第6話
何て餓鬼だ。
セルゲイは肩からヒョイと降りた怪物を凝視した。
どこまでが仕込みで、どこからが成り行きなのか。
「侮ってくれるなよ。貴様の主人に名乗りを上げたこの私。どうして、相応しからん振る舞いをするものか」
幼女が一転、低く冷たく呟いた。軍を鼓舞した先程とは、似ても似つかない、その暗さ。セルゲイだけが聞き取れる、小さな声。
薄く笑う皇女殿下は、未だ齢十に過ぎぬ。一途に正しく歪みなく、兵どもこぞって夢見る正義の姿を、よりにもよってそれに一番縁遠い姫君が、しかも完璧に演じてみせるこの異常。
果たして、どう育ったら斯くなり得るか。と言うかホントに、こいつ十歳か?
中身が転生したブラック企業の社長とかでも、爺さん驚かないよ。幼くしてここまで歪むくらいなら、むしろ、そうであって欲しいもの。
「さて、私の仕事はここまでだ。後は貴様だ、セルゲイ君。私を楽しませてくれたまえ」
ニヒルな顔の幼女様。お前は、いったい何処ぞの悪の首領ですか?
そのうちグルグル眼をして、無理というのは嘘吐きの言葉である、などと言い出しそう。
そんなツッコミが思わず浮かぶが、もちろん浮かぶだけ。そうしてセルゲイは頷いた。
『ハイ、ヨロコンデ』
もちろん、日本語。通じぬ幼女は不思議なお顔。
「何、単なるまじないですよ」
軽口叩き、気分は居酒屋バイトで覚えた合い言葉。人手が足りないホールで千客万来。耳にインカム、両手にジョッキ。コールに応えて跪く。
笑みを絶やさず如何なる時も愛想良く。何でもかんでもYes, I can。だけれどここで培われた忍耐が、明るさが、あらゆるデスマーチを乗り切る力となったのだ。
そしてあれから幾星霜。
年を重ねて生まれ変わりもしたが、まるで成長しない我が身を嘆く。幾つになっても意地があるのだ、男の子には。
「験担ぎとはな。貴様も人の子か」
「然り。ご笑覧あれ、これぞ人なる獣の専売特許」
期待の視線を感じつつ、しかも自信満々をあえて見せつける。
かくて過大評価もここに極まれり。期待に応えて奇想天外、策を巡らし敵をして『これは孔明の罠だ』といきたい所だが、そうは問屋が卸さない。
その実、別に大した思案もなく、むしろ戦術は単純明快、正面からの喧嘩合戦。
「言うねぇ、貴様も。それで演目はどっちかね」
幼女殿下は喉を鳴らして上機嫌。「攻撃かい? 迎撃かい?」
仕草だけなら愛らしく、相も変わらず口から飛び出る不穏当。
やれやれと思いもするが、セルゲイは敵を今一度、見渡した。
「さて、最初は迎撃と定めていましたが」と、苦笑する。
すれば敵ども、最初の勢い何処へやら。戸惑い溢れて戦列乱れ、とてもじゃないが攻撃に出られる様子ではない。
「ふん、当てが外れて尻込みしている仕儀なるか」
「大方、数を恃みに武器で威圧すれば事足りるとでも考えていたのでしょう」
隊伍を組んで整然と。権威と伝統を身にまとえば、指揮官不在の宮城守衛なぞいないも同然。となれば後は楽しい軍事ピクニック。戦わずして、無血クーデターここに成れりと言うわけだ。
けれど、あに図らんや。目算にはトチ狂った皇女が含まれず。それで計画、時機、実行手筈どれも悪くないのに、この有様。
覚悟が伴わないのも、然もありなん。まったくもって絵図面を書いた奴には同情します。
「まさか、このまま待ちの一手で睨み合いなぞとは申すなよ」
胡乱な目をした幼女様。流石に爺を舐めすぎです。
「時がたてば、貴族どもが騎兵を率いて来るでしょう。沈黙を続ける砲兵隊も、そうなれば」
「無論、敵。市民どもとて日和り続けるわけにもいくまいて」
そうして幼女殿下は、神に説教であったと口の端を歪めて実に良い表情。「宜しい。存分にやりたまえ」
やはり釈迦に説法とは言わないか。そんな下らぬことを考えて、考えた端からセルゲイは、どうでもいいかと興味をなくす。
なにせ突撃。突撃だ。四十七人率いて突撃だ。
字面だけなら無謀の極地。失敗即死亡。包囲されてのリンチの刑。しかし中々どうして侮れるものではない。
何故なら、密集度が違う。
一瞥しただけで、敵さんが横に間延びしているのがよく分かる。
懐かしき『槍と銃剣』時代のままの連中は、実に古めかしき隊形だ。中央の幅五十名の長槍連中ですら、一人頭で三フィートの空間が必要なのだが、それ以上に左右の火縄銃兵隊が酷い。
横三フィートの間隔をあけて暴発安全対策中だから、幅二五名ずつの横隊なのに、倍の長槍隊と同程度の正面幅。
こうなると、左右翼端の銃兵どもは中央方向に十分な火力を発揮できない。閲兵、訓練、あるいは単なる威圧だけなら壮観な聯隊横隊であるが、残念ながら実戦向きではない。せめて五百名ごとの大隊隊形を採用するべきだった。
遊兵を作らぬことが、勝利への近道であるならば、連中の隊形はその真逆を行く最悪手。
要するに、烏合の衆なのだ。とりあえず集まって、威勢をあげれば上手く行くと勘違いしている群衆に過ぎぬ。
だが、素人に毛が映えたような連中なれば仕方がないと、爺は思う。
そも隊形選択においては、長槍兵と火縄銃兵を細かく組み合わせるのが正解だ。誰がどう考えても性質の異なる兵種を混ぜた方が柔軟性が増して、戦闘効率は向上する。しかし一度でもシステムを組んだことがあれば自明だろう。
何でもできるシステムとは、基本的にユーザー側にも複雑な操作と熟練を要求する。
逆に単一機能のシステムならばボタン一つか二つで事足りる。スマホを扱えぬ老人が、テレビにビデオ、コードレスの電話を使いこなせるのは、自明の理。
だから、長槍兵を一つに固め隊形の中核としたことで、敵指揮官を非難しようとは思わない。むしろ白兵戦で邪魔となる火縄銃兵を切り捨てた、大胆な判断と賞賛すら覚える。
あえて非難をするとすれば、縦深を十列としたことか。
火縄銃兵を切り捨てるにしても、戦力発揮の機会は増すべきだった。
練度不十分な素人どもとくれば反転行進射撃、最前列から順繰りに射撃をして最後列に回り込む連続射撃も禄に行えぬだろう。
となれば深い縦長は、無用の長物。
銃兵隊は三列横隊とし、目一杯に広がり縦射を可能とするか、二重戦列を採用して突破に備えた予備に回すのが最善だった。
対するこちらは肘が接するほどの密集隊形。しかも縦深二列の横隊だ。
単純正面の集弾率は比較するのも馬鹿らしい。
加えてウォーモンガーどもは言うに及ばず、腰の引けてた連中も、兜や三角帽を振り上げて、意味不明な気勢をあげている。これだから未開人はと思いもするが、やる気に溢れて実にありがたい。
中央突破し、戦力比を見かけの上でも一対二以下にしてやれば、戦勝確率は大幅上昇、間違いなし。
いつ萎むかは知らないが、これを使わぬ手はございません。
肝は、最初の一撃。嚮導隊の、その一手。火力集中の原則で、真ん中に陣取る槍兵隊を貫こう。
マスケット銃を持ち直し、楽しいお仕事の時間です。
お後はどちらも素人故に、急な坂道を転がる石が如しのはずである。
かくて背筋を正し、間違い続きの人生に、敬礼ひとつ。
アヴェ・カエサル・モリトゥーリ・テ・サリュータント。
さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。突破か袋か、賭け金は年金受給の絶対条件、つまりは自分の命でございます。
「それでは殿下。これにてお去らば」
言ってセルゲイは、前に進み出る。子連れで突撃はかませない。確かに幼女殿下のお説の通り、中坊以下の時間は終わりです。ここからは残虐描写の十五禁。
「素晴らしき見世物を期待する」
背中に声を聞きながら、幼女の顔を脳裏に描く。
きっと、身の毛もよだつ笑顔でありまして、さては上々、仕上げて御覧じろ。
ん? そもそも見るのがダメなんじゃね?
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コメンタリー
グルグル眼:幼女殿下は多分、ビクトリー教の信者です。百害あって一利なしのテオドラさんが神官をお勤めになっているあれです。戦いは美しい、美しさは戦いです。
無理というのは嘘吐きの言葉:有名すぎる迷言です。ナポレオンじゃないよ。
Yes, I can:元ネタはweですね。なにができるのか全く不明で、結局、最後まで不明のまま終わることでしょう。
意地があるのだ、男の子には:言わずとしれた君島さんの名言から。スクライドは最高に燃える。
これは孔明の罠だ:完全にネタ用語として確立してしまった。
砲兵隊:砲兵隊は専門家の領域なので、近世初期において軍隊にそこまで取り込まれていません。管轄も砲兵総監の下に置かれることが多い。貴族階級が積極的に進出しなかった領域なので、アンシャン・レジーム期においても市民出身将校が大手を振って歩くことができた。市民ではないが、コルシカ出身の貧乏貴族も、おこぼれを預かったその一人。
隊形幅:当時の教本には火縄銃兵の縦列間隔は三フィートとあります。ただし、これは射撃時で、白兵戦時にはさらに密集することになります。また、反転行進射撃に必要な間隔について、ルイ十四世時代のフランス軍元帥ヴォーバンは六フィートと述べています。とはいえ、兵士の練度によっては更に密集した隊形を取ることは不可能ではなかったことも事実ですし、前話でも述べたとおり、その結果、事故が発生しています。たとえば三列斉射戦術をとる場合はもっと密集していたと思われます。
一方、槍兵隊の間隔については、長い槍を扱う性質上、一人当たり三×三フィートの空間が必要であるというのが、古代から受け継がれてきている原則です。スイス兵方陣でも、テルシオでも、あるいは古代のファランクスでも、基本隊形において、この原則が守られています。
肘が接する:こちらは戦列歩兵の隊形幅。これはおおよそ一人当たり二フィートになります。十八世紀中頃の場合、デュフィ氏が言うに一人当たりに必要とする空間は、一歩×一歩、つまり二×二フィートの正方形の空間として取り扱う場合が多いそうです。ただ横列と横列の間隔は、装填時と射撃時で伸縮しました。
兵種の組み合わせ:現代の軍事用語で言うところの諸兵科連合。あるいは近世期の歴史用語では三兵戦術などがこれに当たります。長槍と火縄銃の組み合わせでは、有名な実例としてスウェーデン王グスタヴ・アドルフ期の旅団隊形があります。しかし、三十年戦争中盤に用いられたこの隊形は、戦争の後半や続くイギリス内戦においても決して標準とならず、大隊規模の横隊を用いた単純な形へと収斂しました。
聯隊横隊:小説で元にした隊形は、一六四七年八月七日のロンドン閲兵時のレインスボロ聯隊の隊形です。
敬礼:この場合は頭を下げる一礼。軍隊での敬礼と言うと、挙手の敬礼が今ではすぐに思い浮かぶが、これの起源や近世およびナポレオン期における使用例は諸説様々。
アヴェ・カエサル・モリトゥーリ・テ・サリュータント:古代ローマの剣闘士がコロッセオで挨拶に使ったと言われている。意味は「皇帝万歳! 死にゆく者たちより敬意を捧げます」
R15:とりあえず、残虐描写ありのタグだけしか付けていない。大丈夫だろうか。
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