1-2 光と風の出会い

 土曜日の午後。今日も暖かな日差しに包まれた通称「まいかた公園」では格闘大会が開かれている。

 平日の夕方に開くものとは違い、半日近くかけて開催する規模の大きな大会だ。照子が出場する無差別異種格闘技戦以外にも、格闘技別、年齢や男女別のトーナメントも、エントリーが多ければ開催される。


 やはり一番のメインは、誰でも参加できる無差別異種格闘技戦だ。このトーナメントは出場者が一番多く、また観客達も心待ちにしている。


 まいかた公園は、大阪にある比較的大きな公園だ。

 少年野球なら十分に試合が出来るほどに敷地は広いが、遊具がほとんどないことから、以前は地元の子供連れや、球技を楽しみたい学生などがちらほらと利用するだけの公園であった。


 しかし三年前からアマチュア参加型の格闘大会が開かれるようになって、徐々にギャラリーが増えるようになってきた。照子が極めし者であることが、彼女がはつらつと闘うさまが、人気の元になっている。


 照子が長年チャンピオンでいるのは、彼女の格闘センスもさることながら、やはり極めし者であることが大きな要因だ。といっても最初から最後まで闘気を使った闘いでは面白くないので、ここぞという時にしか闘気は解放しない。誰に教えられたわけでもないのに、照子はエンターテイナーの素質があると言っていい。


 この大会に他の極めし者が参戦したことは、数えるほどしかない。

 極めし者が希少な存在であるのもさることながら、自分が極めし者であることを秘密にしている者も多いと照子は聞いている。そろそろこの公園の大会も有名になってきたので、極めし者がもう少し現れてくれないものかと照子はひそかに願っていた。


 ちなみに、まいかた公園というこの呼び方は本来の名前ではない。

 ある日、大阪のラジオ番組にゲストとしてやってきた有名俳優が、この公園のことを「まいかたこうえん」と読んでしまったために、ここの利用者が面白がってそう呼び始めたのが広がった。今では特に格闘大会においては、こちらの呼び方の方が定着している。


 照子は今日の日中を、まいかた公園で過ごそうと、昼食を軽く済ませてやってきた。

 赤を基調とした排気量四〇〇ccのバイクは女性が運転するにしては大きめだが、身長百七十センチを少し越えている照子には不釣合いではない。


 日の光に映える赤のジャケットと、ヘアバンドのように細く折りたたんで頭に巻いた赤のバンダナが、まいかた公園での照子のいつものスタイルだ。平日の夜に開かれる大会は、職場で着替えるとあってさすがに派手な色使いは控えているが、休日の大会では、照子はほぼこの格好でいる。


「あ、てりこさーん。今日は『赤き光のてりこ』さんらしい服装ですね」

 中学生の男の子達が声をかけてくる。彼らは数ヶ月前から自称「てりこのファン」だ。


「あはは、昨日は青きデニムのてりこ、だったけどね」

 照子が肩をすくめてみせると、男の子達は大声で笑った。

「あの野次、しっかり聞こえてたんだ」

「ところで、前から疑問に思ってたんだけど、どうして『てりこ』さんなんですか? 本名は『てるこ』ですよね」


 あぁ、それね、と照子は笑って答えた。

「極めし者って、基本の型を外れた動きで闘っても平気なんだよ。というか型を崩した動きこそが極めし者の持ち味で。もちろん型を崩すには基本の型がしっかりできてないといけないわけだけど。……話がそれちゃったね。で、わたしの極めし者としての動きを参考にしたのが、ある格闘ゲームのキャラクターでね」


 照子の答えに、ファンの子達は納得して手を叩いた。

「格ゲーキャラからもじったんだ!」

「ニックネームはわたしが自分でつけたわけじゃないよ。いつのまにかそう呼ばれるようになってたから、ま、いいか、って感じで」

「なーるほど。――あ、早く場所取らないと。それじゃ今日もがんばってくださいね」

「うん。がんばるよ。応援よろしくね」

「はーい」

 照子がにこっと笑ってガッツポーズを取ると、男の子達も同じポーズで応えて、観戦スペースへと走って行った。


 続いて、高校生ぐらいの女の子も近くにやってきた。

 うっすらと茶色に染めたロングヘアを頭の上の方でひとつにまとめ、思わず可愛らしいと抱きしめたくなるような愛くるしい顔に、ちょっと不釣合いな大人びた化粧をほどこしている子だ。


 この年頃の女の子が大人にあこがれて化粧をしたり、少しボディコンシャスな服を着てみたりというのはよくあることだ。そのくせ、背に負ったリュックはファッションよりも機能性を重視しているようで、少し大きめでデザインも可愛いとは言いがたいものだ。

 そういうところもまた可愛らしいと思える。


「はじめまして、てりこねぇさま。友達に聞いて、おねえさまの試合を見に来ました。頑張ってください」

 甘く鼻にかかったような声だが、それでいて凛とした響きもある。可愛らしさと気の強さを内包している声だなと照子は感じた。

「ありがとう。がんばるよ」

 照子が応えると、女の子は嬉しそうに、はにかんで笑った。


(ああいう可愛い妹がいればなぁ)

 思わずいつもの癖でそう心の中でつぶやく。


 自他共に認める姉御肌な照子だが、妹はいない。

 二つ上の姉はもう結婚して家を出ている。両親と飼い犬、三人と一匹暮らしになって、ますます妹がいればなぁと願う照子は、かわいいタイプの女の子を見るとついつい妹にしたいと思う。


「無差別異種格闘技戦に参加される皆様、エントリーを受け付けておりますー」

 選手受付のテーブルの方から、拡声器を介した男の人の声が流れてくる。照子はそちらに振り向いてから、もう一度女の子を見た。

「あ、いかなきゃ。それじゃあね」


 手を振ってきびすを返し、照子は受付のテーブルに向かった。列の最後尾に並んで、順番が回ってきたのは約十分後だ。


「てりこさん、こんにちは。てりこさんが出場されるなら、今日も一人勝ちかな」

 顔なじみになった受付係の男性が愛想笑いとともに挨拶をしてきた。

「そんなことないよ。強い人がエントリーしてくるかもしれないじゃない」

 受付用紙に必要事項を記入しながら、照子は応える。


 ざっと名簿を見ると出場者は今のところ三十名ほどだ。この中に極めし者がいないかなと照子は願っていた。


 エントリー用紙に記入が終わると参加費の千円を払って荷物を預ける。


 この公園の大会を運営するのは、格闘好きボランティアの集まりだ。

 出場者が払う参加費はほとんど備品や消耗品、トーナメント上位者の賞金に費やされ、残ったわずかな額をスタッフが均等割りで受け取っている。時には赤字のこともあるようで、主催者が折半している。

 照子はそれを知っているので、スタッフの人達に「よろしくお願いします」の意味を込めて頭を下げた。


 エントリーを済ませると、照子は人の波をかき分けて、試合がよく見えるポジションを探した。しかし今日は人が多く、バトルフィールドと観客席を区切るロープの周りには結構たくさんの人達が陣取っている。


 それならと、照子は周りを見回して、一本の木に目星をつけた。

 木の根元から上を見上げ、あそこなら試合を見るのにちょうどいいと、照子は心の中でつぶやいて呼吸を整えた。彼女の体を白熱色の闘気がうっすらと包む。

 軽くかがむと、照子は助走も何もなしでジャンプして頭上三メートル近くにある太い枝に両手をかけた。逆上がりの要領で、枝を支点に体を持ち上げ、次の瞬間には枝の上に腰をすとんと下ろしていた。


「やっぱりよく見えるわね」

 満足げに照子はうなずいた。

 枝の座り心地のほうもなかなかよく、安定している。これはら闘気の放出を抑えても問題なさそうだ。


 彼女の全身を覆っていた白い光は見えなくなる。闘気は意識して強く解放しない限り目には見えないものなのだ。


 やがて試合が始まる。照子が出場する試合は大会の最後の方なので彼女は枝の上でのんびりと観戦する。

 ああ、あの人いい動きしているな。などと目をつけた選手に心の中で声援を送りつつ、もう一つの目的である人探しのために目を動かす。


 照子がアマチュア女流格闘家として大会に出場するのには理由がある。

 一つは、格闘が好きだから。

 そしてもう一つは人探し。まだ彼女が極めし者となったばかりの頃に野試合で挑んで惨敗した相手だ。


 相手の男の名前も、どこに住んでいるのかも判らない。ただ、この公園で出会って、挑み、負けた。その事実しかない。

 なので照子はこの公園をホームグラウンドとして活躍することで、またその男が現れないかと待っているのだ。


 しかし「あの男」――名前が判らない相手を照子はこう称している――と闘ったのも、もう四年前の話。もしかしたらもう会えないのかもしれないと照子自身、思わなくもない。だがやはり人が集まると照子は探してしまうのだ。身長百八十センチ近くの極めし者である「あの男」を。


 試合も見つつ、「あの男」も探しつつと忙しい照子の目が、一人の若者に留まった。

 観客席の後ろの方を歩きながら試合を覗き見ている彼は、探している男ではないが極めし者だ。


(あれ、珍しい。あの人、闘気解放してる)

 普段から闘気を解放している照子もまた「珍しい」部類だ。なので彼女は親近感と興味を持って若者を凝視する。


 まだ二十歳になるかならないかと思しき若者の身長は百七十センチぐらい。短く切られた髪は真っ黒で、質素な服装と相まってとても実直な印象だ。体つきはそれほどたくましいというものではないが、格闘を長くたしなんでいる者独特の、姿勢のよさときびきびとした動きで、彼が猛者であることを優に物語っている。


 若者が、照子が座っている木に近づいてくる。

 青年の肩がぴくりと動いた。

 彼は首をかしげるようなしぐさで照子を仰ぎ見た。照子の闘気を感じ取ったのだろう。


 遠くで見ていたよりも、目つきの鋭い子だというのが青年に対する照子の第一印象だった。

「こんにちはー」

 照子は笑みを浮かべて手を振ってみた。

 すると青年は破顔一笑、手を振り返してきた。笑うと、とても人当たりのよさそうな顔になる。


「ども。何してるんですか?」

「試合に出るんだけど、それまで観戦だよ。よく見えるの、ここ」

 青年は「なるほど」とうなずいた。

「あなたは? 出場するの?」

「いえ。今公園に来たばっかりなんですよ。どんなものかなって思って」


 どんなもの、というのは大会のレベルのことだろう。その一言で、青年がこういった大会によく出ている、あるいはたくさん観戦しているのだとうかがえた。

「なんだ、がっかり。あなた極めし者でしょ? ぜひ一勝負してみたかったわ」

「あ、やっぱりあなたも極めし者ですか」

 青年の笑顔が更に輝いた。彼もやはり極めし者に遭遇するのは貴重なのだろう。


 彼が自分を見上げたまま、首をコキコキと軽く左右に傾ける。

 照子は、はたと気付いた。いつまでも枝の上から話をするのは失礼というものだ。

 ちょっと待ってね、と言うと照子は枝から飛び降りた。危なげなく着地すると青年の真正面に立つ。


 青年は照子が予想していたよりも少しだけ身長が高い。百七十五センチはあるだろう。柔和に笑う顔に、たくましさと誠実さがにじみ出ている。

「ごめんね、えらそーに枝の上から。改めてはじめまして。他戸照子よ」

「おれは富川信司とがわしんじです。よろしく」

 にこにこと笑う信司は右手を差し出してきた。照子も笑顔で彼の手をとり、握手。


 ――出来る。


 手から伝わってくる闘気の強さに、照子の目がきらりと輝いた。

 それは信司も同じらしく、二人はにこーっと笑いながら握った手を軽く上下に振る。


「ねぇ、もしよかったら」

「あー、もしよかったら」

 手を離した瞬間、二人の声が重なった。

「きっと言いたいことはおんなじね」

「そうですね。――いいかな」

「うん。でもわたし、大会にエントリーしちゃったから、終わるの待ってくれると嬉しいんだけど」

「いいですよ。今日は暇だし」

「オッケー。じゃ、試合はできるだけ早く終わらせてくるわ」


 照子が応えるのと、彼女が出場を予定している試合の選手を呼び集めるアナウンスが、重なった。




 そしてその日の大会は、いつもと違う盛り上がりを見せた。


 照子はほぼ全ての試合を一分以内に終わらせて、試合最速大会新記録を樹立した。もっとも、そのような記録を主催者が残しているなら、の話だが。


「てりこさーん。今日、どうしたんですか? いつもは決勝ぐらいなのに、全試合でちょっと手合わせしたら闘気解放して」

 主催者の男性が驚いて尋ねてきたほどだ。主催者側としては、もう少し「試合」になるような展開を期待していたのだろう。


 照子は、両手を合わせて軽く頭を下げた。

「ごめんね。ちょっと予定が変わっちゃって。あ、そうだ。会場撤収する前に、一戦だけ、使わせてもらっていいかな」

「一戦、というと?」

 主催者の問いかけに、照子はうなずいて、少し離れたところで待っている信司を手招きした。


「彼とやりたいのよ。エントリー終わってから来たんだって。彼も極めし者なんだよ。場所区切ってないところでやってもいいけど、今日、人多いし危ないから」

 照子は、お願い、ともう一度手を合わせて頭を下げた。傍にやってきた信司もつられるようにぺこりとお辞儀する。


 主催者の男性は、少々渋るような表情を浮かべたが、うなずいてくれた。

「しょうがないなぁ。いつも大会を盛り上げてくれている『赤き光のてりこ』さんの頼みだしな」

「ありがとう。いい勝負するよ」


 久しぶりに極めし者と闘える。

 照子は嬉しくて、思わず男性の手を力強く握り締めた。


「いててて、てりこさん、痛いっす」

「わー、ごめんごめん!」

 穏やかな笑いが周り広がった。

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