第十九話
あれは、娘の卒業式の日のことだった。
式を終え、娘も晴れて小学校を卒業した。
この街に越してきた頃は、私たちの国と人種の問題もあってか、辛い思いをすることも少なくはなかった。それもこれも全ては私のせいであり、仕方のないことだとは思っていた。しかし、そのとばっちりを娘がうけることはどうしても我慢ならなかった。
だが今、娘は幸せそうだ。
友人と共に、互いの門出を祝っている。
それもこれも、全ては白間道人君のおかげだろう。
彼がいなければ、レイラの笑顔は消えていたかもしれない。レイラの笑顔を私の目が映すこともなかったかもしれない。彼には感謝しなくてはならないな。
そう感じていた時、私の携帯が鳴った。
画面を見ると、私の体に緊張が走る。
こんな時に……。
会話を聞かれるのは不味いが、向こうからの声が聞こえるほど漏れることもない。
それに私は知っているのだ。ごく少数ではあるが、もう何年も私のことを監視している人間がいる。今更隠したところで、全ては筒抜けだ。
とはいえ、念のため場所だけは移そう。
「仕事先の人からだな。少し待っていてくれ」
レイラに一言置いて、その場を去った。
校舎の陰に身を潜め、通話のボタンを押す。
「酷く気分を害されたぞ。娘の喜ばしい日ぐらい、落ち着かせてくれないか」
開口一番に苦情を突きつけずにはいられなかった。
「すまない。だが、そっちの事情なんてこちらにはわからない」
電話に出たのは、いつもの中年男性の声だった。
この男性とは長い付き合いだが、何しろ会話しかしたことがない。知っているのは声のみであり、顔も名前も知りはしないのだ。
「なら、伝えたぞ。今日は晴れ晴れしい気分で一日を終えたいんだ。切らせてもらう」
いつもの用件ならば、変わったことがなかったか、などの報告をしろと言われるだけだ。
だから私は携帯を耳から離そうとした。
しかし、男性の様子はいつもと違っていた。
「いや、そうはいかない」
珍しく慎重な制止の言葉に、私は携帯を耳へ当て直す。
「何か、あったのか?」
「ようやくアレが完成した」
「アレ、とはつまりアレか……」
「ああ、そうだ。実験を兼ねての実用が決まった」
「それはいつになるんだ」
「そっちの日付で、四月一日だな」
「四月一日……?」
「なんだ、何か問題でもあるのか?」
その日は確か、娘の入学式の日だったはず。
まさか、そんな日にこの国の滅亡を設定するとは……。
いや、私達にとっては喜ばしいことに違いない。何しろ、この国の人間はどれだけ私たちの同胞を殺してきたか分からない。それはこちらも同じことだが、それゆえにこの国の人間が私たちの国を恨んでいることと同様、私たちもこの国には恨みがある。
だが、レイラは真の故郷を知らない。
私がスパイとしてこの国に派遣された日、レイラはまだあまりにも幼かった。この土地で暮らし、育ったレイラにとってはここが故郷のようなものだろう。
第一に、レイラは私の母国の言語を話すことは出来ない。作法も文化も知らない。
そんなレイラから、この国を奪ってしまっていいのだろうか。
「どうした? よほどの不都合でもあるのか」
「いや…………」
「なら、予定通りに決行させてもらうぞ」
冷静になれ、私よ。
確かに、レイラにとって可哀相なことにはなるかもしれない。だが、今までに散った数多の同胞の命は報われる。
それに今更、私が止めようとて止まるものか。
たかが使い捨てとしてのスパイの身。
私が作戦を裏切るような真似をすれば、私どころかレイラの身に危険が降りかかる。ならば、私の選択できる答えは一つしかなかった。
「……わかった。四月一日だな」
「ああ」
「それにしても、ようやく完成したのか。随分と時間がかかったみたいだな。……もう十年近く経っているぞ」
「仕方がないだろう。何しろ、国一つ全てを簡単に吹き飛ばすほどの威力だ。設計や開発、運用にこれだけ時間がかかるのは当たり前だ。本土には敵兵まで攻め込んできている中で、俺たちはよくやったと思うけどな」
「なに? この国の全てを吹き飛ばす威力だと!?」
「ああ、文字通り、国を全てだ。幸い、そこが島国だから出来る荒業みたいなもんだ。もし敵が隣国だったなら、こんなことは出来やしない」
「それなら、私たちは一刻も早く帰国したいのだが……」
レイラが巻き添えになることだけは防ぎたかった。
しかし、男性は無情な言葉を突きつけてくる。
「いいや、まだだ」
「なんだと? まだ残れというのか!」
「まあ落ち着け。お前は確かに十分な働きをした。そのおかげでようやく敵を殲滅することが出来る。だが、お前はまだ役割を果たしきっていないだろう?」
否定は出来なかった。
それは、私がこの国へスパイとして派遣された本当の理由にある。私がこの国へやって来た本当の理由は、兵器をより正確に落とすことでも、敵の撹乱をするためでもない。
この国の、隠されたる秘術とやらを手に入れることだった。
その秘術は、使用することで永遠を手に入にすることが出来る、らしい。本当かどうかは疑わしかったが、上からの命で私はそれを手に入れることになっていた。
実際、戦争が引き起こされた原因もそれにある。
それさえ手に入れる事が出来たのならば、もっと早くこの国を脱出できていたはずだった。
だが、もう十年だ。
私は秘術を見つけ出す事が出来ず、兵器の完成を迎えてしまった。
「待ってくれ……。もう少しで手に入る」
「ふむ。何でも、その秘術とやらは本土に攻め込んできている奴等の使う、魔術のようなものらしいからな。滅ぼすにしても、その前に俺たちが手に入れなけりゃあ意味がない。その秘術のために戦争が起きてるんだからな」
「それさえ手に入れば、迎えを寄越してくれるな?」
「もちろんだ。秘術を持ち帰りさえすれば、お前は一端のスパイだ。帰国した時には勲章が与えられるだろうな」
正直、勲章などどうでもよかった。本国が私に期待していないことは知っている。秘術のことも、どうせ手に入れられないのなら、危険だと判断し国ごと消し去ろうとしていることも分かっていた。
私はレイラと共に国へ帰り、平和に暮らしたい。ただそれだけが願いだった。
「……約束だぞ。このような地に来てまで働いた最期が、味方の爆薬に飲み込まれるだなんてのはごめんだからな」
「ああ、約束は守る」
それを最後に、電話は向こうから切られてしまった。
私は、なんとしても秘術とやらを手に入れなくてはならない。
少しの情報でもいい。そのためにはなんだってする。
しかし、十年探しても見つからなかったのだ。今更、どんなに血眼になろうとも、そう簡単に出てくるものではなかった。
それからというもの、私は今まで通り、部品加工の仕事をしては帰るという毎日を過ごしていた。
このまま、レイラとどこかへ逃げてしまおうか。
故郷は捨てることになるが、この国と共倒れするよりは何倍もマシだ。だが、島国のここからどう逃げたものか。
結局、私には逃げる術も監視から逃れることも出来ない。
毎日を楽しそうに過ごす娘を見ることだけが、生き甲斐と化していた。
そんなある日のこと。
その日の私は休日を過ごしていた。
久しぶりにレイラをどこかへ連れていってやるのもいい。そう思い、寝転んでいた腰を上げる。
だが、レイラは今日もどこかへ行くのか、昼前だというのに外へ向かおうとしている。卒業してからというもの、最近はいつもこうだ。
「レイラ、今日もどこかへ行くのか?」
「うん、遊びに行って来るね!」
言うと、レイラはしっかりと靴も履かないままとび出していってしまった。
もうすぐ中学校の入学式を控えているが、それまでに友達とたくさん遊んでおきたいというところなのだろうか。
それにしても、あの子があんなに元気になるとは、この街へ来た頃は思いもしなかった。周りの環境抜きにして、あの子はもっと大人しい性質だと思っていたのだが……。
家に一人になってしまった私は、何気なくレイラの部屋に向かった。
開けっ放しの部屋の扉を見て呆れた。まあ、元気で何よりだ。
しかし、もう少し立派で女の子らしい綺麗な部屋を与えられたら、などと私は物思ったりもした。
部屋に入ると、もう使うことはないだろうランドセルが部屋の隅に置かれていた。置き方は雑なものではなく、大切そうに飾っているという印象を受ける。
やっぱり、これはあの子にとっての宝物となったか。
父親としては与えたものが大切にされているのは素直に嬉しい。
次に、私は机に目を向けた。
綺麗に整理整頓された教科書やノート、申し訳程度に女の子らしく飾るための小さなぬいぐるみなどが置かれている。
今ではやんちゃのように見えても、根はしっかりとしているんだな。
それもこれも、私が心配ばかりかけてしまったせいだろうか。
「うん?」
ふと、机の隅の赤い箱に目が引かれた。
確かこれは、レイラが幼い頃から大切にしている宝箱だな。
別にやましい気持ちがあったわけではない。
何気なく、蓋を開けてみた。すると、鍵がかかっていなかったのか、蓋はいとも容易く開いた。中には、何故だか紙切れのようなものが沢山詰まっていた。
以前は、この中にビー玉やらを詰めていたはずだが……。
私は紙切れを手に取る。
二つ折りにしてあったそれを開くと、何やら文字が書かれていた。
『特別な場所は山の上。一本杉のある場所』
意味がありそうで、私にはその意味が解らなかった。
紙は一枚だけではない。他にもレイラの字で書かれたものがいくつも入っていた。
私はそのほとんどを開いては眺めた。
中には、文字ではなく地図のような絵が描かれたものもあった。
だが、それが意味するところは結局のところ解らない。
私は何か嫌な予感がした。見るからに普通ではない。
異変を感じ取った私は、その日からレイラが何をしているのかを探り始めた。
ここのところ、毎日の様にどこかへと出かけていく。それが紙に書かれている内容と何か関係があるのではないか。その他に考えようがない。
その時の私の頭の中には、もう秘術のことなどなかった。
どうやら、レイラは山の麓にある神社へと通っているようだった。普段は一般人が入ることの出来ないような空間へと、レイラは躊躇いもなく足を踏み入れていく。
様子を見るからには、何か脅されて通っているようには見えなかった。
それからも様子を探り続けること、約一月。
レイラの入学式まで残された時間は、もう僅かなものだった。
だが私は、ついに話しの聞こえる状況を作りだした。
自作の盗聴器をレイラの入っていく部屋に仕掛け、私は神社近くの藪に身を潜めた。日に日に増えていく紙を、レイラは毎日の様に宝箱へ入れてもいたため、同じ形の鍵を複製もした。
あの時はたまたま開いていただけに、これから何か重要なものを仕舞われては、開ける術がなくて困るからだ。
そう、この一月の間に暗号のような紙も増えていた。
だが今日、ようやくその謎が解けるかもしれない。
もしもあの紙に書かれたものが私への助けを求めるものだとしたならば、私はすぐにでもあの子の元に駆け出すだろう。
私は息を潜めながら、盗聴器に耳を傾けた。
「おそらく、今回が最後になることでしょう」
声の主は、この神社の神主のようだった。
何度か見かけ、声も聞いたことがあるため、ある程度の予想はつく。
「そうですか。そうしたら、このペンダントに私の魂の半分が詰まることになるんですね」
今のは間違いなくレイラの声だった。
しかし、魂がペンダントに半分詰まるとはどういうことなのか。
今回が最後?
ここでの会話も私には理解不能だ。
一体、レイラは何をしているのだ。
私は尚も聴覚の神経だけを研ぎ澄ました。
「神主さん、お願いします」
「少しお待ちなさい。貴女は焦りすぎのような気がします」
「だって、もう時間がないんです」
「そうは言いますが、今回が最後になるということが、どういうことかわからないわけではないでしょうに。秘術を完了してしまえば、確実に貴女は貴女ではなくなる。少なくとも、今までのようにはいかないでしょう」
秘術……!
なんたることか。
娘のレイラが何をしているのか探ってみれば、まさかこんな所で秘術の情報を得ることになろうとは。
「はい。でも私は、それでもみんなのことを忘れないと思います。あの時、みち君が助けてくれたこと、友達が出来たこと。この街で暮らした出来事も、お父さんとの思い出も、全部全部私の胸の中にあります。――たとえ、私が記憶を失うことになったとしても、です」
愕然とせざるを得なかった。いや、呆気にとられたと言おう。
私は自分の耳が信じられなかった。
この盗聴器は失敗作だったか?
いいや、決して私の聞き間違いでも物の所為でもない。
記憶を失う、と間違いなくレイラ自身が言ったのだから。
「あぁぁぁぁぁぁ…………!」
私は、声を潜めて涙した。
我慢の限界だ。今すぐにでも、ここを飛び出して神社に乗り込んでやりたい。だがそれが出来ない。
悲しいな。これが職業病というやつなのだろうか。
どんなに理性を壊されたとしても、私は常に監視されていることを忘れなかった。
無論今のこの状況であっても例外ではない。その監視が私の故郷からのものではないことも把握している。
私は娘の記憶と魂が奪われるのを見ることもできず、ただ聞いている事しか出来なかった。
「さあ、ペンダントに収まりましたよ」
「……はい。ってあれ!? 私が二人います!」
「それは貴女の元の体です。今のあなたは半分の魂が人の形としてどうにか存在している状態です。殻を持たない希薄な魂はすぐに散ってしまう」
「そうだったんですか……」
「どうか、消えてしまわぬうちに、どこか箱になるものに宿ってください」
「入れ物は決まってるので大丈夫です」
「それなら心配はいりませんね。御神体はその時まで私共が厳重に保管しておきます」
「はい、ありがとうございました」
そんな会話の後に、レイラは何事もなかったかのように神社から出てきた。
私はその場で迎えることはせず、一足先に家へと向かった。
家に着くと、私は何をするでもなく家の中でうろうろしていた。本当にレイラは記憶を失って帰って来てしまうのか、気が気ではなかったからだ。
レイラが私のことを忘れてしまっていたら、この先何のために生きていけばよいのかわからない。
待てよ……。
記憶を失ってしまったのならば、家への帰り道も分からないではないか!
私は急いで靴を履き、再び玄関から外へ飛び出そうとした。
だがちょうど、戸が開けられた。
「ただいまー」
レイラだった。
「レイラ!」
「お、お父さん!? どこか行くの?」
お父さん、と。
確かにそう言った。
「い、いや。お父さんもちょうど帰ってきたところなんだ」
「どこに行ってたの?」
「ちょっと散歩にね」
「えー、私も誘ってくれればよかったのにー」
よかった。
レイラはちゃんと私のことを覚えていてくれた。
記憶など失っていなかったんだ。
レイラはそのまま居間へ向かうと、私が点けっぱなしにしていたテレビのチャンネルを変えて見始めていた。
「面白いのやってないねー」
「昼時だからなあ」
何気ない、いつもの日常が戻ってきた。
そう安心していたのに。
「そうだ、お母さんは? お母さんと遊ぼーっと」
急にそんなことを言い出し、レイラが立ち上がったのだ。
「……お母さん?」
「うん。まだ帰って来てないの?」
私は、すぐには理解することが出来なかった。
何故、レイラはそんなことを言いだすのか。
帰って来ていないも何も、妻は故郷で亡くなっている。帰って来るはずがなかった。
「お母さんは帰って来ない……」
嘘は言っていない。
妻はもう、永遠に返ってくることはないのだから。
「そっかあ。じゃあ、帰って来るまで待ってよっと」
レイラが理解していないことは明らかだった。
だが、私には具体的に伝えるような残酷なことは出来なかった。
やはりレイラは、記憶を失ってしまっていたのか……?
私は後を追うようにして、部屋に向かったレイラの様子を見に行く。
するとそこで私が見たものは、私から伝えることよりも残酷な光景だった。
一人、机に向かって俯く娘の姿。
机の上には、開かれた例の宝箱。
レイラが見ているのは、レイラ自身が書き溜めた、私には理解の出来なかった文字や絵だった。
しかし今の私なら、あの紙に書かれていたことの意味がわかったような気がする。
いいや、気がするのではない。しっかりと受け止めなくては。
レイラは紙を見て泣いていた。
そうして、背後にいた私に気が付いたのか、一枚の紙を見せながら私に言った。
「お母さんは、もう帰って来ないんだね……!」
その紙は最近になって増えたものだったのか、私はまだ見たことのないものだった。そこには震える字で、こう書かれていた。
『お母さんはもういない。お墓の中』
それを見て、私が涙を流さないはずがなかった。
「レイラ……。すまなかった……!」
レイラはこの一ヶ月ほど、秘術とやらをその身に受けてきた。この記憶障害は、おそらくその秘術とやらの代償なのだろう。
だがレイラは、記憶を失うことを知っていながら秘術を受けた。
だからこうして、今までの出来事を紙に書いては保存していたのだろう。
記憶を失ってしまった後でも、今までの自分らしくあろうとしたために――。
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