最終話

 時は動いている。

 そう確信したのは、優しい風が金の髪を揺らしたからだ。

 俺にもたれかかるように、カルロスさんは力なく体を預けている。その胸元にあてがわれている俺の右手。もう片方の手はそれを支えるように力を込めている。

「……ああ、気づくのが遅かったな」

 俺にだろうか。

 カルロスさんは呟いた。

「……私は何も、この街を、世界を滅ぼしたいわけじゃなかった。いつの間にか、妻を奪われた憎しみだけが独り歩きしてしまったんだろうな」

 俺も薄々気づいてはいた。

 カルロスさんだってこの街で生き、暮らしてきた一人の人間なのだ。それをそう簡単に消し去ろうだなんて、出来るはずがない。

 レイラをこれほどまでに想うカルロスさんなら、尚のことだ。

 だけどそれだけでは心が治まらなかったのだろう。

 奥さんを奪われた悲しみを負い、レイラをも失うことにより二度も苦痛を味わった。

 二つ目の故郷への愛着だけでは、怨嗟を拭いきれなかったのだろう。

 しかし、それとこれとは別だ。

「だったら、俺は余計にやらなくちゃならない」

 彼の大切なものを守るためにも。

 ゆっくりと胸元から手を引いた。抜き出した魂が蒼く燃えている。

 それを持ち、俺は横たわるレイラの元へと歩み寄った。

 その場に膝をつき、レイラを見下ろす。

「これを還せばもう、魄奪を使う必要はないんだよな……」

 レイラは頷いた。

 俺はやったんだ。

 だけど、どうしても最後の行動を起こす事が出来ない。

 この魂を還してしまえば、もう二度とレイラには会えなくなる気がしてならないからだ。

「レイラ……」

 呼びかけると、レイラは僅かに目を開けた。

「大丈夫、私はいつでも見守ってるよ」

「やっぱり、もうこうして会うことは出来ないんだな……」

 完全な霊羅になるということ。

 それは、今の姿のレイラになることはもう出来ないということだった。

 今までは不完全だったからこそ、霊羅になる前の姿のままでいられることも出来たというところなのだろう。

 だからといって、俺がここで躊躇ってもどうしようもない。

 レイラに幽世を維持してもらわなければ、これまでの痛み、苦しみが全て無駄になってしまうのだから。

「……終わったら、お父さんをよろしくね」

 そう言うと、レイラは半ば強引に俺の手から魂を奪った。

 口で大丈夫とは言っても、別れが寂しかったからなのか。俺としてはそうであってほしいし、そうだったのだと思っている。

 それに、そうでもしてくれなければ、俺はいつまでも決心出来ていなかったかもしれない。

 何故なら、俺だって一番は幽世のために戦っていたんじゃない。

 他でもない、レイラのためだったのだから。




 空が茜色に染まる。

 霊羅が現れ、街を徘徊し始めた。

 だが、警報が鳴ることはもうない。

「ここ最近は、出現頻度がめっきり減ってしまったなあ」

 と、寂しげに呟いたのはカルロスさんだった。

 今は上半身だけを起こした状態で、ベッドの上に体を預けている。窓の外の霊羅を眺める表情には、寂しげながらも微笑があった。

「それだけ、見守る必要もないということか。君も……そう思うだろう?」

 こちらへ顔を向け、俺の返答を期待している。

「そうですね。もう、街は安全ですから」

「皮肉に聞こえるが」

「いや、俺はそんなつもりじゃ……」

「わかっているとも。君はそんな人間じゃない。そうでなければ、この環境を作り出すことは出来なかっただろう」

「そんな、俺はただ……」

 あれから一月近くが経過していた。

 霊羅は時々、こうして今までの様に現れるのだが、今ではもう魄奪を出すことは無くなった。

 本当の管理者として、幽世と俺たちを見守ってくれている。

 とはいえ、あの霊羅だ。

 今までは人々に恐怖を与え、命を奪うまでしてきた。害をなさなくなったとはいえ、いまだ霊羅を嫌う人はいる。

 もう倒す必要はなく、むしろ守っていくべきだとわかってくれた人たちももちろんいるが、理解を得るのは簡単ではなかった。

 しかしそれでも、今は霊羅を守る方向へ物事が進み始めている。

 破壊された神社の跡地に、次は霊羅のための社を建造する案まで出ているくらいだ。

 そう、俺たちの世界は平和になったんだ。

 だけど心残りが無いわけではない。

 結局、レイラは自らを犠牲にして世界を救った。

 今回の件、俺がいろいろと動いたおかげで良い方向へ進んだように解釈されているが、それは単なる見せかけだ。

 幽世を創るためには霊羅になる人間が必要であり、それは誰でも良かったはず。レイラがなる必要などどこにもなかったのだ。

 出来ることなら、俺が変わってやりたいと思う。今でも思っている。

「白間君、何か考えごとかい?」

 いつの間にか、考え込んで俯いてしまっていたようだ。

「いえ」

 俺は顔をあげる。

「まあ、君が今考えることといったらレイラのことだろうがね」

「…………」

 図星と悟られることはわかっていても、どう返事をして良いのかわからなかった。

「しかし気にすることはない。……といっても無理な話か。私もレイラのことを忘れるなんて出来ないからね。だが、忘れる必要はないのかもしれないよ」

「どういうことですか?」

「単純に、レイラが寂しがるだろうからさ」

 それを聞いて、俺は気づかされた。

「レイラはこの街を守りたかった。そう言っていたと教えてくれたのは、君だ。なら、そのレイラの気持ちを汲んでやれと言ったのも君だった。レイラがあの姿だからといって、悲観的になる必要がないと教えてくれたのも、白間君だよ」

 そう言われても、俺には腑に落ちない部分があるのも事実だった。

 でも、そういうものなのかもしれない。

 レイラだって、決して霊羅になりたかったわけではない。願わくば、戦争もなく本当に生きた世界で暮らしてゆきたかったことだろう。

 そんなことは少し考えればわかることだ。

 だからこそ、俺もこの現状を受け入れなければならないのかもしれない。

 だけど、それは妥協ではない。

 互いの何かを受け入れていければ、この世界も未来も壊れることはないのだ。



 レイラと共にこの世界はある。

 たとえ身体が尽きても、俺たちの心は決して死んじゃいない。

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レイラの幽世 蛍烏賊美味 @yoroshii

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