第10話

 平和である。銃声が鳴り響く。実に、練兵場は平和である。


 実弾射撃訓練であった。

 セルゲイは穏やかな心持ちで眺める。背嚢に雑嚢まで背負わされた兵士が十五名ばかり。重荷に身をたわませて、二十六区分された動作を確かめるように各個で装填と射撃を繰り返す。

 人死にが出なければ平和だと言うのだから、自分も随分と野蛮な時代に毒されきった。


「ちったぁ、様になってきたね」

 大仰な身振りと手振りで訓練担当官に近づき、敢えて兵隊言葉で話しかける。親しみと恐れ、これが肝要。


「しかし、各個射撃ですら一分一発であります」

 訓練を監督していたのは聖堂百人隊のボリス・イリイーチ・イワノフ特務曹長であった。本来ならば訓練の監督は嚮導隊の仕事である。

 だが格言にある通り、兵に良し悪しはなく、何にも増して必要なのは有能な指導官なのである。人手不足は深刻で、当然のことながら連中だけでは到底、足りなかった。


「上出来さ。速さよりも狙いだよ。距離にあわせて銃身の傾きを意識させろ」

 一五〇歩なら膝を狙え、更に近付いたなら、少し先の地面を狙え。

 見ると標的となっていたキャンバス布が穴だらけになっていた。キャンバスには歩兵の形をしたシルエットが横並びに描かれている。 

 こっちでは未だに人間形標的の効用は知られておらず、取り入れるには一悶着があったことが懐かしい。あれは特務曹長になって教練計画を任されたころだから、もう二十年も前になるのか。


「そうして半身になって、右肩にしっかりと床尾を押しつけろ。ご心配なく、先任殿。私もお世話になった口です」

 イワノフが男臭い笑みを見せた。

 近衛創設当時を思い出す。あの時も、何をとち狂ったのかブラック上司アレクセイ帝は、セルゲイに教練の一切合切を差配させたのだ。 


「では、この言葉も忘れてはいないだろう。兵士とは脚である」


 いつの間にか、銃声が途絶えていた。十発ばかりを撃ち尽くし、班長の号令を受けて銃腔内の清掃と燧石の調整に余念がない。火皿を覗いている者もいるから火道の汚れにも気付いている。

 まずは一発、撃てる腕に仕上がった。


「計画通りに速歩と駆け歩で外苑を三周させてから、的を変えろ。今度は五十ヤード先の騎兵標的だ。薬包も的も沢山ある。物惜しみせずにやれ」


 であれば足腰を鍛えて、後は射撃に慣れさせる。何しろ時間がない。機動に展開、部隊教練など二の次で、日課最後に一時間もあれば御の字だ。

 規律は走れば身に付くものさと嘯いて、髭をひねると苦笑を隠す。たいがい自分もブラックだ。


「大盤振る舞いでありますね。先任殿」

「金も人手も親衛隊どもから、搾り取れるだけ絞ってる。遠慮するこたぁない」


 それにしても、まぁ撃ちまくっている。

 一般の歩兵聯隊ともなれば年六発の空砲ですら贅沢なこの時代。

 セルゲイがかつて定めた近衛軍教練規則でも空砲で年五十発。実弾となれば精々が三十発。しかも多くの場合、資金不足で実施できていなかった。


 それが最低限の姿勢と執銃動作を学ばせる各個教練が終わるや、あとはひたすら、重荷を背負わせ歩調を合わさせ、歩かせ撃たせ、走らせ撃たせ。

 お後は、腹一杯の飯である。米がないのが残念だが、キャベツの塩漬けスープも慣れれば病みつきになる。おまけに牛肉がたっぷり入っているとなれば言うことはない。


 果たして戦争が終わった後の帳簿はどうなっていることやら。お陰でどこの中隊経営もエラいことになっているだろう。

 正直、関わり合いになりたくない。だがたぶん、関わる。いや、もう関わってる。


「了解であります。引きずり回してやりましょう」

 イワノフは背筋を伸ばすと、回れ右して怒声を上げる。何を遊んでいやがる豚どもめ。

 こいつも余程の鬼である。かけ声あわせて行進始める新兵たちが、左、左、左右。


 兵卒たちを哀れに思うが、その顔つきは思ったよりも悪くない。

 病の父を守り、君側の肝を伐つべく立ち上がった幼い姫君。しかも倍の敵を鎧袖一触で殲滅した噂は相当だ。どいつも物語に出てくる騎士様にでもなるつもりなのだろうか?


 セルゲイは軽く首を振る。

 頭のおかしい連中を理解しようと思うことこそ、狂気への一本道。

 今は忘れて馬場へと行こう。そこには念願の騎兵隊がいるはずだ。

 もっとも、どこまで信頼できるかは分からない。それでも、いないよりは遙かにマシだ。


 果たしてあれから一週間が過ぎていた。嵐の前の静けさとは良く言ったもの。帝都周辺は、奇妙なまでに平穏だった。

 まずイヴァン皇子は宮殿に隠れたまま。というか軟禁中。誰にとは、もう愚問。


 一方ピョートル皇子は、帝都近郊のプレオス修道院に身を寄せていた。

 こっちは後援者たるゴドノフ公爵家の息が掛かった帝都近郊の世襲領貴族を筆頭に中央士族と小士族が集まり、歩兵二千、騎兵三千との報告だ。

 しかし豈図らんや、公爵本人とその手勢は姿を見せず、様子見の構えなものだから、奴らとしても二階に上がって梯子を外された気分だろう。


 ようするに、我らが幼女殿下の動きが斜め上過ぎた。

 嫡流途絶えて、落ちぶれたヴァランスキー家縁の貴族と士族だけで独自勢力を持とうと言うのだから堪らない。連中と旧近衛兵、民兵隊、加えて帝都守備隊を合わせても帝都にある皇帝軍は歩兵二千、騎兵千と残念すぎる有様だ。


 そもそも中央近在の各連隊は、まったく動く気配がない。何奴も此奴も予想通り過ぎるほどに日和っていやがる。

 いや、実際、爺とてそうしたい。だって、そっちの方が明らかに利口じゃないか。


 だが、現実は常に過酷である。夢の隠居生活を見破られ、気分は猫になぶられる鼠。

 あれから何の沙汰もなく、それどころか、新兵同然の民兵隊の訓練を任されて、いったい、この哀れな爺をどうするつもりだ?

 

 誰もが、幼女の次なる一手を待っている。セルゲイには仕事が山と積まれている。暗澹たる思いの遣り場はどこにもない。


 馬場には騎兵と歩兵が並んでいた。嚮導隊のシャヒロフ特務曹長が木の棒を手にして、馬の眼前に突き出している。

 馬は嫌がり身をよじる。軍馬とて馬は馬。しかも騎兵である士族どもは馬を優雅な生き物と勘違いしているらしい。派手なばかりの重たく、詰め物ばかりした鞍を置き、あれでは馬の反応を感じ取ることもできまい。


 輿にでも乗っているつもりか、士族ども。残念ながら落第だ。

 舌打ちを一つ。すると特徴的なちびっ子が視界に入ってきた。濃緑の素っ気ない兵卒姿。ゾロゾロと、金銀刺繍を散りばめた軍服姿の将官貴族に士族輩を引き連れて、逆に地味な幼女の姿は格別目立つ。

 しかも道すがら兵たちに語りかけては笑いを誘う。


「あぁセルゲイ。良いところに来た」

 それが帝国皇女リュドミラ殿下。手振りで取り巻き共に下がれと命じて足取り陽気、顔は朗らか、眼だけがヤバい。本人としては親しみを表してくれているつもりなのでしょうが、何かの罠にしか思えません。というか十中八九、罠でしょう。


「殿下、こちらにおられましたか」

「あれは何をやっている?」

 幼女は子供のように瞳を輝かせていた。

 あぁ子供のように! 馬鹿げていた。だが、もう十歳児だと思うのは止めていたし、実際この幼女は何が別の生き物である。


「騎兵の練度を確認し、歩兵には馬への恐怖心を和らげさせています」

 セルゲイは恭しく答えた。頼むから近寄るな。こんな爺さん放っておいて、知らないところで自由に生きてくれ。


「つまり?」

「馬は臆病です。ああして棒一本であっても、やり方次第で馬は怯えます。その上で優秀な騎兵は馬の怯えを巧みに操ります」

 残念なことですとは言わなかった。少女は鼻で笑ったようだった。

「一方、歩兵は騎兵の突撃にあっても、隊伍を組んで銃を連れば生き延びることができると知ります」


 逆に背を向ければ、騎兵にとって歩兵など物の数ではない。

 この幼女の恐ろしいところは、たかが兵卒にそんなことを教えて何になると言わぬ事だった。

「理由を知れば、騎兵突撃に際しても奴らは戦列を離れない、か。よくも思いつくものだ」

 

 だがもちろん、それだけでは全然足りない。

 さぁ戦いに行こうと言い出しかねない上司には、もう少し真実を教える必要がありましょう。


 そこで「はい殿下」とまずは肯定。

 続いて否定に繋げるいつもの技巧。「しかし、これに加えて逃げずに戦わせるには、感情と名誉に訴えねばなりません」


「感情は分かる。だが誉れで人は死ぬか?」

 鋭い視線だった。

 素知らぬ顔でセルゲイは直立不動を崩さない。背筋を伝う汗一つ。嬢ちゃん、嬢ちゃん、素に戻ってる。


「逃げるか降伏すれば助かる状況でも、勇敢に戦う兵士たちは存外といるものです」

 合理的に考えれば、どうしたって戦う必要がないのに戦う阿呆ども。

 例えば一週間前の我らが如く。


「私は随分と愛されているようだ」

 同じ連中に想いが至ったか、クツクツと幼女が喉鳴らす。

「否定はしません。ですが誰もが最後には、仲間のために戦うのです」

 それがセルゲイの実感だった。「隣に立つ戦友。辛い日々を共に過ごし、同じ飯を食べ、互いに勤めを分かち合う同輩たち」


 軍で、学校で、会社で。

 それは、ここであろうと、あちらであろうと変わらない。

「彼らを助けるために。そして彼らから」

 たとえ社畜と言われても、言葉を続けるべくして息をのむ。


「認められるために」と、それは幼女の言葉。

 狂った眼光が、向かいの兵隊どもではなく、別の何処へ注がれる。

 果たして何を見るや。何を想う。


「殿下?」

 まったくもって、恐ろしい。気分はプリンセス・メーカーならぬモンスター・メーカーである。


「いや、貴様が十五、六名の生活班単位で訓練させている理由がよく分かった。実に手頃な大きさだ」

 けれども得体の知れない気配は一瞬のことだった。ニンマリとした幼女は満足げに見える。


 セルゲイは唾を飲み込んだ。不気味なのは何時ものことだ。

「但し、あれは容れ物に過ぎません」


 気を取り直して口にしたのは、魂の問題だった。

 軍隊の魂。

 それ無くば、軍隊の形に似た有象無象に過ぎない。最も重要なそれについて、この生き物は理解しているのだろうか?


 だがリュドミラは平然と言い放つ。

「規律だな」

 こいつを教育した気違いの顔を是非見たい。「軍を軍たらしめる独自の規範。何が恥か、それが定まっていない」


 末恐ろしいとは、この幼い姫君のためにある。栴檀は双葉より芳しと言うが、香ばしすぎるぞ、この樹木。

 あとどれ程だと、尋ねてくることすらしなかった。胡乱な瞳が訴える。


「五週間。古参兵との混合が前提ですが。一回は、戦場に立たせられます」

 言葉を続けるごとに嫌な予感しかしない。


「素晴らしい。だが明後日だ。明日は休息として、その後、兄を伐つ」

 これまた当たり前に意味不明なことをと、呆れる前に慣れが来る。


「彼らにできるのは、号令にあわせて一発撃つくらいです」

「充分とは言わぬさ」

 幼女は口角をつり上げた。「しかしゴドノフが動いた。時間切れだ。手札は理解した。貴様は宴の準備をしろ」


 悪魔も裸足で逃げ出す、イカレた顔だった。

「どうだい、セルゲイ君。面白くなってきたぞ?」


********

コメンタリー


 背嚢に雑嚢まで:これは戦列歩兵の訓練としては一般的ではありません。18世紀の記録によれば、「満載の重荷を背負って教練場で一度も訓練をしたことがない」とまで言われています。

 その結果、実際の戦場で歩兵に訓練通りの射撃能力を期待することはできないと酷評され、先進的な軍人として高名なサンタ・クルズは平時においても困難な行軍演習を要求している。


 十五人ばかり:当時の軍の基本生活単位は十五~二十五名ばかりの生活班。生活班というのは勝手に作った訳語で、ロシア軍ではartelなどとも呼ばれています。さらにこれがテント組に分けられました。

 新兵はまずここで古参兵や下士官から軍隊生活のイロハをならうのです。多くの国で、これが訓練の単位ともなりました。


 二十六区分:軍事史家チャンドラー殿に従えば、十七世紀末の火縄式マスケット銃の装填動作は四十四区分。それが燧石式マスケット銃の導入により二十六区分になったとの事。もっとも教本によって微妙に数が違うので区分数自体には余り意味がない(笑)。そもそも区分を変えたところで必要な動きがなくなるわけではない。

 重要なのはどの動作がなくなったのかということ。

 加えるならば、これは歯で噛みきった薬包内の火薬を口薬として用いずに、口薬入れの火薬を別個に用いた場合の区分数となる。当然、目の細かい口薬専用の火薬の方が射撃には都合がよいが、別個の容器(フラスコ)を取り出す分、射撃速度は低下する。

 イギリス軍が正式に薬包内の火薬を口薬として用いることを指示したのは、ようやく1756年になってから。この物語では、すでに嚮導隊が実践してますね。


 各個射撃ですら:各個射撃の方が斉射よりも射撃速度は、号令を待たないため、素早くなる。

 なお、一般的にプロイセン歩兵は「1分間に5回」の斉射をすることができると言われることがある。実際の当時の評判は「1分間に斉射で3回、各個射撃で5回」。不幸なことに時が経つにつれて単純化がおこり、結果として誤解を生む好例。


 兵の良し悪しは:カーネの格言を変形させました。またヴィラール元帥曰く、新兵の訓練において最も重要なのは軍曹である。しかし誰もが有能であるはずもなく、別の軍当局者は「無能で、残忍で、酔っぱらいである」と不満をこぼす。


 狙い:フリードリヒ大王のお言葉を聞け。陛下は三〇~五〇メートル先の標的を狙うなら銃口は、射撃反動を見越して、八から十歩先の地面を狙うようにと仰った。


 シルエット:ルイ15世の財務大臣の名前。もっとも彼が発明したわけではない。


 人間形標的:キャンバス地に人間の形を描かせての射撃実験は実際にド・リーニュ公によって実施されている。もっとも、殺しのライセンスのためではなくて、命中率算定のためだったけど。


 兵士とは脚:サックス元帥曰く「機動と戦闘のあらゆる謎は脚にある」。流石はナポレオンの先駆者。ウルムの勝利。


 半身に:今では当たり前の射撃姿勢。しかし十七世紀末の教本を見ると身体の正面に的が来るように立って、両肘は箱型を作って銃を持っている。これは銃架で銃身を支えていた頃の名残で、当然のことながら不自然で命中率が期待できない構えである。


 火道の汚れ:火門とも。火皿と銃腔内を繋ぐ小さな孔。これが汚れで詰まると、いくら口薬が火皿で燃えてもで火炎が銃腔に伝わらないので不発になる。当時の揶揄される言葉で「火皿が光るだけ」。


 駆け歩:当時の戦列歩兵は駆け歩の訓練をあまりしないので、これは斬新な訓練となる。

 しかし例えばアメリカ独立戦争に従軍したドイツ人傭兵はイギリス軍の訓練に不満を持ち「毎日ムカつくことに近頃取り入れられた素早い歩調の訓練をしなければならない」と述べている。これが駆け歩に近い歩調だったのは、馬や犬を追うときを除いて存在しないし、このやり方で敵を攻撃するなら密集隊形を維持できないとも書いていることから明らか。

 もちろん、現代の軍隊はバッチリ死ぬほど実施する。


 年六発の空砲:近世ロシア軍の記録。そりゃ、銃剣が正直者になるわけですね、スヴォーロフ元帥閣下。


 空砲で年五十発:マスケット銃射撃における世界最強イギリス軍戦列歩兵隊ですら、規則が認めているのは、年間で訓練用三十発分の弾丸と五十発分の空砲用薬包。

 どこの国も射撃訓練の火薬代やら時間をケチっていた。

 ルイ十四世は月二回、三回の射撃訓練を可能にせよと命じていたが、資金と資材の不足から、結局それは無理ゲーだった。

 時代は下って革命フランスでも、コワニエ大尉によれば、彼が射撃のやり方をならったのはナポレオンが第一執政になってからと述べており、同じく革命フランスの志願兵だったルシヨンも射撃のやり方を実戦を通して学んでいる。

 まったくもって言葉もない。


 キャベツの塩漬けスープ:ロシア伝統料理シチーです。ボルシチはウクライナ料理だよ。


 詰め物ばかりした鞍:イギリス人曰く、ハンガリー以外の大陸の鞍はどれも重たく、詰め物ばかりで禄なもんじゃない。話半分に聞いておく。


 木の棒を突き出す:これはサンタ・クルズが提唱していた訓練を参照。


 仲間のために:脱走ばかりがクローズ・アップされる戦列歩兵。しかし、そんな話ばかりではありません。仲間たちと共にフランスの捕虜となったとある兵士はフランス軍に加わるようにとあの手この手で勧誘されたけど、捕虜交換されて原隊復帰するまでオファーをはねつけて忠誠を示してます。


 認められるために:第一次集団(primary group)と呼ばれる集団内の絆。戦列歩兵における第一次集団は、日々の生活を共にする生活班となる。現代の軍隊と同じように、第一次集団は機能していた。問題は、近世ヨーロッパの軍事慣行により、生活班が戦闘単位とならない場合が多々あり、この絆を戦場で生かすことができなかったことにある。

 ピュイセギュール曰く「この害悪は幅広く理解されていたが、誰も修正を加えようとはしなかった」。


 プリンセス・メーカー:最近、スマホ版がでたってねぇ。たとえドット絵でも赤井先生の絵は最高だった。


 軍隊の魂:再びサックス元帥のお言葉を傾聴せよ!


 五週間:革命フランス軍当局の発表によれば、古参兵と組み合わせることで戦列歩兵は六週間で錬成できるとの由。しかしながら、フリードリヒ大王は二年必要だとおっしゃっておりますよ。

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