野を彩る

サタケモト

第1話


自然は、いい。漠然としているが、いい。


青い空、白い雲。


自然、最高ー!


そう、叫びたい。


大空と大地のなかで、いつか幸せを掴みたい。

できれば、人ごみのなかではなく。


吹きすさぶ風には飛ばされぬように、風評などには惑わされずに。

人を爽やかに、人を和やかに。自分を殺さずに、自分らしく。


ときに、暗くなったとしても、きっと明るいところに出られるような強さ。



生きることがつらいだとか苦しいだなんて言う前に、野に育つ花のように地面に立っていたい。


何かを美しいと思う心は、決して忘れずにいたい。


そんなふうに生きられたのなら、素晴らしい。



雨のちくもりで、また晴れる。



(飾らない心でずっといれたのなら)


(そんなおはなし)


個性的な彼らとの、不思議な不思議な出会い。






じりじりと肌が焼けてゆく感覚。


"焼ける"とは、二通りの意味である。


”日に焼ける”という意味と、”皮膚が熱さによって焼けるように思える”という意味。


真夏の太陽の陽射しは、とても強くて、そして目映い。ゆえに、目が痛い。



断じてムスカごっこはしない。



説明しよう。



ムスカごっことは、目を両手で押さえ、「目があ!目があああ!」と叫び、地面をのたうち回る遊びである。



良い子は決して真似してはいけない。もれなく変人に見間違われる。


そもそも果たしてこれは遊びに入るのだろうか。



ただの悪ノリの延長線上とも言える。



コンクリートでこのムスカごっこをやると背中が痛い。



補足として、人からの目も痛くなる。(by体験談)




顔や身体の輪郭に沿って流れ滴る汗に、軽い脱水症状からくる頭痛と目眩に襲われる。



この茹だるような暑さも、心地よく感じたりする。



みんなが屋内で「怠い」と言ってバテていようとも、アイスクリームばかり食べていようとも、ミネラル麦茶をがぶ飲みしていようとも、こうして太陽の下にいる自分は生き生きしている。



クーラーの冷気は身震してしまうほど、人工的な冷えで、苦手意識を覚える。


そう、ご高齢の方でクーラーが苦手だから、あくまで自然風で夏を耐え抜くのと似ている。


(あんまり良くないんだってね)



兎にも角にも、今年も猛暑と呼ばれるものがやってきたのだ。



元来ラテン系な人間ではないけれど、サンバを踊りたい気分になる。


"踊りたい気分になる"と言っても、頭が逝ってしまって、ぱっぱらぱーに踊りたいと言っているのでは決してない。


夏のBGM的な意味でサンバだったのだ。



久石譲さんの曲のほうが、日本の夏らしい気もする。


楽しい気分というよりは、どこかもの寂しいような。


向日葵はとても綺麗で、明るいのに、なんだか、寂しくなる。





わたしの趣味は、家庭菜園。


年頃の娘の趣味が家庭菜園だなんて、と思われるかもしれない。


しかしながら、大変理に適っているのだ。


家計の節約の面から見ても、健康食としての自己管理のためであったりしても。


植物を育てる楽しみ、収穫する楽しみもあって、本当におすすめだ。



なかなかこの楽しみを共有できる友人はいない。


たとえ他人と共有できなくても、自己満足のために行うことができる真の趣味といえる。





夏は絶好の収穫時期。実りある季節。


夏野菜のトマト、キュウリ、ナス、トウモロコシなどなど。

色鮮やかな野菜が育つ。


今年の収穫量はどれくらいだろうと想像するだけで、ワクワクが止まらない。


美味しくできてるといいな。


採れたてで、新鮮な野菜のおいしさは格別です。


首に何かの粗品でもらったタオルを巻き、手には使い古した軍手とスコップ。


つばの広い日除けの帽子に、紫外線対策の長袖長ズボンの服装。


そんな人様から見れば、興味もわかないような(むしろ敬遠されてしまいそうな)スタイルで作業をしているのに、近ごろ、不思議と特定の人物からの視線を感じるようになった。


まさか、不審者と思われているのではなかろうか……

と、チキンな内心は怯えを示している。


ふと作業の一間に顔を上げると、必ずと言っていいほど、いつもブロック塀の向こう側の日陰で涼しいところに、バイクを止めた男性がじっとこちらを見ている。



ずいぶんと物好きな人だ。


視線はなぜか強い。

強いものの、一向に距離を縮めようとはしない。


もちろん気になっていても、わたしから話しかけようとは思わない。

自分から話しかけるべきなのだろうかと思い悩んで、結局逃避するように手元の作業に戻ってしまう。


わたしには、人と接するより、畑仕事をしているほうが合っている。


人の気持ちはとかく、わからない。


人の温もりよりも、土の温もりのほうが好きだ。


あの男性との距離も、わたしの通常の人間関係の距離と同じ気がする。


付かず離れずの、それにとてもよく似ている。

わたしの手元には、赤、紫、黄、緑、エトセトラ。


さまざまな色の、野菜という名の宝石が溢れている。


それらを確かめるように何度も指でなぞる。


そしてまたかごに戻す。


「よいしょ」と言いながら腰をあげれば、思わず苦笑いをしてしまう。


こういう動作のかけ声がおばさんくさいと、誰かに言われたな、なんて。


立ち上がった足もとには、山のように積まれた野菜たちが入ったかご。


お世話になっている近所の人にでもおすそ分けしよう。


家庭菜園を始めたばかりのころは、さまざまな加減がわからなくて、天候にも一喜一憂したりしたものだけれど、近ごろは流れに任せることを覚えた。


必要最低限の処置や作業をする効率を覚えた。


そんな自分の成長がこうやって成果につながったりする。


もちろん放っておいても、とても良く育つ年もあれば、手のかかる年もある。




今年は上々な感じ。


力を込めてかごを持ち上げる。


溢れんばかりに入っていた野菜たちがまさに溢れて、数個落ちて転がっていった。


あ、と声を出しかけたときには、すでにその落ちて転がっていった野菜は他者の手によって拾われていた。


ひとつひとつ、わざわざしゃがんで拾ってくれるその男性は、いつも日陰で視線を送っていたその人物だった。


炎天下のなか、真っ緑に染まった柔らかそうな髪がさらさらと風で揺れる。


思わず、腕を伸ばして触れてみたくなるような髪質で、よくこんなに染めて傷んでいないなあと思う。



もしかしたら地毛だってあり得るかもしれない。


緑髪って、本来、艶やかな黒髪を意味するらしいけれど、この人の髪は、本当に緑だ。


深い緑というよりも、明るい、森の木々のような、緑。



「みどり……」



突然のことでびっくりして目の前に入ってきたことをそのまま口にして呟くと、その緑の人がまるで呼びかけに答えるように顔を上げたので、視線が合った。


驚くほど整った顔をしている。


吸い込まれるように澄んでいる色素の薄い瞳に思わず見惚れてしまった。



「なあ、アンタ……」


緑の人は視線を逸らさず、口を開いて何かを言いかけた。


何を言うのだろうと、そのまま静止して待つ。



さあっと風の通る音。


車の通る音。


自転車のベルの音。


人の話し声。


いろんな音が、その間に流れた。


しかし、彼の口からその後の言葉が続くことはなかった。


彼はそのままわたしに拾った野菜を手渡し、踵を返して行ってしまった。


その不思議な感覚に囚われたまま、お礼を言い忘れたことに後から思い出して後悔した。



緑の彼と、それでお別れになることはないだろうと、なんとなく思っていた。


お別れの予兆が感じられなかった。


そうして、ほんとうにその通りで、また彼は同じようにわたしの畑の前に現れていた。


今度はほんの少し、距離が近くなっていた。


まるで野生の動物が懐いてきているみたいで、微笑ましくて笑えた。



(もしかして野菜が食べたい……とか?)


(無類の野菜好き?野菜好き系男子?)


(野菜が好き過ぎて髪色も緑色に染めちゃったとか?)


(んなアホな)



「ねえ、トマトは食べられる?」



そんなことを問いかけてみる。



赤くなった実を、試しにもぎ取って緑色の彼に差し出す。


いつの間にか、隣でわたしの作業を見守る仲になった。



よくわからない仲である。



つまりそんな至近距離になったわけです。


緑くん(勝手にこう呼ぶことにした)は、別段作業を手伝うというわけでもなく、なぜかいつも見ているだけ。




退屈じゃないのかな、とか

暇なのかな、とか

そもそも誰なのかな、とか



いろいろ考えてみたところで、緑くんはミステリアスでよくわからない。


ミステリアスというか、まず初対面であるから謎が多いのも無理はない。


今さらとも言える疑問だが、それらひとつずつが払拭される日は来るのだろうか。


今回は実験も兼ねて、トマトという好き嫌いの分かれる野菜を差し出してみた。


これで緑くんの知られざる新たな一面を見られるというもの。


緑くんは、無言でトマトを受け取って、それをじっと見つめる。


そして自分の服でトマトを拭きだした。


その様子にわたしは慌てて手ぬぐいを取り出し、緑くんの手にあるトマトを拭いてあげた。



緑くんは無言のままトマトを一口がぶり。



緑くんがものを食べている姿は、なんだか扇情的に見えた。


そんな変態じみたことをちょっと思ってしまった。



(緑くんはイケメンだから仕方がない)


(ほら、トマトの水分が滴ったり……)


(それにしても我ながらいい感じにトマトを熟れさせられたなあ……)



「……リコペルシコン・エスクレンタム」



「え?」



「意味としては、”食べられるオオカミの桃”だね。今はナス属だけど」



一瞬呪文かと思ったそれは、トマトのラテン語の学名だった。


そう言い放った彼は、とても素敵な笑顔だったから、わたしも笑顔で返した。


「オオカミには気をつけなよ、お嬢さん」



「ねえねえ緑くん!トマトってさ、黄金のりんごとか愛のりんごって言われてて、アダムとイブみたいだよね」


「うん……ってちょい待て、緑くんって?」



「え?きみ以外誰がいるの」



そんな膨らむ果実。


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