第十八話
翌日、俺は朝早くから山へと自転車を走らせた。
途中、神社の前を通っては、今まで聞いた俺の見ぬ光景を浮かべて胸が締め付けられる。
特別な場所へ着くと、そこには何をするでもなくレイラがいる。
ここ最近は何度か会っているから、もう驚きも何もない。
「あ、みち君だ! 今日は来てくれたんだ。ていうか、早いね?」
「まあ、な」
レイラは、再開した時に着せてやった上着をいまだに着ていた。
「雪、振るのかな?」
「雪は年明けからじゃないかな」
「降ったら一緒に遊ぼ?」
「そうだな」
俺と会えば、レイラはいつでも話が尽きない。今は他に話す人もいないからなのだろうが、それでも昔からお喋りだった。
出会った頃は環境のせいもあってか大人しかったから、ここまで話すようになるとは思わなかった。
そんなレイラを見ていると、話したいことも話し辛くなってくる。
レイラが笑う度に、この笑顔がまた壊れるんじゃないかと不安が押し寄せた。
だけど、ここで切りださなければ何も始まらない。
「レイラ」
「うん?」
口を止め、急に俺の話を聞く体勢を取ってくる。
それまでずっと聞こえていたレイラの声が止み、辺りがしんとしたように感じた。
「今日は、相談があって来たんだ」
「私に? みち君が相談なんて珍しい! いつもは私が相談してたのにね~」
「……そういえばそうだな」
「それで、相談って?」
「カルロスさんの話なんだ」
「……お父さんがどうかしたの?」
名前を出した時、僅かな間があった。
やはり、自分の父親に対しての話だと言われ、良い予感はしていないのだろう。
非常に口が重かったが、俺はなんとか言葉を絞り出した。
「それが、カルロスさんを殺さなくちゃならなくなった……」
「…………」
あまりにも直接的過ぎただろうか。レイラは言葉を失っていた。
「分霊はもう、カルロスさんが体に入れてたみたいでさ……」
「ごめんね、みち君」
レイラは俯いてしまった。
「どうして謝るんだよ」
「私のお父さんなのに、みち君に背負わせちゃったから」
「そんなことない。今までは気づかなかったけど、俺たちはレイラにまかせっきりだったんだ。だから今、こんなことになってる」
「でも……」
「なあ、レイラ。カルロスさんを殺さなくちゃならないのは、分霊を取り出すためなんだ。それでも、他に方法があればと思って今日は相談に来たんだけど。何か、ないかな……」
レイラだけが頼りだった。
カルロスさんに近しく、味方をしてやれるのもレイラぐらいしかいない。
それに、霊羅の仕組みを詳しく知っているレイラならば、分霊の在りかさえわかれば、平和に解決する方法があるんじゃないかと考えた。
「あるかも」
顔をあげ、レイラは言った。
「本当か!」
「うん、私が魄奪から魂を回収する時、魄奪のことは一切傷つけないの。私の体の一部だから当たり前だよね。だから、魂を飲み込んだ人にも、同じようにすればできるかもしれない」
それはつまり、俺たちのように幻殻を破壊せずに魂を取り出す方法があるということだった。
レイラも確証ある感じではなかったけれど、可能性が見つかっただけでも心の安心感は大きく増した。
「でも……」
レイラは不安な声を出す。
途端、俺の心にも再び不安がやってくる。
「な、なんだ?」
「私が触れないと魂は奪えない」
「てことは……」
レイラをカルロスさんの元へ連れていくか、カルロスさんをここへ連れてくるかの選択をしなければならないということか。
レイラを山から下ろすのは駄目だ。
レイラが生きていたと認知されれば、皆が集まって来るに違いない。今になって生きていたということ。三年前から成長しない姿。いつ、霊羅だということがばれてしまうか分からない状況になる。
だったら、カルロスさん一人をこの山へと連れてきた方が比較的安全な気はする。
「カルロスさんを、ここへ連れてきてもいいか……?」
訊くと、やはり考えるところもあるようだったが、思いのほか素早く了承してくれた。
「話もしたいから」
最もな意見だ。
娘と父親。その二人が生き別れ、しかし会おうと思えば会えない位置にいる。その状態で再開を望まないわけがなかった。
だが、これは賭けだった。
カルロスさんはこの国を滅ぼす為に、霊羅の分霊を奪ったのは間違いない。ということは、霊羅とレイラの関係について知らないはずはない。
もし、レイラが姿ある形で目の前に現れたとしたら、どんな行動にでるかわからなかった。それでも俺が賭けたかったのは、カルロスさんの良心を信じてのことだった。
たとえ、どんなことをしてきたとしても、行方知れずになった娘が見つかって嬉しくない父親がいるとは思えない。カルロスさんがこの世界になってからも戦ってきたのは、レイラのためだということも知っている。
国と国の戦争とか、そんなのは関係ない。
カルロスさんこそが、それを一番にわかっているはずなんだ。
レイラの許可を得てすぐ、俺は街へ急いだ。
一刻も早く、カルロスさんを連れていかなければならなかったからだ。それは、この件を早く解決したいということもあったが、急ぐ理由はそれだけじゃなかった。
ここ一月の間、霊羅は姿を現していない。
なぜなら、俺がレイラに頼んだからだ。
霊羅に殺されていく人を見ていたくはない。分霊を早く見つけてくるから、それまで霊羅となって魂を回収するのは待ってくれ、と。
それがこの幽世の寿命を縮めることはわかっている。俺たち自身にも危機的な状況が及ぶのはわかっている。
でも、これ以上人が苦しむのは見てられなかったし、レイラが苦しみを負っていくのも耐えられなかった。
自己中心的な私欲が絡んでいることはわかっている。
だけど、俺はどちらも守りたかったんだ。
レイラも、街のみんなのことも。全部。
事務所に駆け込んだ俺だが、そこにカルロスさんはいなかった。家にもいなかったとなると、今は職場か。
探そうか、どうしようか。
しかし、今から探してそう簡単に見つかるかどうか。
焦る必要もないが、待つにはまだ時間がかかりそうだ。
いや、呼びだす方法が一つだけあった。
俺は携帯の画面を操作し、白鬼会のメールアドレス宛てに文を送った。
『レイラが見つかりました』
この一文だけで、カルロスさんならば来るだろう。
霊羅出現時、白鬼会からのメールは全てが会員に送られるが、逆の場合はそうではない。そして、メールを送っているのは白鬼会の会長であるカルロスさんだろうから、俺から送ったメールはカルロスさんに届くはずだ。
程なくして、詳細と差出人を問う内容の返事がきた。神社で待っている、と自分の名を添えて送りかえす。
俺は、すぐに神社へと向かった。
待ち合わせ場所に着いてから数十分。
どこかの工場の作業着姿をした男がやってきた。
よほど急いで来たのだろう。カルロスさんは呼吸を乱している。
「……どういうつもりかな?」
「レイラが見つかったんです」
「娘は死んだ」
「なら、どうしてカルロスさんはここへ?」
「娘が見つかったと聞いたからだ」
「レイラは死んだんじゃ?」
「俺たちの状態を生きていると言えるのなら、娘も生きている。……君はどこまで知ってしまったんだ?」
「今、その話は必要ないと思います。レイラに会ってくれますか?」
「もちろんだ。私はこの日のために戦ってきた」
カルロスさんは表情を一切変えることはなかった。
霊羅がどういう存在なのかという証拠が見つかってしまった動揺もない。最愛の娘との再会を喜ぶような素振りもない。
やはり、僅かに言葉を交わした程度では心の一片も垣間見ることは出来なさそうだ。
俺はカルロスさんを山へと案内した。
道中、会話は一切ない。
一本杉が見えてくるにつれ、緊張が増してくる。
レイラがこちらに気が付き、明らかにカルロスさんを視認した。カルロスさんも同様、レイラの姿に目を見開いている。
「お父さん……」
レイラの目には涙が浮かんでいた。
「レイラ……!」
カルロスさんも感極まったような声を上げた。
父親らしく、久しぶりの再会を遂げた娘へと駆け寄っていく。やっぱり、レイラに会うことは望んでいたのだ。
それをレイラも感じ取ったのか、自然と足が前に出ていた。
直後――。
「いやあ!」
二人が抱き合うかと思えた次の瞬間、レイラの悲鳴が山に木霊した。
刹那的な眩い光が俺たちを包む。
その光は、俺たちが呑み込まれた業火の赫そのものだった。
あの時の光景が今、胸の中に蘇ってくる。
しかし、あっという間にその光は治まった。
「……逃げられたか」
まず目に入ってきたのは、いつの間にか鉤爪を装備したカルロスさんだった。辺りの何所にもレイラの姿はない。
俺には何が起きたのかさっぱりだ。
「レイラに何を……!?」
解ることは、カルロスさんがレイラに何らかの危害を加えたということ。
「いや、私は何もしていない」
「そんなわけあるかよ!」
武器を身に着けていて否定などさせはしない。
俺も魂の流れを形にした。ナイフを握り、身構える。
すると、街の方から警報が聞こえ始めた。
「なるほど、咄嗟に霊羅となったか」
「霊羅!?」
元々、夕暮れに染まってきていたから空では判断できない。いや、さっきの光に包まれてやっと理解できた。
この空の赤色は俺たちを焼いた光だったのか。
世界は時間だけを進めながら、霊羅を呼ぶことによってあの日を何度も再現していたんだ。永久にして可変の幽世を創りだす為に。
そして、レイラがこの場からいなくなってしまったのは、今あの街で魂を集めている霊羅になってしまったから。
レイラはなるつもりはなかったのだろうが、カルロスさんの爪から逃れるためには、仕方なく姿を変えたのだろう。
「どうしてこんなことをするのか、そう言いたい顔をしているな」
「当り前だ! レイラが怪我でもしたらどうする!」
「怪我、か。それは可哀相だな。だから私は、できるだけ痛まないように息の根を止めるつもりだったんだが……」
「息の根を止める……!?」
この男は、我が娘に対して放った言葉の意味を理解しているのか。
「自分で言っていることがおかしいとは思わないのかよ……?」
「何らおかしくはない。私は今日この日のためにこれまで生き抜いてきたのだ。最愛の娘、レイラを救うためにな」
「息の根を止めるだとか言っておきながら、救うとか意味わかんないこと言ってんなよ!」
「意味が解らない? それは君が私の心を理解していないからだ。私の立場として私の過去を体験していないからだ。白間君、君には私を理解することは出来ない。私も理解されようとは思わない。だが、君に私の邪魔をする権利があるかといえば、絶対にそんなことはありえない」
「邪魔なんかじゃない。俺がレイラを守りたいから戦ってるんだ」
「それは私も同じこと。あの子を父親として救いたい」
「だから、それが意味わかんないって言ってるんだよ! 救いたいなら、どうして殺す必要がある!」
「なら、考えてみなさい。君が父親になり、娘が生まれたとしよう。その娘が化け物に……あのような化け物になったとしてそれを受け入れられるのか?」
「…………!」
霊羅を指さしたカルロスさんの手は震えていた。
あれが我が娘だと、受け入れがたい現実を受け入れながら今まで生きてきた。そんな心の憤りが全て露わになった瞬間に見えた。
「……受け入れるも何も、あれはレイラが望んだ姿だ」
「望んだだと? あの子自身がか?」
「そうだ。あんたのせいで死ぬはずだった俺たちを救いたいがために、レイラは望んでああなったんだ。それをあんたが否定する権利こそない。もっと娘の考えを尊重してやれないのかよ」
「望んでなった? 尊重してやれ、だと? まるでレイラが化け物になりたかったかのような言い分だな」
「レイラがそう言ったんだ。何も間違っちゃいない」
「ふざけたことを抜かすな。あの子は人助けを望んだだけで、決して化け物になりたかったわけじゃない」
「けど、その化け物になることで助けられるなら。そう考えたから霊羅になったんだ。結局はレイラの意思でなったことには間違いない」
「それがたとえ、自分を見失ってしまうのだとしても、君はレイラが望んでいたと言えるのか?」
「自分を見失う……?」
「あの日、私は見たんだ――」
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