第2話



緑くんはどうやらもともと、おしゃべりなほうではない様子。


わたしもおしゃべりなほうではないから居心地はいい。



緑くんは喋らなくても、空気で察してくれる。


たとえば道具を”取って”と言わなくても差し出してくれたり、持っていてくれたり。



こういうのがモテる男の鉄則だったりするのだろうか。


それにしてもなぜ、彼はここに居るのだろう。


別に邪魔でも何でもないから、居てくれても全く構わないけれど、彼は構うのではないだろうか。


時々、時間を気にしている仕草を見せるときがある。



それはそれは、ごく自然に。



わたしと居るときに、彼は携帯電話をあまり見ない。


ランプがひっきりなしに点滅しているから、着信が入っているのはわかる。


緑くんはディスプレイを見て、珍しく注視しているのを見た。



そうして、僅かばかり不機嫌そうになった。


表情は変わらないけれど、纏う雰囲気が重くなった。


彼がわかりやすく感情を出したのをはじめて見た気がする。


「……あんまり会わせたくないんだけどな」


「え?」


「でも、アンタ……気に入りそう」


「ん?」


「うん、なにが?誰に?」



主語が欠けているよ!


わたしが気に入りそうってなんだ……?


緑くんは未だ、むずかしい顔をして携帯電話の画面を見ていたけれど、諦めたようにポケットにしまった。


そしてわたしに「石けん、ある?」と、唐突に聞いてきた。


手でも洗いたくなったのかなと思い、キレイキレイの薬用泡ハンドソープを差し出したら、それじゃないと首を横に振られた。



(これ、便利なのに……)



また緑くんは少しだけ考えて、「ちょっと買い出しに行ってくる」と言って出かけてしまった。


緑くんがこうやってふらっと出かけるのはそう珍しいことでもないので、適当に見送っておいた。


わたしはわたしの作業に没頭する。


一人は慣れているはずなのに、どこかぽっかりした空間を感じた。


思っていたより、緑くんが戻ってくるのは遅かった。


ホームセンターの袋と、スーパーの袋を見て、なんとなく納得がいった。


緑くんは帰って来るや否や、ホースでアスファルトの地面に水を撒き、買ってきたであろう粉石鹸を盛大に広げた。


デッキブラシのようなもので軽く擦ると、摩擦で出来たいくつものシャボン玉が宙を舞った。



「うわあー、きれい!」



わたしがはしゃぐと、緑くんも軽く頷いて、舞い上がって行くシャボン玉を眺めて目を細めていた。


緑くんが時計をまたちらりと見た。


いったい、誰を、何を、待っているのだろう。


緑くんが時計を見るたびに、なんだかもやっとした気持ちになったのを、わたしは不思議に思った。


いつもはそんなことないのに。


「これ、食べていようか」


そんなわたしの乙女心をつゆ知らず、緑くんはスーパーの袋から高級そうな生ハムを取り出した。



(なぜにハム?)



緑くんの行動は、何ひとつとして理解できなかった。


生ハムの包装紙を開けようとしていると、遠くからバイクの走ってくる音が聞こえて来た。


それもかなりのスピードだ。


わたしは緑くんの口端が僅かにあがったのを、見逃さなかった。


わたしと居るときには、見ない表情。


今日だけでもわたしの知らない緑くんの顔をたくさん見ることが出来た気がする。



それでもまだまだ知らないことのほうが多いのだろう。


知らないことを、もっと知りたいと思ってしまう自分がいた。




バイクはこちらに来れば来るほど、スピードを落とすどころか上げているように感じられた。


え、普通に危なくない?と思っている間に、案の定、石けんに塗れた地面にたどり着いて、バイクは横転した。




「あちゃー……」



(いいこは真似しないでください)


(なにこの漫画みたいな展開!)



「だああああ痛ってぇえええええ!」


バイクヘルメットをがむしゃらに投げ捨てたその人は、流血していた。


衝撃的だった。


だって、髪が真っ赤。



(あれ、流血?これ流血?)



思わず固まってしまうが、どこか違和感を感じてしげしげと眺める。


緑くんとの出会いのときに感じた、デジャブ。



(……、もしかしてこれ、地毛?)



緑くんは、微動だにせず黙々と生ハムを食べている。


この人はどこまでマイペースなんだろう。




「おい、おま、わざとだろ!!絶対俺がこうなるの分かってて……!」



緑くんに掴み掛かろうとするその人を慌てて止めようとすると、その人が初めてわたしの存在に気がついたように目を丸めて、見つめた。


その様子を見た緑くんが、わたしを庇うように自分の後ろにやる。




「あー……、ごめんごめん。トマティーナにはパロ・ハボンの儀式が不可欠だったから」



緑くんはもしかして、スペインのトマト祭りに掛けていたのかもしれない。


ほら、あの世界で有名なトマト投げ合い祭り。



「ほら、お前の好きな生ハム」



そう言って緑くんは食べかけの生ハムを赤い人に差し出す。


赤い人(仮名称)黙ってそれを見つめ、食べかけの生ハムを受け取り、無心に食べはじめる。



おいおい、それでいいのか青年。


食べかけで良いのか青年。


いや、つっこむところはそこじゃない。



(青年と言うのもおかしな話だ)


(この人、赤いもの……)


(赤年?言わないよなあ……)



生ハムを無事(?)に、食べ終えた赤い人。



「……あー、……お前がここ最近どこに消えていたのか、ようやく分かったわ」



わたしが持ってきた冷やしタオルを頭に当てながら、どこか呆れたように呟く赤い人、またの名をトマティーナさん。(仮名称第2)


トマティーナさんはやっぱり流血していたのではなく、ただ単に赤毛の人だった。


しかも打撲はあるかもしれないけれど、わりと無傷という強靭な身体の持ち主だった。



「あの、本当に大丈夫ですか、トマティーナさん(小声)」


「ああん?」



わたしがこの人をトマティーナさんと呼ぶたび、緑くんは大爆笑して、それに比例してトマティーナさんはみるみる不機嫌になっていった。


でもトマティーナさんは単純なのか、生ハムを食べると黙る。


単純でかわいらしい人だということがわかった。



(この人、絶対緑くんにからかわれている……)



「あんたも気をつけろよ、こいつこんな感じの悪魔だからよ」


「んー、それはトマティーナさん限定だと思うんだけど」


「トマティーナは傑作だな……超ウケる」


「ウケねーよ!……ったく、仕事どうすん、」


”だ”の口をしていたトマティーナさんの言葉が遮られた。



言葉を言いきる前に緑くんは、これもまたおそらくホームセンターで買ったであろうスライム(赤色)を無常に投げつけた。


びちゃああああと軽くスプラッター映画風味。



「ぎゃあああああ!てめえ何してくれとんじゃゴラアアア!しかも一般市場で売られてんのなんて、緑だろ!なんでわざわざ赤色とか購入してくれてんだよコラア!」



「え、なに、わたしも投げていいの?」



緑くんはそっと、わたしにもスライムのおすそ分けをしてくれる。


「いいよ」




「よくねーよ!ちょ、やめろって。やめてください。てめえも期待に満ち満ちた視線を寄越すな!なにこれ、終始いじめじゃね?」



「空気読まねえからだよ」



「空気も何も、しごt」



(びちゃあああああ)


(びちゃあああああ)





「……話くらいさせろやああああ!つか女、便乗して投げてんじゃねえよ!」



「きゃー!すいません!」



「おい、スライム塗れで追いかけ回すなよ、見苦しい」



「俺のストレスはどこにやればいいのよ……」



節分の鬼の気持ちがよくわかったとぶつぶつ言いはじめるトマティーナさんは惨めにも見えるが、愛嬌も感じて微笑ましく思えた。


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野を彩る サタケモト @mottostk

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