1-3 真剣勝負を裂く悲鳴

 照子は信司とともに、広場の中央に向かった。

 観客席との仕切りであるロープをくぐり、これから熾烈な闘いが展開されるであろうバトルフィールドに足を踏み入れる。

 十メートル四方のスペースは、普通の格闘家には十分な広さだろうが、極めし者達が遠慮せずに力を振るうには、少々狭い。


 二人はフィールドの中央に、二メートル程の距離を空けて向かい合った。


 今日だけで五回、照子はこのスペースに足を踏み入れた。そのすべてが試合時間一分以内にKO勝ちという華々しい結果だった。

 だが今は違う。信司は照子が今まで出会って拳を交えてきた極めし者の中で一、二を争う実力者だ。


 闘気の大きさだけみると照子自身と同等、あるいは少し上だと彼女は見積もっている。これに加えて格闘の腕前が伯仲していたら、間違いなく信司に分がある。

 もちろん、技の相性などの他の要素もあるのだが、照子は苦戦必至と覚悟していた。

 勝ちたい、と思う。だがそれ以上にこの闘いをできる限り楽しみたいとも。


 照子が闘気の解放を強めると、信司もそれに習った。照子は白、信司は空色のオーラを解き放つ。体の近くでは白熱色に近いが、放出される闘気の色はその者が属する「属性」によって変わる。


「信司くんは風か」

「てりこさんは天だね」

「風の人とやるのは初めてだわ。楽しみ」

 楽しみだという照子の言葉に、信司も唇の端を持ち上げて笑った。


 照子は、体の内から溢れ出る強大な力を感じて気分が高揚するいつもの感覚をかみしめた。


 闘気を強く解放したからと言って、筋肉が盛り上がったりなどの、視覚の上での身体的な変化はない。体から闘気が噴き出るのが他者にも視認できるぐらいだ。

 だが外見の変化がなくとも、極めし者が闘気を用いて行動する際にはとても常人では考えられないほどの頑強さと素早さを得る。


 二人とも、闘いを直前にして格闘家の表情になる。笑みを浮かべてはいるが、目は鋭く相手を見つめ、一挙手一投足を、いや、動くまでのほんの一瞬の間でさえも見逃すまいとしている。


 両者は腰を落とし、それぞれの構えを取る。照子は両の拳を胸の前に掲げ、信司は脇をしめて拳を腹の横にすえた。


 正式な試合ではないので、勝負の始まりを告げる者はない。相手の隙を突けるチャンスだと判断した瞬間に動き始める。


 照子が距離を詰めようと、軸足に体重を乗せる。

 そのタイミングで信司が地を蹴った。

 先制攻撃を仕掛けようとしていた照子は、まさかの信司の接近に驚き思わず上体を後ろに引く。残った足に信司の蹴りが飛んできた。


 バックステップで回避を試みるも「風」属性にふさわしく相手の方が素早さは上。足を払われ、照子はしりもちをついた。

 しかし次の瞬間には横に転がりつつ身を起こす。全身のバネを利用して起き上がるというよりは跳ね上がった。

 すかさず反撃。立ち上がるよりも早く拳を振り上げる。彼女が地に足をつける時にはもう拳は信司の胸元だ。


 きっと予想外だったのだろう、信司はよけることができずに突きを受け、二歩ほど後ずさった。


 照子は続けて攻撃はせずに、構えを取りつつ信司を見据える。信司も同じように照子を見つめ返してきた。


 照子と信司が大きな動きを止めたことで、観客達はいっせいに、ほぅとため息をつく。「見えた?」「何があったんだ?」などと観客達はざわめいているのが照子の耳に届いた。


 やはり照子が見たとおり、信司は強い。そして自分と同じように真剣勝負に挑みながらも対戦を楽しんでいる様子がうかがえる。きっと格闘家として彼とは気が合うだろうと照子は嬉しくなった。

 しかし彼と話をするのは試合の後。今はまず格闘家らしい交流を楽しもうと、照子は再び呼吸を整えて相手の隙を探った。


 信司の闘気の放出がひときわ大きくなる。

 次の瞬間、彼の姿がぶれるように見えたかと思うと、元いた位置よりも五メートル近く後方へと瞬間移動した。

 さらに照子の左手、後方それぞれ二メートル程にも気配を感じる。


 分身か、と照子は瞬時に相手の超技ちょうぎ――闘気を使った特殊な技――を察した。


「うわ」

「増えた!」

 ギャラリーのどよめきが照子の直感を肯定する。


 分身は厄介だ。闘気で作られた影は凝視しなければ見破ることができないほど本人にそっくりだ。

 だがそんな隙を闘いの最中に作るわけにはいかない。一瞬のうちに見分ける必要がある。


 照子は迷わなかった。彼女の体から放出する闘気がひときわ強くなる。

 大きく拳を振りかぶると、照子の足が地を蹴った。白く輝く闘気を纏わせた拳を突き出す。

 照子があっという間に前方の信司に肉薄。

 拳は信司の頬を打つ、はずだった。


 信司の姿が掻き消える。これは闘気の幻影だったようだ。

 照子が振り返ると、彼女が元々いた位置に攻撃を仕掛けていた信司の姿がある。


 すかさず照子は、右足に闘気を集めて蹴り上げる。放たれた白い闘気の塊が地を這っていく。

 信司はすぐに態勢を立て直し、ジャンプした。信司の体が照子に迫ってくる。


 超技の後の隙を狙うつもりだろうがそうは行かないと、照子も振り上げた足を地に着け、伸びあがるように右の拳を突き上げた。

 拳が空中の信司のすね辺りに決まるはず、相手の体勢を崩せると照子は確信していたが、さすが極めし者との闘いは期待を裏切り、裏切られることの連続だ。


 信司はまるで空中に見えない板でもあるかのように宙を踏むしぐさをして更に高さと飛距離を伸ばす。照子の上を飛び越える時に、二人の視線が交錯。


 ――次の一撃で、フィニッシュだ。


 超技をふんだんに盛り込んだ試合の決着を、二人とも、確信した。

 信司が着地する。二人はほぼ同時に相手に向き直った。

 照子の右の拳、信司の右足に闘気が集まる。

 ほぼ同時に動き出す格闘家達。

 白熱色の闘気がさらに服装の赤を引き立たせている照子は「赤き光のてりこ」の異名にふさわしい。対し、空色の闘気に包まれた信司は、まさに一陣の風だ。


 二つの光が交錯しようとした、その瞬間。


「きゃあぁっ! 離してぇっ!」

 耳をつんざく、甲高い声が会場の空気を切り裂いた。


 耳に飛び込んできた悲鳴に、照子も信司も、勝負の重大な局面であるにも関わらず、思わずそちらを見た。


 ごっちーん!


 擬音にするときっとこう言い表されるであろう鈍い衝突音が、悲鳴の後を追うように会場に響いた。


「いぃっ……、たあぁっ」

「うおおぉぉぉ……」


 照子と信司は頭を抱えてうずくまる。見事に互いの頭に頭をぶつけた二人はしばらく動けない。極めし者とて不意打ちの一撃には弱かった。


「ご、ごめん……」

「いえ、お互い様です。でも今の布を裂くような悲鳴はなんだ?」

「信司くん、それを言うなら絹を裂くような、でしょ」

「あれ、そうだったっけ……?」

「それ、わざと? それとも天然?」

「何が?」

「……ううん、もういい」


 などと言い合いながら照子と信司はなんとか立ち上がった。


 悲鳴のあがった方を見てみると、人垣がその部分だけひいている。その不自然に作られたスペースの中にいるのは、十代半ばと思しき女の子と、いかにも柄の悪そうな青年が三人だ。

 男のうちの一人が女の子の手首を取っているが、女の子は嫌がって腕をぶんぶんと振っている。


 あれ、見たことあるかも、と照子は女の子を見て思った。

 しばし記憶を探って、思い出した。大会が始まる前に応援にやってきた女の子だ。妹にしたいなぁと思わずつぶやくほどに可愛らしい女の子。


「あれ、あの子……」

 照子がつぶやくと、信司が反応する。

「知ってる子?」

「今日知り合ったのよ。試合前に声かけてきて……。まぁでも、あの雰囲気は知り合いでなくても、何とかしてあげたいわね」


 照子の言うように、女の子と男達の間の空気は最悪だ。男達が女の子を無理やり連れて行こうとしているように見える。


 周りのギャラリー達は困惑顔だ。突然のアクシデントに戸惑っているようだ。それに加えて、ゆゆしき状況だが関わりたくはない、といった心理も働いているのかもしれない。男達は言葉よりも手が出るタイプに見えるので、それは照子にも納得できた。


 何とか男の手を逃れようとしながら、女の子が照子の方に振り返る。

 目があった。

 可愛らしい瞳が、ウルウルと揺れている。


「……てりこねえさまっ。助けてっ」

 あの、甘えるような鼻にかかった声で、助けを求めてくる。

 照子には、もうそれだけで放っておけなくなった。


「ごめん信司くん。この勝負、一旦預けるよ」

 信司にことわりを入れて、照子は女の子の方に歩いていった。


「助けて、って、どういう状況なの? その人達は……」

「うるせぇよ。こっちの事情に首突っ込んでくるんじゃねぇ」


 女の子よりも先に、男の一人が答えた。いや、声色や目つきからして、すごんだと言うべきか。首を傾けて斜めから見るようにして睨んでくる。テレビのヤクザものを間近で見た気分だ。


 うわ、怖っ、と照子はひるんだ。いくら肉体において頑強な極めし者でも、照子は犯罪者などとは無縁の生活をしている。もしも相手がヤクザだとしたら関わりあいにはなりたくない。


「その事情が判らないから聞いてるんですよ」

 後ろから声と気配が近づいてくる。信司もやってきたようだ。彼は落ち着いた様子で言葉を続ける。

「助けて、っていうくらいだし、あんまりいい雰囲気じゃないよ。なんにしても乱暴はよくない」


「だから、おまえらには関係ねぇって言ってるだろうが。このお嬢さんは――」

 男の言葉をさえぎって、女の子がありったけの声で助けを求めた。

「この人達、もうしつこくてしつこくてっ。何度も連れ去られそうになってるんです。助けてください!」

 その声に男達は「えぇ?」などと声をあげてひるんだ。


 男達はストーカーか、もしかすると人さらいなのかもしれないと照子は思った。きっとそれなりに腕に自信があるから、こんな人前でも女の子に手が出せるんだろう、と。


 確かに男達の雰囲気は、おいそれと首を突っ込めるものではない。でも、それでも、この子を放っておくなんでできない。

 照子は、瞬時に決断を下した。

 照子は少女の手をつかみ、男の手を振り払わせた。そのまま彼女の手をひっぱって走り出す。


 男達は突然のことであっけに取られていたようだ。だが連れ去ろうとしていた少女を奪われたことに気付くとわめき声を上げながら追いかけてくる。


 照子一人なら逃げるのは何の苦もない。だが連れている少女を気遣いながらなので、徐々にその距離は縮まってくる。


 このままでは捕まる。

 仕方がない。追いつかれたら、極めし者の力を使ってでも逃げよう。

 照子がそう思った時。


「うわあっ」

 男達の悲鳴が上がった。


 照子がちらりと後ろを振り向くと、地面に突っ伏した男達のすぐ傍に信司が立っていた。

「やー、せっかく解放した闘気、まだ残ってたからさー」

 呑気な信司の声が聞こえた。

 伸びている男達をひょいと飛び越してやってくる。


 どうやら超技用にためておいた闘気を男達に放ったようだ。照子はあっけに取られた。


「闘気使えない相手に、先制攻撃はまずいよ、信司くん」

「だって明らかにあいつら悪いから。誰も文句言わないって」

「……聞かなかったことにするね」


 刑法では極めし者が他人に対して力を行使することに制限を設けている。

 公式に認められている試合以外では、身の危険を感じるような状況でなければ使ってはならない。

 公式な大会、あるいは立会人のいる勝負でなければ、たとえ当人同士が同意していても、人に向けて極めし者としての力を使ってはならない。


 照子はそれを知っているので信司を咎めたが、心情的には信司に同意していた。


「助けてくれてありがとう、てりこねえさま」

 女の子が、ぺこりと頭を下げた。

「どういたしまして。とにかく、怪我なんかなくてよかったよ」

 照子の返事に、女の子の笑顔が輝いた。

「嬉しいっ。もう、てりこねえさまに一生ついていきますっ」

「あはは、それは大げさだよ。とにかく、ここから離れて、これからのことは安全な場所で考えよう」

 照子の提案に女の子と信司はうなずいた。


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