1-7 キワモノと呼ばないで

 男達はあやめの姿を見ると腰を折って頭をたれた。

「お嬢、家出などやめてどうぞ家に戻ってきてください」


「お嬢? 家出、って……。ひょっとして、あやめちゃん、暴力団関係の――」

 照子があやめを見て問いかけたが、彼女をさえぎって男達の一人が声を荒らげた。

「暴力団じゃないわぃ! あんな外道と一緒にするな!」

「は、はいっ。すみませんっ」

 思わぬ場所からのドスのきいたツッコミに、照子は思わず姿勢を正して頭を下げた。


「お嬢を助けてくれた人に、その言いようはなんや!」

 更に怒鳴り声が響く。その声の主は、照子に怒鳴った男よりも更に若い感じがするのだが、立場は上なのだろう。

 叱られた男が「へい。すいません」と恐縮している。


「うちのもんが、失礼しました。俺は田村隆介たむらりゅうすけっちゅうもんです。もうお察しかとは思いますが、そこのあやめお嬢さんは、うちの組の組長の娘さんです」


 田村が言うには、あやめは、大阪のやくざ「桐生会」の組長、桐生総一郎きりゅうそういちろうの一人娘だという。

 桐生会は、あやめを誘拐しようとしていた「川口組」のような典型的な暴力団とは違い、地元に根付いた、細々とした活動をしているやくざだという。


「あんな、カネのためならクスリや暴力に頼る連中とは違うんです。そのあたりはご理解いただきたい」

 田村はそう言って照子に頭を下げた。


 この田村という人は、それほど怖くないと照子は思った。話が通じそうな相手だ。


「……暴力団もやくざも、変わんないわよ」

 あやめがふてくされたような顔をしてつぶやいた。

「お嬢……。そんなふうにいわんとってください」

 田村が眉をハの字に曲げてあやめを見た。


「とにかく、組長が、お父上が心配なさってます。また襲われても困りますし、家に帰りましょう」

 田村の懇願するような提案に、あやめはしぶしぶうなずいた。「川口組」の連中がまた来たら、確かに大変だと思ったのだろう。

 あやめは田村につれれられて彼らの車に乗る。


 娘を助けてくれた礼を言いたいと組長が言っているらしいので、照子と信司も桐生家に行くこととなった。

 元よりあやめを送り届けるつもりであったし、こんな機会でもない限り、やくざの邸宅に行くこともないだろう。どんな家だろうかと照子の好奇心がちょっぴり刺激される。

 田村が話の判りそうな男だということで照子の恐怖心が薄らいでいた。


 バイクで移動すること三十分弱。一同は桐生家に到着した。

 古い日本邸宅で、大きめの木の表札には桐生の文字が墨で書かれている。近所の近代建築の家々からすれば明らかに浮いているが、ここまでどっしりと構えていると、周りがこの家に不調和なのだと思うほどだ。


「おかえりなさいませ、お嬢」

 玄関の近くで、若い男た数名、並んで出迎えている。あやめは「ただいま」と小さな声でつぶやいて家に入っていく。


 田村が、どうぞ中へと勧めるので照子と信司も門をくぐった。どうやらお出迎えの男達も、照子達があやめを助けたのだと聞いているらしく、深々と頭を下げた。

 どこかで見たことがあると思ったら、まいかた公園であやめに近寄っていた男達だ。


 なるほど、だから彼らは柄が悪そうに見えたが手荒なことまではしなかったのかと照子は納得した。

 事情を知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしてしまったなぁと照子は心の中で彼らに詫びた。


 通された和室は二十畳くらいだろうか、広々としている。家具は比較的新しいと思われるが、床の間の横のどっしりとした大黒柱はつやがなくなり、細かな傷もたくさんある。この家の歴史を堂々と物語っている。


 座布団に正座して待つこと一分ほど。

 隣に座るあやめも、今はおとなしい。


 やがて風格のある男がゆっくりと部屋に入ってきた。

 その威厳からして、この人が組長なのだろうが、照子はもっと老けた男を想像していたのに意外にも若かった。まだ四十代と思しき中肉中背の男性は、笑顔の中にも人を従えさえる何かを秘めている。


「ようお越しくださった。私があやめの父、桐生総一郎です。このたびは娘が危ないところを助けていただいたそうで、ありがとうございました」

 漆塗りの座敷机の向かい側に座った総一郎は、深々と頭を下げた。少ししわがれたバリトンの声には渋みがある。


 彼が「桐生会」の組長としてではなく、あやめの父として礼を述べたことに、照子はなんだか安心した。あやめが家出を考えるくらいだから、もっと娘のことは放ったらかしの怖い親父かと勝手に想像していたが、どうやらそうでもないようだ。


「他戸照子です。たいしたことはしていませんが、お嬢さんがご無事でなによりでした」

「富川信司です。本当に、てりこさんがやっつけてくれたからよかったよ」


 信司の言葉に総一郎が身を乗り出し、照子の手を取って、ぐっと握った。


「あんたが追い払ってくれたのですか。若い女の身で強いんだな。なんていったかな、そうそう、きわものだったか」

「極めし者です」

 いきなりキワモノ扱いとは酷いものだ。

 照子は思わずこけそうになった。すかさずツッコミを入れるに留まったのは自分でも褒めたいぐらいだと思った。

 まあしかし、世間一般での極めし者の認知度はこんなものだ。


「おおそうか、極めし者か。うちの組には、そういった力を持ったのがおらんからなぁ。あんたらがおらんかったら、あやめはどうなっとったことか」

 総一郎は心底嬉しそうにまた頭を下げた。

「いいえ、いいですよ。こんなかわいい子を事件に巻き込もうだなんて、許せないですしね」


 本当は信司がやっつけてくれるはずだったのだが成り行きで照子が闘うことになったとは言わないほうがよさそうだ。


 またひとしきり感謝の言葉を述べた後で、総一郎はそもそもの事件のあらましを教えてくれた。

 大体は信司が酒井に話していた通りだった。


 この「桐生会」は規模の小さなやくざ。地元の商店街と強く結びついて、取り仕切っている立場だ。

 対し、「川口組」は麻薬の売買にも手を出している典型的な暴力団だ。大阪の北部をほぼ牛耳っている。

 「川口組」は「桐生会」を吸収してしまおうと目論んでいるようだが、頑としてはねつける「桐生会」に、ついに暴力的手段を用いてきたといったところだそうだ。


「でもそれじゃ、これからもこんな事件がまた起こったりしませんか?」

 信司が心配そうに聞く。あやめはぎょっとして父親と信司を見比べた。

「その心配はもうない。今回のことはこちらが完全な被害者だからね。捜査機関の人達がきちんと対処してくれることになったそうだ」

 総一郎の言葉に、その場にいる全員が、ほっとため息をついた。


 まるでそのため息に呼ばれたかのようなタイミングで、部屋に一人の若い男が入ってくる。

「お話し中すみません。組長、鈴木さんがお見えになってます」

 総一郎にそっとささやくような声だったが、照子にも聞こえてきた。

「ああ、判った」総一郎は男を下がらせて、照子達に向き直った。「来客なので、私はこれで失礼させていただきますが、どうぞごゆっくりなさってください」


 照子達がうなずくと、総一郎は、では、と言って腰を上げ、また丁寧に部屋を出るときに頭を下げていった。


 部屋に残ったのは、あやめと照子、信司、そして若頭の田村の四人。

「あー、あの怖いのがもう来なくなってよかったー」

 あやめがそれまでの沈黙を破って、ついでに足を崩して大きくため息をついた。

「よかったね、あやめちゃん」

「はい。これも、てりこねえさまのおかげです。ありがとうございます」

「信司くんのおかげでもあるんだけどね」

「あ、そうでした。信司さんもありがとうございます」

「おれはおまけみたいな扱いだなー」


 ひとしきり笑った後で、照子はふと疑問に思った。なぜあやめは家出などしたのだろうか、と。


「ところで、あやめちゃん、どうして家出したの? お父さんとケンカ?」

「ケンカなんてしません。お父さんとは、できるだけ口ききたくないの」

「お父さんが嫌い?」

「だって、やくざですよ? 学校の友達も、うちのこと知ったら急に怖がっちゃってハミみたいに避けるし」


 あやめは悲しそうに、つぶやき声で言った。

 なるほど、だから信司の話を聞いた時に、早く家を出たいと言ったのか。照子はうんうんとうなずいた。


「判るよ。自分が悪いわけじゃないのに怖がられるのって、理不尽に思うよね。でもさ、あやめちゃん。家出してどうするの?」

 家出の理由には同情するが、ここはやはり教育関係に勤めている者として完全に同意するわけにはいかない。こうして知り合ったのも何かの縁とばかりに、照子はあやめに真正面から向き合って真剣に言った。

「早く家を出たいなら、きちんと学校に行って、ちゃんとした職についた方が結果的に早く自立できると思うよ」


 照子の説得に、あやめは「それは、そうですけど……」とうつむいた。


「それにさ、学校で友達にいやな思いをさせるのがお父さんのせいなら、お父さんに仕返ししちゃえばいいのよ」

「仕返し?」

 あやめが顔を上げた。

「うん。大人になるまで、たくさん面倒見させればいいの。ものは考えようじゃない。逃げちゃったら、いやな思いだけ押し付けられて終わっちゃうんだよ」


 あやめはしばらく考えて、ぱぁっと顔を輝かせた。

「そっか。いっぱい贅沢して、わがまま言って、困らせてやればいいんだ」

「そうそう。いい学校行って。資格とか取ってさ。そのためのお金、ぜーんぶお父さんに出させればいいの」


 あの父親なら、あやめがそれぐらいのことを言っても、むしろ喜ぶかもしれないと照子は思ったが、それは言わないお約束だ。


「判りました、てりこねえさま! わたしがんばります。早く家を出られるようにっ」

「大学出てすぐなら、そうかからないよね。あやめちゃん、高校生でしょ?」

「ううん。わたし、四月から中学二年生です」

「……えっ? あやめちゃん中学生だったの?」


 なんて大人びた中学生だと照子は愕然とした。最近の子は発育がいい。そしてませている。


「それだったら尚更、家出はダメよ?」

「はぁい。ねえさまがそうおっしゃるなら」

 素直なあやめに、照子はまた、うんうんとうなずいた。


「てりこさん、説得力あるなぁ」

 信司が感心したように言う。

「俺も感心いたしました。お嬢に言うことを聞かせられる人など、そうそういるものではございませんぜ。これからはあなたのことを、アネさんと呼ばせていただきます」

 田村が話に入ってきた。


「あ、あねさん、って、まぁ似たような呼ばれ方されてるからいいけど」

「田村、なにげーにわたしに対して失礼なこと言ってない?」

「そ、そんなっ、お嬢っ。この田村、お嬢に失礼などいたしませんっ」

 田村のあまりのあわてぶりに、照子と信司は思わず笑っていた。


「……それじゃ、そろそろ帰ろうか」

「そうですね」

 照子と信司が腰を上げると、あやめが例のうるうる瞳で尋ねてきた。

「てりこねえさま、また試合見に行っていいですか?」

「もちろん。……あやめちゃん、わたしはあやめちゃんのこと、全然怖いと思ってないよ。お父さんのことだって、いい人だと思う。だからあやめちゃんのお母さんは、お父さんと結婚したんだと思うよ」

 照子の言葉に、あやめは、ぱあっと顔を輝かせた。

「ありがとう、てりこねえさま!」

 抱きついてくるあやめは、とても年相応のかわいい女の子だと、照子は思った。




 桐生家を出て、照子は信司に改めて向き直った。

 なぞの多い格闘家。それが今、照子が信司に抱いている印象だ。

 そう言えば勝負はお預け状態だ。今は仕事でこちらにいるという信司だが、次にいつファイトできるのかは判らない。


「今日は、いろいろあったねー」

「ああ。勝負もお預けになっちゃったし」

 信司がファイトのことを覚えていてくれたので照子は嬉しかった。

「また次に機会があったら是非、最後まできちんと闘ってみたいんだけど。そうだ、信司くん携帯とか持ってる?」


 信司はうなずいて携帯電話を取り出した。メールは使ってないとのことなので、電話番号だけ交換する。


「じゃあ、またこっちに仕事で来ることがあったら、その時にぜひ」

「判った。それじゃ」

 信司が、おんぼろママさんスクーターに喝を入れ、ポンポンポンポンと怪しげなエンジン音を響かせて去っていった。


 また今日も、「あの男」の手がかりは何もなしだったと照子はふと思い、がっかりする。彼と再びまみえるために格闘を続けているようなものなのに、一向に近づけはしない。

 でもくじけない。いつかきっと、見つけ出して再戦を挑むのだ。


 もう少しあやめちゃんと仲良くなったら、お父さんにも協力してもらって探せるかもしれないと、ちょっぴり期待しつつ、照子も愛車のエンジンをかけて、桐生家を後にした。


 彼女が去るのを、複雑な表情で見送る影がいることにも、気付かずに……。



(ROUND1 了)

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