第11話

 頭の隅で声がする。このまま進むは修羅の道。

 お前は既に知っている。怨嗟と呪詛と絶望を。


 セルゲイは今でも不思議に思うことがある。

 時を越え、世界を越えて。どうして言えずに終わったか。たかが四文字、辞めますと。


 なるほど確かに生きねばならぬ。

 辞めたら辞めたで、良くなる保証は何処にもない。

 分からぬ明日より、生きる今日。明日は明日の自分に任せよう。

 だが、死んでしまうような激務となれば他にやりようはあったろう。第一、当座の蓄えくらいはあったのだ。あるいは頼るべきは親方日の丸、そう言う一手もあったはず。


 けれど、言えず気付けば、ここにいる。


 思えば曲がりなりにも正社員(笑)。しかし辞めればただの中年引きニート。次があっても更なる闇が、手ぐすねひいて待ち受ける。

 腕に自信がないくせに、攻略本もセーブポイントもない糞ゲークリアを目指すなら、マージンはどれだけあっても足りはしない。


 認めよう。つまるところ、臆病だった。


 下がる給料。未知なる環境。これ以上は落ちたくないと。怖じ気づいてしまえば、進めない。

 茹でガエルと笑うなかれ。まだ大丈夫と我慢して、しがみついてしまうが世の習いで御座います。


「辞めたいか?」

 意地の悪い笑みを浮かべて、ここにはそれとは無縁の餓鬼がいる。


 実際、大したものだ。まさか現状を理解していないわけがない。

 兵力劣勢、練度は不良。親族、協力者もてんで頼りにならない。勝ち目は薄く、野戦に出るなど大博打。帝都の城壁たのんで戦う方が、勝てぬまでも良い勝負ができようもの。


「これを見ろ」

 幼女が指を弾いて、硬貨が宙を飛ぶ。手に収まれば冷たく固い。指を開けば日の光を受けて輝いて、セルゲイは眼を見張る。


 冠戴き、眼差し遠き、幼い容。刻まれたるは少女の横顔。描かれたのは宣戦布告。


 良い勝負など求めてはいないのだ。

 女帝。しかも頭上に彫られた標語には。


『皇帝か、無か』


 ゆっくりと目を瞑る。闇の奥を覗き込むべきではなかった。深淵が、ただ淡々とこちらを伺っている。


 社畜特有の見当違いな責任感は、いつだってブラック体質を加速する。例えば身に覚えがあるはずだ。賃金発生しない自発的な居残り仕事。

 周囲の機微に流されて、何と有益な提案だ。一将功成りて万骨枯る。


 ああ、分かっているのだ。

 だがこのクソッタレな、最悪で最低な言葉を言わねばならぬ。

 先ほど自重を求めたその口で言わねばならぬ。辞めますと、言えぬその口で。


「それでは殿下。今夜半までの訓練許可と明日早朝の出立をご下命ください」


 セルゲイは背筋を伸ばす。目を見開く。主君の背丈は低く、己は高い。だから踵を合わせて、顎を上げる。

 決して幼女を見下ろさぬように。

 暗がりを見ずにすむように。


 そうして息をのむ気配だけを感じた。

「休息はいらぬと?」


 おぉ神よ。無能なる存在よ。化け物が驚いております。爺は偉業を成し遂げました。


「肯定です。殿下。少し休ませた所で、どうあがいても、兵士を戦場に連れて行くことは叶いません。なれば答えは一つです」


 余りにも時が足りない。八日間。叫び出したくなる。

 たったの八日間。少なくとも二週間は個人基礎教練に必要なところを、僅か七日間で済ませた。それだけでも大幅な短縮なのだ。


 本来ならば、訓練は穏やかに始めなければならない。

 農民はもとより、市民ですら大規模集団生活など知らぬ連中なのだ。あの世界の学校生活を送らせたならば、発狂すること請け合いだ。満員の通勤列車を見せたら地獄と勘違いするだろう。


 そこで、まずは環境に慣れさせる。集団での軍隊生活も悪くないと思わせて、指導官からの罵倒なんて以ての外だ。でなければ、あっさりと新兵は心を病むか逃げる。

 そうして集団生活になじませながら、個人教練では武器を持たせずに、まっすぐ立つことを教える。次いで兵士としての歩き方だ。

 姿勢と行進の基礎教練が終われば、執銃教練。ここで初めて武器を持っての訓練となる。


 動きを学び終えれば、お後は繰り返し。

 一つ一つの速度と精度を上げる。ようやく最低水準を満足したと判断できれば、部隊教練へと進んでいく。

 これが新兵教練。ゆっくりと、着実に、マスケット銃を持つ自動人形を作る行程。

 そして最後にセルゲイは、意図的に魂を入れる作業をこれに加えた。


 だが、得られぬものを望んでも仕方がない。

 だから。


 幼女の面白がる声を聞く。

「当然、兵士でないものを連れて行く」

「そうです殿下。既に殿下は彼らの心に火を灯しています」


 ある意味で素晴らしい上司なのだ、この幼女は。

 精神の重要さを理解している。単なる人形ではなく、戦う兵士を求めている。その力を把握している。


 確かにリソースに見合った目標を掲げているとは思えない。見たところ明らかに要求は過大。

 それでも現場レベルを理解しようと努め、達成のために成し得るすべての手札を切っている。

 しかも世に名を残した連中は、何奴も過大な要求を実現しているとなれば宜なるか。

 

 だが、いったいどうすれば、過大な要求を達成できるのか?

 一握りの成功と数多の失敗。

 分け隔てたのは何か?


 脳裏に浮かぶは、しごかれる新兵たちの、不思議と前向きな顔つきだ。

 青の広場の戦いで、百人隊と民兵隊が見せた勢いだ。

 今やどこの酒場や広場でも、あるいは通りの辻々で、あの戦いが話題にならぬ日はない。その後ろでは虐げられながらも父を助けて立ち上がる、幼い少女の物語が歌われる。


 この時代の庶民にとって、皇帝は神に等しい。敬愛を抱き、尊崇する。

 一方、免税特権を得て、富裕階級となっていた親衛隊士は嫌悪の対象。不景気となれば、なおさらだ。

 つまりは、目に見えて明らかな勧善懲悪がそこにあり、それがすべて。


「私は彼らを手荒く扱いました。手荒く扱うことができたのです」


 冒険心からでも良い。割の良い仕事だからでも良い。

 雰囲気に流されたからでも構わない。もちろん単純な皇帝崇拝ならば言うことはない。


 飢饉と不景気の悪循環を打ち破るかのような、曖昧な期待。

 名誉、栄光への希求。

 語らいが生み出す集合心性。その情動。人は理屈では動かない。

 それらが失われる前に。奪われる前に。


「今、我に返らせてはなりません」

 熱さが過ぎ去れば、彼らは兵士もどきですらない、単なる烏合の衆に成り下がる。


 休息。休み。大変結構。だが、多くの新入社員が会社を辞めるのは五月なのだ。それを避ける手段は二つだけ。環境に慣れて自ら納得するか、さもなければ。


 まさか自分がこんな事を言う羽目になるとは。

 黒も黒、真っ黒過ぎる。鬼どころの騒ぎではない。


「やはり貴様も大概、外道だな」

 愉快な声が響いて、心が苦しい。


 成る程と、うなずく幼女の理解力。リュドミラ皇女はブラック企業家としてレベルアップを果たしたようです。きっとファンファーレが鳴っている。


「はい、殿下。逃げ場を奪うのです。気付いたときにはもう遅く、死地にいるのが理想です」


 思い出す。辞めれなかった理由のもう一つ。次を探す暇も、気力も、なかったと。

 

********

コメンタリー


 親方日の丸:大事です。セーフティ・ネット。


 茹でガエル:バカな蛙はゆっくりと水温が上がっても気付きません。すると何時しか身動きがとれなくなり、飛び出すこともできずに、あの世行き。


 皇帝か無か:Csesar aut nihil。チェーザレ・ボルジアの標語ですね。優雅なる冷酷も良いけど、お勧めは創造の破壊者! 早く早く次の巻を!


 闇の奥:怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。byニーチェ。ほんと、その通り。社畜だった上司が、今や社畜を作るのだ。


 見当違いの責任感:これ、社畜のみなさん、注意しましょう。といいつつ、無理だから社畜になる。無理しなきゃこなせない仕事を割り振るマネージメントに声を上げよう! 立ち上がれ万国の社畜諸君!

 ていうか、これも勉強ですなんて台詞、誰が考えたんだよ。ギブミーマネー。


 八日間:近世プロイセンでは十四日間が新兵の基礎教練にあてられた。それから数ヶ月ほどかけての新兵訓練。この辺の雰囲気はブレーカーの自伝を読むとよくわかる。彼の場合は四ヶ月で開戦とあいなり、戦場に叩き込まれた。

 ただ、このブレーカーさん、スイス傭兵と銘打ってますけど、当時としては最先端のインテリなので、一生を兵士と過ごしたような人物とは少し視点が違うのではと言う疑義もチラホラ。

 ちなみに革命フランスだとルシヨンの手記によれば、いっちょ軍に入るかと決めて入隊した途端にOJT的に実戦投入されてます。ある意味、プロイセンよりも自由・平等・友愛の国の方がブラックぽいよね。


 訓練は穏やかに:ブレーカーさんは不満たらたらですが、意外にも、多くの場合、プロイセン軍ですら、規律に重点を置くのは、若い兵士がやるべきことを完全に理解してからのみであったと言われています。


 集団生活:これは十八世紀当時においても問題になっていて、スイス人やフランス人なんかは特にホームシックにかかりやすいなんて書いてある本もあるそうです。ロシア人の場合はこれに対応するために、前話にて取り上げたartelを用いたそうで。彼らにとって、この小規模な生活班が新たな家族となり、実際にみんなで貯金して、不測の事態に備えたり、行軍を楽にするために馬を買ったり、肉を買ったりとしたそうです。

 そもそもロシア軍は地元に根ざした連隊区の徴兵制度であるため、軍に入っても顔見知りや、知り合いの知り合いクラスの人が多く、それがロシア軍の粘りを生んだとも。もっとも、多くの場合、横暴なロシア貴族がそれを台無しにしていた。


 マスケット銃を持つ自動人形:プロイセン軍歩兵連隊は将校によって操作される機械のようである。とは当時からよく言われた言葉。戦闘教練の習慣づけは将校にとっては、兵卒を自在に動かすことを可能とし、兵卒にとっては「服従」以外のことを思い出すことを忘れさせた。

 かくして一七六〇年のブレスラウ防衛戦は、脱走兵や罰則兵、負傷兵を主とする絶望的な連中で成し遂げられた。

「君が決断を下すときのために、執銃教練のすべてはしっかりと毎日実施させるべきであり、それは現実には多くがバカバカしいものにすぎないが、兵士を形作り、服従を教え込むには、実際問題、殆どが実戦では役に立たないとしても、それらを欠かしてはならないのである」


 集合心性:プロイセン式の兵士製造法に対抗する概念がこれ。革命フランスが発生したのは単なる群衆状態にあった民衆が、革命的結集体に突如変容したからあるとルフェーブルは説明する。そしてその変容の前提条件が、相応しい「集合心性」が予め民衆それぞれの心の内にあること。

 これが外的要因によって呼び起こされたとき、群衆は一つの目的を持った結集体となり、進んで動乱に身を投じる。つまり祖国は危機にあり、となりバスティーユ経由ヴァルミー行き。詳しくはルフェーブルの革命的群衆を!


 休息:現状ではプロイセン式兵士製造法を土台にしつつ、国民軍的心性を取り入れようと四苦八苦。

 君主個人に対して、愛国心に近いもの等を得られるのか、という疑問に対しては、大北方戦争中にロシア軍の捕虜となって九年近くシベリア抑留されて辛い生活を送っていたスウェーデン軍兵士が、国王戦死の知らせを聞いて、世界が終わったように嘆き悲しんだという逸話が答えとなるでしょう。お前をそこに送り込んだ張本人だぞと、ツッコミどころ満載なのにね。

 まぁ、あの当時のスウェーデン王なら仕方がない。なにせ十八世紀軍人のアイドルですから。

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