第16話
彼の動きは、錆び付き壊れた発条仕掛けの自動人形も斯くやと思わせた。
震えて居竦み、再起動。
歯車の音すら聞こえてきそうで、身につまされる。
それでも古い血の成せる業か、矜持であるか。今度ばかりは、耐えぬ訳にはいかぬのだろう。
隠し切れぬ動揺を無理矢理にでも抑え込み、取り出したるは、黒い仔牛革の鞘に納まる短剣であった。
「これに御座います」
流石は腐っても権門の出。礼儀を失せずセミョーノフスキーは両の手で平に置いた短剣を捧げ持ち、片膝落として幼女殿下の一瞥を受けた後、お改め願いますとセルゲイに向き直る。
「どうだ。セルゲイ、驚いたか」
悪辣上司のご満悦な言葉には、降参以外の気持ちを覚えない。
差し出された短剣を手に取ると、それはただの短剣ではなかった。
銃剣。銃口の先に取り付けられる剣。
それも銃口に短剣の柄をそのまま差し入れるプラグ式と呼ばれる類の単純なものではなく、柄部分が円管状となり、刀身がL字に突き出たソケット式銃剣だった。
「一年ほど前になります。私は失敗いたしました」
「貴様は詰めが甘い」
幼女はくつくつと笑う。
そう、概念だけなら誰だって思いつく。
火縄が廃された今、銃兵は密集隊形を取るだろう。しかも冶金技術の発達で、銃はかつてない程に軽量化した。なれば銃に長槍の機能を付与させるも可とならん。
それは、射撃と白兵の融合。運用の劇的な改善だ。
しかし、最初に生まれた銃剣は、あまりに未熟すぎた。柄を銃口に差し入れてしまえば、射撃が出来ないのは当たり前。しかも、未だ銃は先込式なのだから次弾装填もままならぬ。
射撃と装填、これを妨げてしまえば本末転倒。であれば、銃口を遮らぬように刀身を固定せねばならない。けれどセルゲイはそれが出来なかった。
「祖国には、まだ荷が重いとばかり」
形状は当時も直ぐに決まった。
銃口を塞がぬように管状にした柄『ソケット』を銃口の内側ではなく外側に差し入れる。刀身は射線を遮らぬように横からL字に突き出す。こうすれば銃口は常に開いたままとなる。
だが問題があった。ソケット部を銃口に固定する方法がなかった。
何故か?
「然り、銃口外径もソケット内径も不揃いすぎる」
幼女は肩をすくめた。情けない限りだな、セルゲイ君。
だが、それが時代であった。しかも、帝国は極めつけの後進国。
互換性? 標準化? 寝言は寝て言え。
輸入品に国産品が入り乱れ、そもそも感覚頼りに職人たちが勝手バラバラ、家内制手工業万歳だから、厳密な仕様があったところで絵に描いた餅。銃口の内径ですら公差は適当だったのだ。
作ったは良いが、あるものはガバガバ過ぎて使い物にならず、あるものは狭すぎて入らない。
銃口の上に突起を設け、ソケット部にクランク型の溝を切ることで、着剣時にソケットを捻らせて、直線上にすっぽ抜けぬよう工夫はしたものの、径差が大きいことに変わりない。刺せば前後に動き、肉を抉るように使えば、やはり抜け落ちてしまうことは必定だった。
鑢掛けに精を出し、ソケット内面をテーパー状にしたり、板発条を用いた機構を考案したものの、結局のところ一点物ならどうにでもなるが、大量生産など出来ようはずもなし。
だいたい工業技術の底上げなど、ただの社畜に何を求めるか。そもそもリソースの拡大は管理職の職務であろう。QC活動で現場改善をはかるも良いが、旧式設備も買い換えろ。
まったくもって今や遙か彼方に鎮座する、我らの百円ショップにホームセンターが成り立つには、どれだけの裾野が必要だったのか。考えるだけでセルゲイは口から魂が抜けかける。
手仕事の癖して、何でも図面通りに公差内で仕上げて量産する小人さんだか元妖精さん。統一された度量衡に標準規格。空想するだに恐ろしい。どんなNC旋盤ですか、死にますか? 測定精度の担保はなんですか、魔法ですか、そうですか。
工業革命の前と後では、何もかもが異世界並みに異なるのだ。
だと言うに、とセルゲイは自分の過ちを見せつけられた。
詰まるところ、頭が固かった。発想が貧困だった。どうして思いつかなかったのか。現実を理想に近づけるは難事だが、さすれば現実は変えずに理想を下げれば良いだけだ。
「長持ちはいたしませんな」
「云うたであろう、負ければ明日はない」
「理解しました」
目の前にある銃剣のソケットは、クランク型の切り溝を持ちつつ、二つに割れていた。
そう。管にするから入らない。最初から内径が小さくなるように、鉄の薄板を円筒状に巻き、鍛接せずに開いたままにする。そうして使う際には強引に広げて押し込んでしまえばいい。
要するに、原理はスプリング・ピンと同じ。ただし、スプリング・ピンが、ピン外径よりわずかに小さい穴に圧入されて、ピンが広がろうとする力を使うのとは逆に、これは広げられたソケットが元に戻ろうとする力を用いる。
何回も使えばソケットが裂けるか、塑性変形して口が開いたままになるだろう。粗悪な錬鉄製なれば一回しか保たぬかもしれない。だが、その一回、その一回こそが運命を決めるであるならば。
「これが如何ほどに?」
「伯爵、答えよ」幼女は薄ら笑いを浮かべた。
「先ほど運び入れましたる総数、凡そ二千余。我が一門と枢密官署の総力をかけて手配をいたしました。もっとも接収した雑多なプラグ式の刀身を利用しましたが故、長さ不揃いにて、ご寛恕賜りたく」
「構わん。誉めてつかわす」
そうして、どうだと水を向けられては、部下として答えぬ訳にはいかないだろう。
つまりは完全に出し抜く気なのだ、我らが姫は。
「充分です。兵どもには苦労してもらいましょう」
外を見れば、まだ陽は西の空にあって、営庭を赤く照らしていた。幸いと天気も良い。夏至に近づく季節であるならば、銃剣を支給し、通り一遍の教練を組み込む時間はあるだろう。
それに難しい格闘戦に備えるつもりもなかった。貴族私兵の主力は今も昔も騎兵であるならば、恐怖に耐えて切っ先を連ねることに意味がある。
着け剣からの構え剣に、外せ剣。これを二廻りほど。そして対騎兵戦に備えた隊形変換を一浚い。疲れ果てた一日の終わり、最後に追加される残業としては軽いくらいだ。
加えて、新しい武器である。しかもそれが鋼の刃となれば、どんなに疲弊した魂でも沸き立つものがあるだろう。鈍び光る剣の魅力を前にして、戦の命運、我が手にありと、馬鹿げた病は、誰もが一度必ず通る道。
かくて算盤はじいて、呆れかえる。なんとまぁ、ブラックなことだ。反吐が出る。
「任せる。好きにせよ」
リュドミラは、くるりと周りて机から派手な金の飾紐に覆われた塊を取り出した。「さて、褒美をやらねばならんな、伯爵。いや近衛隊長代理かな?」
幼女はぞんざいな仕草で、肩章をセミョーノフスキーに向けて放り投げた。
「近衛の所有権は祖父御の頃より帝権にある。だが指揮権との境は曖昧であった故、此度に明確とする。励め」
意味するところは、好きにやれ。ただし責任もとれ。軍務卿の人事も、軍司令官の統率も、近衛の指揮権は及ばぬ所。しかも帝権は間接的なる関与のみ。
「汚名返上の機会を与えて下さり、感謝いたします」
セミョーノフスキーは肩章を捧げ持ち、拝跪した。「叔父上に代わり、一門の永久なる御奉公をお誓い申し上げます」
「受けた。これまで同様に卿の叔父御を頼りとしよう」
蓋を開けてみれば、それは宮廷派閥の争いだ。一言で宮廷貴族と括ったところで、内実は色々。
アレクセイ帝の親政は、軍事に外交、そのほか内政一般すべてに亘り、当然ながら手足となる官房組織たる枢密官署の権力増大につながった。これは、旧来の職掌を浸食し権力を削り、権益を奪い取ることと同義である。
しかし、そもこれは皇帝の強い個性があってこそ。政治に興味のないフョードル帝が親政を執るはずもなし。自然と宮中闘争と相成って国務卿一派が巻き返し、今に至る。
そして近衛隊は当たり前ながら、皇帝親政の要であるから枢密一派の牙城。その隊長職となれば、最も信頼の置ける直系に近い親族を充てるが常識の人事となる。
故に親衛隊蜂起の折、長官の甥であったウラジーミル・ミハイロヴィチ・セミョーノフキーと、その恩顧の子弟で構成された近衛の侍従騎兵隊が現体制を見限り、ゴドノフ公爵一派へ便宜を図ったのも宮廷政治力学上、詮ないことであったのだ。
だが、事情は変わった。このまま勝てば皇帝親政は間違いない。けれど裏切り者が同じ席に着けるだろうか? 馬鹿げている。
だから手柄が必要だ。国務卿一派を出し抜いて、勲一等を上げねばならぬ。独断専行、失敗すれば破滅であるが、成功すれば輝く栄冠が待ち受ける。
「セルゲイ・アレクセーエヴィチ、巡察使としての役割を果たすが良い」
もちろん、鈴は付く。幼女殿下は見事に政治の季節を過ごしていたのだ。
其は一歩ずつ、着実に。
『いずれは帝国全土、大陸すべて、全世界』
我が上司殿は何処へ何を求めるか?
幼女は、歩み去った。言わず押さず、求むがままに扉が開き、後を追おうとしたセルゲイを目で制す。声はない。なくともと分かる。胃が痛い。
語る瞳の曰わく、次は貴様の番だぞと。
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コメンタリー
自動人形:オートマタ。陶器の肌に歯車と発条を仕込んだ西洋機械人形。ピアノ弾いたり手紙書いたり、チェスしたりってそれは嘘。最終的には硅嵐典公国で戦闘装甲猟兵に発展した。
プラグ式銃剣:銃剣の起源はフランスのバイヨンヌ地方とも言われている。おそらく十六世紀の終わり頃から猟師の得物として使われていたと思われる。ただ当時はまだ銃が重くて利点は限定的だった。イングランド内戦でも使われているが、英軍の正式な採用は1662年3月14日とされている。ただし銃口に突っ込むタイプだから射撃を妨げてしまい、キリクランキーではマッケイ将軍指揮するレッドコートがハイランド・チャージされた。将軍曰く、「ハイランド人が、おそろしい早さで迫ってきた。そのためある大隊が、撃つと(当たると)確信できる距離に彼らが接近してくるまで射撃を控えているうちに、彼らは目前にやってきていた。この大隊が、第二の防御手段、すなわちマスケット銃の銃口に差した銃剣を用いる前に、敵は殺到してきたのだ」かくてソケット式の時代がくる。
ソケット式銃剣:ヴォーバンかマッケイが生んだ。起源はどちらも譲らないのは以前に書いたとおり。笑える。刃の形状は当時も色々あって、ナイフ型、スパイク型、三角刃型等々。最終的には三角刃型が最もメジャーになった。
ソケットの固定方法:一般的にはイギリス軍で用いられたクランク型の溝を切って、そこに銃口の突起をはめ込んで固定するタイプが知られているが、これはある程度、仕様が決まっていたイギリスやフランスの場合(それでも、初期の頃は聯隊長が独自に手配していたのだけれど)。完璧な規格品ではなかったにしろ、ブラウン・ベスのロングリリースは英国の強さの源泉を示している。
また、切り溝の形状は初期の頃はL字型も多い。後に加工されてクランク型に変えられたものもある。
一方ドイツ(神聖ローマ帝国)では小領邦が乱立していたことから、今回、作中で使用した「二割れソケット」型が好まれた。これは銃口外径が統一されていない銃身にソケットを取り付けるための工夫である。
当時において最もしっかり固定されていたと評価されているタイプはスウェーデン式の「蝶ボルト留め」式で、大北方戦争直前期からナポレオン戦争直前までスウェーデンはこの方式を採用した。流石は突撃戦術を好むバイキングである。これはソケット部にねじ穴を付与して蝶ボルトでソケットと銃口を固定するものである。締めすぎると銃口が歪む不都合があったが、これに対しては銃口に直接ボルトが当たらないようにする工夫をすることで改善した。おまけに連中の刀身は他の国に比べて長かった。
最終的に固定方法は更に洗練されるが、それはまたの機会。
互換性、標準化:これ重要。超重要。ネジ一つとっても当時はネジ山が異なる物が乱立して互換性皆無です。使う機械に冶工具がまずバラバラで、測定精度も不一致。金属鑢が欠かせませんな。なんと近世期の機械製品においては設計図すらありません。これが定着するのは一点物の複雑な時計を作る場合を除いて十九世紀になってから。なぜなら図面というものは、その通りに作られなければ意味がない。そんな技術はないから図面もいらない。必要性を感じない。
職人との戦いの幕開けである。
QC活動と旧式設備:すいません、掛けたかったのです。でもね、QC活動って大概どこの現場でも結構形骸化してると思うよ。いやだって時間ないじゃん。言いたいことは分かるよ。でもリソース不足を知恵で補わせようとするなよ。あるいは、どっかの誰かの一時の実績づくりか自己満足になってる。両輪だろ、片輪走行は曲芸だよ。
小人さん元妖精さん:なんかこう、ドワーフの類ってブラックボックス化してると思う。アイディアだけで直ぐに実用化してたり、設計図通りに完璧仕上げ。どうなってるの? おかしくない? おかしいのは私?
統一された度量衡に統一規格:まずは、標準器に基づいた適正な測定技術を開発しましょう。レッツ・ナイセー。
発想が貧困云々:これ日本の悪癖だよね。機能重視で使い勝手悪いとか、無駄に高品質狙ってポシャる。重要なのは必要な機能を必要とされる場所や人に適正コストで届けることなのにねぇ。安かろう悪かろうでも良い場合が多数あるのに、どうして理解しない? 学べよ。
錬鉄、塑性変形など:銃剣の刀身は高炭素鋼(炭素含有量0.75%くらい)だが、ソケット本体は延性のある低炭素(含有量0.05%くらい)の錬鉄による鍛造。二つが鍛接されてソケット式銃剣となった。しかし現代に残る当時のソケット部を見るとその多くが破損している。特にクランク型の切り込み部分から裂け目が走っている。後にこの部位には箍状の補強が加えられ改善が図られた。
あとアメリカのリゴンアー砦からの発掘品調査では、刀身に使われていた鋼は泡鋼ではなく当時、発明されたばかりの坩堝鋼であったとのことで、最新の鋼が直ぐに使われていたことが分かっている。
近衛隊長代理:フランスの事例を参考。知ってるかい? 三銃士のトレヴィル隊長って隊長代理なんだよと。すなわち、銃士隊の隊長は国王を除いて他なく、銃士の最高位は隊長代理あるいは代理隊長まで。もちろん王様が現場を指揮する訳ないから、実質は隊長代理=銃士隊長なんだけどね。王様を指揮官に頂く部隊は結構あるけど、大体みんな同じパターン。
今回は技術レベルの所でちょいと誇張を入れたけど、小説だしまぁ良いよね。標準や互換性については、隠れた戦列歩兵本であるところの「ものづくり」の科学史を読もう。マスケット銃製造や大砲製造のイロハが学べるぞ!!
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