第3話

 時は創世紀元七一二六年現在。皇帝フョードルが治世三年目の六月二三日。

 天候は晴れ。

 聖なる教えを受け継ぎし第四の帝国。その都モスコー。時刻は昼飯前の一一三〇。

 

 皇帝親衛隊が決起した。


 経緯を説明するのに帝国の歴史を紐解くと、長くなるので止めておく。

 勘のいい奴でなくとも、十三年戦争以降の事柄を、三つ四つ挙げれば、訳知り顔で頷くからだ。


 七一〇二年。十三年戦争終結。近衛軍創設。家格任官制廃止。

 七一〇四~六年。軍司令官ボリス・セミノフの叛乱。士族軍解体。

 七一二三年。アレクセイ帝崩御。フョードル帝即位。

 七一二四年。士族軍復活。

 

 つまりは、改革と反動のステレオタイプをそのままなぞる帝国史。

 封建制度、今なお強く、バスに乗り遅れるなと飛び乗ったは良いが料金払えず追い出され、乗るしかないでしょ、このビッグウェーブにと、言ったが時点で波の先頭遙かな彼方。意識高くキャッチアップと字面だけ飾っても、やること昔ながらの追いつき追い越せ、マエハタ頑張れマエハタ頑張れに他ならない。


 だが言いたい。アフターバーナを焚きっぱなしの戦闘機があるだろうか。最初から最後までスプリント勝負するマラソンランナーがいるだろうか。


 当然、至る所に出るわ出るわの軋轢、歪み、不平と不満。

 これに加えて民衆叛乱が彩り添える。

 十五年前の球儀事変など、大地は丸くないと言い張り、狂った皇帝を廃せと立ち上がった民衆たちの鎮圧戦。


 だからもちろん先の帝が性急なるも、むべなるかとは思います。おぉ無知蒙昧なる民草どもよ。頭が痛い。

 だいたい、創世紀元って何だよ。高が七千年前に世界が出来たわけがなかろうが。恐竜どころか原始時代も無かったことにしやがりましたよ神様は。

 そりゃデバックもしないで七日目休みやがっただけの事はある。


 何が聖なる教えだ。莫迦野郎。呆れて言葉もないとはこの事だ。ユーザーとしては返品、訴訟も辞さぬ構え也。六日間のデスマーチには同情するが、リリースした製品には責任持とう。完全無欠どころかバグだらけでまともに動いてないぞ、この世界。


 ああパッチはまだか。まだですか。少なくとも七千年は遅れているのを見ると、コメントアウトもなく、モジュール化も適当で、無駄にダラダラ書き連ねたに違いない。

 頼りのカスタマーセンターは確かに自称二四時間営業だが、担当者から返ってくる答えはいつも決まって、信じる者は救われる等とかふざけるにも程がある。企業精神を疑うレベル。


 中原諸国の連中が、そんな世界観を頑固に守る帝国を馬鹿にして曰く『北の穴熊』。

 まったくもって、さもありなん。現代人から見れば五十歩百歩、目糞鼻糞を笑うが如しであるが、遅れていることは明々白々。古代復興、未だにならず。


 上から下まで、まぁ、そう言う事である。

 故に箍が外れてしまえば、こんなもの。三十有余の血塗れた暮らしが砂上の楼閣建設工事に費やされたと分かれば、愛着はなくとも空しさを禁じ得ない。


 せめて作るのならば、仕様が二転三転した挙げ句に短納期を迫られて誰も幸せにならない新国立ではなく、誰からも祝福されるプロジェクトX的な東京タワーを作りたかった。

 オールウェイズな時代でならば幸せになれたであろうか。尤も、あれはあれで、USO八〇〇認定取得済みと言う噂であるが。


「貴様には、引き続き嚮導隊の指揮を執ってもらう」

 幼女は如何にも当然と口にする。

 ちなみに嚮導隊とは定数四十八名からの近衛の一隊。小さいナリだが編制の上では中隊格。当たり前の話だが下士官は近衛の中隊指揮官たりえない。それは昔も今も将校貴族の役割だ。


「はい、殿下。しかし嚮導は直率。近衛隊長の中隊であります」

 つまりは本来、ここに座っているべき御仁なる。けれど幼女は事も無げに言い放つ。


「心配するな。御璽を得て、本日先ほどより私が近衛の長だ」


 いつも通りに代理指揮を執るがいいと笑いやがるが、いらぬお世話だ本当に。

「セミョーノフスキー大佐殿は?」

 一縷の望みを賭けて聞いてみる。


「大変結構なことに、先の近衛隊長たる彼ふくめ、将校どもは皆、揃いも揃って病だそうだ」

 愉快痛快と幼女は笑う。つられてセルゲイ、同じく笑う。


 側聞するに、とある船から鼠は逃げる。なるほど、やはりこの船、沈む船。泥船確定、大当たり。まともに仕事も出来ぬコネ入社の若僧だったが、どうやら、思った以上に有能だったようである。

 セルゲイは人目がなければ泣くか当たり散らすか、どちらか、あるいは、どちらもしただろう。今はただ、笑うしかない。


 まったくどうして、こんな無謀な賭を。


 思い出されるのは『軍』の冠を戴いて、威容を誇った往時の近衛。まず挙げられるのは金銀絢爛たる装い見事な侍従騎兵。全てが貴族。忠誠を誓った若き公達三百から成る。誰もが未来を約束されていた。しかし現在、全員病気(仮病早退。ダメ、ゼッタイ)。


 続いて名を連ねるのは選抜騎兵二百、軽騎兵二百、銃騎兵五百。最早その突撃は伝説となっている。そして、これに加わるは十六個中隊を最盛期に数えた近衛騎兵隊。

 彼らを支える歩兵と言えば、我らが職場。第一、第二の近衛歩兵聯隊に嚮導隊。帝の御前で規律は愈々正しく、やはり何れも選りすぐりの精鋭たち。けれど左遷人事に古今東西変わりなく、我ら以外は皆、シベリア送りかアラスカ支社か。


 残るは儀仗兵たる皇堂と聖堂の百人隊だが、実戦経験ゼロの案山子ども。

 嚮導隊を除いても、かつては騎兵二十個中隊、歩兵十二個大隊、儀仗兵二個中隊を数えて恐怖と驚異を帝国全土に振りまいた、夏草や兵どもが夢の跡。


「了解であります。では、これより殿下の身辺をお守りいたします」

 セルゲイはどうにか、頭を切り替えた。とりあえず、利点だけに目を向けよう。


 少なくとも、『軍』の称号を失い近衛隊と言っても名ばかりだ。残骸とすら呼べぬとなれば、戦力たりえない。なればむしろ最前線は免れる。トチ狂った上司と心中する理由はどこを探しても見当たらない。矢面に立たず巧く立ち回れば、無傷で降伏出来るはず。戦場の端で嵐が過ぎるのをただ待とう。


 だが、しかし。

「悪くない冗談だ」

 帰ってきた答えは悪夢そのもの。セルゲイの予想以上に幼女リュドミラの頭のネジは、飛んでいた。本数もたぶん一本二本のケタではきかぬ。


 続いた言葉に、正気かこいつと絶句する。


「むろんのこと最前列。貴様ら四十八人が主力だ。残りは数合わせの儀仗兵と民兵だからな」

 至極普通に幼女は言った。「なに、向かってくる親衛隊どもは多くても千名程度さ」


 一捻りしてくれよ。幼女は肘でセルゲイの太股辺りを小突いてみせる。

「胸躍るとはこのことか」

 そうして幼女は、遊園地のアトラクションにでも向かうかのように歩み出す。セルゲイが従わないとは思いもしないから、振り返りもしない(そして間違いではない)。


 ここで逃げ出せるならば、どんな人生送れたか。しかし嘆くばかりで考えない。思考停止は社畜のお家芸。駄目だこりゃと投げ捨てて、内心、無理でしょ馬鹿なの死ぬのと言いたくて、それでも黙ってひたすら歩むが正しい姿。


 そして意気揚々と、歩む幼女の背中を一歩遅れて追いながら、クレイジー・ホースのように思うのだ。だって窓の外には、抜けるような青い空。白い鳩すら飛んでいる。

 今日は死ぬには良い日かもしれないと。少なくとも誰もいない都内のワンルーム。徹夜明け、ぼろいアパートの一室で、下着を取りに戻ったばかりに一人寂しく心筋梗塞で死ぬよりは。


 こうして匙は投げられた。


 だが望むくらいは、この爺に許して欲しい。

 ダメダコイツ、ハヤク、ダレカ、ナントカシテクレ。


********

コメンタリー


 創世紀元:天地開闢紀元が元ネタ。東ローマ帝国がかつて用いていて、ロシア歴ともいう。聖書を読み解いて、世界が誕生した年を算出したと大真面目。今聞くと寝言にしても甚だしい。いつか我々の時代も、同じように馬鹿にされるときが来るだろう。


 年表:ロシアとポーランド他諸々をいろいろ混ぜ込んだ。興味があったら十七世紀の連中の七転八倒をグーグル先生に聞いてみてくれ。


 バスに乗り遅れるな:急いで乗ったは良いけど、間違ったバスに乗ってしまった馬鹿げた帝国がありました。


 マエハタ頑張れ:昔も今も、なーんにも変わらないこの国民性は病気だね。物資は有限なれど精神は無限なり。あほか。


 創世のデバック不足:だれが言い出したか知らないけれど、言い得て妙だよね。しかもその後のアフターケアも最悪。たのむから修正プログラムを配布してほしい。生きてる間に。


 カスタマーセンター:最近は二十四時間営業ですらない。だって扉も鍵しまってるよ。正直、コンビニの方が救い主。昔の社畜はどうやって生活していたんだろう? ってコンビニがあるからこんな生活が常態化したという逆説もある。するとコンビニは天使の顔した悪魔の手先ということか。なるほど確かにそうかもしれん。


 オールウェイズ:昔はよかった。懐古万歳。カンドー。実際は知らん。あと新国立は絶対に最後はデスマーチ化する。賭けてもいい。奴ら、われらを永遠に働き続けるロボットと勘違いしている節がある。


 中隊:当時の中隊定数は諸国と時代により様々。五十名規模から百名二百名規模まで。なので実際のところ四十八名の中隊は別に小さいというわけでもない。ちなみに当時の戦術書によると一人の指揮官が指揮できる射撃単位(platoon)の上限は四十八名とある。声の通る範囲、目の届く範囲などを勘案しての数値とのこと。まぁ学校のクラスの規模を考えたまえということか。


 近衛軍:オランダ侵攻を開始した当時のルイ十四世のフランス軍近衛をモデルにしました。文章もヴォルテールのルイ十四世の世紀を参考。当時の近衛隊はある種の士官学校も兼ねていた。


 シベリアとアラスカ:昭和な時代のネタ左遷先。あとはアフリカだった。そんで不倫するんだ。くそ羨ましい。今のリアルはインド中国南米の僻地だろうね。


 クレイジーホース:ラコタ・スー族の英雄。村枝先生のREDに出てくる彼はクソかっこいい。ホカヘイ!!! でもカスター君も好きなんだよね。


 匙は投げられた:カエサルの名言。ワタシ、ウソ、ツカナイ。

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