2-2 諜報員 VS やくざの娘

 総一郎に勧められて結とあやめが腰を下ろすと、早速あやめが先制攻撃を仕掛けてきた。


「わたしを助けてくれたのは、てりこおねえさまよ。鈴木さんだか田中さんだか知らないけれど、こんな背だけ高い弱っちそうな人に何ができるのよ」

 あやめはふてくされているのが丸わかりの声だ。この子は手ごわそうだという結の予感は、早くも的中の色を濃くする。

 結は思わず苦笑を漏らした。


 あやめはびくっと肩を震わせて顔をこわばらせたが、それも一瞬のことでまた結を睨みあげてくる。

 見知らぬ者に対する恐怖を攻撃性に置き換えてごまかすタイプか。威勢のいい子供だと、結はますます笑みに苦いものを混ぜそうになったが、ここは平和的に事を運ぶためにもこらえておく。

 結は子供の無礼を寛大に許す大人の微笑みを浮かべてあやめを見下ろす。


「こらあやめ。そんなふうに言うもんやぁないで。鈴木さんが『川口組』の連中を抑えてくれよったから、あの一度だけですんだんや」

 総一郎があやめを制する。結に対する丁寧な口調よりも砕けている。

「それにな、鈴木さんも強いそうや。あぁ、なんていったか、きわもの、だったか」

「極めし者です」

 結は思わず即座につっこみを入れた。

「おおそうだ。そういえばこの前も強いお嬢さんに教えてもらったんだったな」

 一度訂正されたなら覚えてくれと、結は肩を軽くすくめた。


「ふぅん? 『川口組』にカチコミ行ったんだ」

 殴りこむという意味の「カチコミ」が、すらっと出てくるあたり、さすがはやくざの娘といったところか。

「荒事を仕掛けに行ったわけではありませんが……。では、改めて伺います、あやめさん。先週の土曜日に起こった出来事を、できるだけ詳しく教えていただけませんか?」

 あやめは、判った、と応えて腕組みをし、考え込むように首をかしげた。


「わたし、クラスの子達に暴力団の組長の子供だっていうんでハブられちゃったのね。それに超むかついて、家出したんだ。でもどこに行こうかなんて考えてなかったから、ちょっと前に友達に、てりこねえさまの話を聞いてたのを思い出して行ってみることにしたの。てりこねぇさま、すっごい人気者だったから声かけるのがメチャ恥ずかしかったけれど、思い切って試合前に話しかけてみたんだ」


 それからしばらく、あやめはいかに照子が優しく、強く、素晴らしい女性なのかを語った。照子のことを話すあやめはとても嬉しそうだ。

 照子は極めし者としての力を隠さず生活していても、異端の白い目で見られずに周りの人達をひきつけているのだな、と内心嬉しく思いつつ、結は知らぬ振りで尋ねる。


「あやめさんがおっしゃる『てりこ』さんとは、通称まいかた公園で開かれる格闘大会に出ていらっしゃる方ですね? 本名はご存知ですか?」

「本名……。あれ? なんだっけ……」

 あやめは首をひねる。


 相手の本当の名前も知らずに、しかしこれだけ傾倒できるとは、まるでアイドルの追っかけのようだ。やはり幼さゆえの情熱なのかもしれないと結は感心した。

「あぁ、結構です。格闘大会の主催者に問い合わせてみます。話を続けていただけますか」


 あやめはうなずいて、その日一日の出来事を語る。ところどころ要領を得ない説明があったり、何より照子への賞賛が始まると、ストップをかけなければならないほどに興奮するので、結はその中から必要な情報を抽出するのに少々難儀した。一体何度、彼女の口から「てりこねぇさま」という単語を聞いたことだろう。


「大体のところは判りました。ありがとうございました」

 話を聞き終え、結はあやめに頭を下げた。

 あやめはわざとらしく大きなため息をついて結を見る。

「やっと終わり? 疲れちゃったよ。田中さんだったっけ。ちゃっちゃとこの事件終わらせてよね。もうあんな連中をこっちに寄越さないでよ?」

「鈴木です」


 思わず名前を訂正したが、まるで自分が対立暴力団を寄越したかのような言われようにコメントすべきだったか、と結は心の中で嘆息した。


「別に鈴木さんでも上田さんでもいいじゃない。どうせ偽名なんでしょ? そういう仕事してるんだから」

 鈴木が偽名である事を言い当てられて結はヒヤッとした。これだから裏家業に関わる者は侮れない。たとえ子供であっても。


「あやめ。鈴木さんに失礼な態度をとるんやない。……申し訳ない、まだ子供ゆえに生意気を言いますが許してやってください」

 今まで黙ってあやめと結のやり取りを聞いていた総一郎だったが、さすがに娘が命の恩人に無礼を働くことは見逃せなかったようだ。このあたりが仁義にあつい職業柄といったところか。


「いえ。お嬢様には貴重な証言をいただきましてありがとうございます。今後『川口組』がこの件に関しましてお嬢様はもちろんのこと、『桐生会』に暴力的手段を行使してくることはないでしょう」

 結は軽く頭を下げてから、立ち上がって退出の旨を伝えると、今度は深く礼をした。


 総一郎達に見送られながら、結は「桐生会」の本宅を後にした。

「……あぁ、……疲れた」

 車の中で思わずもれた本音を誰かが聞き取ったとして、咎める者はいないだろう、きっと。


 あやめの不機嫌そうで生意気な顔を思い出してまたため息ひとつ。

 仕事に疲れたこんな時は、無性に照子に会いたいと思う結であった。


    ☆    ☆    ☆    ☆


 四月の第一土曜日。照子にとっては待ちに待った週末だった。

 ここ一週間の忙しさときたら尋常ではなく、息抜きがしたいとずっと恋焦がれていたのだ。


 今日も、いつものようにシャツとジーンズ、赤のジャケットとバンダナといういでたちで公園に姿を見せた照子に、ギャラリーは笑顔を向けた。

 その中に、先週ここで会った少女の姿を見つけた。


 照子の姿を見つけて走りよってくるあやめに、照子はなんだかほっとした。

 あの事件から一週間が経つわけだが、果たしてあやめの身辺はどうなったのだろうかと気になっていたからだ。


 先週は、体のラインを強調するような、中学生とは思えない大人びた服装をしていたあやめだったが、今日はシャツとジーンズというラフスタイルだ。うっすらと化粧をしているのは相変わらずだが、前よりも歳相応に思える。


「てりこねぇさまー! 会いたかったですー!」

 あやめは照子に飛びついてきた。照子も笑ってあやめを軽く抱き返してからそっと離した。

「あやめちゃん、元気そうだね。その後どう?」

「はい。元気ですっ。てりこねぇさまにお会いできることだけを楽しみにして来ました」


 照子はあやめを連れて、ひと気の少ない場所まで移動した。周りの人達は照子達のことを不思議そうに見たが、元々格闘大会を見に来ているということもあり、試合の方に視線を戻していく。

「それで、あのことは、どうなったの?」

 一応誰も聞いていなさそうかを確認したが、それでも照子は直接事件のことは口にしなかった。

「『川口組』のことですよね。もう大丈夫っぽい」

 なのにあやめはあっけらかんと言ってのけたので、思わず照子は苦笑い。


「なんか、どこかの捜査機関の人が来たよ。鈴木とかいう無愛想なおじさんが。その人がうまくやってくれたんだって」

「そう。よかったねー」

 照子は喜びながらも、あれ、どこかで聞いたことあるような? と首をひねった。しかし鈴木という名前はたくさんあるので、それこそいろんなところで聞いているだろうと、あまり深く気に留めなかった。


「よかったけど……。なんか、あの人きらーい」

「どうして?」

「なんとなく」

 実に子供らしい感覚だと照子は微笑む。

「でも解決したならもう会わないんでしょ?」

「うん」

 それまで不満そうにふくれっ面をしていたあやめは、ぱっと笑顔になった。

 よっぽどいやな人なんだ、と照子も思わず笑った。


「てりこねぇさまは? あれから信司さんとは会ってないんですか?」

 照子はかぶりを振った。信司とはあれ以来連絡は取っていない。

 またいずれ、と言いながらも、仕事が忙しくてその暇はなかった。よく知っている間柄なら、夜遅くても気にせず電話をするのだが。


 そのようなことを説明すると、あやめはふぅんと相槌をうった。

 夜遅くと言えば、と照子は思い出したように話す。

「昨夜いきなり彼が電話かけてきて、ちょっとでいいから会おうって言うのよ。すごく珍しいことだからびっくりよ」

「彼氏さんも忙しいんでしょ? てりこねぇさまに癒しを求めたんだー。きゃー、ラブー」

「え、やぁーね。大人をからかうもんじゃありません」

 照子はそういいながらも、あやめの言ったとおりだったら嬉しいな、と思う。


「無差別異種格闘技戦に参加される皆様、集合してくださーい」

 格闘大会を取り仕切るスタッフの声が拡声器に乗って響いてきた。

「……さ、そろそろ行かなきゃ。今日も頑張ってくるね」

「いってらっしゃーい。応援してますね」

 にこにこと笑って手を振るあやめに、照子はガッツポーズを取って応え、本部席の方へと走っていった。




 今日の参加者にも、今のところ極めし者はいなさそうだ。

 照子はちょっぴり残念だった。

 おまけに、今日は決勝戦まではほとんどてこずることなく勝ち上がってきた。闘気を持たない者でも、格闘に長けた者ならばいい勝負が楽しめるのに。


 さらに大目的の「あの男」の影も形もない。

「今日もいない、か」

 ついがっかりした顔でつぶやいてしまう。


 四年前に一度会っただけの男に執着するのはおかしな話なんだろうかと冷静に疑問を抱く時もあるが、照子の格闘家としての魂はリターンマッチを求めてやまない。


「……あれ? あの人……?」

 いつもの癖で観客席を見回す照子の目に、とある男の姿が飛び込んできた。


 身長が二メートルを優に超えているのでとても目立つ。周りの人達にも物珍しそうに見上げられている男は遠目でも判るほどに筋骨たくましく、一目でスポーツに親しんでいる、いやそれ以上にスポーツを生業としているのだろうと思わせるほどだ。

 帽子を目深にかぶっていて顔はよく判らないが、照子にはどこかでで見た覚えがあった。


「ひょっとして、真田さんじゃないですか?」

 男の近くにいる誰かが声をかけ、それをきっかけに周りでどよめきが起こった。


「真田さん。……ああ、やっぱり見たことあると思ってたら」

 照子も、ほぅとため息をついて真田を見た。


 真田は、大阪のプロレス事務所に所属するレスラーだ。まだ全国的な視点で見ればマイナーなのだが、これからが期待される若手レスラーとして格闘技の雑誌に取り上げられたことがある。

 実はとても強い極めし者なのだが、公式な試合に出場する時には闘気はオフにしている。まだ極めし者のみを集めたリーグやトーナメントを組むほどには、極めし者のプロレスラーがいないらしい。なので真田は非公式の試合に時々、一個人として参加することがあるようだ。


 ただ、活動拠点が地方とはいえ一旦プロとして有名になってしまうと、アマチュアの試合に出してもらえることも減ってきたようで、極めし者として闘う機会がほしいと訴えかけている。


 真田がまいかた公園に来たのは、やはり試合の機会を求めてのことかもしれないな、と照子は思った。しかし彼が観客席にいるということは断られたのだろう。

 彼が強い極めし者ならば、一戦交えてみたいものだと照子は思った。


 先週の信司との試合と同じように、大会の一戦ではなくて場所を借りての特別試合ような形なら認めてもらえるかもしれない。

 照子はそう思いつくと、早速大会主催者の元へと急いだ。


「あ、てりこさん。どうされました?」

「急な話で悪いんだけど。また今週も試合の後に会場貸してほしいんだ」

「てりこさんもですか?」

「わたしも、って?」

「さっき、真田さんから頼まれて。ほら、あそこにいるでっかい人」


 どうやら真田は、無差別異種格闘技戦、つまり照子がこれから決勝戦に挑もうとしている種目の優勝者と一戦交えたいと申し出てきたようだ。


「そうだったんだ! わたしも真田さんとやってみたいなって思ってたんだ」

 照子は思わず目を輝かせた。これは願ってもないことだ。

「頑張ってくださいねてりこさん。今日は極めし者の試合が立て続けに見られて嬉しいです」

「というと、もしかして」

「はい。決勝の相手の方も極めし者ですよ。決勝までは闘気をオフにしていたそうです」


 なんと、滅多と現れない極めし者が自分以外にあと二人もいるのだ。そして少なくとも一人とは試合ができる。うまくいけば二人と、だ。

 これは頑張らねばならない。

 最終目標であるあの男も、かなり強い極めし者だった。決勝戦の相手にも真田にも勝てないようならば、例えあの男と再会できてもまた負けてしまう。


 照子が気合を入れなおしていると、ウワサの決勝戦の相手が現れた。まだ十代と思しき若者だ。照子と同じくらいの身長で、バランスのよい肉付きの体にシャツとジーパンをまとっている。


「はじめまして、まいかたチャンプさん」

 男の子は礼儀正しく頭を下げた。

「はじめまして。他戸照子よ」

「僕は本多ほんだあつしです。決勝戦ではよろしくお願いいたします」

 びしっと姿勢よく立つ本多。その動きや姿勢からして、きっとどこかの道場に通っているのだろう。


 まずはこの子に勝たねばならない。照子は心のうちより溢れ出る闘志を瞳にこめて本多を見つめなおして、「こちらこそ」と応えた。

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