第17話

「摂政殿下ご退室」

 命がなくとも意を汲んだ、硬い声が冷たく響く。


 扉はあたかも自動で開いたかのようであったが、そんなものなぞ、この時代にあろうはずもございません。

 もちろん、あればあったで素晴らしく、手に入れ育てて起業して、左団扇で暮らしたい。しかし電気はもとより蒸気機関も、未だお伽の国の魔法です。


 だから答えは簡単。

 気配に敏い従僕たちが開けたが正解で、予想通りに扉の裏には、お仕着せの下人を顎で使う女官の姿。なるほど恐らくセミョーノフスキーを案内したのも、この御仁に違いない。


 衆目を惹く銀髪をきつく結い上げて、背中に定規でも入っているかのような立ち姿。

 お年の頃はたぶん三十路も半ば。

 上は女官服に身を包むも、下は膝丈短袴を脚絆で巻いて縛りあげ、腰から提げるは無骨な長剣。出るところは出て、へこむべきはへこんだ、服の上からでも分かる鍛え抜かれた体つき。踵の低い靴を履き、女官というより、むしろ剣士といった出で立ちだ。


 室内をじろりと一睨し、セルゲイを見る目つきは、まるで虫けら、はたまた汚物を蔑む如く。

 その容貌は、氷と評するべきか、鋼と評するべきか。どちらにしても、美しさよりも厳しさを思わせる。

 滲み出る気配は、よらば斬るぞと、どう見ても堅気じゃない。


 なのに、よどみない仕草で一礼し、幼女が側に近寄るや、参りましょう姫様と、慈母を思わせる優しい声は冗談にしか聞こえません。どこから出たんだその声は。

 主君への深い愛にあふれた眼差しに、柔らかな微笑みは春の日を思わせる。


 そうして、幼女殿下の後ろに続き、最後にこちらに向けたその視線。


 殺されるかと思いました。

 弾かれたように最敬礼。隣の気配もそれに続く。


 上司もイカれているが部下も同じくらいヤバかった。あれは兵隊の、飛び切り上等で戦争狂な嚮導隊の狗どもに通じる眸。

 どうりであんな餓鬼に育つわけ。足音が聞こえなくなるまで姿勢を維持して顔を上げ、大きく深く息を吐く。


「まさしく聞きしに勝る」

 肝が冷えましたと、耳朶を打つのは疲れ果てた若者の声だった。


「あの女官、閣下は御存知で?」


「勿論です」セミョーノフスキーは少し驚き、次いで納得したような顔をした。「いえ、そうですね。貴方の身分なら宮中は疎くて当然でしょう。奥の院は、寝殿女官長。先だって大膳職侍従女官長に任じられたアレクサンドラ女史です」


 不思議とかつては生意気だった生粋貴族の小倅は、セルゲイに険のとれた笑みを向けていた。

 前なら下士官風情、平民ずれと口をきくのも汚らわしいと、口に出さずも丸分かり。あからさまな侮蔑を隠そうともしなかったが、果たして心境に如何なる変化があったのか。


「昔から逸話だけなら貴方に劣らぬ方ですよ。此度は殿下を捕縛しようとしたゴドノフ派の衛兵を全員斬り殺したと」


 さしずめ親衛隊を鏖殺した貴方の女性版と言ったところでしょうねとコメントが最後について、それには同意しかねます。

 隠居前の爺ちゃんは、あんな猛獣じゃありません。第一、鏖殺って何ですか。独り歩きする噂話が相も変わらず絶好調。


 そう訂正しかけて、ハタと口調に困ってしまう。なるほど、この麗しい若様が丁寧になってしまう訳。最先任下士官として補佐をする役割なれど、姫様直々のお声掛かりで今や我が身は巡察使。介入権を駆使すれば、軍の指揮を事実上とるも容易かろう。

 元上官改め、上官兼監視対象との関係なぞ考えるだに面倒くさい。もっとも競争意識よりも帰属意識を植え付けられた社畜としては、マウントをとるより協調共和を重視したいところ。


「過分な評価を頂いております。閣下」

 だから、込める一つの言葉に、二つの意味を。争う意志はありません。どうか指揮を、命令を。


 しかし返ってきた台詞は予想外。

「私はそうは思わない」

 しかも渋々監視を受け入れて、幼い暴君の我が儘に、私ウンザリしてるんです的な雰囲気ではなかった。


「正直に申し上げて、見せる顔がなかった。私だって恥を知る」

 まるで血を吐くような声だった。


 任務放棄。確かにどう取り繕っても、否定できない事実である。セルゲイは、これまで驕慢さに隠れていた若い上官の素直さに気が付いた。

 宮城守衛は近衛の責務。故にこそ抗命するより命令受領するも傷病を理由とした辞退と表向きの外面は整えた。だが、五体満足で疾患持ちでもないとくれば、誇り高い心根は騙せるものではない。


 そして何より、若かった。二十歳前と聞く若者は端正な顔を、悔しさに歪ませていた。


「例え負けようと、戦うべきだった。否、戦いたかった! 私は!」


 声を荒げて身を震わせて、ここにも居ました。ウォー・ジャンキー。

 若さと無鉄砲は古くからのお友達。そこに貴族の矜持を足しあわせれば、自ずと産まれる英雄志願。適切に導かねば、あっと言う間にあの世に逝くか、暴走するか。巧くいくのは一握り。だから大概、重石がいる。


「閣下を思ってのことでしょう」

「違う。政治だ。叔父上にはそれしかない。侍従騎兵は皆、似たようなもの。貴族だ士族だと誇ったところで、しょせん大きな流れの中では塵芥」

「塵芥は意志を持ちません。閣下は、意志を示されました」


 何事にも順序がある。無闇やたらと戦うのは勇気でないとは、繰り返されて黴も生える暇ない警句であるが、やはり使われるには訳がある。


「それに、あれは無謀でした」

「勝ち負けではない。私はね、胸が高鳴った。自分でも呆れるほどだった。殿下と貴方の勝利を聞いて狼狽える大人連中を見るのは、実に小気味よかったよ」


 自嘲しながら穏やかに微笑む若者に、セルゲイは胸を突かれた。

 理想ばかりを追い求め、周りの見えない若者に、落ち着きを促すのが重石の役目。しかし度が過ぎれば害悪だ。

 アレクセイ帝の晩年から今に至るまで、それは爺にとって、やっとこ辿り着いた穏やかと呼ぶに足る日々だった。苦労の末の、ゴール間近の休憩地。けれど裏を返せば、若者にとって実に鬱屈した時代であったろう。


 何故ならどうしたって、自分のことだった。

 漏れ聞こえるは、無関係な何処かの発展ばかり。何かを始めようにも、上から押さえつけられ、昔の自慢ばかりを聞かされる。

 そんな時代じゃないんだよ、いっそ全てがご破算にならぬのか。停滞しか知らぬ若者の、富も身分も関係ない、それは一度ならず覚えのある酷く歪んだ希望と夢だ。


「だから殿下についていく。何か新しいことが始まる。そんな予感がある。勘違いかもしれない。だが確かめたい」


 違う場所、違う景色。我々の時代、新しい時代。


 熱にあてられ浮かされて、言葉の端々から若者特有の全能感が伺える。懐かしく思い出し、ありました、そんな頃が爺にも。

 そうして結局、多くの者が何事も成し得ず終わる。日々に生きるに埋没し、気づけば熱を失い年老いる。挙げ句、かつて憎んだ重石となる。


 けれど、稀に出会うことがある。何もかもをも打ち壊し、焼き払えると思える存在に。例えば、かつて遠いあの世界。ルソーさんやマルクスさん。あるいはまったく真逆の、絶対的に依存可能な救世の教え。彼らは本能で感じ取る。


「某は古さの象徴のような引退間際の老兵です」 

「貴方は先駆けでした。いえ、今なお、先を行く。ようやく堂々と頭を下げて、教えを請うことができます」

 ウラジーミル・ミハイロヴィチ・セミョーノフスキーは、眩しいばかりに血気盛んであった。純粋培養された箱入りなのだ。


「私を、私たちを導いて下さい。殿下と共に歩むには、私たちには何もかもが足りない故に」

 美々しい顔に真摯を込めて、伯爵様が頭を下げる。生まれも育ちも下賤な平民に頭を下げる。


 ここに生きて半世紀。平成日本じゃありません。越えられない身分の壁は厳然と。それがため、余りのことに、身が凍る。


 えぇ分かる。分かります。何かができる、できるはず。そうと思える年頃です。

 でも、だからって、頭のネジが外れた幼女を上に仰がなくてもよいでしょう。


 誰か、誰か。彼に救いの手を。

 怪しい理想に取り込まれ、地獄に落ちる若者を、爺さん今まさに目撃しましたよ。


********

コメンタリー


 自動扉:実を言えば古代ギリシャのヘロンさんが二千年も前に作ってます。原始的な蒸気機関で。あのまま科学技術が発達していたら今頃は火星植民も終わって、アルファ・ケンタウリにでも探検隊を派遣していたのに。

 もっとも、幅広い渇望に欠けたオーバーテクノロジーは時の流れに埋もれるのが、必然であったのかもしれません。


 左団扇:英語で言うと「ライリーさんの暮らし」。っておい、ライリーさんて誰だよ! →実は誰も知りません。不思議なことです。


 寝殿女官、大膳職侍従女官長:モスクワ国の官職。宮廷吏全体を大膳職と呼び、大膳職侍従長は、その総取締役。そして女性の宮廷吏の取締役が大膳職侍従女官長になる。寝殿侍従はツァーリなどの男性の私室に、寝殿女官は后など女性の私室に入ることを許される「部屋の大膳職」であり、大膳職の中でも地位が高い。彼らの上には監督者である寝殿官や寝殿女官長がいる。

 新キャラ・アレクサンドラ女史は寝殿女官から一足飛びにツァーリの最側近になったので、セルゲイ並に妬まれていることでしょう。


 鏖殺:皆殺しの意味。機関銃もガスもない時代、中々そんなことは出来ません。みんながハンニバルやら白起じゃないんだからさ。つまるところ噂はつねに尾ひれはひれが付いて大げさになる。セルゲイの名声も、かくして大きくなった。ナポレオンの睡眠3時間伝説とか、不完全な辞書とか。

 もっともリアルに戦列歩兵時代にロシア兵を両翼包囲(double envelopment)して降伏させて皆殺しにした北の蛮族もいますけどね。

 因みにカンナエで永久不滅なdouble envelopmentって誤解を招く言葉だよね。二重包囲って訳されることもあって、でも戦術用語として別の意味を持つ二重包囲もあって、もう収拾つかん。なおencirclementという全包囲、完全包囲、全周包囲という言葉もある。解せぬ。


 最先任下士官:軍の最先任下士官は司令官に対して意見具申権を持ちます。セルゲイは近衛最先任上級曹長なので近衛の司令官に意見具申できるわけです。


 巡察使:言ってしまえば軍監。目付。つまりは偉大なるソ連邦赤軍の政治委員。政治委員と司令官の関係て、とても楽しそうです。


 英雄志願:昔からいます。南北戦争期に着飾った若手将校を見て、アイツ阿呆だと笑った逸話とか。WWIで、指揮官先頭の伝統に従った勇敢な若者がバタバタと。そう考えると、戦列歩兵時代はマシな方かもしれません。

 もっとも当時でも旅団長先頭で陣地攻撃に打って出て、撃ち倒された旅団長とこれを助けようとした中佐と少佐が到達前に戦死した1704年のブレンハイムにおける英軍ロウ歩兵旅団みたいなことはザラでした。

 このときのロウ旅団は踏んだり蹴ったりで、指揮官を失い猛烈な小銃射撃でボロボロとなって後退中にフランス騎兵隊に側撃されて軍旗すら奪われてしまいます。もっとも、その直後にヘッセン旅団が取り戻してくれますが。

 つまり英雄志願は程々に。まぁネイみたいに銃弾が避けていくような悪魔じみた連中も稀にいますけどね。


 侍従騎兵:前に述べたとおり、フランス軍近衛(メゾン・ドュ・ロワ)のGarde du Corpsがモデル。当時のこういう部隊は、士官学校的な役割を持っていました。技術兵科の学校はありましたが、まだ現代的な意味での士官学校のない時代です。

 ちなみに良く言及されるジーゲンの士官学校は短命に終わっていて、どちらかというと当時流行した騎士学校に近い存在でした。


 ルソーさん、マルクスさん、あるいは救世:他にも色々ありますね。今一番の有名どころはインフィニット・ストラトスかな(笑)。


 身が凍る:あ、ありのまま 今 起こった事を話すぜ! 騙されたと思っていたら、いつの間にか騙す側に立たされていたぜ。


 今回、行軍計画までたどり着けなかったことをお詫びします。

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