第8話

 戦列歩兵の前進は、足並み揃えて、左、右、左、右。

 かくてセルゲイは前を行く。私語の一つも、行進曲もない中を、ただ歩む。

 数える必要もない正確な足取りは、一分間に七十歩。これはもう、病気の一種。染み着いた習性とも洗脳とも呼ぶべきか。撃ち殺されても、気付かず歩き続けそうな自分が怖い。


 しかし敵にしてみたら悪夢も悪夢、飛び切りの悪夢だろう。

 いつでも撃てると脅しをかけられて、静かにゆっくり近づく強面どもに、お近づきになりたい阿呆は滅多にいない。


 だが、爺とて怖いのだ。陽光を煌めかせる槍の穂先が、やけに大きく見える。

 両脇で控える火縄銃兵隊の筒先が、すべて自分に向かっている気がする。


 そうして浮かんで消えるは心配事。

 百人隊どもと民兵連中は、指示に従うだろうか?

 勝手に突撃をしたりはしないだろうか?

 敵に対しては、距離がある内に早く撃てと思いもするが、永遠に撃つなと願いもする。

 どうでも良くなり、儘よとばかりに思わず駆け出したくなるが、欲望に負ければ、そこで終わりだお仕舞いだ。


 だって隊伍を組むから強いのだ。

 数度と、雷鳴が轟いたところで、精々ビクつく程度にすぎないが、それが一度に纏めて落ちたなら、打ち破れぬものなど、世にはなし。少なくとも、かくあれと信ずる。


 だから端から見れば気狂い沙汰でも、やるしかない。

 つまるところ最後に必要なのは、やせ我慢。武士は喰わねど高楊枝。こんなのいつものことさと嘯いて、平気な顔して進むのだ。

 鼓笛の行進曲を聴きながら、列を乱さず歩むが嗜みですが、反復練習すれば息を合わせるだけで事足りる。


 空は青く、高い。太陽は中天にあって輝き、古い建物に囲まれた『青の広場』に光を注ぐ。それは初夏のすばらしい昼下がり。

 まったく同じ拍子で石畳を蹴りつけて、後ろに続くは殺人鬼たち。鼓笛の伴奏がない分、余計に良い音させてます。

 さぁ君も、気の合う友と喜びをともにしよう。


 そのとき銃声がした。甲高い音だ。敵の隊列で疎らに閃光が瞬き白煙が上がる。これが我らの音楽だと宣ったのは、誰だったか。きっとマシな死に方をしちゃおるまい。


 だが、風切る羽音のような慣れ親しんだ調べは至極まれ。耳元を弾丸が通り抜けるよりも、多くは頭上を越えていく。

 やはりだ、まったく素人どもめ。


 それは不慣れな新兵がやらかす有りがちな失敗だった。遠間から反動も考えずにまっすぐ構えたものだから、空に向かって鳩でも撃つかのような有様だ。

 見れば敵の火縄銃兵隊の規律は酷いものだった。勝手に撃ち放った銃兵が怒鳴られて、装填のために後ろへ下がる者と射撃のために前へ進む者が入り乱れてしまっている。


 こちらの長槍兵隊がまともならば、突撃の機会だった。しかしセルゲイは、嚮導隊が射撃するまで前進をするなと念を押していた。

 何と言っても連中は信頼できない。確かに今は士気が高い。だが槍の届かないところから撃れたとき、連中に前と後ろの区別がつくかは怪しかった。


 もちろん少なくとも、あのボリス・イワノフと名乗った百人隊の特務曹長は意図を理解していた。存在することに価値がある。突撃の可能性をチラつかせ、火縄銃兵隊を牽制するだけで良い。

 

 だが、実戦慣れしていない兵卒どもはどうだろう? 分からない。熱狂に駆られるかもしれない。そして撃ちまくられて敗走するかもしれない。混戦となって制御不能になるかもしれない。


 動くな、動くな。念ずるが、最早、神頼み。


 見れば敵の指揮官はまとものようだった。射撃を続けさせることが、危険だと気付いたのだ。嚮導隊への射撃にかまければ、正面に残る長槍兵隊が突撃してきたとき破砕できない。


 一瞬の静寂が訪れた。後ろに続く軍靴の響きには、僅かな乱れがある。

 

 死傷者が出ているのだ。

 けれど苦痛の呻きは聞こえない。軽傷か? それとも、もう何人か脱落したのか? 振り返りたかった。だが信じるしかない。

 こんなときこそ、軍楽隊が欲しかった。恐怖に打ち勝つ、太鼓の轟きが欲しかった。

 

 どうしたって、ここが勝負所なのだ。

 セルゲイは敵の長槍兵隊が、柄を持ち直すように動いたことに気が付いた。

 奴ら、対抗前進する気だ。攻勢に転じて長槍と密集隊形の衝撃力で全てを押し流そうと、数に物を言わせるつもりだ。


 セルゲイは声を張り上げた。敵に恐怖を与え続けねばならない。


「中隊、駈け足!」

 機先を制して歩みを早める。遠い昔、新人研修と言われて規律訓練を叩き込まれたことを思い出す。同じ事を嚮導隊にも施した。

 だから左、左、左右。声を合わせずとも、歩調が合う。仕事には何の役にも立たなかったが、此方では違う。


 敵があからさまに動揺したのが見て取れた。前進の気配は、転じて隊列を狭める動きに変わる。槍衾を作って守りを固める。


 掛かった! セルゲイは叫び出したくなった。

 三フィート間隔で立ち並んでいた長槍兵たちが、身を寄せ合うように一つの塊になる。我々が剣だけで突入するなら、それはそれで正しい選択だ。


 しかし。


「中隊、止まれぇ!」

 号令を下す。「構えぇ!」


 床尾を肩口にあてがう。敵間距離およそ十ヤード。直線弾道距離だった。


「撃てぇ!」

 叫ぶや、同時に引き金を引く。


 轟音だった。一発の銃声の比ではない。

 硝煙と焔が銃口から吹き出し、視界が真っ白に染まる。 

 

 昔、あの平和な国で、銃は弓矢が進化したものだと勝手に思っていた。安全な場所に自分の身を置き、遠くから、より遠くから敵を殺すものだと。

 だが違った。此方に来てからマスケット銃は、まったく異なることを知ったのだ。


 セルゲイは銃を惜しげもなく投げ捨てた。斉射の効果は硝煙に隠れて見えはしない。だが是非もなかった。腰から剣を抜きながら、駆ける。雄叫びが口から漏れる。遂に隊列は乱れているはずだが、もうそれはどうでも良いことなのだ。


「続け!」

 長剣を振り上げて進む。


 硝煙の白い渦を抜けると、そこは地獄だった。折り重なる死体。呻く負傷者が地をのた打ち、鮮血が石畳を真っ赤に濡らしていた。

 

 これが、セルゲイが此方で知った真実だった。

 そう、つまり弓矢ではなく槍なのだ。マスケット銃とは。

 至近でこそ、真価を発揮する。投げ槍としても使えるが、その本領は、長き槍の間合いにある。長槍二本分あるいは三本分の距離からの一斉射撃。それが、この槍の恐るべき切っ先だった。


 しかも密集していた敵にとって、二つ玉は致命的だった。

 九十発余りの球形鉛弾が、身を寄せ合う横幅五十名の正面に注がれた。おまけにマスケット銃が持つ弾道性の悪さが、ここでは上手く作用した。

 弾丸の散布界が敵を包み込み、斉射はあたかも巨大な散弾銃となった。


 結果は悲惨だった。最前列で生き延びたものは、殆どいなかった。二列目ですら、半分余りが倒れ伏していた。

 セルゲイは委細構わず突っ込んだ。


 目の前の一人に駆け寄ると、上段から長剣を首元に叩き込む。男は回転するように仰け反り、絶叫を挙げる。かまわず蹴り倒す。


 見れば、敵どもは呆然と立ち竦んでいた。槍を両手で構えてはいたが、何が起きたのか理解していない顔だった。銃声とも呼べぬ巨大な音に耳をやられて、口を半端に開けて間抜け面を晒していた。


 セルゲイは剣を腰だめに構えた。一声吼えて、屍を跨いで進む。向かいの連中は、もう半狂乱の有様だ。


 それでも勇敢な一人が長槍を投げ捨てて、鞘から剣を抜こうとした。


 セルゲイは一足飛びに懐へ飛び込んだ。

 相手の柄頭を片手で押さえて、刃を腋下に滑り込ませる。一突きで心の臓を貫けば、男は脱力して膝から崩れ落ちる。

 剣身を引き抜いて、死体を押しのける。もう立ち向かってくる勇気ある敵はいなかった。誰もが背を向け逃げ始めている。


 そのままの動きで手を延ばし、逃げる一人の襟首をつかむ。引っこ抜くように腕を振るうと、仰向けに倒す。

 そいつは訳の分からない声で叫んでいた。顔面は涙と鼻水まみれ。怯えきっている。

 正直、不快だった。

 こいつらは兵士でない。地に縫いつけるように剣を口から喉に突き入れ、黙らせる。


 更に獲物を求めて顔を上げると、いつの間にか辺りに敵はいなかった。

 

 左右で大喊声が起きていた。見ると不揃いに槍先を連ねた味方の長槍兵が突撃し、親衛隊の火縄銃兵どもを追い散らしていた。

 銃を投げ捨てているのは、こちらと同じだが、向かう先は広場に通じる二本の道筋。


 文字通りの潰走だった。

 限られた通りの入り口に殺到し、将棋倒しが起きている。戦友だったはずの仲間を踏みつぶし、最早、軍の態をなしていない。セルゲイは呆れ果てた。恐慌を来して、周りが見えていないのだ。


 どんな名将だろうと、あの状態に陥った兵士を立ち直らせることは出来ないだろう。

 戦闘の勝敗は、兵士が群衆に成り下がったときに決まる。だが、果たして、連中は最初から兵士であったのだろうか?


「最先任上級曹長殿。捕虜です」涼しげな顔をしたシャヒロフがいた。直立不動の報告。


 見渡せば一面、死屍累々。屍山血河とは良く言ったもの。

 嚮導隊は二列横隊。向かいの商工会館の壁際には、武器を投げ捨てた親衛隊士たちが歯をガタガタ鳴らして、怯えた羊のように身を寄せ合い慈悲を求めていた。


 その数は、百を下るまい。こちらの倍はいる。余りの馬鹿馬鹿しさに笑いたくなった。どう見ても、こっちが悪役だ。無辜の民衆を虐殺した無慈悲な軍隊。畜生め。


「総員点呼。捕虜どもは、整列させて兵営まで行進させろ。特務曹長、先導役の人選は任せる」


 苛立ち紛れに一息で指示を下すと、剣を石畳の隙間に突き立てた。

 切っ先が砕石に喰い込んで、手を離すと直立して前後に揺れた。


 後は知らん。野となれ山となれ。ともかく、これで幕引き、引退だ!

 

「帝国万歳!」やけっぱちに声を張り上げる。


 勝ち鬨が帝都全域に木霊した。これが帝国の終わり。その始まりだった。


********

コメンタリー


 一分間に七十歩:プロイセン式だと、七五歩。気取った紳士がゆっくり歩く程度などとも言われている。速度は分速約一五六フィート。ここでは戦場行進なのでロシア式の七十歩。ロシアの常歩は六十歩から七十歩とされて速度は分速一五〇~一七五フィート。前に書いたとおり、これは歩幅が大きかったため。


 雷鳴:十七世紀後半の軍事教本を書いたターナー曰く「一つの長く延々とした雷鳴は、十度の断続的でバラバラなそれよりも、致命的なほどに酷く恐ろしいがためである」。しかしこれの実践は当時にあっては中々難しかった。というのも、装填中に騎兵やら槍兵やらの突撃を食らったら一巻のお仕舞いだったから。


 行進曲:歩調行進において行進曲は定番ですが、誤解もあります。それは行進曲に合わせて歩調を整えるということ。実際には行進曲の拍子と歩調の拍子が常に一致していることはありません。実際にイギリス軍がそれをやろうとして、失敗してあきらめてます。では、どうやったのか? 答は簡単。日々、歩け。ちなみに行進曲や鼓笛の役割は、号令の代わりであったり、士気高揚であったりで、拍子を取ることではなかったそうで。


 銃声:マスケット銃弾の初速は音速よりも遅かったので、音の方が弾丸よりも先に狙われた側に届いちゃいました。なので発射音がして弾丸が来る順番。あと古参兵は、羽音のような至近弾の音と、ヒョロヒョロ弾の音とを聞き分けることが出来たそうな。恐ろしいことで。


 我らの音楽:どこぞの狂った北方の戦争王は、軍の先頭に立ち、飛んでくる銃弾の音を聞きながら、これぞ我が音楽と言ったとか。そんで十八年間も最前列でライブを楽しんだので、とうとう年貢の納めどき。ついには銃弾で、頭を吹っ飛ばされてしまいましたとさ。

 まったくもって、癒される人生です。


 空に向かって鳩でも撃つかのような有様:They shot at the skies.とはイングランド人の古参大尉が、敵として撃ちかけてきた未熟なスコットランド人新兵たちに向かって呆れたように述べたお言葉。

 新兵諸君、反動を忘れてはいけません。ちなみに一五〇ヤードの距離なら膝を狙えとのこと。


 突撃の機会:火縄銃vs長槍兵の戦いは、射撃の合間を衝いて長槍兵が突撃できるか否かに掛かっています。たとえば、清教徒革命戦争中のアドウォルトン・ムーアの戦いでは、第一次囲い込みによる生け垣や石垣を用いて射撃戦を展開した議会軍歩兵隊に対して国王軍は敗北一歩手前まで追いつめられましたが、最後に長槍隊の大部隊が射撃の隙を衝いて反撃を行い、逆転勝利を手にしたと言われています。


 一瞬の静寂:規律ある兵士は私語を叩くことがなかったため、沈黙や静寂は敵を怯えさせる一つの武器として扱われました。十八世紀初頭の欧州最強陸軍の一つであるスウェーデン軍の前進は、「前進命令が下されるや、全てが静寂の中で行われた。ただ聞こえるのは、太鼓の連打と数千の軍靴の響き、武器や装具の金属部が重なり鳴らす音だけである」とも言われています。

 

 対抗前進:銃の性能向上により長槍兵は攻撃力を失い、もっぱら防御専門として扱われる向きがありますが、前述したとおり、突撃力は侮れないものがあります。長槍兵の攻撃力を再復活させたと言われているのが獅子王グスタヴ二世・アドルフ陛下であります。

 ただし、対突撃防御の場合は密集隊形を取るのが正解でその場合、通常隊形である三フィート間隔ではなく、二フィート間隔以下まで詰めた。


 駈け歩:駈け歩の歩調行進。革命フランスのお家芸。殆ど走るほどの速度。一分間に百二十歩。とはいえ、駈け足攻撃は何時の時代でも最後の瞬間には行われていました。歩調をとってたかは別ですが。


 左、左、左右:私が受けた団体規律訓練の行進掛け声の一つ。軍隊っぽい組織もこれだと聞く。


 硝煙:予想以上に濃いもので、前進しないと視界がかなり制限されてしまいます。


 槍の間合い:清教徒革命戦争の記録には「長槍二本分の距離になるまで撃つんじゃねえぞ」という命令の記録が残ってます。十八世紀になっても状況は変わらず、至近距離からの一撃は常に破滅的な結果を生みました。マスケット銃は命中精度悪いからという話は、この場合まったく成り立ちません。ただ、敵に近づくまで射撃を我慢できるのか、あるいは先に敵の至近距離射撃を受けないように、等の問題をどのように解決するか。これが戦列歩兵道の永遠の課題であります。サー、イエッサー。

 弓矢としての役割は、敵に突撃の機会を与えないためのもので、現代軍事用語で言うところの制圧射撃に相当。上手く組み合わせた側が勝ちを手にしますが、残念ながら今回は出番なし。


 地獄だった:今回の斉射においては命中率をおおよそ八十%としました。小説補正で命中率を嵩上げしてますが、ナフジガーの理想命中曲線の範囲内ですので、許して欲しいと思います。


 銃を投げ捨て:マイキーボードを躊躇なく投げ捨てさせました。今後は銃剣突撃になるかと思いますが、長剣での戦闘がやりたかった。今回の嚮導隊の攻撃は、伝説のスコットランド戦術、高地地方突撃をモデルにしてます。ただし、純粋な高地地方突撃ではなく、イギリス軍に吸収された後、ケベックの戦いにおける第七十八歩兵連隊フレイザー・ハイランダーズの近距離斉射後の長剣突撃の方が近いかもしれません。

 この戦いの場合は、敵の前進を待ちかまえての斉射、そして突撃でした。しかし十八世紀になって、かつての敵の一員になっても、高地地方兵の伝統は相変わらずマジパネェっすね。

 ちなみにこの突撃は、カローデンとは異なり大成功。フランス軍戦列の秩序に止めを刺しました。しかし猪突し過ぎて、後衛をつとめたカナダ人民兵隊の伏撃に遭遇して、一方的に撃ちまくられるピンチにも陥ってしまいましたとさ。気を付けましょう。


 潰走と捕虜:実力差がありすぎる場合、多数の側が雪崩を打って潰走することはよくあります。たとえばナルヴァの戦いではロシア軍四万~八万がスウェーデン軍一万に対して大敗。唯一の退路に架かっていた橋にロシア兵が殺到して将棋倒しはもちろん、ついには橋が重みで落ちる悲惨なことに。最終的には捕虜の数が味方よりも多くなり、扱いに困ったスウェーデン軍は、武装を根こそぎ奪って、キャッチ・アンド・リリースしたそうです。クラウゼウィッツはこの故事を大いに馬鹿にして、あいつ等は野蛮人だから軍隊なんかある訳ないじゃんと述べてます。

 葡萄月の将軍ことナポレオン・ボナパルトも路地に大砲並べて、自部隊の数倍に及ぶ群衆をなぎ払ってますね。今回は嚮導隊の射撃と突撃が、この葡萄月の大砲の役割を果たしました。

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