちゃんをひきはなすためについた、だよ」」


 引き離すために嘘を吐く。よくドラマなんかで見る光景だ。




 でも、それは恋愛だったり過度な友情だったりするけれど、現実で血の繋がった家族の間で起きているのを俺は初めてみた。




 そんな中でどうでもいいことに気がつく。何故、魔法使いのことは「ママ」なのに、父親のことは「おとうさん」なんだろうか?


「お父さん……って魔法使いの夫か?」


「「ユーシはばかーか? ばかーか?」」


「おい、何で質問しただけでバカって言われんだよ」


 双子はやれやれという風に首を振りながら、俺の正面に回り込んでバカにしたような笑顔で見上げて来た。


「「ここはで、アンは。罪人はみんなべつべつのせかいからきてるんだよ。

ママはアンにとっておかあさんみたいなひとだから、ママってよんでるだけー」」




 ———「罪人はみんなべつべつのせかいから」?



 どうやら、俺はまた勘違いをしていたようだ。説明が少ないこともあったかもしれないけれど。

 ずっと、ここ魔界はどこか特定の世界の、罪人の留置所のようなものかもしれないと勝手に結論づけていた。


 けれど、そうじゃないのなら、罪人たちはなぜここに連れて来られて閉じ込められているのだろう?


 わざわざ別の世界から来てまで。



「「あー、でもちょっとちがう?」」


「誰か例外でも居るのか?」


 ドールが言っていたように。


「「きほんはべつべつなんだって……でもどうじはふたりだったりする? かも」」


曖昧あいまいだなぁ……」


(まあそうでもないと双子がいるのがおかしいわな)



 再び他愛も無い話を交わしていると、少しあることが気に止まった。俺の両側で鼻歌を息ぴったりに歌う双子なのだが……必ず赤色の目が彼らにとって内側に来ているようだ。

 昨日はそんなこと気にかける余裕は無かったけれど今ならば分かる。

 おそらく二人とも、片目ずつ


(さっき言ってた父親と何かあるのかな……)





 地下への階段は灰色で明かりも見えなかった。正直、平常時なら入りたいとは思わない。お化け屋敷のあの暗さだわー。行きたくないわー。

 苦笑いを浮かべる俺に双子は、金色の鎖が巻き付いた桃色の球体を渡して来た。


「「ユーシー、ランタンあげるー」」


「あぁ。これ、戻って来たら返せばいいのか?」


「「ううんー。それつくったひとが、あとでちかにくる? からわたしてー」」


「わかった……またな」


「「またねー、いきてろよ——しぬなよ——」」


 俺が双子の励まし(?)を背におそるおそる暗闇へと足を踏み入れて行くと、ぼんやりと足下が見えるぐらいに球体が光り出した。


(何かアロマランプみたいだな……)


 リラックスさせる穏やかな光と言えば聞こえはいいが、地下階段で薄ぼんやりとした明かりは使いたくない。めっさ怖い。

 俺がそろそろ歩きで進む中、階段の先に開けた空間が見えて来た。


 視界に入る景色の急な変化に戸惑いながらも、土肌がむき出しの地面に足を乗せる。


 俺は一度深く深呼吸をして改めてその空間と顔を合わせた。




 その場所は所々に草が生えているのと、紫がかった灰色の枯れ木以外に植物が見当たらずただ墓石が等間隔に置かれていた。

 明かりとしてなのか、辺りを橙色のひし形のランプが周期的にこれまた等間隔で浮遊している。


 十字架じゅうじかの形の墓石にはつたこけが絡み付いているが、俺の左隣にある墓石には……昨日双子が折った矢車菊の折り紙が置いてあり、それだけは蔦も落とされている。


(これが、双子の兄貴の墓か)


 彼も罪人だったのだろうかとかツッコミは一旦置いといて、俺は何となくそれに向かって手を合わせた。そうするべきだと思ったから。

 そして、先ほどから視線をそらしていた、この空間の中央に置かれた棺桶に向かい合った。


「……これか」


『手始めに棺を叩いておいで』


 俺の脳裏にクリスさんの楽しそうな笑みとともに、見た目よりも男らしい低音な彼の声が掠めていく。

 彼は何故あんなにも確信を持って俺にこんなことを言ったのかは分からない。 何でも知っているというのは伊達だてじゃないのかもしれない。


 にもかくにも何でもやれることは片っ端からすると決めたばかりだ。


 俺は意を決して右手でしっかりと握りこぶしを作る。と、同時に斜め後ろの枯れ木から突然バサバサ羽ばたく音が聞こえて来た。


「オレネムイ! ネル!」


「ひぁわ!」


 抑揚の無い機械のような独特の声に驚かされ、俺が大げさに声を上げると、そいつは枯れ木の枝から棺桶に移動してくる。

 更に、そいつは淡い水色に見える翼を休ませながら棺桶のふちに器用に捕まった。


「ヒァワ!」


「……なんだ鸚鵡おうむか……って魔界に居るのかよ!?」


「イルノカヨ! イルノカヨ!」


 俺が知っている鸚鵡と言うと、ペットショップのゲージの中にいるのや、時々テレビの動物番組に出てくるやつぐらいだ。

 こいつはそれらと同じくらい、いやそれ以上に綺麗な青のグラデーションの羽をしている。


 慌てて枯れ木に目をやれば、先ほどには無かったはずの金色の細い金属製の鳥籠があった。ちゃっかり小さな扉が開けられてきぃきぃ音をたてていた。


(気がつかなかった……のか?)


 目の前の生き物にどう接するか迷う中、俺はふとあることを思いついた。


(棺桶叩けば鸚鵡も飛んでくんじゃね?)




 正直なところ鸚鵡には申し訳ないが、用があるのはその中に居るであろう棺屋だ。

 ちょっとそこから退いてもらうとしよう。


(こんどこそ!)


  コンコン




「……あれ。どかねぇな……」


 俺が棺桶を叩いた音は四方八方に響いたはず。

 しかし、鸚鵡は依然として淵に足で掴まっている。


 結局何の変化も現れず、俺はがっかりしながら、次はもっと強くした方が良いかも知れないなんて考えていた。そして、棺桶に近づくためにしゃがみ込んだ体勢をどっこらしょいと起こした。


 それとちょうどに棺桶が軋みがたがたと鳴り始めた。


「ひぃ!?」


 俺は息を飲み急いでその場から離れる。


 それはしばらくガタガタ揺れ続けた後。

 棺桶の蓋がゆっくりと開き、鸚鵡はその上空を羽ばたいた。



「…………あ”? 誰だ手前てめえ


「……えっと、その、俺は」


 謎の緊張感が俺とその人の間を漂っている。


 俺から名乗るのが礼儀なのだろうが、肌がピリピリするような目の前の男性の雰囲気を前に、まともに動く事も出来そうにない。

 動いたら、四肢ししを引きちぎられるんじゃないか。そんな気になる。


(こわい。にげたい。でも、にげる気になれない)






「男、アジア……日本人、んで未成年」


「……え?」


「その服クリスがこないだ言ってたな……日本とか言うとこの学生服だっけ。じゃあ16、17歳か……ちょうど境界人になった時だな。めっんどくせっ」


 その人は、棺屋は淡々と俺への考察を述べて、一息つくと先ほどまで放たれていた殺気とも言える威圧感を収めた。


 俺が声をかけようとするや否や、上空から鸚鵡が彼の肩めがけて降り立つ。


「オハヨー! オハヨー!」


「はよ」


(なんか、置いてかれてる気がする)


 棺屋は一度大きなあくびをすると、黒髪を揺らして俺の方に視線を向けて来た。 

 その視線はどこか俺を催促させるようなものだ。何かを求められているのだろう。




 俺はふと思いついて、ここに来て何度目か分からないセリフを言ってみる。


「……香山 友志です」


「オレ棺屋ひつぎや、こっちは鸚鵡」


 自己紹介と言えるのかどうか分からないものを終えると、棺屋はあくびを零しながら話を続けて行った。


「……で。手前何でここに行けって言われたか、分かってんのか?」


「……分かんない、です」


 俺が悩みながらそう言うと、棺屋は「面倒だ」と言わんばかりの雰囲気を纏いながらも、ようやく棺桶から出て来てくれた。

 と言っても、棺桶を閉じてその上に座っただけだが。


「クリスの野郎……説明不足じゃねぇか。まあいい、見た方が早いだろ……」


「へ? 何を「鸚鵡!!!」」


(また遮られた……)


 彼がそう呼び終えた直後に、鸚鵡はすぐさまに一つの墓石に止まった。



 俺は今から一体何が始めるのかさっぱり想像がつかず、ただ目を白黒させながらその様子を見守った。

 すると、棺屋が深く息を吸い込んで、何かを語り始めるように口を開く。

 同時に橙色だった周りの明かりが、俺と棺屋を中心に円周上に並びだした。


「クォフ・ヘト・カーフ———真を写せ」


 男性にしては高めの声で棺屋は不可思議な呪文を唱えた。


 なんか、魔界で初めて俺の想像する通りの「魔法」が見れて、少しワクワクしてきた。不謹慎だけど。

 そんな中、突如として鸚鵡が止まっている墓石だけが薄ぼんやりと光り始める。


(いや、周りの明かりから光が移されてる?)


 最初は淡い橙色だった光は、紫色になり、そして徐々に透明に変わっていった。 

 ふと透明な球体に注目していると、そこに一つの病室がテレビ画面のように写っている。


 しかも、


「はい?」


 その病室のベッドには体の至る所に包帯が巻かれ、右腕にギブスを付けた俺が横たわっていた。




 突然、俺はあの愉快犯の言葉を思い出した。


(そうだった、俺の体自体は今入院してるんだ)




 俺がその墓石に近づいて触ろうとすると、更に画面が広がって行く。

 どうやら、こうすることで自分が元々いた世界を見れるらしい。


「これで分かったか。オレの役目は、今をお前に見せること。お前の気持ちを元いた世界に向ける事だ」


 棺屋はくぁぁっと一切遠慮のないあくびをして、いそいそと棺の中へと戻った。


「オレは寝るから、お前もさっさとどっかいけ」


 彼はしっしと俺に向かって手を振るが早いや、棺桶をガタンと閉じてしまう。


「……どっか行けと言われましても」


「イワレマシテモ! コマリマス!」


「あ、今まさにそれ」


(本当、どうしろっつーの)






 オレが鸚鵡と噛み合っているのかよく分からない会話を繰り広げていると、階段を下りてくる二人ぐらいの足音が響いて来た。


 するとそれに呼応するように俺が持っていた球体が、「何か」が今までよりも強く光り始める。待ってましたと言わんばかりに。

 俺が階段を凝視していると、足音の主達がその姿を現した。




「あらら?」


 その場にいる三人(鸚鵡除外)の内、最初に口を開いたのはベージュのカーディガンをはおって、二色の花束を抱きかかえている麦わら色の髪の女性だ。


 カーディガンの下はワンピースで、腰のベルトには小さなポーチとゴーグル、胸元には筒状のシルバーアクセサリーと逆十字を下げている。

 彼女の蜂蜜はちみつ色の目に、戸惑とまどいと僅かな疲労感を宿した俺の顔が写っている。


「もしかしてユーシさんかしら?」


「え、あ。はいそうです」


 俺が肯定の言葉を口にすれば、その女性は顔色をぱぁっと明るくして俺に駆け寄り手を握って来た。


「ヘルとジルの母で、チャイと申します。二人と仲良くしてくれてありがとうね」


「はあ……え? ……母、親?」


 俺はつい失礼にも自由な方の手で指差してしまう。


「ええ……それがなにか?」




「——ぜぇぇったい嘘でしょ!?」


 どう見たって、俺の目の前の人物はいっても20代後半。

 到底二児の親とは思えない。


 まあ、そんな嘘を吐いても意味はないし。きっと本当の事なのだろうけどさ。

 如何せん若すぎて信じがたい。

 でも若作りしてるようには見えないんだよなあ。




 チャイさんへの突っ込みは置いておこう。俺はどう頑張っても無視出来ないことがあった。

 勇気を振り絞ってチャイさんの隣にたたずむ大柄な男性に話しかける。


「ど、どうも。こんにちわ」


 そもそも、言葉が通じるのかも分からない。

 俺が向かい合ったその人は灰色の騎士のよろいを身にまとった、黒い毛並みのだった。


 多分、この人が父親だ。どうやらジルの黒髪は父親譲りらしい。




「……貴殿きでんが、カヤマか」


(しゃべったぁぁぁあ)


 彼の太く低い声は聞きようによっては、獣のうなり声にも似ている。

 チャイさんが居ない状況で対峙して、まともに頭が動いてくれるとは思えないな。


 だって、現に俺がそうだから。


「息子と娘が世話になった」


 そう言うと、彼は折り目正しく一礼した後、俺の背後の棺桶に気がつきため息をついた。


「……彼奴きゃつはまたろくに説明も無しに寝たようだな」


清々すがすがしいほどにいつも通りね~」



(……これ平常運転なのかよ)




 チャイさんは大切そうに抱きかかえていた青色と黄色の花束を、その墓地の中で一番小さな墓石にお供えする。


 しかし、その墓石に俺が今見ているような画面は浮かんで来ない。

 ——鸚鵡がとまっていないと、見れないのか?


「チャイさんは見ないの……ですか」


「棺屋さんが起きていないと、自分達のいた世界の様子は見れないの。多分今日はもう起きてくれないからね」


 そう苦笑いする彼女が、俺の脳内で母さんと重なる。


『大丈夫よ。あなたは何も心配しなくていいの』




 そして、俺以外誰もいない病室を見ると胸が少し痛んだ。

 もう面会時間が過ぎているだけかも知れない。けれど少し寂しくなった。


 じっと画面を見る様子は、周りからすれば睨みつけているように感じたのかもしれない。

 狼男に突然、頭をかき回すみたいにでられた。


 その体温があまりに久々で、俺は照れ隠しでうつむきながら少し遠ざかってしまった。

 その様子を見ながら微笑んでいたチャイさんが、急に小さな声を漏らす。


「そうだわ! ユーシさん。ちょっとお喋りしましょ?」


「え?」


 俺が驚きながら顔を上げると、チャイさんはどこにあったのか鈍い金色の円卓えんたくを引きずってきた。


「チャイ! それぐらいはわれがやる!」


「たまには私だって力仕事しなきゃ。大丈夫よ〜」


(……夫婦漫才?)




 最終的に狼男に仕事を奪われていたが、チャイさんが用意してくれた切り株の形をした椅子に俺は座った。

 ねた顔をしたチャイさんが俺の斜め隣に座り込んでくる。

 お互いに手を伸ばせば指先ぐらいは触れそうな距離。


 何て話しかけたら良いんだろうか。「お喋り」しようにも話題が見つからない。

 内心焦りながらズボンのポケットに手を入れてみたら、先ほど役立ってくれた球体に指が当たった。


「あの! これ。ありがとうございました!」


「えーと? ああ! ユーシさんが持ってたのね」


「はい、アンに渡されたんです。後で地下に行くからそこで返せって」


「そうゆうこと。アンちゃん達ったら、もう仲良くなったのね」


「いや……仲良いかどうかはまだ……微妙ですけど」


 俺が首を横に振るのを見て、チャイさんは再び微笑んだ。


「あら。あの子達は私達罪人の中で一番警戒心が強いのよ?そんな子がたとえ自分の物じゃないとしても、他人に貸すなんてめったにないの。十分仲が良いわ」


(……そうなんだ)


 友人になりたいと思っているのは、もしかしたら俺の方だけじゃないのかもしれない。


 そのことがなぜか嬉しかった。



「これチャイさんが作ったんですか?」


「そうよ? 私金属の加工を生業なりわいにしてたの。だから今でもゴーグルと手袋は常備してるわよ」


「なるほど。それでっすか」


 ふと、気になっていたことをチャイさんに尋ねる。


「……その十字架、なんで逆さま?」


 チャイさんが胸元に下げている銀色の十字架には女の人らしき影と天使が彫り込まれている。

 よく見たら、クロスしている横の所は天使の羽をモチーフにしていた。


「これ? これはある人の形見なんだけどね。その人が昔自分で作ったものらしいの」


「師匠さんがですか?」


「いいえぇ。年は離れていたけれど、私のお友だちよ。私の父が金属加工を教わっていた人の妹さんで、小さいときからよく遊んでもらったわ……ってごめんなさい。話がそれたわね」


 はい。何か良い話だったので邪魔じゃま出来ませんでしたがその通りです。




 逆十字って言うと、やっぱりテレビとか漫画で見るような悪魔崇拝あくますうはいとかのイメージがあるけど。

 チャイさんあんましそれっぽくないしさ……。


 俺がそう思っていると、チャイさんは片手でその逆十字を握って俺のことをすっと見透かした。いや、「された」。


「……この事に関してはユーシさんの世界と同じらしいけど、これは謙虚けんきょさの象徴なのよ」


「え……そうなの!?」


「ええ。私の時代では教会がとても強い力を持っていたわ。今は違うみたいだけれど。その当時、逆十字っていうのは『自分は神と比較して価値が無い人間です』というシンボルだったの」


(知らんかった……そうだったんだ)


 ともかく、チャイさんは宗教的な意味合いよりも、友の形見としてそれを身につけてたんだな。




 その後も基本狼男は無言でチャイさんが俺の世界のことをひたすら聞いてくるだけだった、が。


 改めて、俺は自分が生きている社会について何も分かってないんだと思った。


 政治形態も。犯罪率も。法律の話も。ましてや自身の生活に直結するはずの事柄も。


 チャイさんが質問してくる間、終始頭を抱えてしまった。



 俺からしたら「何でそこ突いてくるの!?」と感じるけれど。

 チャイさんからしたら「なぜ答えられないの?」と感じたのかも。




(帰ったら。もっとそういうことに興味持とう……)


 そう。かえれたら。





 突然、俺達の背後でガタリと棺が開いて、棺屋が隙間すきまから顔を出す。


「……うっせ。何でここでくっちゃべってんだよ」


「おはようテオ」


「やっと起きたか。大体、いつもいつも言っているがいくら日の元に出れぬからとそう眠りすぎるのはなあ————」


「お前はうっせーよ! チャイは人の名前略すな!!」


「だってテオの本名ったら長いんですもん」


 どうやら俺達の会話が五月蝿うるさくて起きてしまったらしい。


 そのまま棺を閉じようとする棺屋改めテオは、現在狼男にこじ開けられそうになっている。

 てか、あの方移動早くね?いつのまにそんなとこに行ったの?


「はは……。反抗期の息子と父親みたい……」


「ね〜。ユーシさんと似てるでしょ?」


「え? 俺とですか?」


 棺屋とどこが似てると?


「うん。違うのは、ユーシさんが空っぽだってところぐらいよ」


 ———空っぽ?


 俺の戸惑いはどうやら顔に出ていたようで、チャイさんは困ったように笑って俺の頭を撫でた。


「そうね。大きさや形は何でも良いわ。透明なびんをイメージしてみて?」


 何がなんだか分からないまま、大人しく言われた通りに想像してみる。

 ブルーベリーのジャムとかが入ってそうな俺の両手ぐらいの大きさの瓶を。


「そこには、あなたの喜びとか悲しみとか、痛みすらも何でも入れられるの。そしてその総量があなたの心の強さになるわ」


「……痛みも?」


「そう。痛みも、不幸も、幸福も、溜まっていくの。その瓶の中に全部」



 何もかもが溜まるという俺の小瓶には、何が入っているのだろうか。



 ——寂しさ?


 ——恐怖?


 ——無力感?


 ——それとも……なんだ?




「私には、ユーシさんはそれにふたをしているような気がするの。蓋があったら何も入らない空っぽのまんまだわ」


「……何かを受け入れることを拒絶してるって言うんですか」


「いいえ。受け入れるなんて大それた物じゃなくてね」


 そう言うとチャイさんは自分の耳を塞ぐようなジェスチャーをしてみせた。




「ただ、気がつきたくないのよ。自分が傷つくって分かっている。だから蓋をする。何も無いことにしてしまえばいい。そうすれば『痛み』を知らなくていいから」


 ……俺が、本当の痛みを知らないとでも言いたいらしい。けれど、人生経験が比較するにもおこがましい人のような気がする。


 この人は一体「何」なのだろう。




 俺が僅かに警戒心を出していると、チャイさんは豆鉄砲でも食らったような顔をした後に破顔はがんして、いきなり両手で俺の頬を包み込んだ。

 思わず体がびくりと跳ねるが、彼女と目が合うと少しばかり気が抜けていった。


 ふと、蜂蜜色とは到底縁遠いはずの単語が俺の頭に浮かぶ。それは先ほど浮かんだ疑問への答えだった。


(この人はまるで、湖みたいだ)


 底が知れないほど深くありとあらゆる生命を、時には人の過ちすらも受け入れ、常に穏やかな大自然の驚異。

 ひざまずきでもしなければいけないのに、それすらも笑って立ち上がらせるようなふところの深さ。


 それがこの人にしっくり来る。ような。






「『痛み』は辛いし苦しいわ。でも、向かい合わなくちゃいけない『痛み』もあるの。逃げないで。あなたは人のために気を使おうとする優しい子……向かい合いされすれば、答えは見つかるはず。

無茶は若いうちの特権なんだから、諦めずにもがきなさい。

おばさんからのアドバイスよ」


「……おばさんっていう年ですか……」


 本音のところは、言われたことの半分すら理解出来たか分からない。


 けれど、このままがむしゃらに進んでいいのだと分かって心のどこかが安らいだ。





「カヤマ。話は終わったか」


「あら。あなたも終わったの?」


「結局説得は不可能だった……無念むねんだ」


「まあまあ、しかたないわよ。テオの顔が見れただけでもいいじゃない。一週間ぶりなのよ?」


「主人から頼まれたというのに。我の失態だな」


 棺屋どんだけこの地下に引きこもってんだよ……。あと今更だけど「我」ってなんだ。聞いたことねーぞ。


 俺が肩の力を抜いて円卓にうなだれている中、夫婦は見ている人が不快にならない絶妙な距離感で会話を続けていた。

 狼男が時折大きな体を伸ばしたり、くつろいでいる猫がするみたく目をとじたりしている。眠いんすか。






 突然俺の体中に鳥肌が立ち、その原因であろう歌が聞こえてきた。

 黒板をチョークで引っ掻いた時の不快な音。それに酷使した雰囲気だった。




「 むかし むかし 一人の魔女が


  一丁の拳銃を  その手に握りました


  そして それを 一人の少女に


  握らせ 撃たせて 罪人を作りました


  そして その子は 悲しんで憎んで


  『自分』のための檻を 作りました 」




「作ったって……誰だよこの声」


 この歌は魔法使いに関するものなのか?

 困惑している俺に向かって、またしてもいきなり狼男が叫んだ。


「カヤマ! 早くここから離れろ!!」


「はへ?」




 残念ながらその叫びは一足遅く、俺の体は突如現れた赤紫色の扉に吸い込まれていった。







※この作品はフィクションです。

犯罪行為または犯罪につながる行為を容認及び推奨するものではありません。

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