1-5 チャンプと彼氏の事情
照子はあやめを連れて、奈良市内のホテルにやってきた。
ホテルのランクとしては中の上、奈良駅から徒歩圏内とあって、宿泊客がわりと多めのホテルだと照子は聞いたことがあった。その評判に見合った数の人達が出入りしている。
ホテルのエントランスをくぐり、照子はまずフロントに向かう。
「すみません。こちらに宿泊している富川信司さんの連れの者なのですが、彼は戻られていますか?」
フロントの男性に話しかけると、宿泊者名簿と預かってある鍵を照らし合わせてチェックしてくれた。
「富川様は、まだお戻りではないようです」
「そうですか、ありがとうございます」
ぺこりと一礼し、あやめと一緒にロビーのソファに腰掛けた。
「ここのホテルで間違いないみたいね。よかった」
照子が、やれやれとソファの背もたれに体を預けると、あやめも「はい」と応えて同じような姿勢になった。
落ち着いた色のライトに照らされたロビーを見回し、ふと時計を見ると十七時を回っている。
まいかた公園での格闘大会が終わるころはまだ明るかった景色も、日が落ちていくと急激に紺色に呑まれて行く。立春を過ぎたばかりなので、まだ日暮れは早い。
ここまでの道中を思い出して、照子はついため息をついた。
「あー、でもびっくりしたわ。まさかバイクをぶつけるなんてね」
国道で信司が見せたバイククラッシュは、照子にはとても衝撃的であった。ああいうのはアクション映画の中だけだと思っていたのに、まさか本当にやる人がいるとは。しかも信司の口ぶりだと、頻繁にバイクを壊しているようだった。
もしかしてどこかの御曹司なのかしらと照子は首をひねった。バイクをしょっちゅう壊しても困らないだけの収入があるのかもしれない。
しかし泊まっているこのホテルは最高級というわけでもないし、信司自身の身なりも普通だ。
あぁひょっとしてお忍びの御曹司? などと照子の思考のベクトルが面白い方に向き始めた。
「信司さんって面白い人ですよね。てりこねえさまのお友達なんですよね?」
隣のあやめが尋ねてくる。
「お友達というか、今日会ったばかりなのよ」
照子は信司との出会いを話して聞かせた。
「それにしては、息が合ってましたね、さっき」
公園で男達を叩き伏せた時のことだろうか。
そういえば初めての共闘にしてはやりやすかったなと照子は思う。信司とは、格闘家として相性がいいのかもしれない。
といっても誰かと一緒に闘うということ自体、照子にとってはあまりないことなので、誰と気が合うのか合わないのかもあいまいなのだが。
「そうだね。でもあんな闘いはもうないほうがいいなぁ。ちょっと怖かった」
暴力団ふうの男達を相手にしたことは、今思い出すと身震いを覚える。極めし者でアマチュア格闘家と名乗っていても照子はアンダーグラウンドとは無縁なのだから。
「そうですね」
相槌をうつあやめは、どことなく寂しそうな表情に思えた。高校生の女の子の表情にしては大人びている。
そう言えば、なぜあの男達はこの子を追いかけてきたのだろうか、と照子は根本的な疑問を今更のように思い浮かべた。
まいかた公園で見た男達は、ちょっと気の強いストーカーのようだが、一休みしていた公園で相手をした男達は明らかにもっとたちの悪い害意を持っていた。
しかしいくら照子が考えても判らないことだ。ならば本人に直接聞くのが早いかと、照子はあやめにしっかりと顔を向けて尋ねる。
「ねぇ、あやめちゃん。どうしてあんな怖い男達に追いかけられていたのか、判る?」
「え? ……それは、判りません」
あやめは戸惑いの目を照子に向けた。照子が見たところ本当に解らなさそうだ。
いたいけな女の子を追い掛け回して危害を加えようなんて許せない。姉御肌な照子は未知の男達に憤慨する。
「これからのことは、信司くんが来たら相談しようか。あの人、なんだかいろいろと詳しそうな雰囲気だし」
先程は信司のことをお忍びの御曹司かと思った照子だが、考えてみたら、暴力団員ふうの男達を前にしても信司はやたらと落ち着いていた。極めし者だからという自信だけではありえないと思う。
まさか、どこかの組の若? と、またまた信司の素性に対する考えが変なほうに傾くのであった。
「はい。でも信司さん、どうやってくるのかな……」
そういわれてみれば、信司は山の中で交通手段を失ったことになる。ふもとまで行けばまだバスもそれなりの本数が走っているのだが、山道を降りるのも一苦労だろう。一体何時ごろにここにやってこれるのだろうか。
「時間かかりそうだよね。お茶してよっか」
照子の提案に、あやめは嬉しそうにうなずいた。
照子達はホテルのロビー横にある喫茶店に腰を落ち着けた。
信司がいつ来てもいいように、ロビーが見える席に陣取って、外の喫茶店よりはちょっとお高いけれどおいしいケーキセットを食す。
その間にも、あやめは照子にいろいろと質問を投げかけてくる。
「さっきの、ねえさまと信司さんの光、色が違ってましたけど、どうしてなんですか?」
「あぁ、あれは闘気の属性の違いだよ」
「属性?」
「その人の得意パターン、って感じかな」
照子は闘気と属性について簡単に説明した。
極めし者とは特殊な呼吸法を使って闘気を操れるようになった者だが、そのパターン分けたる属性は八つある。闘気を習得した際に、闘い方や得意手に一番近い属性になるのだ。
属性の種類は、バランスの「天」、特異の「月」、
そしてその属性にそれぞれの色があり、「天」の照子が白、「風」の信司は空色の闘気を持っている。
「つまり、相手の闘気の色を見れば、相手の得意なことがある程度判る、ってことですね」
「うんうん、そのとおり。あやめちゃん、飲みこみ早いね」
照子が笑顔でうなずくと、あやめは嬉しそうに「やった」と笑った。
「ところであやめちゃんは――」
「あ、ねえさま、まだ聞きたいことがあるんですよー」
あやめはさらに照子を質問攻めだ。格闘を始めたきっかけだとか、家族のことだとか、仕事は何をしているのか、など。
会話が途切れそうになると、次の質問を急いで投げかけてくるような感じがする。純粋に照子に興味を持っているのもあるのだろうが、そうやって質問をする側に回ることで、あやめは自分のことを詮索されないようにしているのではないかと、ふと照子は思った。
それならば、今はなにも聞かないであげようかと照子はあやめの質問に答えるのみにした。
「てりこねえさまって、モテるんじゃないですか? だって、優しくて、強くて、かっこいいし」
ショートケーキをおいしそうにほおばって、あやめはニコニコ顔だ。
紅茶のカップをソーサーにおいて、照子は「あはは」と笑いながらかぶりを振った。
「もてないよ。いい人どまりなんだよ、わたしは。男友達も結構いるけれど、ぜーんぜんそんな雰囲気にならなかったよ」
「じゃあ彼氏いないの?」
「ううん、彼氏はいるよ。でも今の彼と、元彼は一人だし、モテるって人数じゃないよね」
あやめは「へぇー」と言いながら意外そうな顔で照子を見た。二十代後半の女性にしては少ないとでも思っているのかもしれない。
青春を格闘に捧げてきたとまでは言わないが、やはり男性とお付き合いするよりは格闘技に興味を惹かれていたのも事実だ。
結の前に付き合った男と出会うまでは、両親、特に母親があきれていたほどだ。もしも今、結という彼氏がいなければ、お見合いなんてものを考えられていたのかもしれないと照子はちょっぴり苦笑を漏らした。
「彼氏さん、どんな人なんですか?」
「んーと、背が高くて、一見クール系だけど、結構あったかい人なんだよ。変に面白い面もあるし」
「わぁ、それって結構ポイント高いですねっ。自分にだけしか見せない内面、みたいな感じ」
あやめの羨望のまなざしに、照子はちょっと褒めすぎたかなぁと思った。のろけだけでは親ばかならぬ恋人ばかだ。
「でもね、忙しいからあんまり会えないんだよ。わたしより仕事とお付き合いしてるんじゃないかしら」
照子が大げさに肩をすくめると、あやめは不満そうな顔をした。きっと結に対してのものだろう。ころころと表情を変える女の子は見ていて微笑ましい。
「てりこねえさまを放っておくなんて、彼氏さん何してる人なんですか?」
「SEだよ。今忙しいんだって」
「SE?」
「システムエンジニア。んーっと、コンピュータ関係のお仕事」
あやめは、ふうんと相槌を打った。あまり良く知らないのだろう。といっても照子も、コンピュータのプログラムなどを作ってるぐらいの知識しかないのだが。
「ねえさまは大学の職員さんでしょ? どうやって出会ったんですか? お友達の紹介とか?」
「ううん。彼氏がうちの大学に仕事で来たのがきっかけ」
照子の勤めている大学に、結がSEとして派遣されてきたのは二年前の春だった。
第一印象は「冷たそうな人」だったが、話すうちに実は温かみも面白みもある人だと照子は思った。ただちょっと人づきあいが苦手なのだろう、と。
結の派遣期間が終わりに近づいてくると、照子は結に会えなくなるのがとても寂しいことだと思うようになった。そして、彼に心惹かれていることを自覚したのだ。
勇気を振り絞ってお付き合いしてほしいというべきだろうかと悩んでいた照子だったが、思いもよらず、結の方からアプローチがあった。
デートに誘われ、その初めてのデートの日に告白された。
付き合ってほしいと言われた時は、照子はもう天にも昇る気持ちで、即答でうなずいていた。
もうすぐ付き合い始めて二年になるが、いまだにあの日の喜びは昨日のことのように思い出せる。
「ねえさま、顔がすっごくニヤけてます」
あやめが鋭くツッコミを入れた。
言われて、照子はわざとらしく咳払いをひとつして、居住まいを正した。
「でも、ねえさまの意外な一面を見せていただけて嬉しいです。ねえさまにそんな顔させる彼氏さん、会ってみたいなぁ」
今日出会ったばかりで意外もなにもないだろうと照子は思ったが、きっとあやめは友人に前情報をいろいろと吹き込まれたのだろう。さぞかし勇ましいだけの女と言われていたに違いない。
「うーん、忙しい人だからねー。でも機会があったらまあ会ってやってよ」
照子が肩をすくめると、あやめは「はい」と元気よく返事した。
ふと、照子の視界の隅に信司の姿が見えた。ロビーを歩きながら辺りを見回している。
「あやめちゃん、先にロビー行ってて。信司くん来たから。わたし、お会計してから行くし」
照子は伝票を手に立ち上がる。あやめはうなずいてロビーへ小走りで向かった。
信司と合流して、照子達はすぐに彼の宿泊している部屋へと向かった。
部屋は五階にあり、もしもここに追っ手が来ても外からはちょっかいを出されないだろうと照子は安心したが、すぐに、それは出口である扉を抑えられれば自分達にも逃げ場がないということだと気付いて不安になる。
部屋の中は、若い男性が泊まっているにしては片付いているなと照子は思った。信司は几帳面なのかもしれない。
「早速だけど」椅子に座るなり信司が話を切り出した。「あやめちゃん、一旦おうちに帰ったほうがいいよ」
急な路線変更の提案に照子は驚く。もちろん、あやめが家に帰るのは賛成なので何も言わずにあやめの返事を待つ。
しかしあやめはその案には難色を示した。
「家、って、信司さん、どうして?」
まるで「わたしのことを判ってくれてたんじゃないの?」といわんばかりの、すがりつくような目で信司を見ている。
「あの追っかけてきた連中からいろいろと聞いてね。それで探偵やってる兄貴に確認したら裏が取れたから。あやめちゃん、家出してるんだろう。偶然だけど、兄貴んとこにおうちの人から探してくれって依頼があったんだよ」
探偵? と照子は首をかしげた。これで信司が暴力団の若だという説は否定されたわけだ。いや、照子とて本気でそう勘ぐっていたわけでもないが。
しかしなるほど、探偵が身内にいるとなると、暴力団なんかともつながりがあるのかもしれないなと照子は思った。
テレビなどの影響で、彼女の中で探偵という職が愉快に歪曲されていることに照子は気づいていない。
それよりも、あやめが家出をしていることの方が今は重大だと照子はあやめを見つめる。
家出といわれて納得するのが、彼女が持っている大きめのリュックだ。おしゃれに気を遣っている女の子が持つにはアンバランスだと思っていた。ひょっとしてしばらくは帰らないつもりで、持ち出せるものをあのリュックに入れて出てきたのだろうか。
あやめは、二人に見つめられてもじもじと手を組み合わせ、目を泳がせる。まさかこの段階で急に家出のことがばれるとは思ってもみなかったのだろう。
「じゃ、じゃあ、もしかして、うちのこと……」
あの、小動物が庇護を求めるようなウルウルとした目で、あやめが信司を見上げる。
「うん。どうしてあやめちゃんが男達に追いかけられてるのかも――」
「判った! 判ったからぁ! それ以上言わないでっ」
あやめは両手をぶんぶんと振り回して信司の言葉をさえぎった。
「あやめちゃん、追いかけられてる理由、知ってたんだね」
照子は少しだけがっかりした。嘘をつかれたことにもだが、あやめが知らないと言った時、それが嘘であると見抜けなかった自分に。
「あ、違いますっ。えっと……。その、ごめんなさい。まいかた公園の方は、知ってます。でも、でもっ、途中の公園に来た人達のことは知りませんっ。だからっ」
あやめは言葉を詰まらせながら照子を「ウルウル瞳」で見る。
(うわ、ずるいよその目。……あぁわたしも可愛い女の子に弱いなぁ、って、これって男の思考?)
あやめの視線攻撃にすっかりやられていることを自覚して、照子はがっくりと肩を落とした。
「あー、詳しくは言えないけど、途中から追いかけてきた奴らのことをあやめちゃんが知らないのは本当だと思うよ。とにかくあやめちゃんを家に送ろう。詳しい話はそれからだよ」
信司は照子のショックを知ってか知らずか、ひとりで「うん、それがいい」と言わんばかりにうなずいている。
あやめの家出の理由や、追いかけてきていた男達のこと、すべてが明らかになるなら、なによりあやめが無事ならばと、照子もうなずいた。
駐輪場に来て、照子は驚いた。信司がキーを入れたのが、とても古いタイプのスクーターだったから。前のマシンとのギャップが激しすぎる。
「あぁ、これ。山を降りて近くの中古屋さんに行ったら、すぐに売れるのがこれしかないって言われたから」
照子の視線に気付いて信司が笑う。
「それじゃ、おれが先に行くからついてきて」
「信司さん、うちの場所判るの?」
「住所は聞いたから、大体の行き方は判るよ」
照子からヘルメットを受け取りながらあやめが尋ねると、信司は自信ありげにうなずいた。
住所を聞いただけでルートが判るとは、信司はよほど走り慣れているのだろう。感心しつつ照子も愛車のエンジンをかけた。
信司の新しい、といってもお古のマシンは、排気音にも年季が入っている。これでこの先、目的地までちゃんと走れるのかと照子はひそかに不安に思っていた。
そしてその心配は的中してしまった。
大阪に入ってしばらく走ったところで、信司はバイクをコンビニの駐輪場に停めた。そのちょっと前から、排気音に聞きなれない雑音が少し混じっていたかもと照子は思い出す。
「エンジンの調子悪いの?」
「あー、ちょっとねー」
照子が尋ねると信司があいまいな返事をしながら、何度かエンジンをかけたり止めたりしている。
「てりこさん」
信司がささやくように呼ぶので、照子は「ん?」と顔を近づけた。
「つけられてる」
「え?」
「多分途中の公園で来た連中の仲間だと思う。このまま、あやめちゃんの家に行ってもいいけど、ドンパチはじめちゃいそうだし、途中で迎え撃とうと思うんだけど」
つけられている? ドンパチ? と照子は首をかしげたが、ゆっくりと信司の言葉をかみ締めるように頭の中で復唱して、ようやく意味を掴んだ。
あの怖い連中と闘うということか、と照子は難色を示した。
まいかた公園から逃げた先で追いかけてきた連中が、銃を取り出した時は、正直かなり腰が引けた。なので後で考えれば支離滅裂っぽいことを言っていたと思う。自分から向かっていったのは、まさにやられる前にやれ、そして逃げろ。といった少々攻撃的な防衛本能が働いたからだ。
しかし今は違う。闘わなくてすむならそれに越したことはない。
「てりこさん。極めし者が絡んでるんです。てりこさんだって、極めし者の力が、ただの暴力に使われるものだと思われるのって、イヤじゃないですか? この力は、人を苦しめるためのものじゃないはずだ。人の役に立てるものなんだ。そうは思いませんか?」
「てりこねえさま、お願いします。悪者をやっつけてください」
話を聞いていたあやめが手を組み合わせて照子を見上げてくる。
確かに、信司の言う通りだ。照子は普段から闘気を解放して極めし者としての力を隠さずにいる。それもこれも、周りの人達が極めし者を悪い人と思っていないから出来ることだ。
しかし極めし者に対する悪評が世間にあるのもまた事実。自分にできる範囲でそれを払拭するのも、力を持つ者の義務のような気もする。
だがやはり、あまりダークサイドの人間とは近づきたくないものだ。友好的な関係ならともかく、敵対したら後々まで追いかけてきそうだ。
「判ったよ。協力はする。でも信司くんがメインになって動いてくれたら嬉しいな」
「よかった、てりこさんの協力があるって約束だけでも心強いよ」
「うん。いざとなったら助けるよ。ところで、つけてきてるって人はどこ?」
肝心の闘う相手がどこにいるのか判らない照子であった。
「今は、駐車場の端っこに車を停めてるよ。多分こっちを観察しているんじゃないかな」
「じゃあ、どうするの?」
「ここで闘うのは、ちょっと人目が多すぎるかなぁ。もうちょっと行った所に空き地があるはずだから、そこへ行こう」
信司の提案に、照子はうなずいた。
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