第十七話
おやじさんのオムライス店は、カルロスさんの家からそう遠くはない。
「チビの頃はよくただ飯食いに来てたよなあ」
厨房に入りながら、懐かしげにおやじさんが言う。
「ただ飯って……。おやじさんが勝手に出してくれたんですよ。もっと食えって」
それに、父親とも食べに来たことはある。もちろんその時はお金を払っていた。
「ああ、ありゃあ残飯だ」
おやじさんはいつものように毒を吐く。
「デキたて熱々の残飯ですね」
「今日も残飯が多くてな! 残すんじゃねえぞ?」
「残飯だから残って当たり前じゃないですか。まあ、きれいになくなると思いますけど」
憎まれ口の応酬のような会話を繰り広げ、俺も勝手に席に着く。座る場所は決まっている。幼い頃から、この店で食べる時はカウンター一択だ。そうしないとおやじさんの口の相手がいなくなり、喋らないと生きていけないおやじさんが死ぬからだ。
「おばさんはいないんですか?」
おばさん、とは要するにおやじさんの奥さんである。
「あいつはパートだな」
「お店の方は手伝わないんですね」
「向こうも好きでやってるんだ。別に嫌なもんを手伝わせる気なんてねえ。さっきなんか早く店に戻れって言いやがった。せっかく顔見せに行ったのによ」
なるほど、さっきの買い物袋はおばさんの働いているスーパーで買ってきたものだったのか。
「ほら、出来たぞ」
店を営んでいるだけあって、手際の良さはさすがだ。話していたということもあり、待ち時間など感じられなかった。
「いただきます」
目の前に出された、何の変哲もないただのオムライスを俺は頬張る。
「美味いか」
「昔と変わらないですね」
「そうか」
言わずとも、昔と変わらず美味しいという意味は伝わったようだ。
今日のオムライスも、相変わらず鶏肉が多めに入っている。それとも、昔から俺が食べる時だけこうして増やしてくれていたのだろうか。
何にせよ、懐かしい味に心も体も落ち着くようだった。
「なあ、道人よお」
ちょうど半分ほど食べ進めた時だった。
俺はおやじさんの方へ顔を向けることで返事をした。そしてまた、スプーンを口に運ぼうとする。
「お前、分霊を探してるんだろ?」
何なのだろう。
俺は今、何を聞いたのか。
「…………」
それまでがっついていた手が自然と止まる。
耳だけに全ての神経が通ったような感覚になった。再び顔を上げることが、すぐにはできない。
今、俺はどういう状況なのかを瞬間的に理解できなくなっている。
おやじさんはそれでも続けた。
「分霊はもう、あのペンダントの中には残っちゃいねえよ」
そこでやっと、俺は口を利けるようになった。
「……おやじさんが、どうしてそれを?」
「どうしてだとか、そんなのが必要か?」
「あります。分霊のことについて知ってるのはレイラと俺だけのはずですから」
「そういうことは早めにばらさねえ方が身のためだぞ」
「……」
それは、今の今まで俺と話していたおやじさんとはまるで違っていた。普段は大胆で豪快、細かいことは気にしないような性格だと街の人間にも知れ渡っている。だけど今は、人のちょっとした心の隙間も盗み見ているようだ。よく言えば抜け目がないという感じだった。
「分霊はもう、ペンダントの中には宿ってねえ」
それはすでに知っている内容だ。
「なら、どこにあるんですか」
通用するとは思っていないが、鎌をかけてみる。
「カルロス=ロペスが喰らった」
大体の予想はついていた。今更、それに対しての衝撃はない。話している人間が誰かということを除きさえすればの話だが。
「……簡単に教えるんですね」
「俺が知っていてもどうにもならねえからな」
「どういうことですか」
「考えりゃあすぐにわかる。お前は白鬼会に入った時からおかしいと思わなかったのか? 魄奪に触れるには魄奪から奪い取った魂を喰らうしかねえ。だったら、始めに白鬼を使えたやつは何者なんだってな」
「…………!」
考えてもみればそうだ。
白鬼とは、魄奪の魂を体内に内包する人間だけが使える力。しかし、その力が無ければそもそも魄奪を倒す事が出来ず、白鬼を使うための魂も手に入らない。誰かが先天的に白鬼を使えなければ、こうした力が広まることはなかったはずだ。
「それが誰なのかは考えなくてもわかる。始めに白鬼を使い、俺たちにもそれを広めたのはカルロスだ」
それが意味するところは、ペンダントに封じられていた魂はすでに抜けているということ。この世界が幽世になった時、何らかの形でカルロスさんはあのペンダントを手に入れたのだろう。そして魂を抜き取り、自分で喰らう。
そうすることで、理論上は魄奪を倒さずとも白鬼になれるからだ。
「でも、カルロスさんがどうしてそんなことを……。魂を喰えば白鬼になれるだなんて普通は思いつかないですよ……?」
「それは、奴がスパイだからだな」
何故、この人はそんなところまで知っているのか。
分霊もスパイの件も、俺がつい最近知ったばかりのことだ。もちろん、誰にも話しはしないし、俺以外に誰にも会っていないレイラが洩らすはずもない。
「俺には、今のおやじさんが信用できません……」
オムライスを乗せていたスプーンは、もう口に運ぶ気にはならなかった。
「そりゃあ、俺は今まで信用されるようなことをして生きてきてねえからな」
自らをも否定するその言葉。
それさえも本心なのかが疑わしい。
「おやじさんは、どうしてカルロスさんがスパイだとか言えるんですか。分霊の話が本当だって証拠はあるんですか」
「証拠はねえが、これだけは言える。お前は勘違いをしてるんだってな」
「勘違い?」
「分霊のことについて知ってんのが、あの娘だけだと思っていることだな」
俺はレイラの話を思い返してみた。
レイラの話では、神社の神主さんからその話をされたと聞いている。なら、その神主さんがこのおやじさんだっていうのか。
いや、そんなはずはない。
駒川先輩の件で神社は倒壊し、神主さんらしき人は殺されたのを俺自身がしかとこの目で見てきた。
だとするならば、他に分霊について知っている人物がいるはずはない。
「俺が今になって全部吐いてんのは、お前に任せるしかねえからだ」
今になって。昔からいろいろと知っているような口ぶりだ。
俺は訝しく思いながらもおやじさんの顔をじっと見つめる。すると、ある光景が浮かんできた。
俺はその現場を見たことはない。だけど、これまでの記憶が鮮明に再現していた。
山の麓の神社。そこにいるのは幼い頃のレイラ。
もう出せる答えは一つしかなかった。
「おやじさん……。昔、レイラを神社に連れていったんですね……」
「さあ、どうだかな。昔のことなんて覚えてねえ」
「……それは、いつものおやじさんだったら覚えてるって意味ですよ」
「……お前は自分の耳も信じられねえのか」
それからはしばらく、互いに動くこともせず無言の時間が続いた。
いつからなのか。
おやじさんがそうした活動をしていたのはいつからだったのか。
俺が無邪気にオムライスを食べに来ていたあの頃、厨房で汗を流しながらご近所に好かれる店主。その裏ではレイラに脅迫をし、殆んど死を強要するような真似をしていた。それが真実だっていうのか。
俺のためにオムライスを作ってくれる手は、いつでもごつくて太くて、それでも綺麗な手なんだと思っていた。
それなのに……。
「今まで、ずっと知っていながら知らないふりをしていたんですね……。魄奪のことも、カルロスさんのことも……」
「そりゃあ、あいつが今になって善行を積み始めるだなんて思えねえからな。泳がせてやってたんだよ。白鬼を使って、やつが何をしようと考えているのを見極めるためにな」
「……どうして、今そんな話を俺に……?」
おやじさんは、少し予想外だという顔をした。
「なんだ、俺のことを聞いてそのうち飛び出すんじゃねえかと思ってたんだが」
確かに、おやじさんの正体を聞けばショックではあった。
だけど、俺はそんなことではもう止まれない。
「今はレイラのことが大切ですから」
そう、今の俺におやじさんの過去がどうだったとかはもう関係ない。レイラは今でも、人の魂を奪わざるを得なくなってしまったことを苦しんでいる。
俺はそれを救うために、本来レイラが望んだ世界にするために動かなくちゃならないんだ。
「それで、俺は何をすればいいんですか。魂はもう喰われてなくなった。でも、おやじさんはさっき、俺に任せるしかないって言いました。俺にしか出来ない方法で、まだレイラを助けることが出来るんですよね?」
「お前の持ってるペンダントにはまだ分霊が残っているだろう」
「……それが、どう関係あるんですか」
「分霊こそが本来の魂だ。その力さえあれば、魄奪の魂をどれだけ取り入れようともあれと同じようにはならねえ」
「あれと同じ?」
「魄奪にはならねえってことだな」
「そんなことも知ってるんですか……!」
それを早く知っていれば、今頃先輩は……。
「どうして知らないふりをしていたんですか! カルロスさんに対策を迫っていたのも演技だったってことか……!」
「当り前だ。俺は昔からあいつを見てきた。あれはこの国を消し炭にした張本人。だが、すぐに消すわけにはいかねえ。何しろ、幽世が出来た瞬間から、あいつは分霊の一つを握っていた。それはつまり、この世界をいつでも消すスイッチをあの野郎が握っているってことだからな。幽世が出来てからあいつが魄奪を倒し始めたのも、この街を愛しているからなんかじゃねえ。欠けた分の魂を補充するために動いている魄奪を消し、幽世の維持が出来なくするために違いないんだ」
「でも、だからってレイラに罪はなかった……。犠牲になる言われはなかったはずなんだ……」
すぐにでも声を張り上げたい。
でも、今は耐え忍ぶしかなかった。
「お前は勘違いしてるみたいだがな、何も俺は、あの娘っ子だけを霊羅にしようとしていたわけじゃねえ」
「何を今さら」
非難がましい口調で言ってやるが、おやじさんは気にも留めていない様子だ。
「あれが霊羅になったのは想定外でもあった。何しろ、敵国の人間の娘だ。そう簡単に、この国のために犠牲になろうと考えただなんて馬鹿な話はねえ。それがたとえ償いだと脅し、罪の意識を植え付けたとしてもな。要は、あの娘は望んで死んだんだ」
「ふざけんじゃねえ!」
突発的に拳を叩きつけずにはいられなかった。だが俺の抑止力が、どうにか拳の方向をテーブルへと制御した。
おやじさんが関心もないような視線を浴びせてくる。しかし、どこか俺を憐れんでいるようでもあった。
「お前もあの娘に聞いたんなら知ってるはずだ。霊羅になる秘術は、術者が望んでいなければ成功することはない。絶対にだ。だからな、俺たちもかなりの子供たちを無駄にしてきたんだ。この国のために、この国の子供を失った。だが、所詮は自分の命可愛し。どの子供も霊羅になることは望まずに死ぬだけ死んでいった。分霊にした時点で、ただの抜け殻になった。魂はゴミとなった」
だからなんだ。
その子供たちに対し、俺に追悼の意を表せとでも言うのか。
確かに哀しい出来事だ。罪なく殺され、惨く散っていった命は永遠の苦しみを味わっていることだろう。
だが、それをどうしてこの人の口が言う。
「そんなに国が大切なら、あんたが霊羅になればよかったんだ……」
「それは無理だな」
あっさりと一蹴された。
「俺だって自分が大切なわけだ。結局、無駄に死ぬだだけだろうな。だけどな、それはお前も同じなんじゃねえか?」
「そんなこと……!」
「本当か? 人がたくさん死ぬ。お前はそれを救うため、今すぐに死ねと言われたら死ぬのか? その救う方法とやらに何の根拠がなくても死ぬと言い、実行できるのか?」
「それは……」
俺も自分が大切じゃないことはない。
痛みだって感じるし、死や恐怖に近いことは出来るだけ避けたい。もし今すぐに死ね、あるいは死ぬと告げられれば、非情な現実を悲観して暴れ回るかもしれない。
「答えてみろ。でなけりゃあ、お前は俺を批判することはできない」
だけどレイラはやった。
自分が好きなこの街と会えなくなるかもしれない。それを知っていながら、自らを捧げたんだ。
そんなレイラが言ってくれた。
みち君は、復讐のために動いていたんじゃない。みんなを守りたいと思ったから動いていたんだという言葉。
「俺は……レイラのためになら死んでも構わない」
「ほお?」
「だけど、絶対に無駄死にはしない」
「そうかい。ま、口だけなら何とでも言えるんだ。行動で示してくれなくちゃあな。でなけりゃ、俺たちも困るからよ」
「……困る?」
「そうだ。お前はまだ喰っちゃいないが、カルロスと同じようにあの娘の魂を持っている。俺たちのような、人から奪った魂をさらに使いまわしている混濁としたモノとは話が違う。さっきも言ったろう。どれだけ魂を取り入れようとも、魄奪にはならねえってな。それは力をどれだけ手に入れても構わないってことだ。どこまでも強くなれる」
「どこまでも強く……」
「そのことにあいつも気が付いてやがる」
「カルロスさんが?」
「だから、お前にやってもらわなくちゃならねえんだ。あいつはもう、いくつかの魂を喰い始めた。お前の先輩もそのうちの一人だろうよ」
そうか、先輩の最期を見たのは――もっと言えば、止めを刺したのはカルロスさんだった。倒した先輩の魂を喰らっていても、何もおかしくはない。
「……でも、俺がやらなくちゃいけないってのは、なにを?」
「カルロスを殺せ」
「くっそ……」
また怒りが込み上げて来そうだった。
いくらスパイだったからといっても、この国を破滅に追い込んだ犯人だったとしても、俺個人としてカルロスさんには恩義がある。たとえ、その原因がカルロスさんによるものだったとしてでもさえ、そんな仇で返すような真似を一つ返事で了承するわけにはいかなかった。
「わかるだろ。魄奪から魂を取り出した時はどうしたよ。幻殻を破って、中の魂を取り出しただろう? それだけの話だ」
「そうやって、いつも肝心なところだけを誤魔化して生きてきたのかよ。どんなに言い方を変えても殺せってことだろ……!」
「なら、この世界ごと心中するか。……だが、お前はそれも嫌だと抜かすはず。結局は、俺の言うとおりになるのが嫌だろうとやらなくちゃならねんだ」
「そんな簡単にできるわけないだろ!」
「まあ、考えるだけ考えるんだな。しかし、カルロスが何をしようとしているかは分からねえが、力をつける前にやっちまわねえと、取り返しのつかないことになる」
簡単に解決できることじゃないってのはわかっている。
だからこそ、やるべきことが決まった今、急がなくちゃならないのもわかっている。だけど、俺には荷が重すぎた。
「なあ、道人よお」
おやじさんは、何か思いつめたような口調だった。
今更何を言おうが、俺の心には響かない。そう思いながらも、俺の耳は言葉を受け入れる。
「俺はな、別にお前に嫌がらせしているわけでもねえし、敵なんかになるつもりもねえんだ。ただな、自分の正義を貫いて生きてきたつもりなんだが、結局はその他大勢になっちまった。何かを守るつもりなら、何かを犠牲にしなくちゃならないのはわかってる。わかっていながら、その犠牲にするモノが自分になるのを拒んだのさあ」
「それがなんだよ……」
「少なくとも、俺はあのお嬢ちゃんに感謝してるってことだな」
「嘘にしか聞こえねえ……」
俺は立ちあがり、店の外に向けて歩んだ。
「帰るのか」
「そうだな」
「飯、残っちまったな……」
俺の背に、呟きが当たった。
「ああ、御馳走してくれてありがとうな。不味かったよ」
「味は良かったろ?」
「当り前だ」
もう、ここへ来ることはないだろう。
俺はその日、家へ帰るなり部屋に籠った。
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