まいかたチャンプの挑戦
御剣ひかる
ROUND1 光と風の出会い
1-1 彼女がそこに立つわけは
春の日暮れを迎えた公園の、中央に仕切られたバトルフィールドに注目が集まる。
「無差別異種格闘技、決勝戦、開始!」
レフェリーの声が上がるとともに歓声がフィールドを包んだ。
決勝戦に勝ちあがってきたのは、一人は二十代前半と思しき男。
黒のシャツとズボン、足元はこれまた黒のスニーカーと、動きやすさと色に対するこだわりがうかがえる身なりである。
青年に対するのは二十代半ばと見られる女性。
白のTシャツとジーンズ、上にデニムのジャケットを羽織っている。靴は、大き目のロゴが目に付く青のスニーカーだ。
二人は鋭い視線で相手を牽制した後、ほぼ同時に動き出した。
男の、あごを狙っての突きを顔を傾けてかわすと、女は相手の足元を狙った蹴りを放つ。
バックステップの後、男はすかさず転身し、相手の胸元に飛び込んで下段の突きを繰り出す。
女はこれを手刀で体の中心からそらせる。左腕をかすめた拳がジャケットを震わせた。
二人の攻防に、ギャラリーは更に色めき立ち、自分のひいきの格闘家に声援を送る。
「てりこー! 決勝ぐらい全力だせよー!」
誰かが叫んだ一言に、周りが同調して女――てりこへの応援が更に熱を帯びた。
「『赤き光のてりこ』らしく、かっこよくKOしてやれ!」
「……今日の服装だと、青きデニムのてりこ、だけどな」
誰かの茶々に会場がどっと笑いに包まれる。
てりこと呼ばれた女流格闘家も、相手の青年も、それらの声などまるで聞こえていないかのように目の前の対戦相手に意識を集中している。
しばしの睨みあいの後、また試合が動き出す。
近寄って拳を振るうと見せかけた男の蹴りがてりこの軸足である左足を狙う。
その攻撃を見て取るや、てりこは体を開いて左足を振り上げた。重心を反対に置き換えたのだ。
まさかそのような反応をされると思わなかったのか、青年は一瞬、驚きに目を見開く。
二人の蹴りが交錯し、離れる。
体勢を整えたのは男の方が先であった。彼の得意技なのであろう、正拳突きをてりこの胸元に放った。
突きを受け、てりこは顔をしかめて二、三歩後ずさる。
ギャラリーから一層大きなどよめきが上がった。
「あんた、ずっとここのチャンプなんだって? ご大層な二つ名もあるみたいだけど、それにしちゃ大したことないじゃん」
余裕が出たのか、青年は目の前の
「言ってくれるわね。じゃ、本領発揮しちゃうわよ」
てりこも闘いに上気した顔に快活な笑みを浮かべると構えを取り直した。
腰だめにした両手で拳を握り、大きく息を吸うと、静かにゆっくりと吐き出す。
女性にしては上背である彼女の全身を、白く光り輝くオーラが纏った。
「でたっ。てりこねぇさんのパワー全開!」
「こうなったらもう、向かうところ敵なしだ」
「一秒と持たないぞ、相手」
ギャラリーが口々にはやし立てる。
劣勢どころか一秒KOを予告された対戦者は顔を紅潮させた。
てりこの笑顔に込められた威圧的な雰囲気に圧倒されつつも、このままではひけないとばかりに腰を落として右脚を引き、飛び掛るタイミングをうかがう。
対し、てりこは余裕綽々。軽くステップを踏み、手のひらを上に向けて腕を前に出し、指を内側に折り曲げて欧米スタイルの「いらっしゃい」のサイン。
「かかってらっしゃい、挑戦者さん」
挑発とはこうするものよといわんばかりの彼女に、若者は気合を込めた声を吐き出しながら跳びかかった。
その、まさに一瞬の後。
青年は腹を押さえてうずくまっていた。
まばたき一つの間の出来事だ。
ギャラリー達は恐らくてりこの攻撃を目で追うことは出来なかっただろう。ただ、彼女が右脚をゆっくりとおろすのを見て、あぁ蹴りを放ったのだと理解できる。
挑戦者は何とか立ち上がるが、格闘の基本動作である構えもろくに取れていない。
一歩下がったところで試合を冷静に見守っていたレフェリーが進み出て若者の状態を確認する。
二言、三言、言葉を交わし、レフェリーがてりこを呼び寄せる。
「勝者、
高らかに告げられた勝利の宣言に、てりこ――照子は笑顔で握りこぶしを高々とかかげた。
観戦者達が勝利をたたえる中、照子は彼らに手を振りつつ、対戦相手に手を差し伸べた。
二人ががっちりと握手をすると、彼らの健闘をたたえて観客達がひときわ大きな声援を送る。
試合が終わり、最高潮に高まった興奮が空気の中に四散して行くと、照子は格闘大会の主催者に挨拶し、優勝賞金と預けていた荷物を受け取った。
小さな大会なので、優勝者のセレモニーなどはない。闘いが終われば観戦者達は余韻に浸りつつ三々五々、帰っていく。
中にはチャンピオンである照子に話しかけてくる者もいる。見るからに姐御肌の照子は、同年代よりも年下に人気があり、彼女の周りにためらいもなく寄ってくるのは高校生や大学生が多い。
「てりこさん、優勝おめでとうっす」
「今日の試合はどうでしたか? 誰が一番手ごわかった?」
アマチュアの大会なのに、こんな質問をされたらまるでプロの格闘家になった気分で、照子は照れ笑いを浮かべて言葉を返す。
「ありがとう。試合、楽しかったよ。んー、誰が一番、って言われると困るかな。みんな強かったよ」
「でもあの“力”を使ったら一瞬だったよね」
「なんて言うんだっけ。えっと、
そんな感じで盛り上がっていたところ、急に背後に人の気配を感じ、照子は驚いて振り向いた。
「優勝おめでとう、照子」
スーツ姿の見知った顔が微笑みを浮かべていた。
照子の顔がぱぁっと明るくなる。
「
格闘家から一女性の表情に変わった照子に、場の空気を察してファンの子達は「それじゃ、さようならー」と離れていく。
いい子達だ、と照子は喜んだが、はたと何かを思いつき、身を引いた。
「ん? どうした?」
「ダメ。今近寄っちゃ」
「どうして?」
「汗臭いから」
さらに、すすすっと距離を保ちながら照子は手を前に突き出して結を牽制する。
「気にしないよ」
「わたしが気にするの」
「じゃ、これで汗拭いたらいいよ」
結は、どうして持ち歩いているのか、スポーツタオルを照子に投げて寄越した。
「よく持ってたね」
「おまえが今日大会に出るって言ってたから、念のため」
持ってきてよかっただろうといわんばかりの結を見上げて照子は笑う。本当は自分もタオルくらい持ってきているのだが、せっかくの結の好意を無にしないために彼のタオルを使うことにした。
襟元に浮いた汗をタオルでぬぐうと、首の後ろで一つにまとめている髪が軽くはねる。後ろ髪が、ようやく「すずめの尻尾」状態ではなくなったが、まだまだ短めだと照子は思う。
「時間があるなら、食事に行かないか?」
そろそろいいだろうといわんばかりに結が照子にゆっくりと近づいてくる。
少々汗をぬぐったところであんまり変わらないかとも思いつつ、そのせいでせっかく誘ってくれているデートをキャンセルなどもってのほかだと照子はうなずいた。
「あ、でもいいところはダメよ。今こんな格好だし、着替えるとこないし」
照子は苦笑いしてデニム製ジャンバーの襟をつまんでひっぱった。結とのデートと判っている時はブラウスとパンツなど、もう少しデート向きの服装をしているが、今日はこの格闘大会に出るとあってラフスタイルに着替えていた。
「判ってるよ。ファミレスにでも行こうか」
結も軽く笑ってうなずく。俺はそんなこと気にしないのに、といわんばかりだ。
それは照子も判っている。結は照子のファッションにあまり拘らない。しかし照子は、結とつりあいの取れる自分でありたいと思っていた。
普段着でも大人な雰囲気なのにスーツなんて着ていると更にクールガイ度がアップするんだよね、と照子は心の中でつぶやいていた。
結は照子よりも二つ年上で、もうすぐ三十になる。落ち着きがあって当然といえる年齢だろう。
「結は車?」
「あぁ。照子はバイクか」
「うん。ファミレスまでは別々だね」
どこの店に向かうのかを決めて、そこで落ち合うことにした。
バイクで走ること三十分近く。
結と落ち合うことにしたファミリーレストランは照子の家に近くにある。
こっちまで来てしまえば職場の人達――大学の教授や職員、学生達にデート現場を発見されて後で冷やかされるという心配が少ない。しかし今度はご近所さんに見られる可能性が出てくるのだが。
この時間帯の道路は帰宅ラッシュで、結の車はまだ到着していない。
こんな時、照子はバイクで走ることにちょっとした優越感を覚える。
駐輪スペースにバイクをもぐりこませ、ヘルメットをシートの下に収納すると、照子は店内に入る。
つい辺りをきょろきょろと見回すが当然結はいない。ついでにご近所さんもいないことを確認して、適当な席に座った。
結が来るまでの間、今日の大会での闘いを頭の中で思い起こして、一人反省会を開く。
この動きにはこう対処するべきだった、ここでもう少し踏み込んで攻めたほうがよかったかもしれないと、思いつく限りのシチュエーションを描く。
「おまたせ」
不意に頭上から声が降ってきたので、照子ははっとして顔を向ける。
結がいつの間にかやってきて、向かいのソファに腰を下ろしてメニューを手に取るところだった。
とっさに腕時計を見ると、照子が入店してから十五分は経っていた。
それだけの間、試合のことに没頭していたとは自分はやはり格闘が好きなのだと思う。
照子がアマチュア格闘家として大会に出ているのは完全な趣味。そして、もう一つの目的は、人探しだ。
四年前の屈辱的な闘いを思い出す。
まさに瞬殺と呼べる敗戦だった。
腹を蹴られた痛みに起き上がることもままならない。
相手が近づいて来て、あろうことか照子に手を伸ばし――。
「照子はもう頼んでるよな?」
呼びかけられる声。
我に返ると結が照子の返事を待たずにウェイトレスを呼びとめて食事を注文している。照子も慌ててメニューをめくった。
「先に頼んでおけばよかったのに。ん? 何だか顔が赤いけど大丈夫か?」
結はわざわざ照子が自分の到着を待っていてくれたのだと思ったらしい。その上、体調の心配までされている。
照子にしてみれば考え事に集中していて注文どころではなかっただけだ。赤面しているのは直前まで考えていた過去の出来事のせいだが、さすがに恥ずかしくて言えない。
「顔赤い? 何もないけどなぁ」
ごまかしつつメニューをあれこれと見る。
結局結と同じものを頼んで、ウェイトレスが行ってしまうと、照子は結の顔をじっと見て問う。
「結はいつ『まいかた公園』に着いたの?」
「決勝が始まる頃だよ。危うくすれ違うところだったな」
「あ、じゃあ決勝は見てくれたんだ。初めてだよね、わたしの試合見てくれたの」
嬉しさと気恥ずかしさで、照子の声が少し上ずった。
「ああ。
「珍しいの? わたしはあそこの大会しか出たことないから他は知らないんだ」
照子の問い返しに結はうーんと首をひねった。
「俺も詳しいことは知らないけど。あの力使ったら、同じ極めし者じゃないと相手にならないだろ? きっと最後のおまえの蹴り、見えてた人いないんじゃないかな」
「結は見えてたんでしょ? どうだった?」
照子が興味深そうに尋ねると結は微笑を浮かべた。
「手加減がうまいなと思ったよ。同じ格闘をたしなむ者でも闘気を持ってない相手なら下手すれば一発で病院行きだし」
「そりゃ、大会に出るんだから最低限のルールだよ」
照子の言葉に結は納得顔でうなずいた。
彼女とこうやって話が出来る結もまた極めし者だ。学生の頃に体力をつけるためと近所にある合気道の道場に通っていたそうだが、師範に見込まれて闘気を扱う修行もしたのだとか。
その話を聞いたのは、まだ付き合う前だった。照子が自分と似たような経緯で極めし者となった結に興味を持って、話をするうちに二人の距離が縮まったのだった。
「そう言えば、今日は珍しく残業なかったんだね。二〇〇〇年問題対策は大丈夫なの?」
「あぁ、今はまだ大丈夫。それよりもチャンスがあったら会いたいし急いで来たんだ」
結は大手のシステムエンジニア派遣会社に勤めている。
あと二年で西暦二〇〇〇年を迎えるが、古いタイプのコンピュータでは二〇〇〇年を迎えると誤作動を起こすといわれている。
当然そのような問題が起こっては困るので、結の会社にはもうちらほらと、「二〇〇〇年問題」を解消できるようにしてほしいという注文が来ているのだそうだ。
「おまえの方こそ、大学はそろそろ新入生迎える準備で忙しいんだろう。大丈夫なのか?」
「うん。ぼちぼち忙しいよ。明日あさっての週末が終わったらいよいよ、残業ばっかりになると思う」
「学生課だもんな。入学式前後が一番忙しい部署だろ」
「千人ぐらいの名簿とか作らないといけないしね。あーあ、カメラの前に書類をおいたら読み取ってきちんとデータ化とかしてくれたらいいのに。ねぇ、そんなプログラム作ってよ」
照子が茶化して言うと結も肩をすくめて「できるものならなぁ」と応えた。
「結は、この週末は仕事なんだよね?」
「あぁ。明日はきっと夜まで空かないよ。あさっては仕事の進み具合で、夕方からなら会えると思うけど」
また仕事か、と照子はため息をつきそうになったが、一番つらいのは本人だと思いなおしてぐっとこらえる。忙しい相手を好きになったのだから仕方がない。
「うん。じゃあ日曜日に夕食一緒に食べようよ。今度はちゃんとした格好するから」
照子の心境を知ってか知らずか、結は軽く笑ってうなずいた。
「けど最近、休日のデートってしてないね。こうしてご飯食べたりお茶したりとかは、まぁあるけど」
「そうだな。今度きちんと週末が休みの時は、どこかに出かけようか」
「ほんと? やった」
さて、明日あさってはどうやって時間をつぶそうかと、照子は今から次のプチデートを楽しみに思う。
明日は土曜日で、公園では昼間から格闘大会が開かれるだろう。とりあえず明日はそれに出ておこうと照子は軽くうなずいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます