第14話

「その言やよし」

 不作法を、咎める暇もあらばこそ。言うや否やと幼女様、机の上に飛び上がる。どうして、そんなに偉ぶれるのか。小心者には正直、まったく分かりません。


 机の上で仁王立ち。

 字面にするとヤンチャな餓鬼の振る舞いですが、やはり未だ幼い皇女殿下としましては、見下ろす形が欲しかったのか。もっとも呆気に取られて、好々爺然と場を支配していたヨシフのじいちゃんですら目が点だ。


「ステファン・ルキーチ・ドルゴルキー卿。帝家と共に歩みし名高き氏族の裔よ。私は古きを尊ぶ。全てを専断する気はない」


 青い血の、なせる業かは定かならねど幼いその声は、大きくなくとも良く通る。それは先般、戦場証明済みの摩訶不思議。

「考えてもみよ。何ゆえこれなる者が使職であるか。そは一重に古式を敬うが故。信賞必罰は武門の拠って立つところ。有為の者は取り立てよう。然れども是全ては門地が定め有ればこそ。氏族の秩序を乱すは我が意に非ず」


 形は小さくともリュドミラが廷臣たちを見渡す様は、正しく睥睨の言葉がよく似合う。

「尚書の申す通りに、古の大法官より分かたれし最高諸法院が勅令登録権を、私は尊重している。王会を起源とするこの場にて、事を諮らんとするもその一つ。私が汝らを蔑ろにすることは決してない」


 声を滔々と響かせて、理想を語るその姿。何も知らなねば誠心誠意な聖女にも見えたろう。機を見るに敏という言葉がありますが、瞬く間に流れを引き寄せて、幼女の頭の廻る速さにまたもやセルゲイは舌を巻く。


「諸卿ら、心せよ。我、リュドミラ・フョードロヴナ・エル・ヴァランシュカ。フョードル帝が末子にして、宮内大夫を代々輩出せし今なきヴァランスキー家が最後の嫡流」

 そこで幼女は言葉を切った。ヨシフを見て、それから一瞬、深く息を吸い込んだ。


「我が治世において、万機は公論に決す。何となれば貴卿らこそが国家の依って立つところなれば也」


 静まり返る。声一つない。染み込むように言葉の意味が行き渡る。

「尚書長、記すがよい。これを以て我が代の始まりとする」


 屹立する幼女の背中。セルゲイは思い出す。それは見知った背中だ。戦場で、指揮官将校の後ろを守る下士官として、当たり前に目にしてきた。

 だからセルゲイは己が役割を理解した。息を吸い込む。喉を震わす。下賤の身なれば、隅々まで上役の威を行き渡らせるには声量の他に術はない。


 だが、幼女が忘れていることが一つある。いや忘れてはいないのだろう。あの傍若無人な上司殿にとっては無意味だから気にもならないに違いない。

 けれど、そこは生まれながらの小市民、空気が読める男なり。而して胃が痛い。明らかに格が上の連中を前にして、果たして同じことをして良いものなのか。

 あぁきっと、それでも皇女様には自明だろうさ。


 背筋を正して、それは怒号。

「一同、伏せ」

 空威張りのやせ我慢。ずらり列んだ銃口の前に立ち向かう、歩兵の勇気と無神経。仕事のためなら自分を屑箱に捨てられる、社畜の滅私を舐めるなよ。そっちが宮廷政治なら、こっちは今世も前世も修羅場で生きる畜生じゃコラ。


 最後は声が大きい奴が偉いのだ。

 頭の悪い意見ですら、声が大きければ何故かその場は通ってしまうもの。殺気を込めて睨めつける


「御言宣である。何故に礼を示さぬか」


 鍛えに鍛えた近衛としての、社畜としての振る舞いが、一分の隙もない完璧な最敬礼となって形になる。

 下げた頭のその向こう、空気が動くのを感じる。即座に直れば、目の前に広がるズラリ並んだ頭頂部。立ち上がりて向き直り、腰を曲げての直角礼。


 この場を仕切るは我なるぞ。幼女の有り様は否応なく悟らせる。

 しかも悪い話ではない。実際、それは驚くほどに直裁で、あからさまなる宣言だ。


 何を目指すか。

 誰を味方と頼むか。

 代わりに何を与えるか。

 

 疑問の余地なく示されて、少なくともこの場で言い争う種は最早ない。


 その無備を攻め、その不意に出づ。言うは易しの必勝法。すわ、これより条件闘争と身構えさせての肩すかし。

 やにわの贈り物攻勢で正直なところ危ぶむも、けれどこの幼女にかかれば、どうと言うこともないのであろうか。驚くべき言葉はまだ続く。


「軍務卿、軍司令官の選出を命ずる。しかるべき氏族より迎え入れよ」


 弾かれたように顔を上げた軍務卿。幼女は瞳を爛々と光らせて、その面を射抜く。血筋か個性か、にじみ出るのは覇気である。

 見ればドルゴルキー卿。喉から手がでるほどに欲しい権限を保証され、咄嗟二の句が継げないようでございます。


「何を驚く。そなたの役ぞ」

 輝くような笑顔に騙されてはいけません。半ば勝手に仲間意識を抱いてしまいセルゲイは、深く同情する。絶対の裏を確信し、しかし何も言えない。どこに向かうや、彼の人生。

 ようこそ貴方もこの修羅道へ。


「有り難く。出帥の是非は? 本会の主眼かと」

 全面勝利に気を良くしたのか、軍務卿のみならず気安い空気が流れ出る。ひとたび緊張感を失ってしまえば、押しとどめる術はない。


「否。私は意見の分かれるところを知る。だが公爵は抑えねばならない。諸卿らも、その想いを抱いていると私は信ずる。何故ならば帝国は一つであらねばならない」


 結局、最後に船の舵を取るのは、幼い少女。否定しようのない命題を主張して、まずは賛意を得るのが目的か。

 一瞥をヨシフのじいちゃんに投げると、孫を見るような崩れた笑顔でありました。はい、御馳走様。


「当然のことに御座います。ただ、剣を振るうばかりが戦ではないかと」

 列席諸卿の述べる言葉は異口同音。予想通りに、見事なまでの総論賛成、各論反対。

 曰く、ゴドノフ公爵への対抗を約しながらも、武力を用いることは否定する。


 確かに地方に有する広大な所領を背景に、世襲領貴族と呼ばれる連中は、事あれば常に分離主義を志向する。これは紛うことなく、掣肘せねばならぬ事。

 所詮は中央あっての宮廷貴族。

 しかし戦えば勝つとも限らぬし、内戦ともなれば藪をつついて蛇を出し、それこそ帝国分裂の危険を大いに孕む。


 だからやはり、政治の季節。対話の時なのだ。

 セルゲイ心中しかと頷くも、それを独り心得ていないのは幼女様。けれど何故かの満足な笑みを、セルゲイは上司の顔に見る。


「承知している。然れども剣なき言葉は無力である。必ずしも振り下ろす必要はないにせよ、振り上げる剣があればこそ、届く声もあろうもの」


 自信満々の請け合いに、セルゲイは思わず耳を疑った。慌てて気を引き締めるも動揺が収まらない。

 君子豹変すとは言うものの、これほどの手の平返しをセルゲイは見たことがなかった。つい先だって妥協を否定した幼女は、いとも簡単に態度を翻す。

 あまりの展開の早さに爺ちゃんもう付いていけません。


「では?」とは、軍務卿が代表した朝臣の期待。

「故に軍司令官には兵を整えるを命ずる。しかる後、必勝を知らば出よ。知らねば待て。馬は馬方と聞く。軍の忠節を期待する」


 これぞ政治の勝利である。無謀で無茶苦茶であった幼女の戦争はここに終わる。終わるのか?

 けれど、どう見ても我が上司殿の顔は敗者のそれでない。


「異論あれば申し出よ。なくば沈黙を以て諾と見做す」


 万座、声も無し。天真爛漫な、晴れやかな顔を前にして、違和感ばかりが先に立つ。だが言葉にならない。何かが間違っているのだ。


「宜しい。諸卿らに感謝を。帝国万歳」

 

 奇妙なまでの全会一致で、幼女を旗印とした体制が始まった。


 皆さん、うちの幼女が壊れました。でも、もしかして、もしかするとハッピーエンディング?


********

コメンタリー


 青い血:Blue Blood。吸血鬼のこと、ってそれはTrue Blood。

 ヨーロッパの王室はエイリアンの末裔である爬虫類人なので血の色は青いのです。

 というのも大嘘で、スペイン語の「サングレ・アスル(sangre azul)」という言い回しが、ヴィクトリア期のイギリスに持ち込まれて、当時の王室結婚外交と王室の病たる血友病に関する話題と相まって、高貴な人々を示す表現となりました。

 英語圏での流行の契機はヴィクトリア期よりも少し前の1834年。スペインの王室とそれに連なる名家は西ゴート人の裔であり、ムーア人とは異なるのだ、という主張の中での表現でした。

 この時の使われ方では、他民族の汚れた血が入っていないという意味と、白色人種でないムーア人の肌越しに見ると、血管が青く見え難いという意味を掛け合わせたもの。今だと、むっちゃ差別発言になるので人権屋のやり玉に挙がること請け合いですね。ツイートしたら炎上間違いなし。

 とはいえ、これはこの表現の一面を示しているに過ぎず、紀元前から似たような表現は言葉や絵画で示されてます。真っ白な肌に青い静脈が浮いている肖像画なんかは良く見るタイプの表現ですね。

 そもそも、どうして赤い血が皮膚を通してみると青く見えるのかというと、波長の短い青色が皮膚と血管の間で反射されて人間の目に捉えられる一方で、他の色は深くまで入って吸収されてしまうから。なので肌が白ければ白いほど青色が目に入りやすくなり、結果として血管がより青く見えるというわけ。

 で、翻って王室やらの高貴な人々を見てみると、農民や町民と比べて乳母日傘の生活なので日焼けしない御身分です。なので肌が白人の中でも更に透き通るように白いのがデフォルトと相成ります。

 つまりマルクス的には働かない堕落した連中です。けれど、当時の価値観に照らすと違う意味が見えてきます。なんとなれば貴族にとっては、汗水垂らして働いて金銭を懐に納めるでなく、代わりに貴族たる義務、国家存亡の為に働くことが理想。つまるところ、一般人とは異なる世界で生きていることを如実に示す証として、青い血という表現は一つの誇りとなるのです。

 これに加えて二つの少し根拠薄弱な要素も青い血という表現には加わります。

 一つは王室などの最上流階級の血統的な閉鎖性に根ざしたもの。ヨーロッパの王室はたいがい皆ご親戚。そして気がつけば、その多くがRH-型という人類全体的には希な血液型が多数を占める血族集団となっていました。そしてRH-型と言えばオカルト界では宇宙人や超古代人由来として大人気な血液型。これが青い血を持つヨーロッパのエリート=エイリアン説の源流。

 但し生物学的にもRH-型は銅含有率が他よりも比較的高く、これは皮膚を通して血管を見たときに青く見えやすいということを意味しているので、まったく無関係ではない所は要注意。それにしたって高が知れてはいましょうが。

 もう一つは上流階級が富を示すために好んで用いた銀食器。抗菌作用に優れている一方で、これを使って飲み食いを続けると銀皮症になりやすく、そうなると肌など人体組織が青色になる。なので、高貴な人々の肌や血液は青くなりやすい傾向があるというわけ。ただ余程多量に銀を摂取しないと青くならないので、殆ど見た目には影響を及ぼさなかったと思われます。

 なので「銀のスプーンを咥えて生まれた」という表現の方が、この特殊性を表すにはより相応しいでしょう。まぁ青い血の要因として数えても完全な無理筋ではありませんがね。

 ともかくも、伝統に培われた生き方とその閉鎖性、貴族としての矜持、血統への誇りや富裕な暮らしぶりなどが一緒くたとなって高貴なる人々の血を青くした、というのが、この言葉の示すところなのであります。


 勅許登録権:王様はエラいんです(皆が認めてくれれば)。というフランス18世紀の絶対王政。何が絶対なんだか意味不明。最高法院が主張するところに拠れば、王令は最高法院で登録されない限り無効であり、無効にする前に建言書を提出できる権利があるのである。だってさ。


 万機は公論に決す:元ネタは言わずと知れた本邦御一新が五箇条の御誓文。この公論という言葉が肝。開かれた討論を行い重要政策を決するという意味なわけだが、どこまで開くかが無茶曖昧。結局これが自由民権運動の錦の御旗になって、我が国の民主主義が始まる訳ですが、実にイトヲカシ。この玉虫色加減、日本らしくて変わらない感が満載です。

 

 声が大きい奴が:ホントに真面目に勘弁してよ。皆、お前に呆れてるんだよ。呆れて疲れて反対する気力を失ってるだけだから。お前に賛成してる訳じゃない。


 全会一致:悪名高い全会一致の実例としては、リベルム・ヴェト(自由拒否権)を謳歌した近世ポーランド全国議会がありまして、一人でも反対者がいると議事ストップで議会不成立という恐ろしいシステムでした。

 ただ、全会一致の規則により、議会が解散したり、法案不成立となることは1650年以前において稀で、1573年から1763年までに、およそ全議会の3分の1(53回)で法案通過に失敗しましたが、1650年以前において議会が失敗したのは1637年、39年、45年だけでした。国家として勢いのあった時代は、派閥工作を防ぐための制度として有効に機能していたということは評価してもいい。あとこれ、空気読む日本人にはお似合いな気がする。声の大きいバカが一人いると即死するけどね。あと妥協を知らない阿呆。


 あっ、幼女を机の上から降ろすの忘れた。まぁいいか。

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