第二十一話

 街まで着くと、俺は異変に気が付いた。

 霊羅は存在しているのに、どこにも魄奪の姿が見られないのだ。

 一体、何が起きているのか。

 ちょうど、白鬼会の事務所の辺りまで来たところで、見覚えのある人がいるのを見つけた。

 いつの日か、駒川先輩と中学校で戦った時、疲弊しきっていた先輩を介抱してくれた人だった。白鬼会の人ならば、現状がどうなっているのかもわかるかもしれない。俺はその人に声をかけようとした。

 すると、俺に気がつくなり向こうから寄ってくる。

「あ! 君も確か白鬼会の――」

「はい。皆さんは、ここで何を?」

「ほら、霊羅が出ただろう? でも、今日はどうしてだか、白鬼会からの連絡がないんだよ。だからこうして、事務所にも様子を見に来たんだけどさ」

「会長さんも誰もいないってことですね」

「そうなんだよ」

 当然だろう。

 会長はカルロスさんであり、そのカルロスさんは今、娘である霊羅の元へと向かっている。会員にメールが届くはずもなかった。

「なんか魄奪もいないみたいだしさ、今日は帰っても問題ないかな」

「いや、でも魄奪は確かに落ちてきていたみたいだぞ?」

 男性たちは口々にそんなことを言っている。

 やっぱりおかしい。

 魄奪が落ちてきていたのに、それがどうしてどこにもいないのか。

「そういや、物凄く強い人が倒して回ってるって聞いたけど、誰なんだろうな」

「それ……どこですか!?」

「ええ? 確か、霊羅に向かって行ったらしいけど……」

 間違いない。

 その人物は、カルロスさんとしか考えられなかった。

 レイラの魂を体内に持っている限り、どれだけ魄奪の魂を取り入れようとも魄奪になることはない。それは、レイラの魂を持っていることで同等の魂になっているからだ。だから際限なく強くなることが出来る。

 おやじさんはそう言っていた。

 だけどようやく、俺には分かった。

 カルロスさんは強くなりたかったんじゃない。いや、これまでのことを考えれば、たしかに力は欲しかったのだろう。奥さんを殺された恨み、娘を奪われた苦しみを晴らす為に強くならなければならなかった。

 しかし、本当の目的はそこじゃない。

 カルロスさんは霊羅と同等の存在になろうとしている。

 それは幽世の管理者になりたいからでも、世界を滅ぼしたいからでもない。

 あの姿になってしまったレイラに触れるには、そうするしかなかったからなんだ。そして、触れる事が出来る様になれば霊羅を殺そうとする。それがレイラの救いであり、親としてのけじめだと考えているから。

 男性二人に礼を言うと、俺はすぐさま霊羅に向けて走り出した。

 もう少しで霊羅の元へ着こうかと言う時、再び異変に気が付く。

 霊羅が妙な動きをしていたのだ。

 今までは歩くだけだったのが、今は何かを視覚的に捉えているような動きだ。そしてその先には、重力をも無視するかのような動きをしている一人の人間らしき影。

「カルロスさん……」

 ビルを利用し、縦横無尽に動く様は、完全に人類を超越していた。

 いや、人間離れ?

 違うな、化け物だ。

 カルロスさんは、娘を救うためには化け物にすらなろうとしている。身も心も化けなければ、彼なりの〝救う〟という行為が、自身にとっても辛すぎるものだからなのか。

 もはや、魄奪と呼ばれてもおかしくはないその姿で、猛然と霊羅に対して襲い掛かっていた。

 霊羅はというと、その獣を捕らえようと動いている。

 決して素早くはないが、その巨体を活かして獣の好きにはさせていない。腕を動かし、掴みかかるような仕草をしている。それが躱されると、腕の至る所から魄奪のようなものが飛び出した。

 無数に伸びた魄奪の糸が獣に反撃を始めた。

 それまで攻めていた獣が一時的に退く。

 糸は捕らえようと、そして時にはこれまでに見たことがある様な魄奪に姿を変えては、獣と激しい攻防を繰り広げていた。

 だがやはり、獣は強かった。

 その襲い来る全ての魂を往なし、再び霊羅の本体へと鉤爪の一撃を食らわそうとする。

 一閃が霊羅の左肩を抉った。

 霊羅はその一撃程度では動じない。

 だが獣の攻撃は一度で止まるはずもなかった。

 これでもかと繰り返される野生の蹂躙。

 霊羅は翻弄され、徐々に力を失っていくのが見て取れる。そして、強烈な引き裂きが加えられた時、ついに霊羅の体が揺らめいた。

 俺以外にも、その光景を見ている人は数知れずいた。

 しかし、反応は俺とは全く異なる。

 あの霊羅が今にも倒されそうなのだ。

 誰もが待ち望んでいた場面に出くわし、歓喜の声が高まる。

 だけど違うんだ。

 霊羅を倒してはいけない。

 俺だけが、焦りを感じていた。

 早く、どうにかしないと。

 霊羅はゆっくりと仰け反り、今まさに仰向けに倒れようとしている。

だが、その時だった。

 不意に伸びた腕が、獣を捕らえた。

 これで止めることが出来る。そう思ったのも束の間、霊羅の体は風に吹かれるよう、水に溶けるように薄くなっていった。そして最後には、跡形もなくなってしまった。

「そんな……」

 希望は完全に潰えたと思った。

 しかし、まだ終わってはいなかった。

「っ…………!」

 残された希望を見つけた時、俺は自然と足が動いていた。

 空から落ちるレイラを、腕で抱き留める。

「レイラ……!」

「止められなかった……」

 全身が傷だらけだ。

 表情は苦悶に満ちている。

 しかし、それは身体の痛みによるものではないのだろう。

 父親を止める事が出来なかったという悔しさ、それだけしか考えられない。

「みち君……?」

 今更に俺のことに気が付いたようだ。

「……また、助けてくれたんだ」

「また、なんて使うなよ……!」

 レイラは微笑んでくる。

 初めて、やっと、こんな時だが、今のレイラに通じる会話が出来たと思えた。

「……でも、まだ助けてもらわないと」

「ああ、いくらでも助けてやるからな……!」

 それっきり、レイラは口を開きはしなかった。だが息はある。

「少しだけ我慢していてくれよな」

 俺は、レイラを道の脇にそっと寝かせてやった。

 すると、背後に人の気配を感じる。

「なるほど、私の力を奪い返したということか」

 そこには、先ほどまでの野性的な魄奪の姿を剥がされたカルロスさんが立っていた。今、本人が言ったように、レイラが今までに奪われた魂を奪い返したためだろう。

「だが、もう私に刃向う者はいなくなった。後は娘と共に心中するだけだな」

「誰がそんなことさせるか!」

「なら、どうするんだね」

「俺が止めて見せる」

「一度、私に殺されかけた君が、か」

「次は俺が勝つ。俺にはレイラがついてるんだ」

 希望を切り開く形を手に握る。

「君は、まだ娘を盾にするつもりなのか?」

 怨嗟の籠った鉤爪が刃を光らせる。

 次に交わされる言葉は、もうなかった。

 合図の無い開始直後から、烈しい引き裂きが豪雨の様に押し寄せてきた。

 躱せるものは躱し、流せるものは受け流す。

 二度目だからか、もう速さに驚くことはない。

 勝たなければならないという確固たる思いが、俺の動きを軽快にさせていた。すると猛獣は、金の髪を振り乱しながら勢いを増していく。

「くっ……!」

 動きが見えないことはないが、相手の勢いが凄まじすぎる。

 このまま防戦一方では、また同じこと。

 肉を切らせて骨を絶つ。

 多少の傷を覚悟で攻めに転じた。

 すると、繰り出す刃に手応えがあった。

 相手の肩をナイフが通る。

 吹き荒ぶ風が流すは紅い線。それに構わず向けられた爪を頬にかすめながら、もう一度腕を振るった。

 今度は大きく胸を引き裂いた。

 初めて、相手が怯んだ。

 すかさず次の攻撃を叩きこもうと攻める。

「あまり調子に乗らないほうがいい……!」

 攻めることを意識しすぎたか。

 腹のあたりに蹴りを食らい、俺の身体は弾き飛ばされた。だが、転がる体を叩き起こし、すぐに相手と対峙する。

 何せ、今は一瞬の隙も見せられない状態た。

 しかし、すぐに攻めてはこなかった。

「はあ……はあ……」

 互いに息を切らしている。

 だが、カルロスさんは不敵な笑みを浮かべた。

「互角だとでも思っているのか?」

 思ってはいない。

 だが、確実に実力は追いついているはず。

 仮に焦るとするならば、それは俺じゃない。

 なのにどうしてだ。

 カルロスさんにはまだ余裕がある様に見えた。

「私には、まだ内なる魂が残されている。レイラの魂さえあれば、抑えるも引き出すも自由だが……」

「…………?」

 魂は全てレイラが奪い返したはず。だがあの余裕。

 俺を委縮させるためのはったりか、それとも――。

「レイラの回収できる魂は、どうやら自らが放った魂だけのようだ……!」

「まさか……」

 レイラの放った魂といえば、霊羅により落とされた魄奪のことだろう。だが、それ以外のところから生まれた魄奪がいたとしたら。

 そして、それをカルロスさんが喰っていたとしたら……。

「やめろぉ!」

「君の先輩はひたすら強くなろうと密かに魂を喰い続けていた! 私はその力を全て貰い受ける!」

 瞬間、纏う魂の波動が変動する。

 慈悲を捨て、憎悪さえも忘れたのだろう。

 カルロスさんだったモノはより強く、より悲しい、魂を奪い続けることだけに特化したモノになっていた。

 もう説得の言葉を届けることすら叶わない。

「やるしかないのか……!」

 今までよりも格段に鋭くなった爪の猛攻が開始された。

 今度こそ、攻め入る隙すら与えてもらえない。

 だがそれでも、俺は果敢に攻撃へ転じた。

 自らの身を対価とし、相手にも傷を負わせていく。俺が躱せば追撃が、相手が逃げれば俺は追った。

 そのうち敵は距離を置き始めた。

 魄奪として目覚めつつあるのだろう。

 伸縮性のある体を活かし、遠距離から攻撃を仕掛けてきた。

 だが、俺は以前にもこの攻撃を受けたことがある。先輩による予習済みだ。

「そんなものが……効くかあ!」

 咄嗟に、もう片方の手にもナイフを創りだす。

 その両手のナイフで二つの腕を叩き切った。すぐにそれらは再生しようとするが、その間にも魄奪へ向けて一直線に駆け抜ける。

 すると、魄奪の体だけが退こうとしているのが見えた。

「逃がすか!」

 両手のナイフを投擲する。

 投げたナイフが魄奪の両肩を貫いた。

 退くことも出来ず、怯んだところに閃々の銀風を浴びせる。一閃、そして一線と、魄奪の体を切り刻んでいった。

 あと少し、もう少し攻撃すれば幻殻を破壊できる。

 俺は手を緩めなかった。

 疲労はない。

 痛みは忘れた。

 怨嗟を断ち切る時、それが未来へと繋がる。

「これで……! 終わり――」

 渾身の一撃を繰り出そうとしたとき、俺の腕が動かなくなった。

 いや、俺の腕はまだ動くはず。

 しかしどうしたことか、振り上げた腕はそのまま下ろす事が出来なくなっていた。

 見ると、魄奪の腕がいつの間にやら再生し、俺の腕を掴んでいたのだ。

 腕だけではない。頭にも魄奪の手が伸びてきていた。

「あ……」

 また、いつかの様に魂を吸い取られてしまう。

 だがどう足掻いても、圧倒的な腕力により逃げることは出来ない。

 だんだんと力が抜けていく。以前にも味わった感覚だ。

 ああ、魂が抜かれていくのがわかる。

 そのまま、俺の意識も吸い取られていくようだった。

 死ぬというのは、こういうことなのか。

 今度こそ、俺の終わりを確信した。

 だが、いつまで経っても変化はなかった。魄奪の動きも完全に止まっている。

 だんだんと身体にも力が戻ってきた。

「これなら……!」

 力を振り絞り、掴まれていないもう片方の腕で掴んでいる手を切り離した。

 魄奪の拘束を抜け出すことができた。

「どうしたんだ……?」

 動きを止めた魄奪の様子を窺いつつも、自身の体を確認してみる。

 すると、懐かしい感覚が体に溢れた。

「先輩?」

 いや、似ているけど違う。

 きっとこれは、先輩の弟さんだ。

 名前も顔も知らないが、俺の中のレイラ以外の魂がそう言っていた。

「そうか……」

 あの時、俺がカルロスさんに初めて貰った魄奪の魂。

 あれは先輩の弟さんだったのか。

 魄奪が動きを止めたのも、カルロスさんの中にある先輩の魂が、自分が守りたかった弟さんを傷つけまいとして起こした反応に違いない。

 先輩の心も、まだ生きていたんだ。

「なんなのだこれは! 使い物にならん!」

 魄奪だったカルロスさんの姿が、徐々に戻っていく。

 レイラの魂があれば力を抑えるも放つも自由というのは、こういうことなのだろう。望みさえすれば破壊的な存在になれるとは、なんて恐ろしい。

 だけど、先輩の力を借りる事が出来なくなった今、俺の方が優勢だ。

「今度は俺からだ!」

 ナイフを一つ、投げると同時に立ち向かった。

「思い上がるな!」

 腕の振りで容易くナイフを弾き飛ばしたが、もう吼える様に勢いはない。

 互いの心が具現化した武器。それが衝突した。

 爪が刃を弾き、刃も爪を迎え撃つ。

 しかし、魂の武器は単なる冷たい金属じゃない。

 心をありのままに表現した形だ。

 つまり、心がより強い方が勝つ。勝利に貪欲に、そしてなにより自分の内側を信じる程、それは鋭く貫く。

 爪と競り合う俺のナイフは、武器同士でぶつかり合うだけに止まらない。

 その向こう側へ、強く呼びかけた。

「これしきの攻撃でッ……!」

 押し返す力が強まったのを感じた。

 だが、もう遅い。

 俺の方が一足早く、その心へ到達した――。

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