2-6 あの男につながる道

 封筒から出てきたのは、白い二枚の紙。

 一枚はB6ほどの小さなもので、プリンタで印字した文字が見える。もう一枚は折りたたんでいて中の文字は見えない。

 照子はまず、小さな紙の方を読む。


「真田まこと 様

 お探しの男につきまして、別紙のようなものを入手いたしました。

 しかしそこに書かれている大会にどのような形で関わっているのかは不明です」


 大会? と照子は小首をかしげ、真田を見た。

 真田が先を促すようにもう一枚の紙を見やったので、照子はそちらを広げてみる。


 それは、格闘大会の開催を記した案内状であった。

 開催日は次の日曜日で、場所は大阪の港にあるコンテナ埠頭ふとうとなっている。「近畿大会」と銘打っているところを見ると、全国規模で開かれているのだろう。


 ルールについての明記は簡素なものだ。

 ペア戦であり、相手チームが戦闘不能となった場合か、戦意喪失を宣言した場合、勝利を手にするものである。

 極めし者は大会当日、試合前に超技について登録しておくこと。

 この二つだけだ。


 試合についての細かなルールの記述がない、ということは、いわゆるデスマッチというものだろうか。

 照子はもう一度真田を見上げた。


「チャンプさんも気付いたか? 明記されてるルールはそれだけだ。つまり、それ以外は何をやってもいいということになるな」

 真田の言葉が照子の考えを肯定する。


 大抵、たとえアマチュア大会といえど格闘大会には試合に関するルールがしっかりと定められている。アマチュアだからこそ、なのかもしれない。

 初めて大会に参加する者には必ずそのマニュアルが配られることになっている。また、ルールに加筆修正などがあれば常連選手にも配布される。


「当日に詳しいルールの配布があるかもしれませんよね」

 そう言いながらも、照子はきな臭いものを感じ取っていた。

「まぁ可能性がないわけじゃないだろうが。おれは多分、本当にルールはそれだけじゃないかなと思う」

 真田も照子と同じように、もしかすると照子以上にこの大会が不穏であると思っているようだ。


「真田さんは、どうしてそう思われるのですか?」

「まず大会の主催者の素性があいまいだ。あとは開催場所かな」

 真田の言葉に照子はうなずいた。


 大会主催者の団体名は「格闘大会を盛り上げる会」という、なんとも安直なネーミングだ。

 照子がインターネットなどを通じて得ている格闘大会の知識を総動員しても、そんな団体名が開催する大会は見たことがない。


 そして開催場所が港のコンテナ埠頭というのも不審な点だ。

 主催者が団体名の通り格闘大会を盛り上げたいと思うなら、ギャラリーの多い公園などで開くのがセオリーだ。この開催場所では観戦に不向きである。


「もしかすると闇大会かもしれないな。あんたの探している男がどんな形で関わってるのか、そもそも本当にその大会と関係あるのかも判らないことだし、参加を考えるのは慎重にしたほうがいいんじゃないかな」


 闇大会。

 照子は心の中で反復した。


 正式に認められた格闘大会ではないものを裏の大会、闇大会と称することが多い。

 闇大会では正規の大会よりも優勝賞金が多く出たり、賭けファイトが行われることがあるという。多額の金が動くため、不正や危険な行為がまかり通ることが多いのだと、照子は聞いたことがある。

 暴力団が関わっている大会もあるとまで噂されていて、まっとうな格闘家ならまず出場はしない。


「事前に登録する必要はないみたいだから、当日までどうするのかよく考えるんだな」

 真田はそう言いながら、にやっと笑った。


「もしも……、もしも真田さんがわたしの立場なら、どうします?」

 一応の参考意見ということで、照子は尋ねてみた。

「おれか? あんたの立場で考える、となると、どうしてもその捜している男の手がかりがほしいなら出るかなぁ。ま、おれは捜している男はいないが出るつもりだけどね」


 真田の何気ない出場宣言に、照子は一瞬「そうなんですか」と聞き流しそうになった。

「――えっ? 真田さん、出るんですか?」

 照子が驚いて尋ねると真田はニカっと笑って「おぅ」と応えた。


「実は今までにも何度か闇大会に出たことあるんだよ。あ、これナイショな」

「はい。でもどうして危険だと判ってるのに出るんですか?」

「強いやつと闘いたいからだよ。表の大会だとプロは出場禁止とか規定があるが、闇大会は出場者の素性は問われないことがほとんどだからな」


 真田の目はまっすぐと、ここではないどこかを見ている。きっとこの大会に出場してくる強い相手を想像しているのだろう。試合前でもないのに彼からはとても強い戦意が感じられた。


 照子がなるほどとうなずくと、真田もまた爽快に笑ってうなずいた。

「それじゃ、他に聞きたいことがないなら、おれはもう行くよ。出るんなら、次の日曜日に会おう」

 言われて、咄嗟に照子は他に質問はないかと考えたが思いつかなかった。この大会に出るのか出ないのかの答えも出せないままに、きびすを返した真田を黙って見送ることしかできなかった。


 やがて真田の車のエンジン音が聞こえ、目の前を通過していく。

 既に暗くなった空に負けないほどの真っ黒の車であった。


「……ん? あれって……」

 照子は真田の車を見てひとりごちる。


 あまり車種に関する知識のない照子だが、車体の前方についたエンブレムには見覚えがあった。

「なんで、あんないい車に乗っているんだろ」

 本人に聞かせるにはいささか失礼な独り言が照子の口から漏れた。


 しかし実際、真田の服装などを見ていると、とても高級車がつりあうとは思えない。

 まさか、よからぬ仲間にあわせて車ぐらいはいいものに乗れとか言われているとか、と照子はふと思った。この闇大会の招待状も、素性のよろしくない相手とコネを持っているからこそ手に入れることができたのかもしれない。


 世間に出ている評判と、直接闘って感じた限りではとても爽やかなイメージの真田。

 だがもしかするととんでもなく裏のある人物なのかもしれないと照子は手にした封筒をじっと見つめるのであった。




 自宅に戻り夕食を食べた後、自室に早々に引き揚げて、さて、と照子は腕組みをする。

 机の上に格闘大会の招待状を置き、じっと見つめる。


 この大会があの男に繋がる近道かもしれない。

 だがもしかするとガセかもしれない。


 乗るべきか、そるべきか。


 そもそも、ペア戦ということは、出るとしてもパートナーを探さねばならない。一人で出場を決められるわけではない。

 誰に相談するべきだろうか、と考えた瞬間、彼氏の結の顔が脳裏に浮かんだ。


 しかし結はどちらかと言うと照子があの男を捜すことは反対なのかもしれない。はっきりとそう言われたことはないが、なんとなくそう思うのだ。結はとっても心配性だから。


 先日のあやめの事件も、ストーカー騒ぎがあったというだけでかなり心配していた。何度も「本当にそれだけだったのか?」と尋ねてくるあたり、照子が巻き込まれでもしていないかと本気で案じているのだろう。

 あの調子では、あやめが暴力団――桐生会の人達に言わせると暴力団ではなくてやくざらしいが――の関係者で、組同士の抗争に巻き込まれたなどと言うと卒倒するに違いない。

 なので彼には本当の事は言えなかった。


 護身術として合気道を習って、そこの師範に極めし者の素質を見出されて闘気を習得したという結。さすがに護身用として会得しただけあって、闘気を解放しているところを照子は見たことがない。

 彼に尋ねても「よほど危ない時じゃないと使わないよ」と言っていた。


 優しい人だからなぁ、と照子は結を思って温かい気持ちになる。

「いや、そうじゃなくて」

 考えが本題からそれたことに思わず一人でツッコミを入れてしまった。


 問題は、危険かもしれない格闘大会に出てまであの男を捜す意義があるのか、というところだ。


 闇大会かもしれないと思うと、怖い。暴力団の男達と接触を持って、改めてそういう世界とは無縁でいたいと思った。

 なら、あきらめるのか、と考えると恐怖を超える反発が膨れ上がってくる。


 照子は、あの男と初めて出会った時のことを思い出した。

 屈辱の敗北を思い、自然と握り締めた拳に力がこもる。悔しさに顔が熱くなるのを感じる。


 あの記憶を塗り替える闘いをしなければ、自分が格闘を続けていく上での大きな障壁となる。

 そう思うと、答えはおのずと決まってくる。


(これ一度きりで、あの男に会えるのなら、少々怖くても、出る)


 照子は大会への出場を決め、まずは結にパートナーとして出てもらえないか聞いてみよう、と思った。それで駄目なら他に探すしかない。

 さて、なんと言って切り出そうか。照子は作戦を練った。


    ☆    ☆    ☆    ☆


 週の半ばで突然、彼女からの呼び出しを受けて結は驚いていた。

 照子はどちらかと言うとあらかじめ予定を立てて動く人だと思っていたのだが、そうではなかったのか、それともよほどの緊急性がある用事なのだろうか。


 先日の、「桐生会」と対立する暴力団との抗争の一件が決着し、結は今はどこにも派遣されていない。次の仕事を待ちながらSEとしての仕事を手伝っていた結は、今日はさほど遅くまで残業をすることがなく、照子の希望に応えることができそうだ。


「ごめんね、急に呼び出しちゃって」

 先に待ち合わせ場所の喫茶店についていた照子が心配そうに見上げてくる。


 彼女も職場からそのまま来たようで服装が休日の少しラフなそれとは違い、シックなブラウスとパンツスタイルだ。

 しかし服装の乱れに気を遣ってなおしたようだが髪にまで気が回らなかったのだろう。前髪はヘルメットに押し付けられたことが判るくらいに、ぺたんとしている。また、足元もバイクに乗るためにスニーカーで、服装と少しアンバランスだ。


 思わず笑みが漏れそうになるのをそっとこらえて、結は照子の向かい側に腰を下ろした。

「いや。結構嬉しいよ。会いたかったし」

 素直に述べると、照子は嬉しそうに目を細めて笑った。


 注文を取りに来たウェイターにそれぞれ飲み物を頼むと、照子はじっと結を見つめてくる。

 彼女の表情から先程の笑みが消え、隠しようのない不安が見て取れた。


 こうして急に呼び出してきたことと、何か関係があるのかもしれない。果たして自分から問うべきか、彼女から話し出すのを待つべきか、と結が考えた時、照子が意を決したというように口を開いた。


「結は、わたしが格闘大会に出てることって、反対?」

 小首をかしげ、どんな答えが返ってくるのか心配していますと、ありありと判る顔で尋ねられた。

「別に反対なんてしないよ。反対するぐらいならとっくにしてるし」

 結の言葉に照子はほっと息をついた。


 ふと、結は思いついた。これを期に先日の事件について話してもらおうか、と。

 やはり直接関わった者の証言はありがたいものだ。事件は解決扱いになっているが、資料の書き足しをするのはいつでもできる。そしてその資料は詳しければ詳しいほど後々の参考となる部分が増えるだろう。


「よかった。結は反対かと思ってた」

 結の思考をさえぎるように、照子が笑顔を浮かべて言う。

「どうして?」

「いくら正規の格闘大会だって言っても、下手をしたら怪我とかしちゃうし。わたしは平気だけど、ほら、結ってちょっと心配性なところがあるかなぁ、って」

「そんなに心配性って程でもないと思うけど」


 本当は少しばかり心配なのは確かなことだ。

 結は、照子が大会に出ること自体を危険視しているわけではない。照子が数年前に彼女を叩きのめした男を捜したいあまりに無茶をしないかと心配しているのだ。


 むしろ照子が格闘大会に出ることを、男を捜す手段としているうちはまだ安心だ。下手に抑制して、結の知らないところで危険なことに首をつっこんでほしくはない。身の回りの危険にハラハラするのは仕事がらみだけで十分だ。


「じゃあ、試合に出ることであの男を捜すことも、反対じゃない?」

 再び照子は不安そうに尋ねる。なるほどこれが聞きたかったのか、と結は納得した。

「ああ。反対はしないよ。まいかた公園で大会に出て、その男を捜すことは別にそんなに危険だとは思わないからね。見つかって、彼が再戦に応じればそれでよし、だろう? それよりも大会以外で無茶をしてほしくないかな。この前も大会のそばで騒ぎがあったんだし」


 さぁ、この話をきっかけに、照子にその事件に関わったのだという言葉を引き出せば、と結は目論んでいた。

 だが照子は何かを憂えたような顔で「うん、そうだよね」と言うと、笑みを作って言った。


「格闘大会に出ることはいいんだよね。よかった、それだけでも聞けて」

 照子は「はい、この話はおしまい」とでも言わんばかりにうなずいて話題を変えた。


(え、おい、俺の話はまだ……)

 結は心の中で焦ったが、もうすっかり頭を切り替えてしまっている照子を相手に、話を蒸し返す事ができなかった。


 諜報員になって七年。照子が今までの捜査対象者の中で一番手ごわい相手だと改めて思う結であった。


    ☆    ☆    ☆    ☆


 闇大会の出場を心に決めたはいいが、パートナー選びで詰まってしまった照子。

 結を呼び出して、自分があの男を捜すために動いていることをどう思っているのか確かめてみたが、あの口ぶりでは彼はどうやら、まいかた公園でのみの活動に固執しているようだ。


 結いわくストーカー事件のことに触れる彼の表情は、何かを話してやろうという雰囲気をまとっていた。絶対に「無茶はするんじゃないぞ」と言いたかったに違いない。

 そんな調子ではとてもではないが闇大会に出場するなどと言えるわけもなく、照子はさっさと話題を切り替えたのであった。見込みがないのに余計なことを話して闇大会への出場を止められたのでは、たまったものではない。


 しかし、困ったな、と照子は腕組みをして首をひねる。

 ペア戦ということは、どうにかしてパートナーを見つけねばならない。まいかた公園の大会に来る常連さんに事情を説明してパートナーに仕立ててもいいのだが、できるならもう一人も極めし者の方がいい。


「極めし者かぁ。真田さんはもう出るって決めているということはパートナーも確保しているんだろうなぁ」


 照子は他に極めし者の知り合いがいない。

 と、思ったが。

 あぁ、そうだ! と手をぽんと打ち鳴らした。


 富川信司。彼がいるではないか。

 彼はなにやら普通でないシチュエーションにも慣れている様子であった。闇大会ぐらいどうということはないだろう。そして彼も極めし者と闘える機会を欲しているように見受けられた。


(真田さんのことをエサにしておびき出し、じゃなくて、誘い出せばいいんだ)

 照子はこれ以上ない名案を思いついたと満面の笑みを浮かべた。

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